• 締切済み

砂防工事について(土木)

お世話になります。 土木工事をしている者なのですが、最近、疑問に思うことがありました。 土砂崩れや雪崩、洪水などのために堰堤や床固めを行いますが、 それが人の為でもあり、自然のためだという理念で行っています。 しかし、その『自然』って何なのかを考えさせられました。 そもそも、人が手を加える時点で『自然』ではないのでは?『人の為』では あるけれど、自然の為ではない気がします。 人間に都合のよい言い回しをしているだけ、土木関連の人たちに仕事を 与える為だけに砂防工事をしているような気がしてなりません。 確かに、災害を防ぐことはできるようにはなります。 でも、そもそもそういう災害こそ、『自然』ではないのでしょうか。 そういった危険も併せてこそ、『自然とともに暮らす』ということではないのでしょうか。 人間たちの自己都合だけで、この世の自然がなくなっていってしまう、 そんな気がします。 砂防工事は賛否どちらか。 皆様の感想などをお聞かせいただければ幸いです。

みんなの回答

回答No.5

仰るとおりです 例えが少し違うかもしれませんが、サルが山から下りてきて田畑を荒らしたり、山道をドライブしていると「クマ出没注意」って標識があったり… 結局は人間の仕業なんですよね でも、これからの課題としては、地球を汚さず、「自然とともに暮らす」ための工事が重要となってきますね 予算が欲しいから毎年同じ場所を掘って埋めて、とか土建屋のシャッチョさんが国政選挙の応援でやたらめったらハッスルしたりってのはもうごめんって感じです 必要な所に必要なだけの整備事業は賛成です

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11792)
回答No.4

はるか昔は、人間は自然に逆らわない暮らしをしていました。日が昇れば起き暮れれば眠る。水が出る場所は危険と察して、皆が集まって安全な場所に住むようになる・・・それが集落となってコミュニティが形成されていきました。 しかし、人口が増えて耕作がますます盛んになると、自然の脅威と対峙しなければいけないことになりました。 ひとつの例が、大雨が降る毎に氾濫し“暴れ川”と呼ばれた釜無川と御勅使川に築かれた「信玄堤」ですが、これは自然の流れに直に逆らうことなくうまく川の流れを誘導して氾濫を鎮める技術が活かされています。 そのようにして、人間の生活が広がって自然との「境界」が動くにしたがって、何らかの対策を施す必要が出てくるのは、ある意味では“人間のエゴ”かも知れませんが、何もせずに人の生活が脅かされるのは、社会システムとして許されないのも事実です。 これは自然現象だけではなく、鳥獣の生活区域と人間の生活区域が接近しているのも同じです。 砂防工事も突き詰めれば土砂災害を防ぐ目的ですが、それは人間の生活を安全・安心に暮らすためです。 「自然をコントロールして人間が住みやすい環境を整える」ということが根本思想ですから、砂防にしてもダムにしても、自然とはなかなか相容れない部分はあると思います。 砂防工事自体は反対するものではありませんが、ステレオタイプで「工事ありき」「予算ありき」で進むには疑問を感じます。 仰るように、国土交通省と土建屋の利権維持のための手段でもあり大事な票田でもありますから、この仕組みを崩すのは難しいでしょうね。

tatapatank
質問者

お礼

ご返答、ありがとうございます。 私も自分で働いていながら、『国土交通省と土建屋の利権維持のための手段』という事に 疑問を持たずにいられません。 確かに、土砂崩れなどがあっては大変かもしれませんが、川という川いたるところに 作る必要はあるのかと。結局、A地点に作った堰堤や床固めのせいで、 B地点に土砂崩れが起きる、そしてまたB地点の土砂崩れを防ぐ為につくった 堰堤のために、C地点で雪崩が起きる…そんなことを繰り返しているような気がして なりません。 仕舞には、海から各川の末端すべてまで砂防工事が入るんじゃないかと思うときもあります。 そう考えると、人間がエゴのために森林を伐採しているのと、大して変わらないんじゃないかと。 これは飽く迄何の知識も持っていない私一社員の感想で、上記のような連鎖反応で 雪崩等が発生することは決してないのかもしれませんが、本当にこんな所やる必要あるのかと 思わせるような場所も砂防の手が入って行っているのも事実です。 確かに人の生活のために行っていることかもしれませんが、実際は『絵に描いた餅』で、 金の流れのために言い訳を付けて作業をしている、そんな気がしてなりません。 貴重なご意見、ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10485/32980)
回答No.3

