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木村さん発言

死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。 みなさんは、木村さんの発言についてどう思いますか?

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  • kusirosi
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回答No.1

平安時代の日本のように、 死刑制度はあるけど、 死刑執行される凶悪犯罪が百年以上おきない 平和な社会が、いいですね\(^^;)... zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は 木村さんの発言は 何か矛盾するものを感じるんですよ。ただ、それが何なのか具体的には表現できませんが。

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その他の回答 (1)

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.2

munching_moleさんってErdbeerkegelsさんですか? 他人の倒錯は駄目ですよ?

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  • 私が死刑制度に賛成する理由は以下の通りです。

    1.刑法で殺人をすれば死刑もあり得ると書かれていて、 それを知っていながら殺人をしたわけだから、死刑に処せら れるのは当然。死刑になりたくなければ殺さなければ良い。 2:身勝手な欲望で被害者の命を奪った加害者に対し死刑 以外では「加害者の命>被害者の命」となり不公平。 誰の命も公平なはず。 人殺しが生かされてるのはきわめて不公平であり、正義が 実現されていない。 3.人を殺したら死刑になるということが、犯罪者に殺人を 躊躇させる(抑止効果と言う)。 一説によると、一人の殺人者を死刑にすることによって、 3~18人の命を助けることができたかもしれないという 調査結果が出ている。 4.人間は誰も、一つ間違えば殺人をするような残忍な性質 を内在している存在であるということを、忘れないための戒め として、実際に刑が宣告され、執行されることがあろうが なかろうが、未来永劫存続させることに意義があると考える。 5.死刑判決を受けると拘置所で毎日、俺の命も今日までか と生きた心地がしない日々を何年も過ごさせられる。 さすがの殺人犯も命の大切さを思い知らされ、被害者に対し て申し訳ないという反省に至る。 加害者の真摯な反省は、被害者遺族の慰めになるし、反省し て人間らしい心を取り戻させてからあの世へ送る方が加害者 の人間の尊厳が守られる(凶暴な動物のように、檻に閉じ込 めて飼い殺しにするより、少し短いとはいえ、人間らしい 人生を終わらせてやれる)。 「ただ生きるな、良く生きよ」(ソクラテス) 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(孔子) みなさんは どう思いますか?

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  • 罪の大きさによって量刑の軽重が決まるべきです。

    法律は弱者や被害者の為に必要なものであって、強者や 加害者を守る為のものではないと信じています。 殺人という重い罪を犯した人間を死刑に出来ないのであれば 被害者家族は浮かばれません。 人間の感情を机上の論理で無視するのは間違っています。 個人的意見ですが、死刑廃止派は偽善者だと思っています。 死刑制度については10代の頃から考え始めて数十年に なりますが、今も変わらず必要だと確信しています。 命は重いものであり、その命を奪ったのであれば、命で償うべきです。 みなさんも そう思いませんか?

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    死刑廃止論者の方は、どういった思考から廃止を唱えるのでしょうか? 人の罪(群衆から願われた・着せられた罪も)は、命で償うことが掟でした。(明治初期まで) どうしたら人間の罪を許せるのでしょうか。 偶然の巡り合わせや、神の祟りに求めればいいのでしょうか。