• 締切済み

イスラム教は穏健な宗教?

宗教は暴力と無関係とはいえない、キリスト教も十字軍で代表されるように数々の暴力事件を起こしている、仏教も叡山や興福寺の僧兵、門徒衆の一揆、石山本願寺、長島の戦いなどに見られる。 近代ではインドの宗教対立でパキスタンが分離独立している、アフガニスタンを始めイスラム圏の諸国では宗派間の争いが激しく独裁政権が倒れても未だに宗派争いをしている。 イラン革命でホメイニーが最高指導者になりイスラム法の施行や戒律を厳しくした、悪魔の詩の作者や翻訳者までホメイニーは反イスラーム的を 理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告など過激な一面を覗かせる。 各地で勃興するテロ集団はイスラム教を旗印に結集しており、一般のイスラームは暴力を否定しているが、根底に暴力に繋がるものが有るのでは無いでしょうか。

みんなの回答

回答No.11

現在のイスラム国を名乗っているISISはイスラムとは全く関係ない。難しく考える事はない。只の暴力集団だからだ

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (657/1170)
回答No.10

概して、本来は穏健で寛容な宗教だと思います。 どちらかと言えば、キリスト教以前のユダヤ教の方が選民思想的ですし、イスラム教は、諸説あるものの、ブッダやキリストなど異教徒において神格化されている存在をもアッラーの預言者の一人として序列に加えている、などの見解もあり、寛容さがあったからこそ世界宗教になるほど信仰者が多くなったのだと思います。 いずれにしろ、ある特定の人物の言葉や行いを口述伝承から教典へと移し替えたことで、多くの人へとその内容が伝播し宗教に至ったのだと思いますが、しかし、宗教観はその教典や物語的説話にあるのであって、人の行動が、必ずしも宗教観を体現しているとは思いません。 たとえにあげているホメイニの「悪魔の詩」に関連しての弾圧というのも、「悪魔の詩」を『反イスラム的』と考えるのはイスラム教的宗教観ゆえなのでしょうが、死刑にするような処罰・行動に出たのはホメイニという人物の理念によるものです。 ですので、この場合は、非人道的であるのはホメイニの行動であって、宗教観ではないと思います。 もっとも、宗教観が人の行動原理・理念に影響を及ぼす、ということもあるかと思いますが、宗教自体が害悪になるのではなく、その宗教を用い執行する立場の人間性が害悪となってしまうのだと思います。 他の回答者さまも引用していますが、たとえばオウム真理教に関しても、詳しくその教典の内容は知りません(アルマゲドンとかあったっけ…?いろんな宗教の雑煮状態?)が、その教典による宗教観自体が害悪ではなく、麻原のような宗教の執行者の人格に問題があったがゆえに、カルト教団化したのだと思います。 しかし、厳密に言えば、キリスト教もイスラム教も仏教も、明確に「暴力」と言語化し、それを禁止するような文言はないように思います。教典を詳しく読んで行けば、その説話から得られる道徳として「暴力は良くない」と考えられるのだと思います。 簡単に言うなら『○○○という行いは良くないことだ』と書かれていて、その○○○が暴力であった場合には、暴力は宗教に反しているとなるのですが、問題は、『○○○という行いが良いことです』と書かれている場合、○○○に入らないないものはすべて『悪いこと』になるのか?という解釈の仕方です。このとき、本来の文章上では○○○に入らないものを美徳とはしないはずなのですが、『○○○は悪いことだ』と書かれているわけでもないので、『悪』にはならないという解釈もあるでしょう。 法律などは、『悪いこと』を列挙し、それを犯した人を罰するのですが、宗教の教典は『(宗教的に)良いこと』を書いてあるのが大部分であり、それゆえに『悪いこと』の解釈に幅ができてしまっているのだと思います。 俗に言う「法の網目をかいくぐる」ようなことは、法律で『悪いこと』としてまだ記載されていないことを行うようなものなのですが、法律の場合はそういった状況に応じてどんどんと条項が加えられ、膨大な文章量となってしまいます。これを一般人がすべて覚えられるとは思えません。 宗教の教典などの場合は、それ自体が書物として文章量が多いものの、概して『(宗教的に)良いこと』を書いてあるので、ざっくりとその文章を方向性を、一般人でも理解しやすく、それゆえに多くの人の間で伝わっていったのでしょう。 これは、社会道徳なんかも同じで、「人に親切にすること」や「人に優しくすること」は『良いことだ』と、ほぼすべての人が考えていると思いますが、「怒ることは悪いこと」とか「悲しみは悪いこと」などは、人によって『良し悪し』の度合いが違ってくるでしょう。 その最たるものが『人を殺すこと』や『暴力を行使すること』であり、世界中のありとあらゆる地域でそれらは『良いこと』とはされていませんが、時と場合によって『悪いこと』と解釈されないこともあるのでしょう。 ISILなど、イスラム教を旗印とするテロリスト集団を肯定するのではありませんが、ポジティブリストとネガティブリストのような宗教観の解釈の違いによって、同じイスラム教徒であっても平和主義者と過激派とで分かれてしまうのだと思います。 ちなみに、イスラム系過激派組織と言えば、概ねシーア派が多かったと認識しているのですが、ISILは、比較的穏健でかつ多数派であるとされるスンニ派だったりします。(アルカイダもスンニ派ですが…) シーア派はイスラム社会においてマイノリティであるがゆえに過激な信仰に陥りやすいものの、どちらかと言えば小規模な過激派組織になる(イスラム社会での内戦・内紛などはシーア派対スンニ派が多い)ことに対し、スンニ派から出現する過激派組織は、もともと多数派であるがゆえに、国際ネットワーク化し集団の輪郭が見えないような大規模・複数規模になっているものと思われます。 ほとんどが宗教対立を背景とするシーア派に対し、スンニ派系過激派組織は宗教的なものとは違うイデオロギーがあるように思います。 純粋に宗教的な問題であればまだいいのですが、宗教以外のイデオロギーの対立が存在していることが、実は一番恐ろしいことなのだと思います。

