過去を後悔するのを止める考え方

このQ&Aのポイント
  • 過去に執着せずに今を生きることの重要性を知る
  • 自分の人生を過去の3つの時期に分けて捉える
  • 過去の経験を捨てて未来に向かって前向きに生きる
回答を見る
  • ベストアンサー

過去に執着し、過去を後悔するのを止める考え方

23歳、男です。 僕はこれまでの人生を 0歳 ~ 12歳 【第1の人生】 12歳 ~ 23歳と半年 【第2の人生】 23歳と半年 ~ それ以降 【第3の人生】 この様に、3つの人生に分けました。 そしてこの【第2の人生】を捨てることにして、自分の人生は【第1の人生】と【第3の人生】でできていると考えることにしました。 理由は、「過去への執着を手放し、過去を悔やむ必要性を無くすことで今に集中して生きる」ためです。 この視点でこれからの人生を生きて行くことに決めました。 そこで、以下にこの様な考えを持つに至った経緯を説明しますので、 それを読んだ上で皆さんのご意見やご感想などをお聞きできればと思います。 ************** 僕は中学の頃、部活でかなり陰湿なイジメに遭いました。 それが原因で中3の頃にノイローゼになり、以来今の今まで当時部活中に経験した辛いイジメやイジメをして来た加害達の記憶にずっと苦しめられてきたのです。 そのノイローゼが原因で、中学以来殆ど友人達と遊んで来ませんでしたし、青春を経験することもできませんでした。 何かに没頭することも、楽しいことに対して「楽しい!」という感動を抱くこともロクにできませんでした。 普通人が行動する時は、 [◯◯をしよう!と考える] ↓ [実際にそれを行なう] ↓ 結果が出る こういうプロセスを経ると思います。 要は [思考] ↓ [行動] ↓ [結果] という手順を辿るということですね。 例えば友達と遊びたいと思ったなら、 [◯◯と繁華街へ行って遊びたい!] ↓ [実際に街へ◯◯と行って遊ぶ] ↓ [結果、楽しい] この様なプロセスを経ますし、 例えば恋人とデートしたいと思うなら [◯◯とデートしよう!] ↓ [実際に◯◯とデートする] ↓ [結果、幸せ] この様な手順を踏むと思います。 しかしながら、上述したように僕はずっと当時の記憶や加害者達の記憶に苦しめられていたので、ほぼ常に、年がら年中 [当時の出来事や加害者達の記憶に苦しめられ、それ以外考えられない] ↓ [何も行動できない] ↓ [結果、ストレスや精神的苦痛だけが溜まる] この状態に陥っていたのです。 そもそもの[思考]の部分に問題があったので、[結果]は当然最悪なものになります。 こんなことを僕はノイローゼなってから8年以上、やり続けてきたのです。 中3から今までの人生は、言葉では到底言い表せないぐらい本当に本当に辛くて苦しいものでした。 ほんの最近まで、この様な人生を生きて来てしまったことをひたすら悔やみ、自分の人生を嘆いていました。 何度も何度も「自殺」を考えました。 「なんで俺はこんな生き方をする羽目になったのだろう・・・」 「別に俺は普通に生きられてもよかったのではないか・・・」 「常に毎日苦しみを感じ続け、やりたいことができない人生を若い貴重な時期に8年以上も過ごすなんて、なぜこんな運命だったんだ。。。」 こんなことをずっと考えていたんです。 結局自殺するのは恐くて出来なかったので今こうして質問している訳ですが、もし痛みを一切伴わずに一瞬で眠る様に死ねるボタンがあればすぐに押していたと断言できるぐらい、精神的に追いつめられていました。 でも最近になって新たな考えが見つかったんです。 それは、 「世の中日本だけでも1億人という人がいる。中には自分みたいな人生を生きてしまった人間もいるよね」 という、一種の開き直った考え方です。 「人は一杯いるんだから、中には自分みたいな奴がいてもおかしくないよね」 と考え、過去に対する執着を捨てるという視点です。 そしてその考え方・視点を持つと、 「自分のこれまでの人生を3つの時期に分けて、第2(上記参照)の人生はもう捨てよう。そして、第3の人生に焦点を当てて生きていこう」 このように、生き方に対する非常に建設的な考えが生まれました。 この考え方をすれば、人生をすごく前向きに捉えることができますし、過去を後悔するという愚行を止めることができるんです。 「自分の人生は、0歳から12歳と、そして23歳と半年以降で構成されている」 自分の人生をこう捉えることにより、ようやく僕は前を歩くことができるんです。 逆にこの考えを持たないと、これからもずっと中学以降今までの人生を悔やんで生きていかないといけなくなってしまいます。 そんなことをすれば、またこれからの人生も最悪なものになってしまう。。。 それを避ける為に、上述した考え方で気持ち新たに自分の人生を生きて行こうと誓いました。 以上が、冒頭でお話しした考えを持つに至った経緯です。 これを踏まえた上で、僕のこの新たな考えについて皆さんのご意見やご感想をお聞きできたらなと思います。 では、回答の方お待ちしております。

