- 締切済み
あなたの一番の思い出の甲子園準優勝投手は誰ですか?
理由やエピソード等もお願いします。(高等学校野球大会、旧中等学校野球大会についてです) 敗れてまた印象に残るような投手など。
- popoumauma
- お礼率85% (41/48)
- 野球
- 回答数3
- ありがとう数1
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8861)
私の祖父は、 よく、 1934年の準優勝投手熊本工業の川上哲治さんのこと、語り、 まさかプロで野手に回って打撃の神様となるとは思わなかったと言ってました。 (巨人入団後、投手で四番打者\(^^;)なんて試合もあったそうですが この時の、優勝校 呉港中の投手は後のミスター・タイガース藤村富美男さんというから すごい対決ですね。 、 私が見たものでは 2006年 8月21日 37年ぶりの決勝戦引き分け再試合(延長15回) 準優勝投手 駒大苫小牧の 田中将大君。最後まで投げ切った上に、 最後の打者となり、ドラマチックに盛り上げてくれました。 思えば、一年は、ベンチ入りメンバーに選ばれず、観客席で声援、 二年は、初めて優勝旗を、白河の関も津軽海峡も超え、北海道へ 持ってきた優勝投手。 昨年の大活躍は、伊達じゃないですね。
- tpg0
- ベストアンサー率31% (3785/11964)
こんにちは。 私は、青森県三沢高校の「太田幸司」投手ですね。 私が高校卒業した年ですから、1969年の甲子園決勝だったと記憶してますが、延長18回まで彼1人で投げ抜いて0対0の引き分けでした。 しかし、再試合も彼1人で投げ抜いて残念ながら負け投手になってしまいましたが、弱音を吐かない根性のある男だと感銘しました。 確か、ハーフだったと記憶してますが、今でいうイケメンの顔立ちでしたね。 その後、近鉄だったと思いますけどプロ野球の投手としても活躍したようですが、私はプロ野球には興味がないので、彼のプロ野球での活躍振りは知りません。 でも、私より1学年下の太田幸司投手は、私には頑張り抜いた根性のあるヤツだったと今でも印象に残っています。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1177/3515)
1978年、今から37年前になりますが横浜高校の愛甲猛、早稲田実業の荒木大輔が繰り広げた熱戦は日本中を熱狂させました。優勝は愛甲猛でしたが、負けた荒木大輔も絶大な人気がありました。 どちらもプロ野球選手としては成功したとは言えないのもまたドラマと考えさせるものがありました。
関連するQ&A
- 甲子園投手の才能
こんにちは。最近、春の甲子園がテレビ中継されてますよね。あれを見て思ったのですが甲子園投手の平均球速って125km位ですよね(野球雑誌にも載ってました)。MAX115kmの投手もいれば140km近く投げて「大会屈指の好投手」と呼ばれる投手もいますよね。この前負けたどこかの高校の高井という174cmのサウスポー投手は140km投げてすごい評判を受けてましたね。すごくつまらない質問なのですが、みなさんは「投手の速球を投げる才能の境界線」は何キロだと思いますか?僕の聞いた話だとどこかの大学の運動生理学の研究をしている人によれば、ごく一般的な日本人男性の筋肉で100kmを投げるのはかなり難しいそうです。高校生の投手って全国の全員を合わせたらものすごい数いると思うんですよ~。投手になる時点である程度速い球が投げられるから投手になっているはずですよね。「ある程度速い球が投げられる人の中で県で数百校ある高校の中の頂点にたち甲子園に出場した高校のエース」この時点でもう努力だけではどうにもならない才能を生まれつき持っていると思うのです。だとしたら「才能がある」といえるのは甲子園投手平均の125km? なにかしら「投手は才能」という言葉を耳にするので気になってしまいました。 みなさんはどう思いますか?
- ベストアンサー
- 野球
- 甲子園の投手たちが使っているグローブが妙に新しいのはなぜ?
夏の甲子園が終わりました。テレビを見ていて気になったのですが、多くのチームの投手が妙に新しいグローブを使っているようでした。ずいぶん前になりますが、甲子園出場が決まると、各メーカーがこぞって野球具を寄付してくれると聞いたことがあります。自社の商品を使っている姿がテレビに映れば、宣伝になるからです。草野球ではあっても野球をしている感覚で考えると、グローブが手になじむには結構長い時間がかかるような気ががします。もし、投手たちが(野手はよく見えないので分かりませんが)甲子園出場決定後にメーカーから提供されたグローブを使っているのだとしたら、使わざるをえない何らかの理由があるのでしょうか。どうも気になってしまって……。
- 締切済み
- その他(趣味・娯楽・エンターテイメント)
- 甲子園 「 想い出の名場面 」
いつもお世話になっております。 今年も全国高校野球選手権大会の地方予選が始まりましたが、これまでにも、甲子園で様々な 「 筋書きのないドラマ 」 が繰り広げられてきましたね。 私が印象に残っているのが、10年ほど前、バイトから帰って来てTVをつけると、「 山陽( 広島 ) - 葛生( 栃木 ) 」 の試合をやっていて、葛生が3点リード(だったかな?)で9回裏の山陽の攻撃 ・ ・ しかも丁度2アウトで走者なしという場面でした ・ ・ ・。しかし、そこから山陽が猛攻を見せ、大逆転サヨナラ勝ちした試合でした。 皆様が今までに高校野球を見てきた中で、印象に残っている試合や、感動した試合などが、ございましたら、 どうぞ御紹介よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 野球
- 最近の高校球児(投手)は、どうしてそんなに速いのでしょうか?