sinran1q43
質問者

補足

どうしても理解できないのが各地でテロを起こしているのはイスラム教徒対他の宗教の構図が多いこと。 宗教には暴力的な所はないとしても各地で実際100年近く暴力の連鎖が続いており虐殺を伴う悲惨なものです。 対立せずに共存するにはイスラム教徒が世俗化して行く道しか無いのでは無いでしょうか。

noname#224207
noname#224207
回答No.9

No.3・8です 再度補足を頂戴しました 文意の趣旨がよく分かりません >部族社会が今なを続いているのはイスラム教が支えとなっているのでは イスラム教を奉じると部族社会の統一を阻害するというご趣旨でしょうか。 オスマントルコは一大帝国を築き上げていたのではありませんか。 クリミヤ戦争に続く第一次世界大戦によって欧米に列強によって縮小されてていたのを現在のトルコ共和国が一部を回復して現在に至っているのではありませんでしょうか。 現在もイスラム教を奉じているのではありませんでしょうか。 インド半島ではイスラム教を奉じていたムガール帝国はイスラム教を奉じる5王国全域を支配していたのではありませんか イランはイラン・イスラム革命でパーレビ王朝を倒して以来現在も続いているのではありませんか。 一方で 1993年にチェコスロバキア社会主義共和国はチェコ共和国とスロバキア共和国に分裂したのではありませんか 2006年にユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアに分裂したのではありませんか。 2008年にはセルビアからコソボが分離したのではありませんか いずれもイスラム教を奉じていたために分裂したのでしょうか。 インドネシアはイスラム教を奉じる最大の国家です。 インドネシアは多民族国家ではありませんでしょうか イスラム教を奉じるサウジアラビアは安定した政情が続いています。 「日本でも大和朝廷が・・・之は西洋も同じ。」とは何が同じでイスラム教とはどのような関係でしょうか。 日本の歴史で奉じる宗教の違いで政権間の抗争があったということのは寡聞にして知りません。 古代中国王朝の栄枯盛衰に、どのようにどんな宗教が関与していたのかは寡聞にして知りません。 >東南アジアのような民族のまとまり方 ヴェトナムはヴェトナム戦争を経験しています。 カンボジアはポルポト政権を経験しています。 ミャンマーは軍政下の元で未だに政情不安定です。 ミャンマーも国名をビルマから変えたのはビルマが一民族の名称だったからではありませんか。 未だに政情が不安定です。 タイも政情不安定です。 現在の軍事政権も少数民族問題が発端でおきたクーデターによって成立しました。 朝鮮半島は民族が分断されたままで、いまだに戦争は終結していません。単に休戦中なだけです。 台湾、香港は北京政府と紛争中です。 いずれの国もイスラム教は関与していません。 部族社会が多数を占めるアフリカ諸国についてはどのようにお考えでしょうか。 以上のような事例からして、現代社会で政治的闘争と宗教の関係がどこまであるとお考えでしょうか。

