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聖書記載内容の解釈についてご意見願います。
聖書は多くの文学芸術のモチーフの一部となっておりますが、多く表現されているようにあくまで比喩的・詩的表現であることは事実のようであります。 文面どおり解釈・倫理人道的な意味に受け取る伝統も重要ではありますが、詩的比喩的内容をそのまま解釈して良いものでしょうか?比喩である以上根底には真意・真実があるのです。 実は1章ごとに区画分類された未来科学の「預言の書」なのです。 様々な章節には活版印刷・羅針盤・魚群探知機・衛星GPSなども表現されています。 また医学生理学的な分野への表現は微細・現代の基礎生理学にも匹敵する内容とも受け取れるのです。 聖書「コリント人への手紙」がインターネツト社会やパーソナルコンピューターの普及とそれに伴う社会問題・ソフト・ハード面を詩的(比喩)に表現した内容であることは周知の事実です。 同様に聖書「ガラテヤ人への手紙」は大陸移動説・プレートテクトニクス理論による造山活動・裏付けとなる植生分布・大陸接合部・海溝部などによる大地震発生のメカニズムなどを比喩的に表現した部分である。 勿論お読みいただいた方々のお考え次第です。「信じるものは(比喩的表現の幻想から)救われる」 歴史上多くの書物・伝説において・そして聖書においてさえも「預言者」の存在が明記伝承されています。残念ながら私自身には超能力はありませんが、明確にその存在が指摘されています。 聖書にもあるよう普通の人々には受け入れ難い事実・キリストの架刑の例もあるように迫害される危険性を多く孕んでいるのが現実です。 聖書以前にもオリンポスの神々などの神話でやはり比喩的・詩的表現なのですが、現代のインターネット社会や宇宙観の話題がとりあげてあるのです。
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- tumaritouonuma
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聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。
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