正義と利益との和解について

このQ&Aのポイント
  • 戦争が減りつつある一方で経済の戦争が起きている現代社会。人間は生活のためにお金を必要とし、そのためには利益を追求する必要がある。しかし、利益追求と正義は相容れない矛盾を抱えている。社会には富める者と貧しい者、賢い者と愚者など多様な人々が存在し、それぞれ異なる利益と正義の追求をする。しかし、不正の行為によって利益を得ることは正義から逸脱した行為であり、実際には悪とされる。では、正義と利益の和解は可能なのか?ドラマの最終話ではその問いに対する答えを提示しているが、世の中の表面には分からない裏での取り計らいが行われているとのこと。
  • 経済の戦争が起きている現代社会で生活する上で、利益を追求することは不可欠である。しかし、正義と利益は相反する要素であり、両立させることは難しい。人々は異なる利益と正義の追求をするため、社会には富める者と貧しい者、賢い者と愚者などの多様な存在がある。一方で、不正な手段によって利益を得ることは正義から逸脱した行為であり、実際には悪とされる。ドラマの最終話では、正義と利益の和解が可能かという問いに対して、裏での取り計らいが行われていることが示唆されている。
  • 現代社会では、戦争は減少している一方で、経済の戦争が起きている。人間は生活するためにお金を必要とし、それによって利益を追求する必要がある。しかし、利益追求と正義は相反する要素であり、両立させるのは難しい。社会には異なる利益と正義の追求をする多様な存在が存在し、その中で富める者と貧しい者、賢い者と愚者などが存在する。一方、不正な手段によって利益を得ることは正義から逸脱した行為であり、悪とされる。ドラマの最終話では、正義と利益の和解は裏での取り計らいによって行われていると示唆されている。
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正義と利益との和解について

先日まで放送していました、「花咲舞がだまってない」でもテーマになっていた? のですが、正義と利益の関係性についての質問です。 人間や文明や社会が成熟してきて、戦争はしてはならない物になりつつありますが、 その分、経済(お金)の戦争が起きています。 人間は生き物なので、何か食べないと生きていけません。 だから、100%自給自足の農業でもしない限り、物々交換か経済(お金)に頼って 食べ物や生活用品を得るしかありません。 ドラマでも本部長が言っていましたが、利益(経済的収入)がなければ、会社が立ち行かなくなり、 その結果、社員は生活できないなります。 とすれば、正義は置き去りになります。 平等、平等といいながらも、そういうわけにはいかないのが人間社会です。 王(族:少数)がいて、平民(多数)がいる。 富みをもっている人(少数)がいて、貧しい人(多数)がいる。 賢い人(少数)がいて、愚者(多数)がいる。 人と違う考えの人(少数)がいて、自他ともに同じ考えの人(多数)がいる。 などなど。 1.他人は他人。自分は自分で利益を追求する。 2.正義や人道を唱えて、貧しくなる。 3.正義や人道を唱えながら、利益を得るために不正をする。 改めて書くまでも無く、3.が一番の悪ですが、 この世の真理は、1.でしょうか。 また、何が正解なのでしょうか。 その関係性はどうなっているのでしょうか? ドラマの最終話では、どちらも勝ち?、または、どちらも負け?のような 中途半端で、世の中の表面には出てこない(関係者以外には分からない)ような 取り計らいがされていました。 正義と利益との和解はどうしたら良いのでしょうか?

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  • key00001
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回答No.7