sinran1q43
質問者

補足

詳しくご教授有難うございます。 何分浅学なので感覚だけで捉えています。 アフガニスタンはソ連との戦いに勝利したがまだ何十年と戦いは内戦状態となり、未だまだ安定していない、ISILがアフガニスタンに侵入すればまた混沌とする。 マスード将軍がソ連との戦いに勝ち、やっと平和が訪れるとひと安心していたが、テロで殺害されタリバン組織が出現し内戦が広がった、イスラム教の原理主義と迄行かずとも世俗主義と保守派の争いは度々繰り返され永遠に続く終わりのない争いを続けるのでしょうか。

noname#224207
noname#224207
回答No.8

No.3です 補足を頂戴しましたので、説明させて頂きます。 >特に独裁者が倒れても新たな主導権争いで宗派間争いまで有り一向に平和に向かわない、 単に日本の新聞やTVが宗派名を安易に便宜的に使っているために、それをそのまま鵜呑みにされておられませんでしょうか。 国家というものについてどのようなイメージをお持ちでしょうか。 世界的なレベルで見ますと、日本や韓国というのは極めて異質であるということを御存じでしょうか。 日本の周辺でいえば太平洋の島嶼国などになってしまうことを御存知でしょうか。 世界中で国家と呼ばれているところは多言語、多民族が主体です。 現在お持ちになれておられるイメージの近代国家といいますのは、 歴史的な産物であって、近代以前には存在しなかった。ということを御存知でしょうか。 「例えば前近代社会においては、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。 こうした国家体制を社団国家と称し、日本の幕藩体制やフランスのアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。」 とされていることを御存知でしょうか。 又アメリカなどが押し付けている多数決に基づいた議会制という制度は、多民族国家では極めて問題が多い制度であるということを御存知でしょうか。 国内において多数派を形成し得ない少数民族にとって圧倒的に不利な制度であり、これが少数民族の独立運動、ひいては内戦の原因となっている事を御存知でしょうか。 >また中東諸国の部族社会も理解し難い処が有ります。 部族国家という言葉を御存知でしょうか。 下記のサイトに以下のように説明されています。 フセイン政権やカダフィ政権の基盤にもふれています 抜粋 「アラブ社会では現在でも部族社会であり、多くの人間が国家よりも部族に対して帰属意識や忠誠心を持っている。 アラブ社会では部族ごとの部族習慣法(アーダ)を持つことが認められており、部族長が実質的な地方自治体のトップになっている。 部族間問題は結婚や就職にいたるまで社会のあらゆる面で問題になっており、中東の国家では国家元首の属する部族が優遇され、敵対する部族は過酷なまでに冷遇される状況が続いている。 サッダーム・フセイン政権下のイラクやムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)政権下のリビアなど国家元首が属する部族が社会の支配者層を形成している国も多い。 部族社会では軍人や公務員も国家よりも部族に対して忠誠心を持つため、部族間抗争が即内戦へと発展することが多いため軍や警察など国家の暴力装置が支配者部族による独占支配になりやすい。このため、支配者層に有能な人材が乏しくなり、結果として国家が疲弊することも珍しくない。 世界的にみれば多民族国家がむしろ一般的であることから サウジアラビアでは部族社会の問題に対処するために長年にわたり部族解体政策を進めているが、未だに部族社会の解消には至っていない。」 部族 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/部族 独裁者であったフセインがアメリカによって殺された後に、先に説明させていただいたアメリカ式議会制民主主義を強要した結果が今日のイラクの姿だ、ということをご理解願えますでしょうか。 この混乱に乗じて台頭したのがISILという組織です。 中近東地域といますのは、歴史的に日本のような農耕を主体とした地域ではありません。 遊牧を基礎として通商で栄えた地域です。 遊牧民は、一箇所に定住することなく、居住する場所を一年間を通じて何度か移動しながら主に牧畜を行って生活します。 多くの場合、1家族ないし数家族からなる小規模な拡大家族単位で家畜の群れを率い、家畜が牧草地の草を食べ尽くさないように、その回復を待ちながら、定期的に別の場所へと移動します。 遊牧民は定住型の人々からは一般にあてどもなく移動しているかのように見えますが、実際には拡大家族ごとに固有の夏営地・冬営地などの定期的に訪れる占有的牧地をもっていることが普通で、例年気候の変動や家畜の状況にあわせながら夏営地と冬営地をある程度定まったルートで巡回しています。 遊牧民の集団では同盟の締結、指導者家系の婚姻による成員及び家畜群の持参金的分割合流、あるいは政治・軍事的理由での他集団の配下への統合など言語や祖先系譜を異にする他集団との融合が頻繁に生じます。 また、指導者家系における新世代の独立などによる集団の分裂も日常的です。 そのため、歴史的に祖先、言語、文化を共有するとされる近現代的民族観と、遊牧民における集団の統合意識、同族意識にはきわめて異質なものがあります。 元々中央ユーラシアの遊牧騎馬民は、下記のような共通の文化的な特徴を持っていました。 1.実力主義 指導者は、能力のある者が話し合いで選出される 農耕民に比べて女性の地位が高い 能力があれば異民族でも受け入れて厚遇する 男女を問わず騎馬と騎射に優れる、必然的に機動性に富むあり様がそのまま武力に直結している。 2.人命(人材)の尊重 情報を重視し、勝てない相手とは争わない 実際の戦闘はなるべく行わず、指導者間の交渉で解決する。 3.非完結の社会 社会の維持に非遊牧世界の技術・製品・税を必要とするため領域内に農耕都市を抱え込む このような文化や特徴を持っていて、アメリカはもとより日本よりも遥かに古い歴史を持つ人々です。 このような地域に国境線なるものを引いて長い歴史を持つ部族社会を破壊したのは、植民地時代の欧米諸国です。 ISILの主張の中にこの国境線の破棄がうたわれていることにも注意して下さい。 この点について、欧米の反発には日本とは全く異なる、政治的あるいは感情的な反発が含まれていることをご理解願います。 日本の国家体制に基づいた常識がいかに通用しないかということをご理解願います。 以上の説明の中に「宗教」という言葉がないことに御注意願います。 参考 遊牧民 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/遊牧民 単一民族国家 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/単一民族国家 国民国家 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/国民国家 国家 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/国家 その他の用語につきましてはネット上に沢山の説明がありますので是非確認をして下さい。

