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煩悩

煩悩に忠実と言う意味は? 煩悩は人の108ある欲だと解りましたが、煩悩に忠実の意味が調べても解りません・・・。 欲のままに生きているという意味ですか??

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.4

NO.2 です。 迅速な補足をありがとうございました。 >青の祓魔師ってアニメで志摩が勝呂に「坊は煩悩に忠実に生きてる」っていってました 提示いただいた固有名詞は私にはなじみのないものですが、少なくともそう表現された人間が「坊」であり、表現者が第三者と話している中で言われたことだということが分かります。 煩悩というのは人間の様々な悩みのことで、その悩みそのものは精神の葛藤なのですから、そういった混乱に忠実に生きるという表現は、本来意味をなさないわけです。 ここで煩悩はなぜおきるかということに着目して、それは人間の様々な欲望や災い、病気やいさかいなどに対して世間体とか神への義務などで板ばさみになってうまく生活が出来ない、肉体的、精神的に苦しいけれど解決できないところで発生する状況なのでしょう。 そういった状況に忠実に生きるというのは、具体的にはどういうことなのか?そういったことに逆らわず、しっかり来るしhんで過ごす、忠実ということですから、少なくともそれらから逃避したりごまかして過ごすということではないわけです。本来煩悩とは人間に課せられた様々な試練に対して正面から向き合うところから起きる極めて誠実なこころの働きなのです。 他の人たちの解釈のように、煩悩を単に肉体的な欲望と同義において、それに忠実に生きる、つまり欲望のままに野放図に生きるという解釈は私見ではどうも疑問です。それは煩悩という言葉を恣意的にゆがめて、一面から都合よく単純に考えているように思えます。 >欲のままに生きているという意味ですか?? ですから、どうもそうではないような気がします。 坊というひとはもっと人生に真摯に向かっているのではないでしょうか。 ご参考になれば。

korira1994
質問者

お礼

遅くなってすみません_(._.)_ その登場人物はお寺の子で、ある事件があってからそのお寺は、「祟り寺」と呼ばれてしまいました。 で彼は寺の再興をと意気込んでました!!

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1442/3777)
回答No.3

No.1さんの内容であっていると思います。 >ではお坊さんとかで、「煩悩に忠実」というのは何かしらの欲のままに生きているって事でしょうか? の質問で ここで(質問の中で) 坊 というのは 坊さんの意味ではなく 男の子のことを 「坊」 と言いますが、 (もっと小さければ「坊や」) そのことではないでしょうか。 その男の子は 「煩悩の赴くままに生きている」 と言われたのでしょう。 では「忠実ではない」 のはどういう状態かと考えると 自分のやりたいことがあるのに我慢する。  つまり 煩悩に忠実とは 前に書いたように  煩悩の導くままに生きている 「天真爛漫な 性格だ」 というのを言いたかったと勝手に推測します。

korira1994
質問者

お礼

天真爛漫ですね! ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

>煩悩に忠実 こういった深い意味のある言葉を、これだけの断片から意味をとるのは不可能だと思いますよ。 誰が、どんな状況のなかで言ったのか? 少なくともその前後の文をできるだけ多く読み解かないと危険だと思います。 常識から言って、煩悩とかいう言葉をまじめに使うタイプの人間が「煩悩に忠実に生きる」という意味どおりになにげに生きるということは考えられませんね。たとえそうであってもその裏にはそれがなぜそうなったかというような深刻な問題があるはずです。 補足をお願いいたします。

korira1994
質問者

お礼

ありがとうございます。

korira1994
質問者

補足

青の祓魔師ってアニメで志摩が勝呂に「坊は煩悩に忠実に生きてる」っていってました。

回答No.1

正解だと思います。 欲のままに生きている、ということを表している言葉です。 108の欲、全てではなく、その内の1つでも2つでも、その欲求に従って行動している、と思われる人・行動に対して用います。

korira1994
質問者

お礼

ではお坊さんとかで、「煩悩に忠実」というのは何かしらの欲のままに生きているって事でしょうか?

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