> 正義と利益との和解はどうしたら良いのでしょうか? 司法や公的機関の判断とか指導,調整で、日常的に行われてますよ。 ドラマなど虚構の世界では、花咲舞やら半沢直樹が、社会正義的な証拠などを掴み、結果的にはその司法やら監督省庁っぽいこともやっている感じですかね? ただ現実社会では真逆です。 企業などの組織においては、役職上位者の方が権力を握っており、私企業内での司法権,立法権,行政権も、役職上位者側に委ねられますから、花咲やら半沢みたいな社員が居れば、良くて左遷で下手すりゃクビかな?と思います。 とは言え、それらを労働者が労基署なり労働審判などに持ち込めば、公的,法的な判断とかが得られると言うのが、日本の構造です。 > 平等、平等といいながらも、そういうわけにはいかないのが人間社会です。 少なくとも資本主義社会では、平等と言う正義を振りかざすのは、左翼の政治家とか思想家などで、資本主義が目指す正義とは違います。 資本主義社会の正義は「公平」であって、多少の不平等は容認する社会です。 従い、資本主義における不正義は、「違法」と「不公平」です。 そもそも完全な公平と言うのも難しく、日本などでは民主主義的に多数決で公平を決めるのですが、逆に言えば公平には個人差が大きいと言うことでもありますね。 ドラマで言えば、「本部長と花咲舞ではどちらが正義か?」と言うより、「二人の公平が違う」と言う解釈の方が妥当かと思いますよ。 また法的に言えば、懲戒権や人事権などは経営権に帰属すので、より高位の本部長に権限があり、それに対して下っ端がつべこべ言うのは、越権行為とかの不正義もあるとは思います。 「堪りなさい!」「黙りません!」なんてのも、指揮命令権に対する造反行為だし・・。 ドラマと言う虚構を現実社会に当てはめて考察すると、ちょっと無理とか矛盾はありそうです。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 しっくりきました。 平等は社会主義なんですね。 もてない女性が、もてる女性にと同じ扱いにして欲しい的に言われていることが多い気がします。 公平は民主主義で、能力は違うけどスタートラインは同じ(公平)です。と、いうことなんですね。 これが平等では、ゴールはみんな揃って一緒に1、2の、3でテープを切るという具合でしょうか。 平等とは、個々が違うので実質ありえず、もしあるとしたら、等しく虐げられることが平等になる。 = 社会主義、共産主義ということでしょうか。 ドラマや舞台などの虚構では、競争社会に疲れた人の息抜きや憂さ晴らし的な部分での理想かもしれません。つまり、自分が優位に立てていない人(多数)への癒やし。自分に富みがあったり(少数)、社会的に優位に立てている人(少数)はそんなドラマなどは関係無いし、見る気にもなれない。でしょう。 会社では、公正な判断、不正の取締、秩序維持などを行う、警察・司法などの組織が経営者とそれに近い役職者に集中している為に、全体で公正と乖離した方向(利益確保や都合)へ進んでいるのが実状ということですね。

その他の回答 (7)

