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家紋のことを知りたい、橘小枝丸

fumkumの回答

  • fumkum
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回答No.7

NO6で送付した画像の内、橘枝丸は上から2段目の最右端の家紋です。 続いて、橘氏と橘門の関係についてですが、橘氏=橘紋ではありません。回答の中に次のような記述がありますが、それをもとに解説すると次のようになります。 >「山中、家紋橘和同元年(708)一月廿五日、左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ=人名)、元明天皇ノ宴会ニ列シ、浮杯ノ橘ヲ賜ハル、勅ニ曰ク、橘ハ是レ菓物ノ長、則チ(すなわち)汝(なんじ)ノ姓ト為(な)セ、故ニ紋、之(これ)ヲ図ス」 橘諸兄は当時は葛城王(かつらぎのおおきみ)と名乗っていたが、元明天皇から授かった紋所であり、(橘は柑橘類で)、菓物(くだもの)の長であり、非常にめでたい紋である、これにより姓を橘とせよと言われた・・・とあります。 上記の引用は甲賀の山中(橘氏)系図に関する文書と思われるのです。同様な文書は『続群書類従』の「橘系図」等にもあります。しかし、いくつかの間違えがあります。『国史大辞典』の「出自を四姓などの貴種にかたよって改変偽作された系譜に適合させるために、-中略-橘氏は橘紋であるという付会の説にまどわされて創られ」た文書です。 この原典となる文書は六国史の中の『続日本紀』の天平八年(736)11月11日の上表文と同17日の勅答です。これを都合よく改作したものが「山中~」の文書になっています。 原文は長いのですが以下の通りです。 (11日)従三位葛城王(後の橘諸兄)、従四位上佐為王等、上表曰、「臣葛城王等言-中略-葛城親母、贈従一位県犬養橘宿祢(橘三千代)」和銅元年(708)十一月廿一日奉挙国大嘗、二十五日後宴。天皇(*元明)、誉忠誠之至、賜浮坏之橘。勅曰『橘者、果子之長上、人之所好。柯凌霜雪而繁茂、葉経寒暑而不彫。与珠玉共競光、交金銀以逾美。是以汝姓者、賜橘宿祢也』而今無継嗣者、恐失明詔。伏惟、皇帝陛下-中略-臣葛城等、願、賜橘宿祢之姓、戴先帝之厚命-以下略- (17日)詔曰、「省従三位葛城王等表-中略-誠得時宜一依来乞、賜橘宿祢-略-」 1、橘の姓は、橘諸兄の母である県犬養(あがたいぬかい)(橘)三千代が、和銅元年11月25日に元明天皇から賜ったこと。 *橘三千代は葛城王の父である美努(みぬ)王と離婚後、藤原不比等と婚姻し、後の光明皇后を生む。また、後宮に長く仕え、後宮の実力者でもあったので、女帝の元明天皇とも関係が近い。 2、橘諸兄(葛城王)は臣籍降下にあたって、天平8年(736)11月11日の聖武天皇への上表文で、母三千代にならい、橘宿祢の姓を下賜されることを願い、同月17日に勅許されと記載されています。 3、姓にちなむ「浮坏之橘」も賜ったが、家紋を賜ったとの記載はないこと。 *家紋の使用は平安後期、凡そ1100年代以降とされていて、奈良時代直前の708年とは400年以上離れています。 *「山中~」の文書にも、「故ニ紋、之(これ)ヲ図ス(そういうわけ-由緒-で家紋は、これを(橘))を図案化した」とあり、「元明天皇から授かった紋所」などとは記載されていません。 つまり、国史大事典が指摘しているように、「橘氏は橘紋であるという付会の説にまどわされて創られ」た例もあったということです。ですから、NO6にも記載したように、橘紋は橘氏のみならず、源氏・藤原氏・平氏など多くの氏族、家門にわたって使用されています。また、武士だけでなく、農家・商家など幅広く使用されています。 以上長くなりましたが参考まで。

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