現代教育の問題と「仰げば尊し」

このQ&Aのポイント
  • 昨今のイジメ・体罰・教員免許更新制度・日教組・モンスターペアレントの問題を考える時、教師・生徒・家庭の相互の信頼関係や自覚矜持の不足を感じる。
  • 教師の自覚と矜持が乏しい一方で、生徒は社会性や公益に対する関心や責任感が薄くなっている。
  • 家庭の中の一家団欒がなく、学校任せで金銭関係で繋がっている同居人が増えている。
回答を見る
  • ベストアンサー

「仰げば尊し」考

※質問の背景 昨今のイジメ・体罰・教員免許更新制度・日教組・モンスターペアレントの問題を考える時、教師・生徒・家庭の相互の信頼関係や自覚矜持の不足を感じる。 精神論や抽象的かもしれないが・・・ 教師:サラリーマン化し、政治活動や組合活動にかまけて、教師としての自覚と矜持が乏しい。 生徒:家庭でも学校でも孤立、個人主義・権利主張が強まり、社会性や公益に対する関心や責任感や役割意識が薄い。 家庭:家庭の中の一家団欒がなく孤独、学校任せ、会話や躾よりも金銭関係で繋がっている同居人 そんな希薄で打算的な関係が問題発生に対し、予防効果がなく問題解決を責任転嫁や押し付け合いに成り複雑化深刻化を招いているのでは・・・ ※質問と私見 http://www.youtube.com/watch?v=ihdres4pgoA 学校でのイジメや体罰については、根が深く、仰げば尊しを教えたり唄えば解決するような単純な問題ではないが・・・ ◇個人的には「仰げば尊し:文語調で分かり辛い面はあるが・・・」の歌詞・心・その矜持(自覚や誇り)を皆が忘れ、歌わず、欠落してしまっているのも、教職員の不祥事と合わせ学校の規律や権威が敬意や信頼感が衰退している一因ではないでしょうか? ◇古臭い、懐古主義だ、そんな立派な教師は居ない・・・歌詞は文意は難しいが、その精神や教えは時代を超え崇高で不変な価値観、目指すべき師弟の信頼関係だと思うのですが? ◇卒業式や終業式等の学校行事で歌われているのでしょうか、また堂々と教え歌うに足るプライドを持つ教員は居るのだろうか? また、教員を敬い信頼する家庭は子供への教えをしている両親は有るのだろうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#191299
noname#191299
回答No.3