私は東京に住んでいますが、都会人の論理で判断するのはなんともいえんですね。 土木関係のお仕事をしているならご存知かもしれませんが、利根川の本来の流れは荒川と合流して東京湾に注いでいました。それを江戸時代初期からなんと明治時代に至るまで流れを変える工事をして今の銚子から海に注ぐルートとなりました。述べで200年以上をかけた大事業です。 これはいうまでもなく江戸(東京)の都合を考えた人間のある種のエゴであり、長い期間がかかっているとはいえ、本来の生態系への影響はもちろんあったと思います。 しかしもし利根川が荒川と合流したままだったらどうでしょうか。もちろんいうまでもなくわざわざ何百年かけてもそんな大工事をやり続けたのはそれだけ「洪水がすごかったから」であります。事業がまったく行われていなかった戦国時代以前は、江戸城近辺は湿地帯が広がる不毛の大地でありました。台風や大雨はもちろん、雪解け水が流れる季節でも頻繁に洪水はあったようで、戦国時代に関東を支配していた北条氏の文書にも「川の水量が多くて対岸に渡れない」という記述が残っています。 そして江戸時代にも、しばしば荒川は氾濫して江戸に被害を与えていました。 だいたい利根川と荒川といったら関東の二大水系なんですから(この二つの水系で東京の水の80%を供給しています)、そいつが今でもまとめて流れてきたら、北区から南の荒川近辺なんて毎年のように洪水にあうんじゃないでしょうか。そして、その度に家や財産や命が流されるのを「自然との共生」とはいわないんじゃないかなァと思います。まあそれをいったら「自然との共生」という考え方そのものが人間のエゴだともいえますよね。謙虚に考えるなら「なるべく自然を壊さないように」という程度に考えるべきかもしれません。 しかし、人類の文明の歴史とはこれすなわち自然破壊の歴史でもありました。ギリシャのエーゲ海近辺に森林がほとんどないのは伐採し尽くしたからだといわれています。他にも周辺の森林資源を使い尽くしたために滅亡した都市はいくつもあり、日本ではかつては六甲山がはげ山だったことで有名です。開国で神戸にやってきた外国人は、関西圏の山々がはげ山だらけになっていることに驚いたそうですよ。 先だっての東日本大震災は、津波の力がいかに凄まじいかを改めて教えられました。日本の三陸地方は「世界一の津波対策」が行われてるところであり、それだけの対策がなされても街が完全に壊滅させられました。過言ではなく「対策をしてもしなくても同じなんじゃないの?」と専門家でさえ思わせるほどでした。 そして東北太平洋地域はほぼ100年に1度のペースで大津波による被害を受けています。 今、私たちはこれについて「どうあるべきか」という問題を突きつけられています。どこの街も今は高台を築いています。でも専門家なら分かるでしょう、いくら重機で叩き固めたところで、テトラポットで固められた堤防でさえ難なく破壊した津波のパワーをもってすれば、あの高台も難なく破壊しても不思議ではありません。少なくとも端の方はかなり削られるでしょうね。 進撃の巨人みたいに高い壁を作るとするなら「そこまでしてそこに住む意味はあるのか」となります。かといって100年に1度ごとに流されるのもやむなしとするのか?「この子以外の家族が全員津波に流された」みたいな悲劇を「しょうがない」でくくってしまうのか。 答えの出せない問題が突きつけられています。

tatapatank
質問者

お礼

ご返答、ありがとうございます。 東日本大震災の時の津波の恐ろしさは、体験者ではありませんが、 その私にも伝わるくらい、被災者の恐怖感は伝わってきます。 そこで、私も仕事を行いながら気になっている、この砂防工事の意味ですが、 自分なりの感想では、『小事を防ぐために大事を引き起こす』ことをしているんじゃ ないかと思うのです。確かに、長い歴史て、災害から身を守る手だてを取り、 成果を上げてきていますが、昔は今のように人間も多くなく、無理に森や山を 切り開いて居住を構える必要はなかったわけです。それに、今のように 重機や電気機器もあったわけでなないので、行っていけることは 限られていました。 でも、今は『人が自ら手を付けなくても、機械で工事を進められる(少し 飛躍しているかも知れませんが)』時代になってきていて、本来手を付けてはいけない 領域まで入り込んでる、そんな気がしてなりません。 その結果、何もしていなければ起きることがなかったような大災害を、 あえて人間たちが呼び寄せてしまうような、そんな気もします。 この砂防工事が、『焼け石に水』にならなければよいと思っています。 貴重なご意見、ありがとうございました。

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2201)
回答No.2

砂防工事自体を否とは言いません。 土砂崩れで道路が塞がったり田畑や家が流されたりといった「災害」を未然に防ぐのが目的ですから。 砂浜を守るために沖に堤防を作ったり、(結果として川幅を狭めながら)堤防を高くしていったりと、そういうのも含めて「自然を守る」のが目的ではなくて「既得財産を保護する」事が目的なんですよね。 先の震災で津波被害に遭ったところのように、「危険だから住むな」と言われがあっても、やはりそこに土地があって生活上の利便性も高いとなるとそこに住む人が出てくるわけです。そうなると国にはそこに住む人の財産を守らなきゃならない義務が生じる。「国民の権利」を守らにゃなりませんからねぇ。同じ理由で「そこに住むな」という命令を出すのも難しい。500年に1度の災害が予想されるから住むなって言い出したら、地震大国の日本では住むところが限られてきちゃいます。関東大震災を教訓にして関東平野を明け渡せとか、海岸線に住むな、なんて言えっこないでしょう(笑) 無ければ無いで済ませておければ良いのですが、今は「無い袖」を継ぎあてで作って済ませている状態。 ちっとも「自然」じゃないですよね(^^; 鉄鋼にせよケミカル製品にせよ、およそ現代生活のインフラを支えている物は到底「自然」じゃないわけですけど、とやかく言うには人間は「豊か」を知りすぎちゃいましたね(^^; まあ人間も自然の一部なんですから、動物が地面を掘って地形を変えたり、食い荒らして植生を変えてしまうようなものと言えなくもない。 いずれにしても地球としては意識すらしていない事でしょうよ。

