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中性名詞の主格と対格

てんてん てんまり(@ten-temari)の回答

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回答No.3

太古の昔に人間が言葉を使い始めた当初は、言葉の機能は「生き物の動作を表現すること」であり、したがって無生物のものが主語になることはあり得なかった(たとえば「(生き物が)木を倒した」と言うことはあっても「木が倒れた」と言うことはなかった)。したがって、無生物のものを表す名詞(その多くは中性名詞)には対格はあっても主格はなかった。 しかし時代が進むにつれて、人間の脳も言葉も複雑化していき、無生物のものを主語とする言語表現(「木が倒れた」のような表現)が必要になってきた。そこで対格を主格に当てはめて使ったので、中性名詞は主格と対格が同形となった。 …というのが、言語学者の考える説らしいです。 「ロシア語史講和(水声社)」という参考書に説明がありました。

noname#214841
質問者

お礼

こんばんは。私の質問に回答していただくのは、「恋文の翻訳」につづいて2回目ですね。今回は、ちやんとベストアンサーにします。 私はロシア語はさつぱり判りません。「ロシア語史講和」をネットで検索してみると、評判のよささうな本でした。 貴重な情報をありがたうございます。 >>言葉の機能は「生き物の動作を表現すること」であり、 >>したがって無生物のものが主語になることはあり得なかった これがそもそもの始まりなのですね。 男性名詞や女性名詞のなかにも、無生物のものはたくさんありますが、これは後の時代の区分なのでせうか。 今後とも御指導よろしくお願ひいたします。

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