仰げば尊し= http://www.youtube.com/watch?v=Qwu7QQWCHsQ http://www.youtube.com/watch?v=hff4LY8asTM  蛍の光 http://www.youtube.com/watch?v=wFtkCIQ8TGI   すばらしい式歌だと思います。厳かな気持ちになります。  最近は、先生の権威を否定するようなはやり歌が多いように思います。  しかも、低学年の児童生徒が贈る言葉を言ったりしています。可愛さは有りますが、 厳かさに欠けます。  在校生の最上級生が行うべきです。上級生のオーラを十分に発揮して欲しいと思います。 卒業式は、節目の行事です。 警察学校の卒業式を見ました。  在校中に言える言葉は、「はい、分かりました。」「私が間違っていました。」だけだそうです。 自分からやめた人も、親がやめさせた人もいると聞きました。  市会館で行った入学式は、警察学校の講堂で行えるほど、多くの警察官が中途で退校するようです。 デブの学生は、すっかりスマートになり、きびきび動く姿に感動しました。 教官と別れの式が校庭で有りましたが、20歳代から、30歳前の男達が涙をボロノロ流して教官を胴上げしていました。 招かれた保護者も、涙なしには見ていられませんでした。 頑張った!選ばれた!という喜びにあふれていました。 『警察官になる!』という目的がはっきりしていたから、当然です。  義務教育の学校では、おだてて卒業させるだけで、教(鞭)育をしていないように思います。 私たちは、数学の公式を暗唱間違えただけで、往復ビンタ計4発貰いました。 今は、老人と化したかつての恩師に笑顔で会釈します。また、返されます。 部活動も、地域の学校に勝てれば良かったのです。遠くの県大会にまでは行かなかったのです。 勝てば、ご褒美に河川や堰で泳ぐことが許され・黙認されたのです。 卒業式には、何人かのむさ苦しい輩も少し涙を流しました。誰も話題にしませんでした。 当たり前の光景でした。  特に【 仰げば尊し 】 の2番目でしょうか?  身を立て名をあげ やよ励めよ    今こそ別れめ いざさらば http://duarbo.air-nifty.com/songs/2011/07/post-f0cb.html ここの いざさらば~ 多くは鳴き始めます。 中学校で、学業を終わる仲間が、2割弱は居たのです。  最後の卒業式を、力一杯歌い上げたのです。       (*^_^*) 馬鹿でもちょんでも高校に行かせる現代の風潮が間違っているのです。 義務教育が終われば、落第や留年・退学があって学校です。 上級の学校に入る前に、卒業を親子共に喜べるよう、すべきです。 入学試験は、難しくなくても、途中で5%は留年とかすべきです。 一年遅れても、学力を付けて卒業証書を与えるべきです。   と思います。 されば、「仰げば尊し」を涙で歌い上げられると思います。 昭和40年代前半には県立高校では普通に留年生がいたと承知します。 留年生は普通に学級にとけ込んでいました。中途退学した者もいたと記憶します。   なぜ、今は授業料を払い終えれば、卒業証書を与えてしまうのでしょうか? どうどうと、高らかに卒業を歌い上げましょう。  仰げば~尊し…   ii(*^。^*)//~ 

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >卒業式には、何人かのむさ苦しい輩も少し涙を流しました。誰も話題にしませんでした。 当たり前の光景でした。  特に【 仰げば尊し 】 の2番目でしょうか?  身を立て名をあげ やよ励めよ    今こそ別れめ いざさらば http://duarbo.air-nifty.com/songs/2011/07/post-f0cb.html ここの いざさらば~ 多くは鳴き始めます。 中学校で、学業を終わる仲間が、2割弱は居たのです。  最後の卒業式を、力一杯歌い上げたのです。       (*^_^*) 馬鹿でもちょんでも高校に行かせる現代の風潮が間違っているのです。 義務教育が終われば、落第や留年・退学があって学校です。 そうですね、私達、団塊の世代では仰るような情景・心境の体験が有ります。 すべきまで断言はできませんが、不変の価値観や学ぶことの大切さ、学べる喜び、学びの活かし方を教え身に付けさせるのが、真の師であり、教育・指導・お手本だと思います。

その他の回答 (3)

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.4

方向性には賛成ですが、その実現は、逆の方向性であるべきと思います。 即ち、「仰げば尊し わが師の恩」と歌わせる教員は、その時点で人格者とは思えません。 生徒が自発的に「卒業式では、是非『仰げば尊し』を歌わせて下さい!」と言う教員を育成すべきと思います。 教員資格の取得には、もっと人格面を優先し、かつインターン期間を設けたり、当然、更新性なども導入すべきと思います。 一方では、教育と言う重責を担うのですから、所得なども増やし、社会的地位を向上させれば、自ずと優秀な人材が集まるでしょう。 それでエリート意識を持つ様な教員は、更新試験で落とせばOKです。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >教員資格の取得には、もっと人格面を優先し、かつインターン期間を設けたり、当然、更新性なども導入すべきと思います。 一方では、教育と言う重責を担うのですから、所得なども増やし、社会的地位を向上させれば、自ずと優秀な人材が集まるでしょう。 まさに、人生の師・学びの先達であれば、求めずとも自ずと見習い、頭を垂れ傾聴し、尊敬されるのでしょうね・・・

