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大学における人文・社会科学分野を縮小?

閲覧いただきありがとうございます。 かなり私的な意見ですが、総合大学に顕著ですが、 大学生の時代で無ければ、学べない(履修・聴講できない)ものを学べるのが、大学の一つの魅力のはずです。 いくら予算が厳しいからと言って、人文・社会科学系の縮小を求める案には、賛成できません。 人文科学系などまさに、大学生の時代で無いと学べない学問分野だと思います。私は、哲学を履修しなかったことを後悔しています。 みなさんは、人文・社会科学分野の縮小案を、どう思われますか? 参考リンク: http://blogos.com/article/93233/

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  • SPS700
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回答No.1

    僕は文学部文学科出身なので「我田引水」と思われるかも知れませんが、マサチューセッツ工科大学の学部では、下記のようです。     http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130227/244292/

mitomito
質問者

お礼

ご回答ありがとうありがとうございます。 また、お礼が大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。 リンク元の記事を、とても興味深く拝読させていただきました。 とても考えさせられる内容が多く勉強になりました。 私の勝手な感想ですが、仕事に追われながらも、わずかずつでも、リベラルアーツの勉強が続けられる下地を、大学の学部生・院生時代に築いておくべきだった反省しました。 「陳腐化しやすい最先端の実学」を過剰に重視することから完全に決別して、「主専攻・副専攻でも、いつの時代でも通用するものを重んじる姿勢」の取材報告は、特に、感心して拝読させていただきました。 本当にありがとうございました。 蛇足:NHKには、不定期で白熱教室シリーズが放送されています。 今度、NHKの問い合わせセンターに、MIT等の大学の「リベラルアーツ」の授業を、取材・放送してほしいという問い合わせをしたいと思いました。

その他の回答 (2)

  • dsdna
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回答No.3

 >人文・社会科学分野の縮小案を、どう思われますか?  どうも思いません。と書きながら1つ思いついたことがあるので、回答します。  あと、私は基本的にリンクは飛ばないので、質問文から推測して回答します。  誤解(誤読? )があるんじゃない?  おそらく「少子化で学生の数が減るから、それに合わせて教員の数も減らしたらいいんじゃない? 減らした分は、社会的ニーズが見込める別方面で活躍してもらえばいいと思うよ」 くらいの提言・案だと推測する。  どこの国か大学か知りませんが、上記のような案だとすれば、出てくるのは遅すぎます。学生は基本4年で卒業するのに対し、教員は数年~数十年勤務するわけです。「学生の絶対数が減るのに、教員の数がそのままであるのは、不自然である。学生の数が減るのであれば、教員の数も減らすべきだ」 という考えは運営する側からすれば自然であるし、理に適っています。減らした教員をどうするかは別問題だけど、隣接する別分野とか境界分野に踏み出してもらって、学問の裾野を広げることに一役買っていただくこともできる。

mitomito
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「少子化」というキーワードよりも、 「文科省の変化」(かつての「文部省」VS「通産省」)や、 「教養主義」VS「実学主義」の方に、重きを置いている趣旨の記事です。 (私の要約の仕方が不味かったら、スミマセン。) 色々なご意見をお聞きできて、参考になります。 ご回答ありがとうございました。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

まず,理系:文系というふうに,単純に分けることはできません。高校(普通科の進学校)では大学受験のためにクラス分けしたりしますが,このあたりから「奇妙」なのですね。たぶん理系クラスには,文系科目を切り捨てて理科や数学をやらないと,受験には及ばない生徒が多いんでしょう 笑。文系クラスはその逆。でも,本当にできる生徒は,どちらでもできるのです(むかしは理系でも古文・漢文をきっちりやり,英文読解問題の難解さは現在の比ではありませんでした)。そのうえで「どちらかといえば動物(あるいは機械など)を扱うほうが好き」。 ぼくが高く評価するのは,「多芸」あるいは「口八丁手八丁」という人物なので,「ほとんどの大学(学士課程)は教養学部だけでいいんじゃないか?」と考えていますが,これは異端の意見だと思います。代表的な東京大学教養学部(3・4年生の専門課程)でも,理系・文系・社会系に分かれてますからね。トップレベルの学生でも,2年間でぜんぶを均しくはこなせないわけです。 また,日本人は,なぜか「道を究めること」が好き。野球までも「野球道」にしちゃいますからねえ。こういう精神風土からは,ぼくが尊敬する平賀源内のような奇才は出現しにくいし,評価もされない。このところ,大学も「学際」を謳うようになりましたが(かつ奇妙な経歴をもつぼくは便利屋として利用されましたが),「求道者」ばかりを寄せ集めて新奇な看板をかけただけではだめなのね。だからぼくは,日本のアカデミズムの「総体」に失望している。どうせ短い年月で定年退職だけど。 ----- 理系:文系で分けるのが不適当なもうひとつの理由は,「実験再現性」の有無で分けたほうがいいこともあるからです。実験再現性とは,「おなじ材料を使いおなじ手順をふめば,何回やっても誰がやっても,おなじ結果がでる」ということです。中学校理科でやる化学実験はそうであり,教科書どおりの結果がでなければ,とても困ったことになる(厳密には試薬の純度が低いので,生成物の量がミリグラム単位で合わないことはある)。いっぽう,生物進化などは実験再現性がない典型であり,進化論にいろんな学説があることを習うし,サルを長期間飼育して進化を見ることもしない。 企業として「もうかる」のは,むろん「実験再現性がある物事」です。そうでないと工業生産できない 笑。じつは理屈がわかっており,実験で再現できるのは,しかし,自然界のごく一部なのです。ヒトの英知はそのていどにとどまっているのですが,そういう意識がふつうはありません。固体の半導体が手品のように光ることに,目くらましをされるもの。 -------- >私は、哲学を履修しなかったことを後悔しています。 う~ん。履修して失望することも,じゅうぶんにあったと思いますよ 笑。たとえばカントが専門で,その学説を難解に述べたて(大学院科目じゃねえよ!),かつボソボソしゃべるような教員だとね。文系にも,こういう「求道者」が少なくない。 理系の学生を相手にしても,たとえば「善性とはなにか」,「現代社会においてどんな精神が必要か」などを面白く語り,合間に「そういえばカントはこんなふうに考えた」とエッセンスを混ぜることができる「芸人」なら,いいと思います。 理系でも文系でも,「真の教養科目」を語れる教員は少ない。ぼくは教授に昇任したときに,どうせ研究能力は急減したし,自分が充電したものを全部放電してから大学を去ろうと思った。理系の内容でも文系の内容でも融合的にこなせる教員は,めったにいまい。だから,「真打ち芸人」になろうと考えた。こんな馬鹿は,教員業績評価でもいい点はつかない。かまいませんけどね。 国家の方針や制度のほかに,個々の大学人の意識も問題なのです。

mitomito
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 村上陽一郎先生か、佐和隆光先生の御著書で、「実験再現性」と、よく似たキーワードで、考察された文章があったのですが、キレイさっぱりと忘れていました。しかし、今回のご指摘で、よく考えてみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

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