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家紋の「木瓜紋」の由来は?

信長が「木瓜(もっこう)紋」を使っていましたが、先祖からの紋だったのでしょうか? 武将の紋としては「きうり」は、たよりない紋のように感じますが、特別の意味合いがあるのでしょうか? この紋は、多くの氏族に使われていると思えば、倭の国があったとされる北九州の高良大社の神紋 として使われています。橘や桐なのど紋のように何故大事に扱われなかったのでしょう?

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

>先祖からの紋だったのでしょうか? 織田家代々の家紋です。 >武将の紋としては「きうり」は、たよりない紋のように感じますが、特別の意味合いがあるのでしょうか? 家紋の中では最古に属する由緒ある紋です。 デザインとしては、唐代中国の官服に用いられていたことが分かっています。 日本では、正倉院に収められている「木交文暈繝錦」(もっこうもんうんげんにしき)とよばれる錦に描かれています。 平安時代には有職文様(ゆうそくもんよう、公家文化の中で伝統的に用いられてきた文様)のひとつとされました。 有職文様が一族を象徴する家紋として使われ始めたのは平安時代からです。 徳大寺実能が車(牛車)の文様に用いたのが始まりとも言われていて、その際のデザインが木瓜です。 デザインの由来というか、何を模ったのかについては、御簾の帽額の文様、バラ科の花、瓜の切り口などの植物、雲雀などの巣を真上から見た形、と諸説あります。 >この紋は、多くの氏族に使われていると思えば、倭の国があったとされる北九州の高良大社の神紋として使われています ご指摘の神社以外にも、八坂神社の五瓜紋をはじめとして、全国の祇園神社の多くや、久留米市の高良神社、津島市の津嶋神社、福山市の吉備津神社、福井県越前町の劔神社などが窠紋(木瓜紋)を神紋としています。 神紋が胡瓜の切り口に似ていることから、京都や博多の祇園祭では胡瓜を食べない習慣があります。 信長が用いたのは、織田家は元々越前織田庄の劔神社の宮司であったことに由来します。 劔神社の神紋が織田瓜と呼ばれるデザインの木瓜でした。 信長は後に平氏を称しますが、以前から織田家由来の藤原氏を名乗っていました。 「藤原織田勘十郎信長」と署名した文書も残っています。 >橘や桐なのど紋のように何故大事に扱われなかったのでしょう? 大事にされなかった訳ではありません。 家紋が権威の象徴となるのは、江戸時代からです。 それまでは、あくまでも戦闘の際の旗印すなわち目印でした。 江戸時代になると家紋も嫡子相続となり、他の子供たちは別な家紋を使いました。 現在、大名家の紋をあまり見かけないのはこのためです。 一方で、庶民は、苗字を持たないことから、一族を表す表章として家紋が使われました。 冠婚葬祭などの際の正装である紋付に着けられました。 秀吉の五三桐は、元は天皇から下賜されたものでしたが、百姓が関白になったということで桐の家紋は人気がありました。 今でも貸衣装の紋として見かけます。 一方で、天皇が下賜する紋であることから、現在も内閣の表章として使われています。 外交的にも使われています。日銀の表章としてお札に印刷されていたこともあります。 現在でも多く使われているのは、上位から片喰・木瓜・鷹の羽・柏・藤・桐・蔦・梅・橘・目結です。 尚、家紋の取り扱いは関東と関西では根本的に違います。 関西は優れた才能を持った養子を婿に迎えて家業を継がせるという文化があり、家紋も女性が代々継承しています。 女性が嫁いだ場合には、紋を持ったまま嫁ぎ、娘に伝えていきます。 一族の紋は表紋として男兄弟が継ぎます。 関東は武家の習慣で、あくまでも男の一族が優先です。嫁げば嫁ぎ先の紋を使います。 現在もこの習慣があり、トラブルが起きることがありますので注意して下さい。

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回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 まずは、「木瓜紋」についてですが、確かに、キュウリの切り口や、はたまた、カボチャの切り口を型どったものだ。との説も確かにありました。 しかし、近年の研究では、御簾(みす)にあしらった中国伝来の文様が転化したものだと思われる、との説が有力視されています。 この文様は、インド、ネパール、マレーシヤなどにも見られ、釈迦の紋章だったからだと言われています。 釈迦は、牛をトーテムとし、太陽神を奉じて、そのシンボルである「菊花紋」、「輪宝紋」、「卍紋」、「十字紋」を愛用したと言われている。 日本においても「木瓜紋」を、やはり、牛をトーテムとしたらしい須佐之男命(すさのおのみこと=牛頭天孫・ごずてんそん)の神紋としている。 この紋章は「菊花紋」、あるいは、「十字紋」の一変形との説が有力となってきている。 使用氏族: <源氏系> 田中、関口、平賀、野村、桜井、池田、中川、堀、高木、小野、岩堀、小倉、多喜、奥山、竹内・・・など。 <藤原氏系> 大河原、丹羽、須藤、浅井、有馬、大村、斎藤、後藤、伊藤、荒木、佐野、小川・・・など。 <橘氏系> 牧、黒田・・・など。 <菅原氏系> 設楽、山田、萩原、来栖・・・など。 <日下部氏系> 朝倉、八木、太田垣・・・など。 <伴氏系>(平氏系) 山岡、篠山、伴、上野、富山・・・など。 >>信長が「木瓜(もっこう)紋」を使っていましたが、先祖からの紋だったのでしょうか? 織田氏は、創作かも知れませんが、一応は「桓武天皇」に祖を求め、「桓武平氏」の流れを汲むとして、木瓜紋を使用していましたが、信長やその父である信秀などの時代からか、はたまた、それ以前の先祖から代々使用していたかは不明です。 >>北九州の高良大社の神紋として使われています。 おそらくは、先に述べた通り、中国からの伝来を意味するもので、中国に一番近い九州方面で使われ始めたためと考えます。 >>橘や桐なのど紋のように何故大事に扱われなかったのでしょう? う~む。やはり、学説論争にもなったように、キュウリの切り口やカボチャの切り口などに似ていることから、もう少し高尚な(高尚に見える)「菊紋」や「桐紋」などがより大切にされたのではないかと思われます。

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