sinran1q43
質問者

補足

部族社会が今なを続いているのはイスラム教が支えとなっているのでは、日本でも大和朝廷が各地の豪族を切り従え中央集権を成立させたが中世には王権が弱体化し地方の豪族が独自の経済体制をなしていた時期もあり時の覇者が統一分裂を繰り返していた。 中国も集合分散を繰り返し現在に至っている、皇帝なり天皇を立て国を統一してきたが之は西洋も同じ。然るに中東諸国ではイスラム教が広がるにつれ、近代になり王朝が倒れ独裁政権が生まれ之も民主化運動で倒され混沌としている。東南アジアのような民族のまとまり方が出来ないのはイスラム教が根底にあるからではないでしょうか。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.7

>政府の上に宗教を置いたからではないでしょうか。 まったく同感です。宗教指導者に経済の知識はありません。経済は格差があるので発展するのです。宗教者はこの立場には立てないのです。 イスラムの礼拝はみんなが集まっています。日本の新興宗教もそうです。キリスト教も日曜礼拝します。私は神仏に手を合わせますが、お寺や神社にはあまり行きません。性格的に好みませんし、自宅の仏壇と神棚で十分です。人が集まるとろくなことになりません。 イスラム教はテロとは別だとの考えには同意できません。女性の髪や体を隠すなどなどの制約や集団礼拝は人間の弱さを肯定しているのだと思います。そのために集団化するのだと思っています。

sinran1q43
質問者

お礼

宗教に熱烈に帰依する人達がいますが、不思議でなりません私から見れば盲目的に従っているようで恐ろしくなります。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.6

リテラシー皆無なTV視聴者らしい発想ですな。手塚治虫の言葉を噛み締めましょう。宗教が残虐さを帯びる時は、互いに取り込もうとした時です。 ただ、一神教に関して言えば統治ツールと言ってもいいかもしれませんが。 一口に宗教とまとめるのは暴論に等しい。

sinran1q43
質問者

補足

イスラム教に暴力的な部分が潜在しているのは事実では?

回答No.5

ちょっと待って 厳密に言うと本願寺は仏教では無い 一向宗と言う独立した宗教です

sinran1q43
質問者

補足

>厳密に言うと本願寺は仏教では無い   ・・浄土真宗本願寺派と理解しています。 >一向宗と言う独立した宗教です     ・・江戸時代浄土真宗本願寺派に改宗させられている。 ではないでしょうか?

