• ベストアンサー

有るは、無い。

有るは、無い。 無いは有る。とは?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.9

 Aという場の中にBがある。その際視点をずらすとBという場の中にCというものがある。BはAにとっては有り、Cにとっては無い。これがマイナス無限大からプラス無限大の範囲の中で基準の取り方によって無限にひしめいているのが現実だ、ということだと思います。

kurinal
質問者

お礼

suzumenokox様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「マイナス無限大からプラス無限大の範囲の中で基準の取り方によって無限にひしめいているのが現実だ、ということだと思います。」 とても面白い、見識であると思いました。

その他の回答 (16)

  • pahiko
  • ベストアンサー率12% (3/24)
回答No.17

回答の返答 自由とは 束縛の無い状態 である 人は 空気や食欲に束縛され生きている 完全なる自由はない といわれます 本質を見抜くことが重要といわれます

kurinal
質問者

お礼

pahiko様、ありがとうございます。 >「自由とは 束縛の無い状態 である 人は 空気や食欲に束縛され生きている 完全なる自由はない といわれます 本質を見抜くことが重要といわれます」 「人は」の本質を見抜くと、どうでしょう?

  • pahiko
  • ベストアンサー率12% (3/24)
回答No.16

心の感情の移り変わり 怒りが出る時や喜ぶ感情 喜んでいる時は怒りは無い 怒ってる時は喜ぶ感情は隠れてます しかしある あるが 表に出ていないから ないともみえる これは仏教の 生命哲学です  食欲もある時とないときがある 両方を表す 特に 宿業などをしらべるといいですよ 口癖も直そうと思っても 出てきてしまう 最大の敵は自分ということに行き着きます

kurinal
質問者

お礼

pahiko様、ご回答ありがとうございます。 「自由意志」とは、、、「責任を問えない場合は、その限りでない」 (むしろ、「もっと自由を認めろ」というような論調も見受けられます)

  • hannya-gl
  • ベストアンサー率17% (6/35)
回答No.15

有る、無い、・イ・リ・ア・・何でしたっけ。そんなフランス語が、日本語に翻訳されると「存在と無」となり。 有らぬべきで、ある、存在。あるべきであらぬ存在。即自存在、対自存在、などと、意味がありそうで、なそさうな、日本語、ができあがります。アルファベット言語は発声言語であり、感情思惑を越えた、意味、を表現するには、新たな言葉、と意味づけ、定義、を伴う、学術用語と共に数学という、数の法則性を拡大した、考え方、が必要になります。 遠い昔に読んだ「存在と無」という本の中で、印象に残っているのは、カントも同様の事を言っていた。 有るとは方向性が在る事、という言葉でした。元は、ギリシャかギリシャに伝えた、古代インドの思想でしょうが、 この方向性がある。が思想哲学、あるいは物理学の根本、基本、となるべき事、なのです。 物が有る、とは、物=有る、であり、物、を、物として有らせている、何か=変化、差異、を起こす、方向性、 が、物と一体としてある、単位=一(いっ) となっている。 物×方向性=物が有る。ということです。 国語辞典かで、時空、を引くと。時間と空間は世界の二つの存在形式である。とあったと記憶しますが。 世界は、物、と物を有らせている方向性、の二つが根源であり、基本である。 つまりは物が「空間」であり、物の変化方向性が「時間」である。 空間×時間=定数×エネルギ-=世界=一定 は。晩年のアインシュタインが残した。アインシュタインの謎の方程式、と言われているものですが。 エネルギ-という言葉概念を除けば、釈迦の理法、老子の道理、なのです。

kurinal
質問者

お礼

hannya-g|様、ご回答ありがとうございます。 >「アルファベット言語は発声言語であり、感情思惑を越えた、意味、を表現するには、新たな言葉、と意味づけ、定義、を伴う、学術用語と共に数学という、数の法則性を拡大した、考え方、が必要になります。」 それは、そうでしょう。 >「有るとは方向性が在る事、という言葉でした。元は、ギリシャかギリシャに伝えた、古代インドの思想でしょうが、 この方向性がある。が思想哲学、あるいは物理学の根本、基本、となるべき事、なのです。 物が有る、とは、物=有る、であり、物、を、物として有らせている、何か=変化、差異、を起こす、方向性、 が、物と一体としてある、単位=一(いっ) となっている。 物×方向性=物が有る。ということです。 国語辞典かで、時空、を引くと。時間と空間は世界の二つの存在形式である。とあったと記憶しますが。 世界は、物、と物を有らせている方向性、の二つが根源であり、基本である。 つまりは物が「空間」であり、物の変化方向性が「時間」である。 空間×時間=定数×エネルギ-=世界=一定 は。晩年のアインシュタインが残した。アインシュタインの謎の方程式、と言われているものですが。 エネルギ-という言葉概念を除けば、釈迦の理法、老子の道理、なのです。」 ちょっと、どこで一息入れればいいか判らなかったので、一気になりましたが、 アインシュタインと、「釈迦の理法」「老子の道理」が、そういう関係ですか。 >「物×方向性=物が有る。ということです。」 ・・・人工衛星は宇宙を目指すでしょうし。