noname#174582
noname#174582
回答No.2

子供は、社会人になりましたが、 中学生の時、小学校の俺の先生は、暴力先生ばっかりだったと言います。 先生らしき先生は、一年の○○先生だけだったと言います。 作文の時も 、 ○ 空きを重視して 訂正してくれました。 親も勉強になりました。 他の先生は、時間を割いてなんて その後は、なかったようです。 回し蹴りしたとか、やられた子供の親は、知らないと思います。 やられた子供は、うずくまって 先生が、大丈夫かと言ったそうな、、、。 その先生は、中学に行ったそうです。 採点も間違いだらけの先生もいたし、親は、何とか卒業できればいいと思いました。 ほんの一部でしょうが、強く生きてこられた先生が多い中、泣いている子供の気持ちなんか、わからない先生もいると思います。 卒業式に 先生が歌わないとか、考えられないですね。 そんな先生は、先生になっては困ります。 企業では、持たないです。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >ほんの一部でしょうが、強く生きてこられた先生が多い中、泣いている子供の気持ちなんか、わからない先生もいると思います。 卒業式に 先生が歌わないとか、考えられないですね。 そんな先生は、先生になっては困ります。 そうですね・・・受け止め方や教え方も変化しており、教師・生徒・父兄の子供の教育や人格形成についての価値観や関わり方も異なり、しかも個人差・個別ケースの面もあり画一的な論じ方は出来ず難しいですね。 個人的には、見識と経験と愛情が有れば、暴力暴言を廃しても、人格形成の途上にある生徒に率先垂範、指導が出来ると思うのだが・・・ それが出来ない教師に資質と職業意識の問題が有り、どうしても手に余る問題児が居れば、その生徒に限定したカウンセリング・指導を学校上げて対応するのが本来の教育ではないのでしょうか・・・ 古臭く、精神論と指摘・嘲笑されるかもしれませんが 「地震雷火事親父に加え、何も悪い事をしてなくても教師警官は怖い(威厳や尊敬の意味で)と言う印象でしたが、今では・・・」

回答No.1

問題意識は判る気もしますが、3か所のご質問のどれに対しても 意味がある程度の断定的な回答はまず無理でしょう。 一世代前の頃はまだ「仰げば貴し」が歌われていたけれど、バブル と共に消えていった感じです。その頃から日本は大きく変わりました。 ひたすら登りつめてきた好景気が一挙に不景気になり、就職難から ニート生活への不安、グローバル市場主義に翻弄され経済面の 構造改革で格差拡大、弱肉強食の世相、年金制度への不信、 近隣諸国との問題、インターネット等によるあらゆる情報の奔流。 これでは一世代前と価値観も変わり、多様化ともなります。 まず、先生の側も生徒の方も、「師の恩は貴い」という表現に少な からず抵抗感を持つでしょう。先生の多数派が、いわゆるサラリーマン 教師である事は一世代以前と変わらないが、現代はそれを互いに 認識せざるを得ないゆえ、単に仕事を忠実にした事が恩とか貴いは 無いだろうです。 昔は、先生は尊敬すべきものでした。今の価値観から見ると、とんで もない先生も少なからずいたはずです。何も知らなかったから虚心 坦懐に「仰げば貴し」を歌えました。情報欠乏の昔には戻れません から「仰げば貴し」とはいきませんが、先生と生徒の間により一層の 信頼関係が望ましいのは当然です。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >問題意識は判る気もしますが、3か所のご質問のどれに対しても 意味がある程度の断定的な回答はまず無理でしょう。 昔は、先生は尊敬すべきものでした。今の価値観から見ると、とんでもない先生も少なからずいたはずです。何も知らなかったから虚心坦懐に「仰げば貴し」を歌えました。情報欠乏の昔には戻れませんから「仰げば貴し」とはいきませんが、先生と生徒の間により一層の信頼関係が望ましいのは当然です。 そうですね・・・、お教えの点に納得理解はしますが、何処かに寂しい世情・心根と嘆く私が居ります。 戻れない、どうしようもない、ある種の情報化社会&唯物観が極端に高まる中で付随する必然性かも?