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.4

どの宗教にも暴力に繋がるものがあると思っています。勢力の拡大のために戦ったり、弾圧されれば抵抗して戦っています。それは人間社会において自然なことです。そして宗教が成熟すると暴力では解決しないことを学ぶようになります。その意味でイスラムは成熟度が浅いと思います。 宗教指導者が政治的な力を持っている国では排他的になって政治が混乱すると思います。その意味でイスラムは政教分離がされていないことが問題です。政教分離が宗教として正しいと言う意味ではなく、政教分離は社会を混乱させない智恵なのだと思います。宗教的違いは認め合えないが、政治的違いは認め合えます。 近代におけるイスラムの経済的劣勢は明らかです。世界的な企業も育っていません。イスラム法が近世に生まれた資本主義を認めていないことが原因です。借金に利息を認めていないからです。これでは銀行も株式も発展せず、大資本企業は生まれません。イスラム教徒は資本主義で生まれる格差や差別にも怨みを持ちます。 経済の判らないイスラム教の指導者はこの問題を解決するのにイスラム法を変えることをせず、資本主義に聖戦を唱えることが誤りです。経済を強くしなければ戦争にも勝てないのです。仕方がなくテロをするのです。

sinran1q43
質問者

お礼

宗教国家はバチカン市国があるが最大のものはイランではないでしょうか、イラン革命によりホメイニーが国家元首となり政権指導者になった当初は寛容な宗教解釈をしていたが原理主義的な方向へ進んだのはホメイニの支配に不満が噴出して来たからか。 彼が中東の宗教革命成功のはしりでは無いかと、イランにおけるシーア派の十二イマーム派の精神的指導者であり、政治家、法学者で有りながら極端なイスラム法の解釈もしている、イラン革命の誤算は国家元首にホメイニーを据え政府の上に宗教を置いたからではないでしょうか。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

>一般のイスラームは暴力を否定しているが、根底に暴力に繋がるものが有るのでは無いでしょうか。 ISILという組織はイスラム教を標榜していますが、宗教的な動機から生まれた組織だとお考えでしょうか。 イスラム教がなければ生まれなかったとお考えでしょうか。 如何なる宗教も殺人を奨励している宗教はありません。 殺人を正当化する教義を唱える集団は、オーム真理教のようにオカルト集団として峻別されます。 アメリカをはじめ欧米諸国では、ISILをオカルト集団としてイスラム教徒とは峻別して議論しています。 オーム真理教の裁判に長時間を費やし、教祖に死刑判決を下しながら施行されていない事態は、世界中の多くの国民から奇異の目で見られています。 オカルト集団によるテロを裁けない不思議な国家国民と見られています。 ISILによる人質事件は日本人が巻き込まれる以前にも多発していて既に多数の人が犠牲になっています。 今回、日本政府や日本の世論に世界中の注目が集まった理由は上記のような不信感が含まれていたことをご理解願います。 不信感を招くだけの歴史的な前科といいますか経緯もあります。 日本赤軍 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日本赤軍 「仏教も叡山や興福寺の僧兵、門徒衆の一揆、石山本願寺、長島の戦いなどに見られる。」とされておられますが、 信長は仏教を否定した訳ではありません。仏教の名の元に政治的権力を行使する集団を排撃しただけです。 僧兵を撃退した平家も仏教を否定した訳ではありません。 ユーロッパの十字軍も如何なる動機で誰が参戦してどのように消滅していったのか政治的な経緯を御存知ですか。 政治スローガンに宗教教義を取り入れた行動と、宗教そのものとを冷静に区別し取捨選択して史実を評価しませんと混乱や誤解が生じてきますので注意して下さい。 政治的な事件に宗教は度々利用されますが、宗教教義とは軽々に結びつかない、ということをご理解願います。 参考 池上彰が読み解く「イスラム国の真の姿」 | オリジナル | 東洋経済 ... toyokeizai.net/articles/-/56753 凶悪なテロ組織、イスラム国が台頭した理由 人質に ... - JBpress - isMedia jbpress.ismedia.jp/articles/-/42741

sinran1q43
質問者

補足

東南アジア諸国にもイスラム教徒が多く特にキリスト教徒との間で殺し合いまでに発展する、インドやパキスタンでのイスラム系のテロは今でも頻発している。 特に独裁者が倒れても新たな主導権争いで宗派間争いまで有り一向に平和に向かわない、また中東諸国の部族社会も理解し難い処が有ります。

noname#218778
noname#218778
回答No.2

神道も戦前は殺しまくったし自爆テロを命じたんじゃね。(´・ω・`)政教分離すれば大丈夫なんじゃね。

sinran1q43
質問者

お礼

神道は軍が主体となって利用したが、キリスト教徒とイスラム教徒がインドネシアを始め各地で対立を起こしているのは宗教指導者が主体になっているのではないでしょうか。、

関連するQ&A

  • (宗教)守り難い戒律と便法の例は?