noname#196148
noname#196148

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • shut0325
  • ベストアンサー率40% (490/1207)
回答No.3

>この考え方をすれば、人生をすごく前向きに捉えることができますし、 あなたそう思うのならば、その方法でやってみるのがよいでしょう。 気になる点といえば、[思考]→[行動]→[結果] のパターン例です。 なぜ「楽しい」や「幸せ」というような「明るいよさそうな雰囲気」な結果しか書いてないのだろう、なぜ、結果までで終っているのだろうかと。 また、[思考]と[行動]の例も多少「??」と感じます。やや短絡的だなと。 あとは、前向きに生きるといっても、いいことばかりではないのは、過去も現在もさほど変わらないという事を覚えておいてもらいたいです。 思ったような結果を得られないこともあります。その時どうするか?  時として「あきらめる」という行動を選択する場合もあります。 それが必ずしも悪いこと・後ろ向きな行動とは言えません。 あまり、切り分け(物事をこれはこうだと決めつけること)すぎないようにしなやかな心持ちでいるのが良いかと思います。 最後に私見ですが、「第二期を除いて」ってめんどくさそうなので、「今より前」にした方が簡単で良いように思います。

その他の回答 (2)

回答No.2

 過去の自己否定は重要ですが、そのままでは、自己否定のまま生きていくことになり、自己分裂を起こします。(解離性の人の考え方ですね。必ず否定された自分が幽霊のように立ちはだかります。)新たに自分の人生を生きていくためには、自己否定した上で、自己肯定する必要があるといわれます。  No,1の方のいうように、12歳~23歳の自分をどう肯定するかですね。少なくても12歳までは自己肯定感があったからこそ、悩まないでうまくいっていたんだと思います。つらかった自分を捨てるのではなく、取り戻すことが重要です。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.1

これから明るく生きていこうという考えに賛成です。 私は66歳のおじさんです。 ただ、【第2の人生】を捨てる必要はありませんよ。 いずれ分かると思いますが、あなたの第1、第2そして第3の23年間の人生は現在のあなたそのものなのです。 第2の人生を捨てたい気持ちは分かりますが、第2の人生も現在のあなたの糧になっていることを忘れてはいけません。その時代の辛さが「弱いものいじめをしてはいけない」というあなたの正しい生き方の原泉になっているからです。 というのは、辛さは第2で終わってはいないのですよ。これからも職場やいろんなところでいじめなどはあるのです。そして、そんなことに負けてはいけません。負けないためにも【第2の人生】の経験で得た糧を活かしていくのです。 捨てるなどという消極的な考えではなく、23年間の経験の全てを堂々と次に活かしていってください。

関連するQ&A

  • 過去にいじめてきた人間を考える必要ありますか?

    中学時代に陰湿ないじめをして来た人間が数人います。 当時は彼らは事ある毎に私の事を潰そうと、排除しようとしてきました。 そんな人間達の存在を22歳の今でも考える必要あるでしょうか? 「奴らにブログを見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らにFacebook等のSNSで見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らに街であって、例えば恋人を連れている所を見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 この様な事って考える必要ありますか? 当時は虐められていたという不利な状況の為に、どうしてもそのいじめをしてきた加害者達の事を異常に気にかけて考えてしまっていました。 これ以上いじめられないようにとやたら彼らにビクビクしていたと思います。 それが今でも記憶に残っているのか、もう全く関係の無い今でも上述した「」内の様に無理に「繋がろう」として苦しんでしまいます。 もう当時の輩達は関係ない。 だからそんな人間達の事等一切考える事無く生活したいです。 そこで皆さんにお聞きしたいのが、 「もういじめは過去の事。その加害者も過去の人間。だからそいつらの事は一切考えなくても大丈夫。そいつらによって何か私の身に辛い事が起こる事等もうあり得ないから、考えなくたって問題は起こらない。そいつらの事を考えないとそいつらにいじめられてしまうという事等ない。」 と思えるようなアドバイスを頂けませんか? 切実に回答希望しております。 22歳 男

  • 過去を考える事を繰り返すのをやめるには?

