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運動と勉強の相関性

相関性があるという話をききますが、僕個人の感覚として、勉強と運動は全然違うと思います。 運動は動きながら考える一方、勉強は考えてから動くような感覚です。 運動能力がついたところで論理的思考が捗るようになるとは思えないし、論理的推測力がついたからといって、スポーツで勝てるようになるとは思えません。 故に、僕はこれらを認識上では全く別の思考回路で行っています。 みなさんはこの2つの相関性についてどう思いますか? ご回答お願いします。

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回答No.1

人間には無意識下の思考と意識下の思考があります。運動時には意識下の思考が強く働き、勉強時には意識化の思考が強くことが多いため、仰る通り基本的には別物と考えてよいのではと思います。 ただ、勉強に関しても、同様のパターンの問題を繰り返し解くことで、そのパターンの問題に関しては無意識でかなりの部分が解決できるようはなります。しかし、これはあくまで勉強を繰り返した結果であり、運動をいくらして能力を鍛えても相関はありません。 まだ、デザイナーさんなどは絵を描きながら思考を進めていると言われており、仕事によっては論理思考と運動を組み合わせながら行われることもありそうですね。

mmmommo
質問者

お礼

全面的に同意します。 ご回答ありがとうございました。

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