関連するQ&A

  • ある大学生が大学の宿題として書いた論文です。

    ある大学生が大学の宿題として書いた論文です。 この文章は論文としていい文章だといえるでしょうか? ちなみに私自身が書いた文章ではありません。 どのような点を改めるべきか、教えてください。よろしくお願いします 体罰について考えることを述べなさい 学校教育において体罰は決して行ってはならない。なぜならば、学校教育法第11条”校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。”に体罰を加えることは出来ないと記されているからである。また、教員は生徒の手本であるので、その教員は法に忠実でなければならない。 私は、体罰は教員が様々な問題に対し、主観的にとらえるため起こる問題だと考える。教員が生徒に対し常に客観的であれば、このような問題は起こらないと考える。教員は生徒と同じように張り合ってはならず、生徒から超越した存在でなければならない。しかし独裁者としてではなく、教育者そして年長者として、生徒から差別化を図らなければならない。生徒からの正のリスペクトを得るにあたって、体罰を与える独裁者であってはそれは得難い。日本では様々なメディアでも見て取れるように、熱血系教師をリスペクトする傾向がある。私の経験から言うと、生徒の髪の毛を抜こうとしたり、顔をねじったりする教師であっても、それは”生徒(わたしたち)への愛があるから故の行動だからだ”、と誤解してしまうケースがある。私は、このような教師と多く関わってきたため、教師は常に客観的、そして合理的でなければならないと考えてきた。一般的に、サラリーマン教師の存在は否定される。しかし、サラリーマン教師になることが体罰根絶への一番の近道だと考える。 生徒に対し、主観的で愛のある体罰は、一概に全否定することは出来ない。しかし法はそれを認めない。そして私も認めない。よって学校教育において体罰は根絶すべき概念だと考える。..

  • 暴力好き 暴力が抑えられない人種への対応

     私は体罰は完全に否定しません  酷いいじめ等についてや  宿題忘れを走らせる 立たせる事等についてまでも「体罰」と問題にするのは  どうかと思いますし、それに代わるならば別の罰則が有っても良いと思うのです  欧米の学校では「酷いいじめの加害者」や「校内暴力」を起こすと  「放校処分」に成るそうです。  日本の学校はその様な生徒を「とことん面倒を見る」と云う事で「体罰はしたくないが  なくならない」と云うのが教師の本音だと「ヤングマガジン」で『砂の栄冠』と云う高校野球  の作品を描いている三田紀房氏が言っておりました。  唯、その事を踏まえた上で「明らかに暴力好き」と言われる人種の人が居ります。  全員ではありませんが、「体育教師」等にはその様なタイプが多かったですし、  「不良生徒」にもその様なタイプがあり、私の中学時代 その様な教師が顧問をする  部活動は正しくその様な感じでした。  その顧問の教師はは部員に「気合を入れる」と体罰をし、  部員の生徒はクラスや他の文化部の生徒に「適当に弱い者苛め等」をしていたが、  怖い顧問や先輩が抑止力となり、大荒れにはならず、顧問先輩の理不尽さを受け入れ  鍛えられ強くなると云う図式でした。  私は怖い教師でも普通の教師でも基本的な事は聞いておりましたが、  怖い教師でも絶対服従は出来ませんでした、これだと「鍛えられない」と云うのが  怖い顧問の言い分で、私の様な考えの生徒は途中退部しておりました。  そこにはそこの優しさや意義がありますが  もしかして「暴力好き」「血の気の多い」人間がその人間性を発揮できるのがその様な組織  何でしょうか?  非難はしておりません ご回答宜しくお願いいたします  

  • 社会の本音を教えるのが暴力的な部活動?

