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臨死体験によりプラス方向に大きく人格変容する訳

臨死体験が幻覚ではないと考えられる理由の一つに、体験者が恒常的にプラス方向に大きく意識変化を起こすことが多くみられることが挙げられます。 それは複数の研究者によって報告されています。例えば、アメリカのアトウォーター氏の700人の体験者へのインタビューによると、大きな変化が生じた人は60%、以前と同じ生活は不可能なほど大きな変化が生じた人は19パーセント、合計すると8割もの人が人生と意識を激変させています。しかも、不幸や失望、うつなどマイナス変化に陥るではなく、前向きな人格上の変化が起こるのです。 こういう臨死体験の現象をただの脳の幻覚だと主張するには、どういう理屈立てが必要ですか?

  • jjojoe
  • お礼率98% (1282/1299)

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.1

>こういう臨死体験の現象をただの脳の幻覚だと主張するには、どういう理屈立てが必要ですか? ということですが、 >臨死体験が幻覚ではないと考えられる理由の一つに、体験者が恒常的にプラス方向に大きく意識変化を起こすことが多くみられることが挙げられます。 とおっしゃられているわけですよね。 もし「体験者が恒常的にプラス方向に大きく意識変化を起こすから幻覚ではない」というのであれば、いわゆる「枕元に神様(とかイエス様とかお釈迦様とか天使様)が立って神の啓示を受けてプラス方向に大きく意識変化を起こした」という神秘体験も「幻覚ではない」となるはずですよね。 となると、かような神秘体験が存在することが偉大なる存在を証明することになる、ということになります。敬虔なクリスチャンである私の友人は、ある日教会でお祈りをしていたら「天国を見せてもらった」という神秘体験をしたそうです。その天国のあまりの素晴らしさに彼の信仰は揺るぎないものになったそうですが、彼がかように信仰と人生に恒久的にプラス方向に意識変化を起こしたことが天国の存在を証明するのかといわれたら、まぁ「そうですね」とはいえないでございましょ? これを踏まえた上で、つまり、プラス方向に意識変化を起こしたからそれは幻覚ではないとする主張は根拠が薄弱である、とした上で、人間は夢を見る生き物だから、死に際に夢を見てそれが臨死体験と感じたのだろう、とすればその臨死体験は脳の幻覚(夢)であると主張することはできると思います。 ただし、質問者さんが「神は存在する。当たり前だ。その神秘体験も神の存在を証明するものだ」とおっしゃるのであれば、私の論理は露ほども質問者さんを説得できなくはなります。

jjojoe
質問者

お礼

丁寧に回答していただき、感謝いたします。 とても参考になるご意見ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

相変わらず論理展開が頓珍漢。 幻覚なら意識がプラス方向に変化する筈が無いってのはどんな理屈? これは前向きな変化に限定されるわけでしょうか。 つまり、マイナスの変化なら幻覚、プラスなら違うと。 全く意味不明です。 >臨死体験が幻覚ではないと考えられる理由の一つに、体験者が恒常的にプラス方向に大きく意識変化を起こすことが多くみられることが挙げられます。 どこの誰がそんな事を言ってるのか、教えてほしいです。

jjojoe
質問者

お礼

ご意見、ご指摘ありがとうございます。 臨死体験の諸書籍を読んでみました。

  • BC81
  • ベストアンサー率25% (687/2674)
回答No.2

ただの幻覚によって人生前向きになってはいけない理由でもあるんでしょうか?

jjojoe
質問者

お礼

良いご意見ありがとうございます。

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