    22歳の大学生です。 昔中学の時に陰湿ないじめにあった事があるのですが、自分は諸事情によりそれを高校そして今の今まで引きずって、毎日毎日何度もその当時の出来事やいじめの加害者達を考えて来てしまいました。 正直何度も「もうこんな事は止めよう。絶対止めよう」と思って明日からまた気持ち新たに生きて行こうとするのですが、例えばテレビや友達と話していて「高校では◯◯をした」「大学では◯◯して楽しんだ」みたいな話を聞く度に、「ああ。。。俺はそんな貴重な時間を当時のいじめを引きずったり、当時の人間を憎んで全く無駄に過ごしてたなぁ。。。」と考えてしまい、また当時の出来事やいじめの加害者を憎み、過去を後悔するという負のスパイラルに陥ってしまいます。 こんな事を今の今まで何度もしてきましたが、本当に止めたいのです。 どうすれば、過去のいじめやその加害者達を憎んで本当に無駄に過ごしてしまった高校や大学の時間を連想させるような言葉を、テレビや知人の話から見たり聞いたりした時に、負のスパイラルに陥らず、過去を振り返らず、どんな状況でも前向きに生きて行ける様になるでしょうか? 本当に本当に知りたいです。 でないと、私はこれからも常に中学のいじめや加害者達の事を考えてしまうでしょう。 もうこんな思考から離れたい。 どうか皆さん、何かこんな私にアドバイス等はありませんでしょうか?