    カテゴリーに宗教がないので、こちらでお世話になります。 勝手な想像で敬虔な方には不快でしょうが、ご勘弁下さいませ。 宗派を問わず守り難い戒律があると推察します。一方、信徒に難しい要求をしていたのでは布教の妨げになるので守り難い戒律には何かしらの便法があるのだと推測します。 どんな宗派に、どんな戒律があり、それを守るのは困難なので、どんな便法がある、といった具合に幾つか紹介して下さいませんか。ここでいう便法とは、もちろん信徒による勝手な教理の曲解でなしに教団公認の、あるいは教団黙認の便法です。仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、その他幅広く例が挙がると有り難いです。 よろしくお願いします。

  • 開祖ムハンマドは今のイスラム教に対してどう感じる?

    一口にイスラム教と言っても色々な宗派もあるし、国によって経済力が全く違うので、雑な質問で恐縮です。 今、日本から見たイスラム教に対するイメージですが、多分、原理主義者のイメージかも知れないのですが、 宗派によっては自爆テロを容認するなど過激 体制の異なる相手とは妥協せず、極めて排他的 戒律が厳しい 現在のイラクのように同じイスラム教同士で殺し合いをする と、あまり良いイメージはなさそうです (私見です)。 もちろんキリスト教でも歴史上、似たような事をしていると思いますが、現在ではイスラム教の方がかなり過激で怖いイメージがあります。 このようなイメージなんですが、もし開祖ムハンマドが今の状態を見た場合、何と感じると思われるでしょうか? 私の教えを守り、よくやっている、頑張れ! と賞賛する?  あるいは 私が教えたイスラム教はこんな姿ではない、お前たちは一体何をやっている! と激怒する? 宗教には全く素人なので、宜しくお願いします。

  • イスラム教徒の行動基準は?(コーラン以外で)

    12年前、「悪魔の詩」著者をイランのホメイニ師が死刑を宣告し、現在でも世界中のイスラム教徒の間ではこの宣告が有効であると聞きます。 私はイスラム社会について無知なため、違和感を感じます。 なぜならば私の目からは、故ホメイニ師はイランという一国の宗教家にしか見えず、またイスラム教の中にも何種類かの派閥があると聞いているからです。 しかし現実にはイスラム教徒一般にホメイニ師の死刑宣告は有効であり、著者はイギリス政府によって保護されましたし、日本語に翻訳した筑波大助教授が(イスラムからの刺客という「説」ですが)頸を掻き切られて殺された事実もあります。 そこで質問なのですが、どういった機関もしくは立場の人の命令が出た場合が世界のイスラム教徒を行動させる基準となりうるのですか? また仮に、近いうちに行われるであろうアメリカの武力行動に対して、イスラム側が聖戦を宣言するとしたら、誰が(どこが)言った時点で世界のイスラム教徒に対してその聖戦は有効となるのでしょうか?

  • イスラムの教えと暴力の容認?

    先にも他の方の同様の疑問と回答がありますので重複しているようにも思えるのですが、もう一度質問させてください。 イスラム社会全体に「やめとけば?」という意識があれば“もう少し減る”とか“犯罪者として摘発できる”とか防止・抑止の道がありそうな気がしませんか? もちろん、社会全体が貧しくて社会の秩序維持(=公安?)が国家権力(≒一部の金持ち)に「物申す」人々の圧殺装置になっている、またはそれに近い状態になっている、ということも可能性としては考えられます。 また、「対イスラエル」という命題との関係から「暴力の抑止に及び腰」という側面もあるでしょう。 それであっても、やはり一般のムスリムの人々は暴力には賛成していないと思います。問題は『イスラム』を名乗って行うことに「やめてよね」と言えないのはなぜか? ここがわからないのですね。 たとえば、もし『日本人として』を旗印にあのような行為をしていたら、日本では「自分たちだけが代表の様にその名前を使うのは僭越でしょ」という団体が現れると思うのです。たぶん日本の各地に。 また、アメリカでもベトナムの頃は反戦の運動がアメリカ国内で起こりました。(今はどうなのでしょう?徴兵をやめたから一般には切迫感がないのかな) そのような自浄作用というか抑制作用は機能しているのでしょうか? その一つとして、宗教指導者の発言も無視できないのではないかと思うのですが、私の検索能力が低いのか、あまり知りません。もちろん反対運動も…。 それから、経済的搾取の構造を原因説に挙げることがありますが、経済活動は一定のルールにのっとって行われています。ルールが不合理であるからといって、暴力が容認されることにはならないでしょう。(サッカーで負けたからといって殴ってはいけません) 対応できる別のルールで人々を幸せにできれば、暴力は必要ないでしょう。 たとえば、石油の権利などは強力なカードですよね。それを有効に使えないのは、国民より自分たちの権力を優先する国家指導者が問題なのであって、オイルメジャーの本国(ましてや一般人)が本来の目標ではないと思います。 つまり、同じイスラムから搾取して権力を維持することも宗教的に非難されることではないのでしょうかね。 その辺についても宗教指導者から「権力者の行為」を諌めたものは聞こえません。 結局、気の毒なのは一般のムスリムなのではないか…? 宗教指導者たちはなにをやっているんだ? キリスト教も貧者の味方(を標榜)をしていますし、仏教でも施餓鬼をしています。思想的に「資産の再分配」という方向が内在しているように思えます。 ですから、それが一種の安全弁となって暴力に至らないですんだのでしょう。 もちろん喜捨という善行が奨励されていることは知っていますが、結果から見ると機能していない。資産の再分配が暴力の抑止に効果を生まない程度にしか行われていない。 で、結論として「イスラムは暴力を容認している」と言われても反論根拠が弱いのではないか。とこうなります。 この文を読めるムスリムの方は少ないと思いますが、どうでしょうか?

