現代語訳要約

このQ&Aのポイント
  • 佳会のあらまし、かねてよりほの聞けるままに、今日は例よりも早く食にまかでて、ただちに彼の亭にまゐりあはんと思ふも、よろづ事しげくして、未の鼓うち過ぐるほどになんなりぬ。
  • からうじて角筈にいたりぬ。畑うつ翁に、朝臣の別荘をとへば、「この道より」と教へぬ。路はただかたばり見ゆるに、小笹にまじる落葉ふかし。
  • 落葉を分けてくる人に問へば、「あの松・楓の高き所よ」と指さす。垣を隔てて見入れたれば、朝臣の従者の簀の子のもとにゐたるうれしさ、言はんかたなし。
回答を見る
  • ベストアンサー

現代語訳お願いします

 佳会のあらまし、かねてよりほの聞けるままに、今日は例よりも早く食にまかでて、ただちに彼の亭にまゐりあはんと思ふも、よろづ事しげくして、未の鼓うち過ぐるほどになんなりぬ。わたくしの事ならねば、いかがはせん。桜田を出てて、四谷といふ所にいたるころほひは、申の鼓聞こゆ。いと心いられにけれど、このあたりは馬決うたて多くてはかどらず。昨夜の時雨やいたう降りけん、道のぬかりはただ早苗とる田面のやうにて、いそぐ歩み心にもまかせず、夕やみならねど、いとたどたどし。さは、聞こえし人々の、今日は訪はでや止みぬると思ふも心苦し。  からうじて角筈にいたりぬ。畑うつ翁に、朝臣の別荘をとへば、「この道より」と教へぬ。路はただかたばり見ゆるに、小笹にまじる落葉ふかし。松・杉の梢しげりたる中より、紅葉の一木二木見えわたり、折りかこふ竹垣のかたはらに、尾花の枯れ立てるなど見どころ多けれど、心いられに立ちも止まらず。    たずね行くやどりはそこと教へしをまよふ枯野の百舌の草ぐき  落葉を分けてくる人に問へば、「あの松・楓の高き所よ」と指さす。垣を隔てて見入れたれば、朝臣の従者の簀の子のもとにゐたるうれしさ、言はんかたなし。彼の亭には調度などうち散らし、 箏の琴立てそへ、軒の松風のみ一人かよへり。「いづち」ととへば、「十二所にや詣で給ひけん」と聞こゆ。「さらば道しるべしてよ」とて、ともなひ行く。蕢(あじか)を負ひたるをのこに逢ひたり。「この上の別荘になん居給ひぬ」といふ。「さは、この道よ」とて、尾花の枯れふしたる細道を分け行く。柴の折戸ある所より入りて見やれば、木高き所の東屋に人々なみゐたり。保好はかたはらの芝生に酔いひふして、胡蝶の夢をむすぶなるべし。四方を見渡したれば、このもかのも木立いとけしき有りて、軒端に近き竹叢は、千尋の陰きよく、みどりの玉をつらねしさまなり。    呉竹のよの外ならで世のわざのうきふししらぬ陰ぞしづけき

  • Xackt
  • お礼率61% (38/62)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.1

この好(よ)き会のあらましは、かねてから少し聞いていたので、今日はいつもより早く仕事を終えて、すぐ例の邸に行こうと思うけれど、いろいろな仕事が多くて、未の刻の太鼓が鳴り終わる頃になってしまった。私事でなく(公の事なので)どうしようもない。桜田門を出て、四谷という所に着いた頃は、申の刻の太鼓が聞こえた。たいそう心せかされるけれど、このあたりは馬の足跡がひどく多くて、道がはかどらない。昨夜の時雨がひどく降ったのだろう、道のぬかるみはまったく早苗取る水田のようで、急ぐ歩みも心のままにはならなくて、夕闇ではないけれど、たいそうたどたどしい。あるいは、集まると聞いていた人々も、今日は訪れないで終わってしまったのかと思うのも気がかりである。  かろうじて角筈に着いた。畑を打つ老人に、朝臣の別荘を尋ねると、「この道から行きなさい」と教えた。道はひたすら固いように見えるが、小笹にまじる落ち葉が深い。松・杉の梢が茂っている中から、紅葉が一、二本見えていて、折って囲った竹垣のそばに、薄が枯れて立っているなど、見どころは多いけれど、気がせくので立ち止まりもしない。     訪ね行く邸はそこと教えられたが、迷う枯れ野の百舌の声が聞こえる草叢の中であるよ  落ち葉を分けてやってくる人に聞くと、「あの松や楓が高く見えている処だ」と指さす。垣を隔てて覗き込むと、朝臣の従者が簀の子のところに座っていた、その嬉しさ言いようもなかった。彼方の邸には道具類を置き散らし、箏の琴を立てかけ、軒を松風だけが吹き通っている。「どこにいらっしゃったのか」と聞くと、「十二所神社に参詣なさったのでしょうか」と答えた。「それなら道案内をしてくれ」といって、伴って行く。蕢(もっこ)を背負った男に出会った。「この上の別荘にいらっしゃった」という。「では、この道だ」と言って、尾花が枯れ臥した細道を分けて行く。  柴の折り戸のある所から入って眺めると、木の高い所の東屋(あずまや)に人々が並んで座っている。保好はそばの芝生の上に酔って寝ていて、漢文に言う「胡蝶の夢」を見ているのであろう。四方を見渡したところ、此処彼処の木立はたいそう趣があって、軒端に近い竹叢は千尋(という喬木)の陰が美しく、翠(みどり)の玉を連ねた様子である。     呉竹の節(よ)の外ではなく、世(よ)中の辛さを知らぬげに見える木陰は静かなことであるよ。  以上、タイトルも、筆者も分からぬまま訳してみましたが、和歌を始め間違った点も多いと思います。お気づきの方は是非、ご指摘ください。地名などから見ると、江戸期の擬古文と思われます。