  • 死を意識してしまうぐらい過去を後悔しています。

    もうすぐ24歳になる男です。 僕は中学の時にバスケ部でいじめに遭い、そこでは後にトラウマになるような様々な辛いことを経験しました。 例えば・・・ ・バスケなので体と体がぶつかるのは仕方ないのに、当たると「キモイ」「死ね」等の罵倒 ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒 ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスをしたら必要以上に責める ・聞こえるか聞こえないかのところから「キショイ」「死ね」「辞めろ」の悪口 ・僕がいない所で他の部員に僕にパスを回さないように命令 ・遠くからボールを当ててくる ・ランニングをしている時に、加害者達の1人を抜かそうとしたら尋常じゃなくキレられてグレられて、結果いじめがエスカレート。 ・所持品を取ろうとしてきたり、壊す この様な、本当に精神的に辛い経験をしました。 これ以外にも、下級生に横柄な態度を取られたり、上級生に意味も無く暴力を振るわれたこともありました。 この経験によって、 ・積極的に挑戦することができなくなった ・失敗することは、「絶対にやってはいけない悪いこと」で、失敗する可能性があるのなら、そもそも挑戦しない方がいいと思うようになった。 ・人の目を異常なぐらい気にするようになった 他にもまだ沢山ありますが、こんなトラウマを持つようになってしまったんですね。 結果的に、中学時代という思春期に、それも2年半もの長い間精神的に苦しめられたことによって、15歳の時にノイローゼみたいな状態になってしまったんです。 強迫観念が常に頭の中に湧き続けて、かなり行動が制限されてしまうようになってしまいました。 こちらのサイト↓ http://kyou89.fc2web.com/sei/o_PTSD.htm (「症状」の項目と「トラウマへの対応」を参照) や、こちらのサイト↓ http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/method/trauma005.html をご覧頂くと、その症状がよく伝わると思います。 中3のある日にノイローゼに掛かって以来、もう何をやっても当時のいじめの加害者達が頭から離れなくなってしまったのです。 ・授業を受けている最中も ・テレビを見ている時も ・読書をしている時も。 ・楽しいゲームをしている時も ・映画を見ている時も。 ・音楽を聴いている時も。 ・勉強したくてやっている勉強中も ・高校の受験中でさえも もう何をしていても。。。 例えば、学生時代なら普通は友達と街へ遊びに行ったり、恋人を作って恋愛しようとするでしょう。 ですが僕は、 「街へ行くとあいつらに遭うかもな…そしたら馬鹿にされるかも・・・じゃあ行くのを止めよう」 「彼女作って街で遊んでいる所を見られたら何か言われるかもしれない…そしたら馬鹿にされるかも・・・じゃあ作るのやめよう」 みたいな不安を強烈に感じていたので、結局家で1人縮こまるという選択肢しか取れなかったのです。 要は、過剰なまでの警戒をしていました。 トラウマによって防衛本能が働いたのでしょう。 他にも、例えば家で音楽を聞いたり、どこかライブを見に行ったりした時は、 「この曲をもしあいつらも聞いていたらどうしよう・・・」 「このライブ会場にあいつらもいないかな・・・」 みたいなことを考えることもありました。 さらには、「やりたい!」と思ってする勉強や、大好きな趣味をしている最中でさえも、 当時の加害者達のことが頭から離れなくなってしまったのです。 結果的に、パフォーマンスの質が劇的に下がり、ほとんど何も身に付かないというのが当たり前になってしまったのです。 要は、 「何をやっても考えたくないことが病的に頭に浮かび(強迫観念)、思考が阻害され、結果的に行動がかなり制限される」 という状況に陥ってしまったのです。 もう確実に心の病気です。 強迫性障害です。 本来ならば、中学3年生の時点でカウンセリングなりを受け、徹底的に治療すべきでした。 しかし、愚かなことに、僕は自分が病気であると知らないままここ最近まで生きてきてしまったんですね。 なので、15歳から最近までの約9年間、僕はずっと、ひたすら毎日苦しんで生きる羽目になりました。 