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魂という概念なくして自殺はありえるか

lapindogの回答

  • lapindog
  • ベストアンサー率33% (21/62)
回答No.24

度々失礼いたします。 興味深い例を思いついたのですが、 凶悪な事件などで、監禁されひどい暴力などにあって、それがあまりに辛く、「いっそ殺して欲しい」、「死にたい」と思う、という話はよく耳にしますよね。 最近のニュースでも、いじめられた子がそう語っていたと言いますし。 想像すれば、確かにそういう気分になるだろう、と思います。 これは動物も赤ちゃんも、同じなのではないでしょうか? あまりの痛み、辛さから逃れたいが為に、「死にたい!!!」あるいは「この状況から逃れたい!!!」と思うのは…。 しかし、ほとんどの動物、赤ちゃんは「死ぬ」ということを理解していないか、死ぬために必要な方法が分からないか…、という場合が多いように思います。 たとえば犬が虐待を受けていて、「つらい」「逃げたい」と思ったとしても、犬は舌を噛んで死ぬという方法を知らないし、首を吊るというやり方もよくわからない。 プールで溺れたとき、苦しかったなあ…なんて犬が思ったとしても、それが死に繋がるというのを理解できる犬はどれほどいることか… それでも水に飛び込めば死ぬ、ということを理解した犬が水に飛び込むことになるのかもしれません。 たとえ優秀なワンちゃんで、死ぬということを理解していても、方法を知らなかったり、知っていてもその場で出来ることがなければ、自殺なんてできません。 (ほとんどは方法を知らない?) 動物は、死という現象を知っていたとしても、溺れた時や虐待によって首を閉められた時など、「苦しい!」とは思うかもしれませんが、それが死に繋がる、という考えまでは至らないのかもしれませんね。 これは、赤ちゃんも然り、ということだと思います。 (赤ちゃんの場合は、現象自体の理解がない場合が多い) これらの例も、自殺とは違う(自傷行為だ)、極端な例だ、とおっしゃるかもしれませんが、人がストレスによってビルから飛び降りたり、線路へ飛び降りたりするのも、単にストレスが長期的で目に見えないものであるだけで、先の例と何ら変わりのないことだと思います。 ちなみに、死は、「他者の死」によって学ぶことが出来ると思います。 それが身近な存在であれば、なおさら強く、死を理解するでしょう。 幼い子も、テレビやなんかで死ぬことを少しずつ知る場合もありますし、身内の親しい人の死に直面すれば、存在がなくなるんだ、ということを理解すると思います。 比較的能力の高い哺乳類動物たちも、テレビは無いにしても、同じようにして他者から死を学ぶことでしょう。 そこには、魂やあの世、なんて関係ないと思います。 そういう考えを知っていたら、「ああ、あの人の魂はきっと生き続ける…」なんて思うかもしれませんが、知らなくても知っていても、生きている私達が見れば、 もう動かない、喋りもしないし泣きもしない、考えてもいない(思考を働かせてもいない) という点で、同じなんですね。 そういうわけで、やはり自殺ということには、魂やあの世、死後の世界などの考えを知っているかどうか、ということよりも、 まずは「死に対する理解」、そして「死ぬ方法の理解」が必要なのだと思います。 しかしながら、人間の場合は、ある程度成長すればそのどちらも得ることができるので、その延長線上で、「死後の世界」や「魂がどうなるか」を強く意識する人が多いことも事実なのかもしれませんね。 つまり… 「魂やあの世の概念を持つならば、自殺する」 「死を理解し、その方法を知っているならば、自殺する」 のはどちらもおかしく、 「自殺するならば、死を理解し、その方法を知っている」 ということになると思います。 魂やあの世の概念については、「知っていることもある」というくらいで、たとえ自殺のきっかけになったとしても、無くてはならない条件ではないでしょう。 (しかし少なくとも日本の殆どの人間は、その概念を知っているので、あたかも関係するように思えるのでしょう) お役に立てれば幸いです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最後の部分以外はほぼ同意します。 死という事象だけから自殺という観念が生まれるプロセスを説明してほしいのです。 分かるはずだでは説明になってないと思うのです。

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