  • key00001
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回答No.8

お礼ありがとうございます。 > しっくりきました。 それは「質問者さんが頭が良いから」ですよ。 > 平等とは、個々が違うので実質ありえず、もしあるとしたら、等しく虐げられることが平等になる。 = 社会主義、共産主義ということでしょうか。 ↑などは、新鮮な視点でした。 平等社会は不幸も平等であって、平等が必ずしも幸福では無い理由を、最も端的に言い表した表現ですね。 > 会社では、公正な判断、不正の取締、秩序維持などを行う、警察・司法などの組織が経営者とそれに近い役職者に集中している為に、全体で公正と乖離した方向(利益確保や都合)へ進んでいるのが実状ということですね。 そこは私は、もう少しポジティブに捉えていますよ。 資本主義社会においては、公平を司ると言うことが権力であって、その役割を担うのがエリートです。 従い資本主義とは、エリートが公平であれば上手く行くシステムですが、不公平であれば失敗してしまいます。 言い換えれば、真のエリートは、エリート階層に潜り込んだ「不公平な偽エリート」を排除する役割も担っていると言うことではないか?と思っています。 逆に公平とは、多様性があるなど難しいもので、相互に公平を主張しつつも対立する可能性もありますが、主張が公平である限り、議論には値するのではないか?とは思いますよ。 そう言う観点でドラマについて考えますと、私は本部長のキャラは嫌いではありません。 と言うか、「明らかに間違いである」みたいな判断は下しておらず、「現実社会における公平の体現者」と言うキャラ設定じゃないですかね? だから現実社会に生きてる私などから見れば、「本部長の裁量の方が現実的で、正しいのでは?」と感じてしまいます。 一方の花咲舞は、正義感などを主眼とする公平論で、おっちょこちょいながら、カッコ良く言えば、エリートの資質は持っている幹部候補と言う役どころですかね? コチラは現実社会に照らせば、「実際はそんなキレイ事だけじゃないよ・・」などと感じなくもありません。 それでも、本部長と花咲では、立場も違うし、公平に対する考え方も違いますが、その違いに対して本部長は、花咲の公平を採用まではしなかったものの、最終的に「公平な主張者を、排除はしなかった」と言う点では、度量を発揮したと言う見方も可能かと思います。 企業経営などにおける正義の「最後の砦」は、法律であって、利潤など生々しいものを追及すれば、判断基準はどんどん法律スレスレに近付きがちです。 従い、正義感などのモラルや道徳も必要ですが、モラル違反は違法ではないので、正義では無いにせよ、たちまち悪でもありません。 あるいは、そう言うグレーゾーンでは、公平に裁くことは難しく、如何に不公平を減じるか?みたいな正義感も存在し得ます。 もしドラマの状況が実際に起きたら、権力者の子息を、犯罪者として警察に突き出すべきか、依願退職と言う形で穏便に処置すべきかは、そう言うレベルの判断が必要でしょ? もし花咲みたいに、何でも正義感で理非を糺すべき!と言う考え方の、公平な人間が社長なら、会社を潰すんじゃないですかね? 本部長みたいに、権力で合理的に判断を下すと同時に、憎まれ役を引き受ける人も必要ではないですか? ただ、私が本部長の立場なら、花咲みたいな正義感がある人間を鍛えて、難局においては、冷徹な憎まれ役も出来る様なエリートにしたいとは思いますが。 質問者さんは、正義感もある頭が良い方だと思うので、真のエリートになって下さいね。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そして、再登場ありがとうございます。 事実は小説よりも奇なり。ですかね。 小説(テレビ(ドラマなど)、映画、舞台、などなど)は結局、貧困層(多数)の不平・不満のガス抜きと 思えます。 なぜなら、富裕層(少数)の視点には立っていませんし、必然的に富裕層(少数)を悪にしてほとんどの場合描いているからです。 君主制ではないので正義感では、食っていけません。 君主が正義を持つべきと思います。no.2以下がそれを持っていてもno.3以下が言うことを効きませんし、 その上こちらが用意した公平の利益は当たり前と捉えてしまいます。ただ口を開けて待っているだけの鳥のヒナのようです。利益が薄い人は、平等ではないとか、また不満を言い出します。じゃあ、自分たちで公平な利益をもたらせるか?。出来ず、個々の不平等な利益以下しか得られない。それでまた、不満が出る。 かつて、政治政府の大久保(だったと思う)が失脚した後、さぞ国の財産を政府の立場で独り占めしていたと目されていたのに、金庫に残っていたのは借用書のみだったということもあったようです。 私はエリートになりたいわけではありませんが、 大衆・群衆というものを知りたいし、シビリアンコントロールも重要と思っています。 みんなが幸せを感じていた80年代が懐かしいです。 未来はやってくるものではなく、人々の手で作れる未来が欲しいですね。