一般的に、だいたいの人が経験する ・友達と遊び青春すること ・恋愛すること ・趣味や勉強に没頭すること ・気持ちよく毎日寝ること などを、「一切」経験することのないまま、9年間過ごしてしまいました。 これら全てを「放棄」せざるを得ない状態になってしまっていたのです。 単純に友達を作る能力、そして彼女を作る能力がなかったのであれば、それはもう仕方ありません。 しかし僕は、上述したような強迫観念が原因で、そもそもそういう行為を行う概念を放棄せざるを得なかったのです。 趣味に没頭したり、気持ちよく毎日寝たりすることなんて、普通は誰でも出来ます。 それすらも、僕はここ9年間一度たりともできたことはありません。 つまり、僕はこの病気が原因で、15歳から24歳までの間、 本来ならば経験できた幸せを全く感じることができずに生きてしまいました。 しかも、この様な楽しみを経験できなかっただけでなく、常に考えたくない嫌なことが頭の中を支配していたので、15歳から今ままで"常に"精神的苦痛を感じ続けていたのです。 少し極端な例えになりますが、この9年間は、 「15歳の時にどこかに監禁され、24歳間近までずっとそこに閉じ込められていた。 その間、ただただ恐怖に怯えて苦しんでいた」 というのが、僕のこれまでの人生を表すのに適切な表現だと感じます。 それぐらいの人生を生きてきてしまったのです。 宗教などに洗脳され、だんだんと行動が制限されて自分本来の生き方ができなくなってしまった人っていますよね。 まさにそれと似たような感じでしょうか。 ハタから見たら、もうはっきり言ってバカです。 「お前、何やってんの?」レベルです。 しかし、僕は見事にそれをやってきてしまった。。。 僕は今後、カウンセリングの専門家の所へ行き、治療を始める予定です。 かなり遅れてしまいましたが、これから治してまた毎日健全な思考で生きて行けるようになりたいと感じています。 それはそれで良いのですが・・・。 僕はこの9年間の全てを、尋常じゃないぐらい後悔しているんです。 1人でただ苦しみ、部屋で縮こまり、やりたいことのほぼ全てができず、時間をただ垂れ流してきたこれまでの人生を・・・ 他の大多数の人が、普通は経験してることを、この病気が原因で一切できなかったことを・・・ その瞬間その瞬間、考えたくない観念に囚われて自分の人生を生きれなかったことを・・・ この9年間を、僕は後悔しても仕切れない。 そして、 「考えたくない人間達のことを考えて1人苦しみ、貴重な人生の、それも9年間という時間のほとんどを無駄にした」 という過去を今後も背負って生きて行かなくてはならないという現実にも、正直絶望しています。 (過去を背負うと言っても、別に犯罪等を犯した訳ではありませんが・・・) 楽しそうに青春している高校生を見たら・・・ サークルに恋愛に充実してる大学生を見たら・・・ 「俺はあの子らみたいな時、今と変わらずずっと苦しんでいたなぁ・・・」 と死ぬまで感じることになるかもしれないのが、非常に辛い。。。 本音を言うと、もう自殺したい気にもなってしまうぐらい、自分のこれまでの人生を、過去を後悔しています。 これほどまでに悔しく思ってしまうのも、人生というのは15歳ぐらいから20代前半に何をしたかでそれ以降の人生が大きく決定されるからなんだと思います。 例えばですが、 アナウンサーになりたいなら。。。 アイドルになりたいなら。。。 野球選手になりたいなら。。。 確実にその期間にすべきことをしないと、(ほぼ間違いなく)なることはできません。 人は一般的に、15歳ぐらいから24歳ぐらいまでの間どう生きるかで人格が形成されます。 そしてその間にスキルを磨き自分を成長させ、将来に備えるのです。 これはスポーツの世界でも芸事の世界でも何でも、種類は問わず言えることです。 その間にしか経験できず、その期間を逃すと一生経験することができない楽しみもたくさんあります。 こんな貴重な期間を失ったからこそ、僕は死を意識してしまうぐらい過去を後悔してしまうんだと思います。 そこで皆さんに質問です。 皆さんが仮に僕のような人生を生きてしまったとしたら、24歳の時に「自殺する」という選択を取りますか? もし答えが「それでも自殺しない」なら、どういう考え方で今までの人生を割り切り、過去を後悔しないということができるのでしょうか? その具体的な考え方をお聞きできたら、今後の糧にできるので非常に助かります。 質問文が長く、しかも読みにくかったと思います。 申し訳ありません。 では、是非とも多くの方から回答を頂けたらなと思います。