今年の夏の高校野球(甲子園大会)をテレビで見て思ったことがあります。 昔は、140キロ以上の球を投げる投手というのは稀でした。数人はいたように思いますが、珍しかったように思います。昔と言うのは、たとえば、桑田(PL)や清原(PL)が活躍した頃です。 140キロ以上投げる投手もいましたが、そんな人は少なく、そのような人はプロのスカウトに注目される人だったと思います。 ここからが質問ですが、今は、140キロ以上のボールを投げる投手は珍しくなくなったと思います。今年の甲子園大会を見てると、半分くらいの高校の投手が140キロくらい投げていたと思います。 控えの投手でも140キロ以上投げるチームも珍しくありませんでした。 昔と違って、今は速い球を投げる特別なトレーニングか何かあるのでしょうか?筋トレなどは、昔からあったように思うので、何か他に理由があるのでしょうか? 速い球を投げる投手が多くなったのは、約10年ほど前から徐々に増え始めた印象があります。
- ベストアンサー
- 野球
- 投手は9番目の「打者」
先日、プロ野球の歴代の有名選手の成績を紹介するサイトを発見いたしまして、その中には投手として名を馳せた選手たちの打撃成績も紹介されてました。中には1シーズンに10以上盗塁したり、300以上打席に立ち、野手顔負けの打撃成績を残している投手もいます。昔は選手の数が全体的に少なかったのでしょうか、そういう“マルチプレーヤー”が結構いたみたいです。 私がプロ野球を見始めてからというのは、投手がHRを打つシーンは目撃した事がありますが、“投手の盗塁”というのは見た記憶がありません、また投手が代打・代走で出るケースは、延長戦で野手を使い果たした時にタマにあった様な気がします。 最近は投手が打席に立った時(特に大量点差の時)「最初から打つ気がない」様に見える場合が多い様に思うのは私だけでしょうか?また投手が盗塁しないのは、スライディングで怪我してしまっては・・という考えからなのでしょうか?“する側”(させる側)と“見る側”とでは考え方が違ってくるとは思うのですが・・・。 高校時代は「エースで4番」だった選手が結構いると思います。また足の速い投手も多いと思います。投手の打撃・走塁が試合を大きく左右するケースも多々あると思うのです。 皆様は投手には「9番目の“打者”」として全力プレーして欲しいと思っておられるでしょうか?それともシーズン全体の事を考えると無理して欲しくないと思っておられるでしょうか?どうぞ御意見よろしくお願いいたします。 また、タイトルでは「9番目の打者」としているのですが、私がプロ野球を見始めてから、何度か投手が「8番」でスタメン登録されたケース(偵察要因ではない。すなわち他の野手が「9番」)があった様な気がしますが、それは“攻撃面”で、どの様なメリットがあるかをご存知の方がいらっしゃいましたら、そちらも教えて下されれば幸いです。
- ベストアンサー
- 野球
- 夏の高校野球 第一回大会について詳しく知りたい!
夏の高校野球 第一回大会について詳しく知りたい! 大正4年に始まった当時は、中等野球と呼ばれていたそうです。 高校野球の本をいろいろ読んだのですが、第1回大会については あまり詳しく書いてありませんでした。 できれば、各地の予選大会の状況や本大会でのエピソードなども 含めて、できるだけ詳しく書いてある書籍やホームページなどを 教えてください。
- 締切済み
- 野球
お礼
荒木さんいいですねえ。最初が準優勝で。ずっと無失点できて、あのマスク。「二代目甲子園のアイドル」(初代は太田幸司さん)。厳密にいうと「甲子園のアイドル」はこの二人だけだと思いますが。当時、早実は東東京。強豪チームも多く、数も多い東東京から5季連続甲子園出場(学制改革後では最多タイ)。勿論、荒木さんだけの力ではありませんが。小沢さんや上福元さん、板倉さんなどもいましたね。 プロ選手としては期待が大きかったから成功したように思えないのかもしれませんが、愛甲さんも打者として活躍し当時のロッテのチームリーダーに。荒木さんは途中故障もありましたが、ピッチング技術の素晴らしさは光るものがありました。さすがは調布リトルシニア出身(当時の名門チーム)。