  • イスラム教をマジョリティにしない為にはどうしたら?

    少子化を横目に世界でも日本でも増え続けるイスラム教を日本国内ではマジョリティにしたくはないと考えているのですが、個人でできることはなんですか? 嫌いである理由1つめに教義は日本文化を肯定してはいないこと。2は共存っぽいことも書かれているようですが、日本公安調査庁が指定している国際テロ組織の7割以上がイスラム系過激派組織であること。3はこれまで4人の留学生のウズベクとバングラデシュのムスリムと会って話をしてきて、彼らは本当に良い人だったのですが、やはりその中に原理主義の人もいたこと。おかまを殴り殺したいと言う人もいれば、iphoneは神様が作ったという人もいました。飯に行けば必ず彼らが食べるものに合わせなければ行けません。2人で飯を食ってるのにお祈りをされたりもします。これについては僕は同じ釜の飯を宗教を理由に食えない人間と、そしてお祈りという行為にトイレや電話をすることと何が違うんだという人たちとどうして仲良くなれるだろうと思いました。 まだまだ単なる無知から来る嫌悪でしかない部分も多くあるのですが、それでもやはりヨーロッパのイスラムとの摩擦だったりするのを見ると、あぁ嫌だなぁと思います。最近では九州の土葬問題があり結果的には土葬場所を確保したようですが、この件でabemaで議論がなされたのですが、私たちを理解してくださいの一点張りでした。土葬については天皇も土葬ですのでまぁまぁといったところですが、学校でもヒジャブ、給食を拒否してお弁当持参を認めるようになりました。宗教を理由にです。いや菜食主義の家庭とかおのおの事情がある家庭があることを知ってはいるのですが、その元となる理由がイスラムであるということに先々大きな問題を生まれのではないかな、と感覚的に思うのです。今はまだイスラム教の物珍しさと彼らのおとなしさにだまされているだけで、多数派になれば声が必ず大きくなり訴え出すと思うのです。そして日本にはキリストや仏、神道がありますがそれに比べてあそこまで排他的な宗教はないと思っています。過去に悪魔の詩というムハンマドを揶揄した本を翻訳して殺された大学教授、地蔵破壊、こういった事件がこれからますます増えると思うのです。 それとイスラム教徒の留学生から聞いた面白い話があります。彼らは日本にきてイスラム教徒だということを日本文化によって思い知らされ、イスラム思想を日本で強く持つようになるようです。そしてバングラデシュでもウズベキスタンでも教えない内容をモスクで教えるようなのです。8~9割以上がイスラム教徒のウズベキスタンではモスクに監視カメラがあり、毎日通うと原理主義に染まってるのではないかと警察に聴取されることもあるといっていました。バングラデシュでは学校教育ではイスラム教を少ししか教えず、ウズベキスタンではイスラム教の作った学校に入らないとイスラムを知れず、学校教育ではキリストを教えてもイスラムは教えていないと言っていました。僕の言いたいことは日本にいるイスラム教徒にだまされるなということです。彼らが母国でそのままいたらイスラム教徒として真面目に生きることはなかったのです。日本に来て原理主義に近づいてしまう可能性があるということです。 こんな感じで、偏見にまみれていると思う方もいるかもしれませんが、親切な方、ぜひ広げないためにどういった活動をしていけば良いのかおしえてください。僕は日本が好きなだけです。 政治、社会問題・0閲覧

  • 幸福の科学ってイスラム国と似てませんか?