回答No.6

No.1です。 >一方的に損していることって感じませんか?ありませんか? それを感じる場合は不正行為でなくとも立場上覆せないことが入っていると思います。 作品中でも「上司命令、もしくは評価を下げられバツをつけられる恐怖」とか「お得意様の御曹司という立場」とか、 何かしらその要素ありましたよね。 それを振りかざせば「上位な立場を示すときでないのに立場を利用した」という点で不正であり既に「悪」です。 >花咲たちは知りませんでしたよね。 >知っていたのは、本部長と腰巾着と輪店班の部長だけだったと思います。 >で、花咲がやりたかった正義と回答者さんがおっしゃられている事柄はねじれて、 >両者をWIN-WINにみえるようにしていると思われます。 >花咲の正義は、御曹司の不正により、迷惑を被った人の救済と御曹司の処分だったのだと思います。 >だから、ちょっと違うと思うのですよ。 では花咲きは「救済と処分」が出来たので自身の正義を貫きWIN 本部長は前述どおりでWINとします。言ってないけど「あいつらは残したい」と認めたのは明らかですので。 腰巾着は思想などなく自分に被害さえなければ「私はこのままの立場でいられるでWIN」ですのでww 確かに知らない以上事実はそうであっても保留は輪店班の部長だけのWINかもしれませんね。 花咲を認め信じ採用した事へも含めて。 ちなみにセリフが「保留」だったのは、「存続させることにした」は自分の意見を完全に覆す発言だし、 プライドの塊である本部長がその言葉を使うのはキャラクター上おかしいので、 妥協レベルとしてそのセリフにしたと思います。 ただ、二人を認めたのは明らかで事実上の「存続決定」であり、おそらく2ndが出ても残ってます。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まだ、私の真意が伝わっていないようです。 花咲の立場としては、winではないと思っています。 ここは一会社員としての限界かも知れません。 それぞれの立場で上・中・下としましょう。 花咲    下(課長が責任を取らさせ出向。御曹司は責任は追及されず自己都合扱いの退職。) 相馬    中(課長の責任はやむなし。花咲を起因に花咲を含め自分に掛かる処分がなかった。) 本部長   中(経営が本文なので輪店班が居てもいなくても基本的にokの立場。自分の勢力が減ったのは自業自得) 腰巾着   中(自分の立場に変化無し) 輪店班部長 中(輪店班が潰されず、またなにかしらの責任追求がなし) 取引先社長 中(息子の素行が犯罪とならなかったためマイナスではない。主要銀行は東京第一が候補だったし、そこでも別の銀行でもそんなに大差無し) 御曹司   下(そもそも銀行勤めは修行で自らの意思ではないので退職してもok。生活に困らない。あるとすればプライドが傷つけられた+父の信頼を裏切った(しかしここは本人の性格上気にしていないと思われる)) 課長    下(確認を怠ったのは管理職としては不注意。しかし、部下(御曹司の後輩)に裏切られ、部長、部下は責任を追及されないのに自分だけ責任を取らされた。そもそも御曹司の悪意が原因であり、犯罪立証されておらず、ある意味お門違いの沙汰で理不尽) 以上のような分析になります。 ですから、すべてがwin-winになっていません。 回答者さんのすべてがwin-winという解釈は俯瞰して見ており、個々の正義とは違います。 上記の下に当たる部分が一方的に損していることと捉えられます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.5

何億年と続いてきた自然のシステムは「弱肉強食」ということで、今の自由経済社会が基本的にそうなのです。 それが現実であり自然であり真理なのだといって差し支えないでしょう。 いまのところアメリカ大富豪のぶっちぎり大勝。 おっしゃる中では 1 です。 この世の真理。 >また、何が正解なのでしょうか。 正解、正しい答えとは? 最適解という意味なら、誰のための最適解か?人類すべての得になる最適解ということなら、たぶんない、と思います。 利益利益といっていればなおのこと、イーブンパーでも、全人類のためのおそろしく複雑で緻密な法律の大法典(世界正義)ができれば、そしてそれをかっちりと守る警察組織が完璧に機能すれば、あるいは可能でしょうか。 それまでに人類は滅亡するでしょう。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 世界政府や世界正義の樹立があれば、あるいは。ですね。 そもそもそれぞれの都合でしか動かないので、完璧に役割を果たす機能は持ち得ませんね。 人類の滅亡は、アポトーシスかもしれません。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.4

ベストなのは、「他者を富ましてから、自分も富む」やり方かな。 別名、「利自利他」 一見、不可能なように感じられますが、真剣に取り組めば道はみえてくるはずです。 京セラ名誉会長の稲盛さんの本を読むとか、その気があるなら盛和塾に顔を出してみたらいいでしょう。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 わかるようになるというなのなら、 稲森さんの本でおすすめはありますか。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