    私は苛め 暴力は嫌いです 非行などの問題は起こしませんでした ただ振り返ってみると超えられない軟弱者になるのですね 私は小学校 中学校の時も下記の様な感覚は嫌いでしたが 同級生でクラスや学年を支配したいと言う人がおり、周りに喧嘩を売り 勝ったとか負けたとか言っておりました 保守的な感覚の方は戦後民主主義で私の様な軟弱な人間が生まれたことを言っておられます 上記の同級生などの方が超えられる強い精神があるので組織では使えるのですね? 近年 運動部始め部活動の体罰が問題になっておりますが、 私は明らかに反抗的な態度をとったり 授業妨害したり、する生徒に体罰を行使する教師までも問題にするのはおかしいと思います 反面部活動などでは挨拶代わりに体罰 それを鍛え 超えられる強い精神を生み出すので肯定されている方もおられますが、 私の同級生は家庭でも強くなれと体罰の日常で育ち だから挨拶代わりに体罰される部活動でも強い者のすることは有り難いと受け入れ 部外者などに 鍛えてやっていると いじめを行っていたが 怖い顧問や先輩の存在があるので纏まっている 鍛えられ超えられる強い精神を作る と言う感じでした ただ強く逞しく育てる 社会の本音を教えるならば私などは超えられない軟弱者 彼の様な生き方が最適で それを教えてくれるのが暴力的なそしきなんでしょうか ご回答宜しくお願い致します

  • イジメ問題対策

    ようやく、政府もイジメ問題対策に本腰を入れましたね。 さて、日本人は 因果応報と勧善懲悪でしか考えられない人が多いですが、イジメ問題ではもっと複雑だと思います。例えば 次のケースです。 (1) イジメられっ子が さらに自分より弱い子をいじめた場合。 (2) イジメっ子が イジメられっ子に 万引きや 同級生の女の子への痴漢を強要した場合。 (3) 犯罪者の子供がイジメられた場合。 それらの いじめに関しては子供の問題という決め付けが先行して、実態が見えなくなっているように思います。 いじめというものが重く取られてないから被害者の救済も重要視されていない、表裏一体の問題だと感じます。 まず、いじめたものを厳しく罰することが大前提です。 というかタバコ程度で停学や退学ならいじめをしたら死刑だと思うんですがね。 それから教師にしても教師以外からいじめが発覚した場合は、生徒からの信頼が低く、問題解決能力に乏しいとして減給なりすれば教師も積極的にいじめの情報を集めたり、生徒の動向を細かく見るでしょう。 それから体罰は反対ですが、かといって学校側が権限がないと釣り合いが取れないので問題のある生徒はバンバン退学させればいいと思います。 いじめがなくならないのは解決できる能力がないといじめられている側が思っているからでしょう。 ちゃんと告発すればいじめっ子は退学および接近禁止命令を出されて2度と会うこともないと分かり、教師も積極的に解決してくれると分かれば自分で抱え込むことも少なくなるかと思います。 これで いじめはなくなると思いますか?

  • イジメ問題に関して

    いじめというものが重く取られてないから被害者の救済も重要視されていない、表裏一体の問題だと感じます。 まず、いじめたものを厳しく罰することが大前提です。 というかタバコ程度で停学や退学ならいじめをしたら死刑だと思うんですがね。 それから教師にしても教師以外からいじめが発覚した場合は、生徒からの信頼が低く、問題解決能力に乏しいとして減給なりすれば教師も積極的にいじめの情報を集めたり、生徒の動向を細かく見るでしょう。 それから体罰は反対ですが、かといって学校側が権限がないと釣り合いが取れないので問題のある生徒はバンバン退学させればいいと思います。 いじめがなくならないのは解決できる能力がないといじめられている側が思っているからでしょう。 ちゃんと告発すればいじめっ子は退学および接近禁止命令を出されて2度と会うこともないと分かり、教師も積極的に解決してくれると分かれば自分で抱え込むことも少なくなるかと思います。 しかし、残念ながら、それだけではなくなりません。いじめの厳罰化と言う事自体に関しては全面的に賛成なのですが、これが厄介な事に『いじめを捏造する新たないじめ』を生み出してしまいます。 つまりは、何もしていない無実の人を大勢でよってたかって『いじめをした人』に仕立て上げ、退学に追い込むという事ですね。厳罰を逆用した悪質ないじめと言う訳です。現実社会でさえも冤罪事件であふれてるのに、事実関係を正確に把握する事が学校社会と言う閉鎖的な世界の中では相当困難になるケースも珍しくないでしょう。 まして、教師もいじめに加わるような事もあれば、学校側に与えられた権限ですら、加害者側に利用されてしまう事になるでしょう。無実を訴える生徒を有無を言わさず権限を持って退学にするというふうにね。 そういった意味で、いじめに対する厳罰だけでなく、いじめ問題に関する虚偽申告にも相当の厳罰を課す必要もあると思いますが、事実関係を正確に把握でき公正に裁ける第三者機関の介入でもない限り『どうせ嘘はばれないだろう』とタカをくくって、いじめたり、いじめを捏造するような輩はなくならないでしょうね。これがいじめ厳罰化をする場合の最大の課題だと思います。皆さんは どう思いますか?