tatapatank
質問者

お礼

ご返答、ありがとうございます。 やけり結局のところは、『人の為』なのですよね。 土砂で道がふさがったり、家や田畑が流されたりするのを防ぐためというのは 解りますが、それもそもそもそのような場所に居住を構えるからだとも言えます。 このようなことを言っていると、どうどうめぐりで良知が明かないのは 百も承知なのですが、人間の数が増えすぎた結果、本来危険な場所にも 済まなければならない、手を入れなければならない…といったことだと思います。 こんなことを言っている自分自身も、実際にそれらの工事の恩恵に甘えている一人だとも 思っています。多分、それこそ自分が雪崩や土砂崩れに遭ってしまったら、やっぱり 『あった方が良かった』と思うと。 でも、昔の人はそれを承知の上で生きてきていたわけですし、それが本当の 『自然と向かい合う』姿勢なんじゃないかと思います。 今の私たちは、逆にその恩恵のため、そういう自然の恐怖や共存していくための 知恵なんかを、感じることなく生きていられる、その結果、こういった工事は 『あって当たり前』のような…。 自分自身も含めてですが、こういった危機感に対する鈍感さが、さらに次の大災害を 招いていてるような気がしてなりません。 とりとめのない話で申し訳ありません。 貴重なご意見、ありがとうございました。

  • Mathmi
  • ベストアンサー率46% (54/115)
回答No.1

「自然とは何か」というテーマにも通じる質問ですね。 動物の中には巣を作る種は多く存在します。自分が住みやすいように周囲を改造するというのは、ごく一般的に行われています。 また、古い漫画の台詞ですが「光合成する生物が大繁殖した結果、当時二酸化炭素ばかりだった大気に酸素が混じった。当時の自然を破壊したのだ」というものがありました。 つまり、人間という動物が、自分たちに住みよいように周囲の環境を変更するのは自然なことだ、とは言えないでしょうか? 或いは、植物を伐採した結果土砂崩れが起こりそうな場所を補強するのも、自然を守る(元に戻す)という意味では、自然を守ると言えるかもしれません。 まぁ確かに、工事する側が「それが人の為でもあり、自然のためだ」と言うのは違和感があります。自然のためというのは単なる建前でしょう。適当に聞き流すか、「人の為の自然のため」とでも読み替えておけばいいでしょう。 >砂防工事は賛否どちらか。 自分は賛成です。「必要かどうか分からないが念のため」というレベルでも。 工事の為の工事は例外ですが。 >でも、そもそもそういう災害こそ、『自然』ではないのでしょうか。 >そういった危険も併せてこそ、『自然とともに暮らす』ということではないのでしょうか。 どんな動物でも、嵐になれば身を潜めます。 自然の脅威に対して、ただ耐えるしかないというのはともかく、対処できる能力があるのに対処しないというのは自然とは言えないと思います(動物が冬籠りのために食料を蓄えるのとかも、一種の「自然の脅威への対処」と言えるでしょう)。 対処した結果別の問題が起こることもあるでしょうが、対処すること自体は悪いことではないと思います。

tatapatank
質問者

お礼

ご返答、ありがとうございます。 やはりどうしても、『自然の為』というのには賛同できませんでした。 私なりの考えですが、今現在、このような砂防工事が必要になっているのも、 以前の人類が開拓のために森や山を切り開いてしまった結果ではないかと 思っています。その結果、山は急こう配になり、土砂崩れが起きやすくなり、 結果、その尻拭いのために砂防工事で末端を防いでいる…と感じています。 ひょっとしたら、人間が森や山を切り開くことをしなければ、土砂崩れだの 雪崩だのは、今ほどひどくは起こらなかったのではないかと。 刑事ドラマでもいうように、『一つの犯罪を隠すために、次の犯罪を犯す』 みたいな、いたちごっこの結果の様な気がしてなりません。 今行っている砂防工事も、手前では土砂や雪崩を防いでいるかもしれませんが、 その結果、もっと大きな災害の引き金になることのような気もしてなりません。 自分も仕事のため、本音とは別にとりかかっていますが、やはり何かひっかかる 思いを捨てられない毎日です。 貴重なご意見、ありがとうございました。

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