1.他人は他人。自分は自分で利益を追求する。      ↑ 自由主義、資本主義社会では、これが正しい、と いうことになっています。 他人が他人、自分は自分で利益を追求すれば それが市場を通すことにより、見えない手により 最適になるということです。 ただ、最近では、それでは最適にならない、という 説も強いです。 これを「合成の誤謬」といいます。 ”正義と利益との和解はどうしたら良いのでしょうか?”     ↑ 正義を追求して、崩壊したのが社会主義諸国です。 社会主義は平等を理念としましたが、結果は貧困と 独裁と虐殺でした。 スターリン、毛沢東、ポルポトと、社会主義国は 国民を殺すのが大好きです。 人間は理想を追求しては地獄を造って来たのです。 だから、正義などを掲げずに、それぞれ自己の利益を 追求させ、自由にしておけば良いと思います。 ただ、それだと格差が広がり社会が不安定になります。 だから、自由を基本としつつ、弱者保護、所得再分配などに より、出来る範囲での平等を図っていく、という のが最善ではないでしょうか。 日欧米で現在進行中ですね。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まったく仰るとおりなのですが、 最近思うのは無欲な君主(王)制であれば、それが一番なのかなと思うのです。 確かに独裁者は、「自分の」正義の為に反対意見の人を殺します。 日本でも安政の大獄は、井伊直弼の「自分の」正義であったのか、 西洋列強から国を守る為の正義であったのか、 わかりませんが、同じようなことがありました。 現在、元経産省官僚の岸さんもテレビでコメントしていますが、 現政権は自分たちの利権、選挙で当選すること・勝つことを目的に、 人口ピラミットの一番多い年齢層優遇の政策しかとっていないしとるつもりもない。 だから、日本は消費することばかりの政治ばかりが行われ、衰退している。 >ただ、それだと格差が広がり社会が不安定になります。 だから、自由を基本としつつ、弱者保護、所得再分配などに より、出来る範囲での平等を図っていく、という のが最善ではないでしょうか。 できる範囲で、ということですね。 本当の平等なのでしょうか? 本当に最善なのでしょうか? しわ寄せは人口ピラミットのうち、マイノリティーのホコリと犠牲のうえに 成り立っているのではないでしょうか。 この空虚感を埋められず悩みは尽きません。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

ドラマでは質問者さまの言う正義と利益、見事に和解しているじゃないですか。 真藤本部長が臨店班解体を見送る、つまり正しいことをすることが、東京第一銀行の利益につながる、少なくともそれを見極めるだけの価値があるということです。 銀行で行われてきた不正の大義名分を、花咲舞が「お言葉」を返すことで、結局銀行のためになっていますよね? 優良企業の融資を私情で通さなければ、本来得られるはずの融資利息収入は得られないわけですし、セクハラは横行し続けますし、金融庁に謂れのない指導を受けねばならなかったわけですから。 そもそもにして、正義と利益は相反でも、相関関係でもないですしね。 (お金を稼ぐこと=悪 と定義づければ別ですけど)

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まあ、ドラマの結末は最大公約数的に良い方向へとまとまったと思います。 ただ、御曹司(+命令された後輩)のおかげで責任を取らされて、出向を命じられた課長?がいましたよね。 同じ職場にいる御曹司からみて、命令された後輩の監督責任のある上司だから仕方が無いということも考えられますが。 また、御曹司は懲戒免職ではなく、自己都合で退職になっていますよね。 ここは銀行側もそうしないとその父が計画するプロジェクトの筆頭銀行になれなかったと踏んでの 処分なんでしょうけど。実際には、無言の強制力で取引材料にしたのですが。 ということは、最低限花咲の目指した正義、処理をすぐに確認しなかった課長にも多少の責任はあるものの、悪意ある者から落とし入れられ、責任を取らされた不幸な人を救いたかったのでしょうけど、 叶えられませんでした。 この点で、花咲から見た正義は完遂されたとは考えられません。

回答No.1

何でもでもそうですがこの世は全て「両者が利益を得ている」んですよ? 商店は「商品」を買い物客に売り、対価としてお金を払う。 物流だけでなく、 従業員は勤務時間で「労力」を企業に売り、対価として企業は賃金を払う 工事なども同じで、工事という「サービスの提供」により「作業費」という対価をもらうのです。 銀行だとちょっと構造が複雑ですが預金者から預かったお金を元に貸し付け、利子という利益を得る 預金者へは利子の一部を預金額へ上乗せする、そのサービスを得るために運転資金を預金として預ける。 株も同じで株価が自分の判断する価値(現価格と値上がり予測)に合わなかったりすれば買いませんよね みんなが何かしらの形で得をしているんです。 この関係が有るから高ければ客は買わないし、働かない社員はクビになるんです。 「WIN-WINの関係」とか言います。この関係である以上は正義です。 これに該当しないものが略奪や強奪といった悪になります。 3択から選ぶならば1が最も近いかな? 「利益を追求」とは利益を得れるだけの何かを提供出来るようにすることと解釈できますので。 ドラマの最終話では「花咲舞たちの労力により、真実を暴く」という提供に対し 「自分たちの有能性と部署の存在価値を認めさせ、解体保留」と言う利益を得たんです。 存続が両方の得と思っていますからWIN-WINです