  • 不良の方が強くなり鍛えられるので良いのでしょうか?

     中学生や高校生の不良の心理は  普通の教師が席に座れと云ったり、  宿題の提出の有無を聞いたりするだけで  暴れる生徒も居たし、  酷いのになると、「理由は無い、だけどイライラする」  「あの教師を見ていると何か腹が立つ」等と云って暴れる者も居た、  彼等は体罰を否定しない、自分達も物事の善悪よりも、強弱でしか  判断できないから、私も彼等のような心理だったら、体罰の問題なども  おこらなかったのですね。  不良は怖い教師の力で始めて枠に入り、それが無くなると無法状態に成る。  怖い教師は「叱ってくれる有難い人」、自分よりも強く、叶わない人間なら、  理不尽な暴言や体罰も受け容れていた、  確かにこの様な教師は必要だと思いますが、  部活動等に成ると、怖い教師に絶対服従し、  適度に弱い者苛め(後輩、同級生、普通の教師)を行う、  この様な生徒の方が好まれる傾向に有ります。  私は学校の為と思い受け容れるべきだったのでしょうか?       この様な組織でしかやっていけない者も居るので、  有る程度は必要かと思いますが、  私自身、怖い教師でも普通の教師でも基本的な事は従う、  しかし、これ以上は従えないこの様な感覚でした。  しかし、戸塚宏氏や高校野球の強豪校の監督や大学の運動部等の人間関係に  於いては、私の様な感覚は問題児扱いされます。  私は体罰完全悪とも人権をスローガンとする人間でも有りませんが、  理不尽な体罰は可笑しくなります。しかし、それで、無法状態に成る人間も  居ります。彼等の様な心理ならば良かったのでしょうか

  • 学校の中に警察の窓口を作るのは可能か

    教師から生徒への体罰やセクハラ、そして生徒のイジメ自殺の問題が後を絶ちません。こういう問題が無くならないのは、学校という教師以外の大人がいない閉鎖的な環境が自粛機能や自制機能を低下させ、嘘や隠蔽が常態化することで悪循環させているのだと思います。そこで、学校内に先生以外の第三者の目を行き届かせるべく第三者機関を設置すれば良いのでは無いかと提案する所ですが、それも先生の身内の人だらけになれば、教育委員会同様に公正なチェック機能が働かなくなるのではないかという懸念もあります。 なので、学校の生徒の悩みを先生や親以外の大人が受け付ける窓口として、学校に警察の少年課の署員を中心に構成された相談窓口なるものを学校内に設置してみるのはどうかと、少なくとも学校という閉鎖的な空間に社会の目が届く様になるし、この窓口が先生の勤務態度を監視する機関として機能し、教員免許の更新にも影響を与えるようになれば、学校の体罰やイジメの問題は今以上に減少するのではないかと思うのですが、設置に関して賛成か反対かは別にして現実問題として学校に警察の窓口を作ることが日本の法制度上可能かどうかお答え願えますでしょうか?