  • もう過去を後悔するのを止めたい・・・。

    22歳の者です。 昔いじめられた過去をずっと後悔してきましたが、もういい加減その後悔という呪縛から解放されたいです。 いじめられたのは中学の時で、中学でとある団体球技の部活に入ったせいで私のいままでの人生がかなり狂ってしまいました。 当時は同級生からの絶え間ない陰湿ないじめによってもの凄く精神的に傷つき心がかなり弱くなり、それによってずっとやりたかったそのスポーツにもトラウマが出来てしまいました。 上級生にはボールをぶつけて来たり、意味も無く暴力を振るってくる人がいて、心だけでなく体も傷つきました。 そしてさらに酷い事に、その同級生の行為を見ていた下級生数名にもとても横柄な、屈辱的な態度をとられたりしていて、もうとにかく当時は地獄でした。 普通ならもう止めれば済む話ですが、馬鹿だった私は引退まで在籍してしまいました。 しかし、悲劇はこれで終らなかったのです。 そのいじめてきた同級生数名が自分が行く予定の高校に来る事が判明したのです。 8月位だったでしょうか。 普通なら友達と遊びまくっている時だと思いますが、私はまた来るであろう地獄の生活へのカウントダウンが始まっていたので毎日頭を抱えながら過ごさざるを得ませんでした。 その間私は何も遊んだりしておらず、ただ1人家で苦しんでいたのです。 そんな時を経て高校へ入学したのですが、私はその同級生達をずっと避けていたので何かされるという事は結局の所無かったですが、正直毎日ずっと肩身の狭い毎日を過ごす羽目になりました。 中学同様高校に思い出等全くありません。 時は経て大学へ入学したのですが、中学以来ちゃんと人と関わって来なかった為どうしても周りの環境に馴染めず、今の今までバイト以外は家でボーっとテレビを見る毎日を過ごして来ました。 もう気付いたら22歳です。 本当に、自分は何の為に生まれ生きて来たのだろう。。。 ここ2年程は毎日そんなことを考えて生きて来ました。 中学の時に部活にさえ入らなければ。。。。 違う高校へ行っていれば。。。。 いじめられた事7年間もを引きずらなければ。。。 引きずらずに、やりたい事をやっていれば、今もっと違う自分がいるだろうに。。。。 こんな事を何万回と考えてきました。 しかし、2年近く毎日馬鹿みたいに考えた結果、生まれたのは何もありませんでした。 ただ時間が流れただけです。 もう何百回と死のうと考えました。 こんな事をしていてもなんにもならない。 そこで最近私は最終手段を考えました。 それは、大学を卒業するまでの残りあと半年間は、全く過去の事を後悔せずに生きてみるという事です。 今までと同じ事をやってても、絶対結果は今までと同じだから、思い切って後悔しないで生きる生活というのを生きてみようと思いました。 それで半年間やって何か変わったら、それは素晴らしいですからその勢いに乗って将来生きて行きます。 もし変わらなかったら(変えようと努力するので変わらない事は無いと思いますが)、その時は本気でこの世から消えて無くなるでしょう。 前置きが非常に長くなりました。 大変申し訳ありません。 皆様に質問ですが、この「卒業までの半年間全く過去の事を後悔せずに生きてみる」というこの策を皆様はどう思いますか? 自分で決めた事ですが、なにしろもう7年以上繰り返して来た思考と違う考えなので、どうしても第三者の意見を聞かずにはいられません。 皆様の回答をお待ちしております。