Xackt
質問者

お礼

本当に助かりました。ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 古今著聞集です。現代語訳お願いします。

    小侍従が番にあたりて、「いかにも、ここにぞ優なる事はあらんずる」など、人々申しければ、小侍従うちわらひて、「おほく候ふよ。それにとりて生涯の忘れがたき一ふし候ふ。げに妄執にもなりぬべきに、御前にて懺悔候ひなば、罪かろむべし」とて、申しけるは、そのかみ、ある所より迎へに給はせたる事ありしに、すべておぼえぬほどにいみじく執し侍りし事にて、心ことにいかにせんと思ひしに、月冴えわたり、風はだ寒きに、さ夜もやや深け行けば、千々におもひくだけて、心もとなさかぎりなきに、車の音はるかに聞えしかば、「あはれこれにやあらん」とむねうちさわぐに、からりとやりいるれば、いよいよ心まよひせられて、人わろき程に急ぎのられぬ。さて行きつきて、車寄せにさしよするほどに、御簾のうちより、にほひことにて、なえらかになつかしき人出でて、すだれ持てあげておろすに、まづいみじうらうたく覚ゆるに、立ちながらきぬごしにみしといだきて、「いかなるおそさぞ」とありしことがら、なにと申しつくすべしともおぼえ候はず。さて、しめやかにうち語らふに、長夜もかぎりあれば、鐘の音もはるかにひびき、鳥の音もはや聞ゆれば、むつごともまだつきやらで、あさ置く霜よりもなほ消えかへりつつ、おきわかれんとするに、車さしよする音せしかば、たましひも身にそはぬ心地して、我にもあらず乗り侍りぬ。帰りきても、又寝の心もあらばこそあかぬなごりを夢にも見め、ただ世に知らぬにほひのうつれるばかりを形見にて臥ししづみたりしに、その夜しも、人に衣置きかへられたりしを、朝にとりかへにおこせたりしかば、うつり香の形見さへまたわかれにし心のうち、いかに申しのぶべしともおぼえず、せんかたなくこそ候ひしか」と申したりければ、法皇も人々も、「まことにたへがたかりけん。このうへは、そのぬしをあらはすべし」と仰せられけるを、小侍従「いかにもその事はかなひ侍らじ」と、ふかくいなみ申しけるを、「さては懺悔の本意せんなし」とて、しひて問はせ給ひければ、小侍従うちわらひて、「さらば申し候はん。おぼえさせおはしまさぬか。君の御位の時、その年その比、たれがしを御使にてめされて候ひしは、よも御あらがひは候はじ。申し候ふむねたがひてや候」と申したりけるに、人々とよみにて、法皇はたへかねさせ給ひて、にげいらせ給ひにけるとなん。

  • 源氏物語「心づくしの秋風|の現代語訳を・・

    どなたか源氏物語「心づくしの秋風」の現代語訳わかる方いませんか?明日テストがあるので至急教えていただきたいです。ちなみに範囲はこちらになります。    須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、よるよるは、げにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。  御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。琴を少しかき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、    恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。 ーーーーー途中略ーーーーーー  月のいとはなやかにさしいでたるに、今宵は十五夜なりけりとおぼしいでて、殿上の御遊び恋しく、ところどころながめ給ふらむかしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。「二千里外故人心」と誦じ給へる、例の涙もとどめられず。入道の宮の、「霧や隔つる」とのたまはせしほど、言はむ方なく恋しく、をりをりのこと思ひいで給ふに、よよと泣かれ給ふ。「夜更け侍りぬ」と聞こゆれど、なほ入り給はず。見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ月の都ははるかなれども その夜、上のいとなつかしう昔物語などし給ひし御さまの、院に似奉り給へりしも、恋しく思ひいで聞こえ給ひて、「恩賜の御衣は今ここにあり」と誦じつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身放たず、かたはらに置き給へり。    憂しとのみひとへにものは思ほえで左右にもぬるる袖かな   