  • 体罰について

    20代半ば男性です。ゆとり教育といわれ育ちました。 体罰について皆さんはどう思いますか。 今話題になっている、大阪市の自殺問題。 これはやりすぎでしょう。明らかに。 しかし、これを機に次々と体罰が摘発されています。 柔道関連の体罰やハゲといわれ体罰を行った教師。 これらは体罰ですが、アスリートの世界と言うのは厳しい上下関係があり、監督の存在は鬼。 それぐらいしないと成長しない。 私も高校大学とスポーツをして厳しい上下関係、監督の暴言・暴力を受けてきましたが、 今となっては愛の鞭と真摯に受け止めております。 「そんな考えは古い」と仰る方、大勢いるかと思いますが、 それが今の「ゆとり教育」を作っています。 教師は保護者らからの批判が怖くて生徒を叩けない。 生徒が教師を殴ってももみ消されるケースが多い。 私は今の体罰の規制というのがダメな日本を作っている気がしてなりません。 かといって、大阪の自殺問題に関しては完全なる体罰。当然、体罰を肯定しても限度と言うものがあります。 その許容範囲と範囲外の区別と言うのは非常に難しいと思いますが、それは司法の裁量に一任するも良しだと思います。 立法府が法で規制するには限度があるかと思いますが、ある程度の制約はするべきだと思います。 また、いじめによる自殺に関しては殺人罪と同等の規制を設けるべき。更には少年法も見直すべき。 憲法改正も大事かもしれないが、憲法改正より安易に出来るこれらの一般法改定も検討してほしい。 私は、このゆとり教育が近年増加傾向であるイジメの要因の一つでもあると思います。 天秤にかけるようであれですが、イジメと体罰。 許されないのはどちらですか。 私の結論としては、大阪の体罰による自殺は償う必要があるが、他の柔道や生徒の暴言による体罰は許容範囲。

  • できない、できない、橋下、なぜ橋下はできないのか?

    入試を中止にしないと改革できないのか?民間人であれば、できない、できない、ではなく、どうやったらできるかを考えます。被害者である多くの生徒にできるだけ迷惑をかけない方法を考えると思います。自殺した生徒に体罰を与えた加害者である教師は論外として、学校の最高責任者である校長を代えた上で、外部の監査人となる知識人と学校の教師とを交えた諮問会議を執り行い、方向性を見出せば済む話なのではなかったのでしょうか?大阪市や大阪府であったって、市長が変わったからと言って、公務員を全員取り替えたりしませんよね?いずれ取り替えるにせよ、入試を中止にしなくても、暫時、最高権力者である校長を交代させ、(体罰を行ってきた問題のある他の教師も必要であれば可能になり次第交代させ)、校長のサポーターとなる外部の知識人を数人入れれば、体罰の禁止は実現できたと思います。なぜ、橋下にはそれができないのでしょうか?入試の中止がなぜどうしても必要なのでしょうか?問題は、体罰なのであって、体罰以外のことは関係ありませんよね?問題は、体罰が二度と行われないこと、それに尽きると思うのですが。体罰による精神論が時代にそぐわないと言いつつ、生徒や親御さんや教師の意識改革が必要だという精神論を述べる橋下市長に違和感を覚えてしまいます。

  • これはいくら何でも・・・・という中学校

    こんにちは。 体罰は昔から表向きには禁止されているようですが、教師が生徒を殴った。教師による生徒へのいじめ。その他生徒に対して理不尽なことをするなどの教師がまだいるようです。 その他にも現在では考えられないような行動などをする教師も現役で働いているようですが実際には、これらの多くは比較的寛容視されて、あまり問題にまで発展することはないように見受けられます。 私が通っていた中学校の近くに「屑鉄屋」があり、一か月に一回くらいの頻度で、その「屑鉄屋」から校長に「手が足りないから生徒を貸してくれ。」と電話がかかってきて、本当に生徒を「屑鉄屋」に貸していました。 休日でしたら問題はないのかもしれませんが、平日の授業中に生徒を「屑鉄屋」に貸してしまうのは私的には前代未聞の不祥事だと思っています。皆さんはどう思いますか?。 お礼は遅れますが宜しくお願い致します。