  • 過去に執着してしまう…

    何年も前の嫌な出来事や嫌いな人のことを忘れられないんです。 よく思い出して嫌な気分になります。 ほぼ毎日です。 思い出したくないのに思い出して悔しい気分になります。 ある意味過去に執着しているのかもしれません… どういう出来事かというと中学時代の出来事です。 当時の人間関係の悩みです。 嫌がらせをよくされていた、友人がいなく孤独な学生生活だった、高校受験へのストレスなどです。 卒業式にポツンとなってしまったのも嫌な思い出です。 当時の同級生ともつきあいは卒業以降ないし、会うこともほとんどないのに気になります。 同級生たちは自分のことを忘れていると思います。 中学時代のもの、卒アル当時使っていたものを処分しましたがすっきりしません。 何年も嫌な思いが心につっかえております。 成人式が来年ありますがかなり行きづらいです。 どうすれば何年も前の過去に執着してしまう、嫌な人物などを思い出してしまい精神的に気分が悪くなるのをやめれますか? 今も友人は多くないです。 昔と同じような人間関係です。 だからよけいに思い出すのかもしれません

  • いじめのトラウマで苦しんだ日々を後悔しない為に・・

    23歳、男です。 僕は中学時代部活動でかなり陰湿ないじめを受けたことがあります。 部活動中はそのいじめの加害者達の顔色を伺いながら、ずっとビクビクしていました。 当時は本当に精神的に辛かった。。。 その時は下手すりゃ自殺してもいいくらい嫌な思いをしていたので、 今思い返すと何故当時部活を辞めなかったのかが理解できません。 結局、無理して続けたせいで、 「いじめられないかな・・・悪口言われないかな・・・」 みたいなことをすぐ考えてしまうトラウマができてしまいました。 以降高校3年間と大学の数年結局そのトラウマに苦しめられて、満足に毎日を楽しむことができなかったんです。 特に高校3年間は運悪くいじめの加害者数名が僕と同じ高校にいたので、とりわけそのトラウマに苦しんでいました。 要は、中学を卒業した後もいじめを受けていた時の記憶を引っ張り出して苦しんでいたんです。 「今俺の目の前にいる人も、中学の奴らみたいにいじめたりして来ないかな・・・?」 こんなことを思っては、よく辛い気持ちになったものでした。 そんな時を経て今23歳になった訳ですが、 トラウマのせいで残念ながら楽しめなかった青春時代を今も時々悔やんでしまうんです。 中学時代陰湿ないじめの行為をしてくる奴に出会わなければ、 トラウマを抱えることになった可能性はかなり少なかったと思います。 あんな奴らと出会わなければ・・・ トラウマがない青春時代を過ごせていたら・・・ もっと違う世界が待っていただろうに・・・ こんな風に考えて、中学時代その嫌な奴らに出会ったこと、トラウマを抱えてしまったこと、そして学生時代を楽しめなかったことを後悔してしまうことがよくありました。 今は前ほど後悔したりしないですが、でも時折悔しくなります。 なんでもっと楽しめる人生を歩んで来なかったんだろう? なんでもっと精神的に苦しく無い人生を歩めなかったんだろう? こんな感情を抱く時が未だにあります。 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。 トラウマで望む毎日を送れなかった学生時代を過ごした訳ですが、 もうそんな過去のことは後悔したくないんです。 当時のことを後悔すると、今度は貴重な「今」を無駄に過ごしてしまう。 なので、もう過去のことは「過去のこと」として割り切りたい。 そこで僕は、 「中学時代部活を辞めていたら余計なトラウマなど抱える必要なんてなかったのに、辞めなかったのは自分の頭が悪かったのだから、もう仕方無い、割り切って忘れよう」 「少なからず自分は精神的に弱かった。 そして言葉をあまり知らず言い返す力もなかった。 他の人だったらそんないじめを受けてもすぐ切り替えて、楽しめる方法を探したかもしれない。でも自分はそれができなかったのは、頭が悪かったからだ。 だからもう忘れよう」 こんな風に「原因を自分にも見る」ことによって、もう割り切って忘れようと思います。 確かに当時部活でやられたことは本当に許しがたいことでした。 どうあがいても許せません。 でもそう思っているといつまでたってもそんな昔の人間を「憎む・恨む」ことしかできないのです。 それによってまた「今」の貴重な時間を無駄にすることしかできないのです。 ですが、今述べた2点のように考えることによって、もう「割り切って忘れる、または気にしない」ということができるので、僕は「今」、そして「これから」だけに意識して生きて行くことができます。 「あいつらがいなければ・・・」 「あの時もっと違う環境にいれば・・・」 みたいなことを考えなくなり、僕はこれからの人生を生きることにフォーカスできる。 そこで皆さんに質問ですが、僕のこの「トラウマで苦しんだ日々を後悔しないための考え方」について、どう思いますか? 僕は自分で出したこの答えが、今の自分にとってベストな解決策だと思っています。 精神衛生的に見て、一番僕の現状に適しているのではないかと感じてます。 ただ、第三者の人の客観的な意見もお聞きしたくて今回質問させて頂きました。 もしよろしければ回答して頂けたらと思います。

  • 過去への執着…?

    過去に出会った人を思い返しながら、「あの人今思えばよかったな、今後仲良くなるチャンスないかな、恋人だったらどうかなぁ?」みたいに考えてしまうのは、やっぱり過去にしがみついているように見えますか? 少し言い訳がましいですが、コロナで出会いにくい上に、いろんなトラウマもあってか新しい出会いにビビってる自分がいます。 これを正当化するかの如く、「あの人◯◯なところよかったよね、やっぱり気になる?」などと、記憶を美化してるかもしれません。 やっぱり過去から探すよりも、これからの未来に期待?!する方がいいんでしょうか?なんだか漠然とした質問ですみません。

  • 断ること=恐怖ではないですよね?

    20代前半の者です。 昔過去にいじめに遭っていた事があるのですが、その当時イジメの加害者に何か頼まれた時、断るとさらに酷い嫌がらせをされて非常に嫌な思いをした事があります。 それ以降「断る事=いじめや嫌がらせに繋がる恐怖」として記憶されたのかずっと何か断ろうとする度に「嫌がらせをされたりしないだろうか・・・」「いじめみたいな事をされないだろうか・・・」と考えて来ました。 しかし、これって本当にそうでしょうか? 当時はたまたまイジメをしてくるような陰湿な輩だったから断ったら嫌がらせをしてきましたが、普通の人はきちんと頼みを受け入れる事が出来ない理由を示せば理解してくれるはず。 しかももう今自分を取り巻く人達も皆大人達ばかり。 だからちょっと断られたぐらいで嫌がらせの様ないじめする人は明らかに間違っている。 よって自分はこれから「断る事」を「いじめや嫌がらせに繋がる恐怖」と思わなくていいと最近やっと思える様になったのです、この考えについて皆さんはどう思いますか? 具体的な理由を添えて答えて頂けるとありがたいです。

  • 自分が努力出来るのはいじめの加害者のおかげ?