    現代社会の行き詰まり、というのはみんな重々承知。 でもいいアイデアが出てこない。 で、画期的な方法です大胆な変革ですと 売り込みつつ近代の諸々のシステムをさらっと否定。 前近代的な神権政治への退行を目指す。 敵対者への不寛容。容赦ない攻撃。 幸福の科学は狭い意味での暴力はないけど 守護霊霊言という名の騙り攻撃はすさまじいですよね。 とくに敵対者を貶める時。 ニューエイジだっけ? この手の運動が始まったのは1970年代くらい。 すでに政治では解決できない問題が山積。 1980年代にはイスラム過激派が出現していた。 先進国でオカルト、カルトが勃興したのもその頃。 すべてはその辺からの延長線なんででしょうか? 流行りのネット右翼達も一皮むけば 大好きなはずの日本に居場所がない人ばかり。 日本国というより国民国家、資本主義そのものが 機能不全に陥りつつあるのか? そしたら今後カルトが伸びる可能性はある? それともオウム事件で「逃げ道としてのカルトすら封じられた社会」 になっちゃったから、カルトまがいの企業=ブラック企業 カルトまがいの似非ナショナリズム=ネットウヨク に流れてるのかな? 私も人生詰んでますが、半端に知恵があるせいで 国家にも新興宗教にも依存できない、ある意味不幸な人間です。 もちろん画期的なアイデアなんて出せやしません。

  • イスラム教の宗教指導者の成り立ち方

    イスラム教の宗教指導者はどういう資格・背景で社会的な影響力を持つ指導者となり、またどのような状況の下でそうした地位に留まっているのでしょうか? イスラム諸国では「...師」と言われる人の中に、高齢者も30才そこそこの人も含まれるようですが。

  • ★イスラムは悪魔の宗教か?・・・

    ノーベル賞受賞の少女を殺そうとして、躍起になってます・・・ イスラムはこの世から、未来永劫・壊滅すべき、最大にして、最悪のインチキ宗教ではありませんか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • ★イスラムは悪魔の宗教では?★

    殆どのイスラムは善良だと言ってますが、これって詭弁ではありませんか? 基本となる、イスラムの教義そのものが、間違っているからこそ、あいつぐ、誤解や過激派の台頭が雨後の竹の子のように、無制限に勃発するのではありませんか?・・・・・・・・・・・

  • イスラム教は国賊宗教ではありませんか?

    シャリーアは民法、刑法、訴訟法、行政法、支配者論、国家論、国際法(スィヤル)、戦争法にまでおよぶ幅広いものである。 この事実を日本のムスリムは知らないんでないですか?こんなものを持つ宗教が広がってなんでみんな平気な顔して日常生活を送れるかがわかりません。まぁ特に問題が起こらないからなんでしょうけど、無知なムスリムが増えても、一部のイスラム知識人達は確実に国賊扱いして捕まえないといけないと思います。 というか、イスラム教自体が国賊宗教だと断言します。問題のないムスリムは害虫になり得なくても、ただでさえ日本では浸透していなく生活規範も厳しくそれが守れないことに難しく感じている人たちはたくさんいます。平和的でもイスラム思想を強く持ち、過激なることは充分なほど理由がああると思っています。ISISに入った連中はバングラ人、アメリカ人、ウズベグ人、イスラム教色の強い国からたくさんシリアに入国していました。それが何で日本でいないと思うんでしょう。平和的な人が多いお陰で日本はその陰に移る恐ろしい姿が見えないであるような気がします。民族宗教が普遍宗教に消される前に消すべきです。全て。平和的な人こそが害虫です。ちょー強い害虫は今あらゆるイスラム教の都合のいい部分を切り取り必死に布教活動をしています。私は東京に住んでいます。ムスリムとそれなりに仲がいいです。だから私がムスリムを監視、イスラム法が施行してムスリムが住みやすいと言った奴らを写真を撮って名前と国籍を警察に届け出る活動をしようと思います。そのためならムスリムになって潜入するのもありです。彼らに日本の風土を今以上に汚されるわけにはいかないのです。彼らは神の為に戦っています。僕は日本人、祖国の為に戦うのです。ですから反イスラム団体を立ち上げる構想を練っています。問題がなくても問題が起きてからでは遅いです。 すいません。質問とかけ離れてことを言ってしまいまし。 イスラム教がムスリムが国賊であるということは間違いないのでは?