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >何でもでもそうですがこの世は全て「両者が利益を得ている」んですよ? それもそうなんですが、一方的に損していることって感じませんか?ありませんか? >ドラマの最終話では「花咲舞たちの労力により、真実を暴く」という提供に対し 「自分たちの有能性と部署の存在価値を認めさせ、解体保留」と言う利益を得たんです。 後者は、花咲たちは知りませんでしたよね。 知っていたのは、本部長と腰巾着と輪店班の部長だけだったと思います。 で、花咲がやりたかった正義と回答者さんがおっしゃられている事柄はねじれて、 両者をWIN-WINにみえるようにしていると思われます。 花咲の正義は、御曹司の不正により、迷惑を被った人の救済と御曹司の処分だったのだと思います。 だから、ちょっと違うと思うのですよ。

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    日本人が平等(嫉妬、略奪、暴力革命)を否定出来ないのは、何か心の病があるからですか? 人間観察していると、平等を正義のように振り翳す人は、可哀想な人を悪利用して、他者が持っている物に損害を与え、自らその上にのし上がろうとしていたり、自分の物は絶対に捨てず、利益を得ています。

  • 理由が正しければ(正義の為なら)法を破ってもいい?

    本当を言えば「理由が正しければ倫理に反してもいい?」を聞きたいです 聖書にも神の命ならば自らの子を殺すのが正しいとされています。 法の下に行う死刑も言わば殺害です この前テレビで「無罪なら私が殺しに行く」と言っている遺族がいました。 これは一種の殺害予告で逮捕されてもおかしくない状況です(動機もありますし)。 しかし遺族という状況では同情される立場になってしまいます。 しかしそれでは範囲が広すぎるのでタイトル通りにしました。 どうなんでしょう? 「正義のためなら法を破ってもいい」 「どんな事があっても法を厳守するべき」 どちらも正論に聞こえます。 例えをあげると自衛隊は自分が攻撃されない限り反撃は出来ません(というか自衛隊自体違憲ですが)。 もし領海内で日本の一般船舶が他国の船に攻撃されていても自らが攻撃を受けない限り反撃は出来ません。自衛隊法に定めてあります。 果たしてこの状況で自衛隊員はどのような行動をとるべきでしょう? 法を破って自らの正義を遂行するべきでしょうか?法を厳守し同胞を見殺しにするべきでしょうか? 僕は前者はとても危険な考えだと思います。 これが正しいのならもし自衛隊員が「この政府では国が滅び人がたくさん死ぬ!」と判断した場合クーデターも正義になります。 現にクーデターや革命で成功した国も実在します。 僕はここを教えてほしいのです。 己の正義が正義とは限りません。しかし法は決して正義の模範ではなく秩序を保つ為の決まりであるのです。 もちろん正義とは人間によって定められるものではありませんが、一般的な他人を救うというのは少なくとも正義であると僕は思います。 正義の意思か、秩序の法か、人間、国家はどちらを選ぶべきでしょうか?

  • (自らの)利益しか考えない糞野郎

    以下の考えは、間違っていますか? 「信念ある1人の人間は(自らの)利益しか考えない10万人分もの力に値する」 ・今の時代、自己中心的な人ばかりではないでしょうか。(自己中が得する時代?) ・それで、社会が良くなるとは思えません。むしろ悪くしていると思います。 ・10万人は、多いかと思いますが・・・。 ・きれいごとをぬかすやつが、私は大嫌いです。 ・ノルウェイ事件のことは関係ありません。