    昔、中学時代部活で陰湿ないじめを数人の部員にされていました。 辞めずに引退まで続けたのですが、当時は本当に酷く今思い返してもなんで辞めなかったんだろうと思える様な劣悪な状況でした。 その当時はなんとかいじめの加害者達の自分に対するいじめをやめてもらいたいという思いから、必死に頑張って努力している姿を見せ、そんな劣悪な環境でも一生懸命振る舞っていましたが、結局当時の加害者達はそうやって努力している事を知っているにも関わらずその努力を笑って馬鹿にしたり、認めつつもいじめの行為をし続けて来るというような最低な人間達でした。 今当時からもう何年も経つのですが、今は自分は自分でもそう思いますし周りからも「努力家だね」と言われます。 何故自分が今努力できるのかなと考えた時に、その中学時代にそんな劣悪な環境でも1人コツコツ頑張れたのが今に生きているのかなと思うのですが、これっていじめてきた加害者のおかげなのでしょうか? 確かに自分は部活に入るまでは何かを一生懸命頑張った事は無く、それまで自分が頑張れる人間だとも知りませんでした。 それを知れたのは中学の部活だったかもしれません。 ただ、決していじめの加害者が私をいじめたから頑張れたのでは無く、当時の自分がたまたまその加害者達に頑張っている所を見せて認めさせていじめられていた状況を打開したいと思ったから頑張ろうとしたのであって、当時いくらでも逃げたり辞めたりする事が出来たのに、それをせず頑張る事を選んだもともと自分のコツコツ出来る性格により努力出来る人間になれたのだと思うのです。 きっかけはいじめだったかもしれませんが、いじめがなかっても努力出来るようになっていて、もしかするともっともっと努力していたかもしれません。 よって、自分は決して当時のいじめの加害者がいたから頑張れる様になったのではなく、「もともと備わっていた能力が現れた」に過ぎないので、絶対に今頑張れるのを当時いじめて来た人間のおかげだと思いたくありません。 そこで皆様に質問ですが、上述の質問を読んで私は今努力出来るのを「加害者のおかげ」と思いますか? それともきっかけはなんであれ「そもそもあって自分の性格が現れただけなので、決して加害者のおかげではない」この様に思われますか? どうしても当時精神的苦しめて来た加害者のおかげなどと思いたくありません。。。。 なので他の人はどう思うのか気になったので今回質問させて頂きました。 回答お待ちしております。

  • 過去の後悔

    昔傷つけてしまった人のことで悩んでます。 中学の時リーダー格の気に食わない行動をして目をつけられ、数人に陰口や威圧感な行動をされました。 当時は真面目・大人しい・気が弱い性格で外見もださくかっこうの標的。 クラスには友達は一人だけで、余計にその子の負担になったと思います。 新しく友達を作ろうにもすでにグループができあがっていて、嫌がられたりするのが怖くて、その子しか頼れませんでした。 前から一緒に行動していたので、いじめ後は私と一緒にいることで不快な思いをさせたでしょう。その子も大人しかったのでなにも言えず・・・ 知らないところでも私のとばっちりを受けていたかもしれません。 しばらくして休み明けくらいにその子が来なくなり、私は頼れる人がいなくなりました。一人が怖くて学校に来てほしくて、手紙を出しましたが返事はない。 そのまま一人で耐え続け、やがていじめはやみました。 三年は何事もなく過ごしました。 そして私はその子を責めてしまいました。 なぜ来なくなったかを聞いてもなんとなくと言われ、返事はスルーされ・・・。裏切られた気分で勝手に腹をたててのことでした。 その子の気持ちを考えもせず最低でした。 理不尽(傲慢)な理由のいじめでいまだ引きずっていますが私にも嫌なところや言い返せなかったのもあり、いじめられても仕方なかったかもしれません・・・。 そしてある点について私の責任なのではないかと悩み、質問させていただきました。 責めたことは当然私に非があるのでここでは省きます。 気になるのはいじめのとばっちりのせいで不登校になったのではないかと。そのせいでその子の人生に悪い影響を及ぼしたかもしれないという罪悪感です。 私の行動が原因で巻き込まれたので恨まれてるかもしれないと・・・。 もしみなさんがその子の立場ならどう思いますか。 これは私の責任なんでしょうか・・・。 聞いた話だと定時制に進み現在は働いてるとのことです。 私は大学までいき無事就職し結婚しました。だから余計に罪悪感を感じるのでしょうか。 いじめられた自分が惨めで当時の知り合いや親には恐らくいじめは知られているでしょうが相談できません。