  • 樋口一葉の訳

    水の上日記の古語の訳が知りたいです。お願いします。 ~「水の上日記」(明治28.5.1) ~ 「浪六のもとへも何となくふみいひやり置しに絶で音つれもなし 誰もたれも、いひがひなき人々かな。三十金五十金のはしたなるにそれすらをしみて出し難しとや。さらは明らかに、とゝのへがたしといひたるぞよき。ゑせ男を作りて髭かき反ぜなど、あはれ見にくしや。引きうけたる事とゝのへぬは、たのみたる身のとがならず。我が心はいさゝ川の底すめるが如しいさゝかのよとみなくいさゝかの私なくまかれる道をゆかんとにはあらず まかれるは人々の心也 我れはいたづらに人を計りて永耀の遊びを求むるにもあらず。一枚の衣、一わんの食、甘きをねがはず、美しきをこのまず。慈母にむくひ、愛妹をやしなはん為に、唯いさゝかの助けをこふのみ。(略)たのまれて後いたづらに過すはそもたれの罪とかおぼす。我れに罪なければ天地恐ろしからず」

  • 古文の沙石集の訳で少し分からないところが・・・。

    南部に、智運房といふ寺僧ありけり。あまりに物騒なりければ、(1、ひた騒ぎ)の智運房とぞ、人申しける。ある時に、向かひの僧坊に(2、焼失)ありけるに、騒ぎ出でて、手水桶の水を捧げて、傍らなる法師の首にかけければ、「これはいかに」と言へば、「御坊の顔に火のつきたると思ひて」とぞ言いける。火の光、顔に映りて見えけるを、火のつきたると(3、思ひけるにこそ)。ある時に、若き者ども寄りあひて、酒宴しけるに、続瓶子せむとて、瓶子を持ちて酒屋へ行きて、程なく帰りたり。人々興に入りて、瓶子なる酒を堤子に入れて見れば、浮き草あり。あやしと思ひて飲みてみれば、水なりけり。「これはいかに、一向に水にてあるは」と問えば、「(4、よも候はじ)。やはて汲みて候ひつるものを」と言ふ。「これは何と言ふことぞ」と問へば、「月は(5、おぼろなり。)雨に道すべりて、猿沢の池の端にてすべりて、瓶子をイケにうちこぼしつるを、やがて時を移さず、底を汲みたりつる」とぞ言ひける。 このカッコの中を訳したいんですが、よくわかりません。 分かる人教えてください。お願いします。 あと、玉勝間の訳で 出だすは、いと大事なり。行く度も返さひ思ひて、よく確かなる拠り所をとらへ、いづくまでも行きとほりて、違ふ所なく、(動くまじきにあらずは)、たやすくは(出だすまじきわざなり)。 このカッコの中も訳したいんですが、また、これもよくわかりません。打消、打消推量、打消意思の意味だということはわかるんですが・・・。

  • 源氏物語の訳

     やがてその日、とかく納め奉る。かぎりありける事なれば、からを見つつもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ、心うき世の中なりける。はるばると広き野の、所もなく立ちこみて、かぎりなく厳しき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなくのぼり給ひぬるも、例の事なれどあへなくいみじ。空を歩むここちして、人にかかりてぞおはしましけるを、見奉る人も、さばかりいつかしき御身をと、物の心知らぬ下衆さへ泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路にまどふここちして、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。  むかし大将の君の御母君うせ給へりし時の暁を思ひ出づるにも、かれはなほ物のおぼへけるにや、月の顔の明きらかにおぼえしを、こよひはただ昏れまどひ給へり。十四日にうせ給ひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさしあがりて、野辺の露も隠れたるくまなくて、世の中思しつづくるに、いとどいとはしくいみじければ、おくるとても幾世かは経べき、かかる悲しさのまぎれに、昔よりの御本意もとげまほしく思ほせど、心よわきのちの謗りを思せば、このほどを過ぐさむ、とし給ふに、胸のせきあぐるぞたへ難かりける。  大将の君も、御忌にこもり給ひて、あからさまにもまかで給はず。明け暮れ近く侍ひて、心苦しくいみじき御けしきを、ことわりに悲しく見奉り給ひて、よろづになぐさめ聞こえ給ふ。風野分だちて吹く夕暮に、昔の事思し出でて、ほのかに見奉りしものを、と恋しくおぼえ給ふに、またかぎりのほどの夢の心地せしなど、人知れず思ひ続け給ふに、たへがたく悲しければ、人目にはさしも見えじとつつみて、「阿弥陀仏、阿弥陀仏。」とひき給ふ数珠の数にまぎらはしてぞ、涙の玉をばもてけち給ひける。   いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけぐれの夢 ぞ、なごりさへ憂かりける。やむごとなき僧ども侍はせ給ひて、定まりたる念仏をばさるものにて、法華経など誦ぜさせ給ふ。方々いとあはれなり。  臥しても起きても涙のひる世なく、霧りふたがりて明かし暮らし給ふ。いにしへより御身のありさま思し続くるに、 「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめ給ひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先もためしあらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ。 ひたみちにおこなひにおもむきなむに、さはり所あるまじきを、いとかくをさめむ方なき心まどひにては、願まふ道にも入りがたくや。」とやましきを、 「この思ひすこしなのめに、忘れさせ給へ。」と、阿弥陀仏を念じ奉り給ふ。 の訳がある場所を教えてください!!!