回答No.14

ディラックが、素粒子のエネルギー状態に、負の状態が 可能な事を発見した時、それによって通常の(正エネル ギー状態の)素粒子は、エネルギーを放出して負エネル ギー状態に落ち込むので、安定して存続し得ないはずで ある事に悩んだ。 そこで、全ての負エネルギー状態がビッシリ埋まっている 事によって落ち込む事ができない、という推論に基づき、 エネルギーを集中する事で負エネルギー素粒子を、正エネ ルギー状態にたたき出し、通常の素粒子が現れる事を予測 した。 また同時に、「ビッシリ詰まった負エネルギー粒子」が 1個抜けた穴(空孔)が、「負の中の0=正エネルギー」 として捉えられる(エネルギー以外の性質は逆になる)と 予測し、それは反粒子として発見された(通常の粒子と 反粒子の対発生)。 つまり、「反粒子がある」というのは「負エネルギー粒子 がない」という事なのだ。 さらに言えば、我々を構成している「通常の粒子」が、 実は真空を形成している負エネルギー状態の反粒子の 「空孔」であると言えなくもないのだ(等価)。 その事は、粒子が存在確率をもって存在しており、無限に 詰め込むと存在確率の山が重なって平坦になる=無と等価 である事につながる(無=不確定性無限)。 つまり、「真空に1粒子を加える」と「1粒子を引く (それによって相殺されていた相補的可能性の顕在化)」 は等価なのだ。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 正直、「二次方程式」で挫折した小生には、 理論物理学?は、どうにもならないのですが、 >「つまり、「真空に1粒子を加える」と「1粒子を引く (それによって相殺されていた相補的可能性の顕在化)」 は等価なのだ。」 ・・・聞いた事があるような気がします。 (世界の成り立ち?)

noname#209756
noname#209756
回答No.13

NO.7さんの生成消滅ではないですけど。 最近、瞑想って大事だなと思います。 今までのものに縛られていたら何も生まれない。 今の日本がそうかもと思ってます。もう高度成長期とは技術や世界環境など全然違う。過去を覚えていたって、本当の日本の善さがでてこない。 リセットして無になったから、何か有のものが生み出される。そんな気がします。

kurinal
質問者

お礼

pkuobe99様、ご回答ありがとうございます。 >「今までのものに縛られていたら何も生まれない。 今の日本がそうかもと思ってます。もう高度成長期とは技術や世界環境など全然違う。過去を覚えていたって、本当の日本の善さがでてこない。 リセットして無になったから、何か有のものが生み出される。そんな気がします。」 ・・・とらわれない、ということですね。

回答No.12

NO.11の訂正です。 【誤】主語(リンゴ)を意味をなさない言葉なんですよ。 【正】主語(リンゴ)を有さないと、意味をなさない言葉なんですよ。 訂正、よろしくお願いします。

kurinal
質問者

お礼

なるほど、なるほど。 「リンゴは、赤い」 「リンゴは、青い」 さて?

回答No.11

こんばんはです。 「有る」や「無い」という言葉は、 「リンゴが有る」、「リンゴが無い」という風に、本来、主語(リンゴ)を意味をなさない言葉なんですよ。 そして、 「有るは無い」は、A is not Aという構造を持つ文で、自己言及をしているおり、「クレタ人は嘘つき」と同じで、真でも偽でもない「論理的に意味を持たない」ナンセンスな文となります。 自己言及のパラドクス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 仏教の《空》なんかは、この曖昧さをついて非常に面白いですよね。 「リンゴは《空》」 というと、 「現象としてリンゴは存在する(有る)けれど、リンゴにはリンゴをたらしめる実体や本質というものは無い」 という意味になって、 「(リンゴが)有るは、(リンゴの実体・本質が)無い」 となります。 そして、同時に 「(リンゴの実体・本質が)無いは、(リンゴが)有る」 が成立する。 「逆は必ずしも真ならず」というわけで、論理的にはすこし無理があるのですけれども、言いたいことはよく分かります。 「主語なし」の「有る」「無い」だから、こういうことが言えてしまう。 ここで、頭休めの一曲を紹介します。  【初音ミク】自殺のうた【オリジナルPV】 https://www.youtube.com/watch?v=o5C4ZgRf7WM この曲は、 「死にたい 首を吊って 死にたい」 を意味論、意味の上で(形式)論理的なパラドクスを解消しています。  ───この曲を聞いて、今日も涙を流してしまった(ポリポリ)─── 【初音ミク」死にたいよ。のうた https://www.youtube.com/watch?v=l7MLOZ25PqY も同じコンセプトですよ。 シンミリした曲が2曲続きましたので、最後はアップテンポの一曲を。  【手書きPV】ジサツブシ 【やらかした】 https://www.youtube.com/watch?v=3vvJePdnydQ これはこれで、非常に哲学・論理学的な示唆を与える一曲のように思います。