  • 現代語訳

    松村藤村の初恋の現代語訳をしてください。 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹の下に おのずからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ

  • 現代語訳を教えてください。

    明治時代の本を読んでいたとき、以下の部分の意味がよくわかりませんでした。現代語でわかりやすく噛み砕いていただけませんでしょうか。 さてする事、悪しき様にもなりて、閑に思いいづる時は、その人のよくいいつるものをと思いあわすれども、又心の引く方につきて、思いたることのあるときは、むつかしく、又諌めずらんとて、この事を聞かせじと思うなり。これはいと愚かなる事なれども、皆人のならひなれば、はらくろからず、又心づきなからぬ程に計ふべきなり。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778691/9 よろしくお願いします!

  • 現代語訳お願いします

     郷人の梨を市に貨ぐ有り。頗る甘芳にして、価騰貴す。道士の破巾絮衣にして、車前に丐ふ。郷人之れを咄るも、亦去らず。郷人怒りて、加ふるに叱罵を以てす。道士曰く、「一車に数百顆、老衲止だ其の一を丐ふのみ、居士に於いても亦大損無し。何ぞ怒るを為さん。」と。観る者劣る者一枚を置きて去らしむるを勧むるも、郷人執して肯ぜず。  肆中の傭保せらるる者、喋聒堪えざるを、遂に銭を出だし一枚を市ひ、道士に付す。道士拝謝し、衆に謂ひて曰く、「出家の人吝惜を解せず。我に佳き梨有り、請ふ出だして客に供せん。」と。或る人曰く、「既に之有り、何ぞ自ら食らはざる。」と。曰く、「吾は特だ此の核を需めて種うるを作さんとするのみ。」と。是に於いて梨を掬りて大いに啗らふ。且に尽きんとするに核を手に把り、肩の上の鑱を解き、地を坎ること深さ数寸、之を納れて覆うに土を以てす。市人に向かひて湯の沃灌するを索む。事を好む者臨路の店に於いて索めて沸瀋を得たり。道士接りて坎処を浸す。万目攢視するに、勾萌の出づる。漸く大び、俄かに樹と成り、枝葉扶疎たり。倏にして花さき、倏にして実り、碩大芳馥累累として樹に満つ。道人乃ち即ちに樹頭より摘りて観る者に賜ふ。頃刻にして尽く。已はりて、乃ち鑱を以て樹を伐る。丁丁たること良久しくして、乃ち断つ。帯葉肩頭に荷ひ、従容として徐ろに歩みて去る。  初め道士法を作す時、郷人も亦衆中に雑りて、領を引きて、注目し、竟に其の業を忘る。道士既に去り、始めて車中を顧みれば、則ち梨すでに空たり。方めて適に俵散せし所は皆己の物なるを悟るなり。又細かに車上を視れば一靶亡く、是れ新たに鑿断せし者なり。心大いに憤恨し、急ぎ之を迹ふ。転じて牆隅を過ぐれば、乃ち断靶垣下に棄てらる。始めて伐る所の梨の本は即ち是の物なるを知る。道士在る所を知らず。一市燦然たり。

  • 「仰げば尊し」の現代語訳を教えてください

    「仰げば尊し」は文語体で書かれているので、今の若い子に意味を上手に説明できません。たとえば「仰げば」とは目上の人に対する言葉だと思いますが、「思えば」でいいのでしょうか。はじめの1節は「私の先生の恩を思いおこせば、尊いものだ」という感じでしょうか・・・。「おしえのにわ」というのは校舎のことでいいですか?どうか分かりやすい言葉での訳をお教えください。

  • 現代語訳を探しています

    テスト直前で、日記文学「建礼門院右京大夫集」の 『おほかたの世さわがしく・・・』からの 口語訳が載っているサイトを探しています、 お願いします。