kurinal
質問者

お礼

NemurinekoNya様、こんばんは。 >「「有るは無い」は、A is not Aという構造を持つ文で、自己言及をしているおり、「クレタ人は嘘つき」と同じで、真でも偽でもない「論理的に意味を持たない」ナンセンスな文となります。」 「A is not to be A」では、どうですか。 >「仏教の《空》なんかは、この曖昧さをついて非常に面白いですよね。 「リンゴは《空》」 というと、 「現象としてリンゴは存在する(有る)けれど、リンゴにはリンゴをたらしめる実体や本質というものは無い」 という意味になって、 「(リンゴが)有るは、(リンゴの実体・本質が)無い」 となります。 そして、同時に 「(リンゴの実体・本質が)無いは、(リンゴが)有る」 が成立する。 「逆は必ずしも真ならず」というわけで、論理的にはすこし無理があるのですけれども、言いたいことはよく分かります。 「主語なし」の「有る」「無い」だから、こういうことが言えてしまう。」 ・・・つまり、主語のどうこうに関わらず、というように、思えます。 唄の趣味については、また後日。

  • hiak123
  • ベストアンサー率16% (14/87)
回答No.10

有るものは有る。無いものは無い。 頭おかしいのですか。

kurinal
質問者

お礼

hiak123様、ご回答ありがとうございます。 「有るは、無い」とは、「有る」とは不可能な事。 「無いは、有る」とは、「無」を認めること。 認識の問題でしょうか、事実でしょうか?

回答No.8

無学なのです。 常々、本をオススメ頂いて居ります。 「哲学の本なら、コレだ」とありましたら、是非。     ↑ 解かって無いなぁ・・・無いは有るなんて言葉を知ってるのなら 哲学に関する物を読んだのでしょ!? そもそも 哲学 いや 学問と言っても良いかな・・ 学問とは どんなに偉大な偉人が残した言葉 或いは物であっても 自分が本当だろーか?と思い(或いは その人の様になりたいと思う事により)納得するまで「自分自身」で追求する事 ガリレオは 天動説の世の中に疑問を持ち 地動説を発見した 今では実際は 地動説が正しい・・しかし ガリレオは 「何故地球が自転し公転しなければならないのか」!?までは考えなかった筈である・・ 人生とは 歴史上の偉大な人物を超える事です・・・ それをやったからこそ 文明は発達したのです

kurinal
質問者

お礼

oguraice2様、こんばんは。 >「解かって無いなぁ・・・」 ・・・お待ちしておりました。 >「そもそも 哲学 いや 学問と言っても良いかな・・ 学問とは どんなに偉大な偉人が残した言葉 或いは物であっても 自分が本当だろーか?と思い(或いは その人の様になりたいと思う事により)納得するまで「自分自身」で追求する事」 本当だろーか? 「納得するまで「自分自身」で追求する事」 ・・・「有るは無い」と言えるまでが、まず大変そうですね。

回答No.7

ヘーゲルの「論理学」によれば、純粋な有と、純粋な無は、中身が何も無い空虚という意味では、同じだから、「有るは、無い、無いは有る」。 純粋な有は純粋な概念、そして純粋な無は、同じく純粋な概念、純粋な概念は中身が「空っぽ」、だから有といっても無といっても同じ。 そして両者は弁証法で対立が止揚され、生成になる。 かくて、パルメニデスの、「有るものだけがあり、無は無いのだから無い」から、ヘラクレイトスの「すべては流れる、生成する」へと移行してゆく。 生成とは生成消滅を繰り返すことだから、有ると思ったら消滅し無になり、そして無になったかと思ったら生成し有るものになる、だから「有るは無い、無いは有る」を繰り返す。

kurinal
質問者

お礼

urigadai2013様、ご回答ありがとうございます。 >「「有るは無い、無いは有る」を繰り返す。」 繰り返し、なんですね。