• ベストアンサー

「一番最初」という表現について

hakobuluの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.15

#11です。 >特に後半で挙げられた「最善」「最悪」は、まさに主観で判断する事柄であり、それらを確固とした存在に分類する一方で、「最大」「最高」をそうでないとすることには疑問を感じます。 : そうですね。 おっしゃることはよくわかります。 ただ、わたしが申し上げたのは、「A」については確固とした基準があると(無意識的にせよ)感じる人にとっては、「一番最A」という表現は違和感なく受け止められるのではないだろうか、ということです。 事実として、A について確固たる基準があるか否かは問いません。 無論、それに関して論議することにやぶさかではありませんが、今は、「一番最A」に違和感がある(または、無い)理由は何か、という点に絞ってお答えしています。 前回、 『こうした感覚の違いが、「一番」を許されるか否か、の境になっているような気がします。 「必ず存在する(はずの)確固とした状況」に該当するか否かに関して、それが事実かどうかとはまた別の問題なのでしょう。』 と述べたのは、そういう意味でした。 わたしは、人間というものは「確固たる善」が存在すると思いたい生き物ではないか、と考えるので、たとえば、「それが一番最善の方法だよ」などと言われても違和感を覚える人は少ないのではないか、と推測するわけです。 「最初」の場合も同様で、たとえば、「物事には必ず始まり(初め)がある」などといったことは、みなさん疑っておられないことでしょう。 善の例の場合も同様ですが、このように、 『確固たる基準があるはずなのに、いざ特定しようとすると掌をすり抜けるように、なかなかその実態が明確には現れてこないもの』に対して、 「これが(本当の)一番最善の方法です」とか、 「これこそが(まさに)一番最初の人類の骨格です」などという表現が可能になるのではないか、と思うわけです。 ところが、質問者さんのように「善はまさに主観で判断するものである。すなわち、この世に絶対的な善などない」という確信を持っている方の場合には、 『「最善の方法だ」までは許容しても良いが、元来、確固たる基準などあるはずがないものに対して、「一番」という言葉を付加してまで強調したとして、一体何の意味があるのか』という(無意識的)思いが湧くのは当然であって、それが違和感を醸成するのではないでしょうか、ということを申し上げたつもりです。 たしかに善とは相対的(主観的)な価値観であり、アメリカにとっての善はイスラムにとっての悪なわけです。絶対的な善というものは存在しないのかもしれません。 ただ、たとえば、困っている人を助けようとする行動に関して、それを悪と呼ぶ人は殆んどいないはずです。 つまり、この場合には絶対的な善も存在することになる、と言ってもいいように思います。 そして、多くの人間はそれがあると信じたがる生き物ではないか、と私的には感じているわけです。 しかし、今回のご質問の中でそうしたことを論議するのは場違いと思われるので、特に深くは触れていません。 前回も述べましたが、個人の感覚の違いによって「一番最A」という表現に違和感を覚えるか否かは決まるような気がします。 さらに、今回回答していて思ったのですが、ある一人の人間にとっても、その場その場のシチュエーション次第で、違和感を覚えたり覚えなかったりする可能性も高いような気がしてきました。 その基準は先述したとおりです。 「『最○』という言葉にすでに一番であるという意味があるのに、更に『一番』を加えている」のが違和感を覚える理由である、とおっしゃるのは基本的にそのとおりでしょうね。 しかし、ちょっと目先は変わりますが、「表現」「重複」「元旦の朝」「被害を被る」など、同じ意味を更に加えているからといって、その言葉が必ずしも間違いであるとか、違和感を覚えるということにはなりません。 その意味で、「主に」と注釈なさっているのは適切だろうと思います。 いずれにせよ、今問題になさっているのは、では、なぜ違和感を覚えないものがあるのだろうか、ということなのでしょう。   

kazuutoo
質問者

お礼

ありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。 おっしゃることが理解できました。 「確固とした基準があると感じられるものについては、『一番最○』という表現の違和感が少ない」という主張と、「具体的にどの『最○』という言葉に確固とした基準があるか」という主張とは分けて考える必要がありますね。

関連するQ&A

  • 「お伺いする」という表現について

    この度はお世話になります。 現在、社内で新人の研修中なのですが、 新人が 「A(相談者)がB(相談者の関係人)と確認しあった上であることをお伺いしておりますが、この件については~」 という表現の文章を作成しておりました。 私自身としては、 「AがBと確認しあった上であることは(「当社は」・・・この場合は敢えて主語「当社は」を入れない方がいいように思いますが?)伺っておりますが~」 という表現の方がしっくり来るのですが、 後輩にうまく説明できない状態です。 いろいろよくよく考えてみると、 私の感覚がおかしいのかもしれない? ということも考えなくてはいけない?という気も出てきております。 確かに日常会話では、こののような表現をする人もいるのは、知っているのですが、文章になった時点で、どうも違和感を抱くのですが、 私が抱く違和感には、理由があるのでしょうか? それとも、ただの文章スタイルの違いの範疇の問題なのでしょうか? 勉強不足の者からの質問でどうもすみません。 どんなご意見でも、 教えていただければ、大変ありがたいです。 どうぞ宜しくお願いいたします。

  • 頭が真っ白になるという表現になじめない

    ここ数年来のことのように思うのですが、頭が真っ白になるという表現がとても安易に使われているように思います。 私はそのことに少なからず違和感があって、なかなかなじめないでいるのですが、皆さんはどうでしょうか。 実際、私自身「頭が真っ白になる」ような経験がまだないから、という理由からなのかとも思っては、いるのですが。 経験談なども含めてご意見をお聞かせください。 この言葉の使われ始めにお心当たりのある方なども、いらっしゃいましたら教えてください。

  • 「何の原因ですか」は正しい表現ですか

    最近は日本語に自信がなくなってしまって恥ずかしい限りですが、また教えてください。 外国人が書いたある表現が不自然なので指摘してあげたところ、「何の原因ですか」と聞かれてしまいました。これに違和感を覚えるのは、私の考えすぎでしょうか。 「何が原因ですか」「原因は何ですか」なら私たちがよく使う表現だと思いますが、「何の原因ですか」も自然な表現だったのでしょうか。 また「どんな原因ですか」ならば、どうでしょうか。これらの表現で「原因」を「理由」に置き換えても同じことだと思います。 そのあたりのことを考えていくうちに「(そんなことが許されるのは)何の世界ですか」という表現が見つかり、これなら違和感がないように感じます。それならば「何の原因ですか」とか「何の理由ですか」も自然な表現なのでしょうか。 さらに考えていくと「何の理由がありますか」という表現にも直面せざるを得なくなってしまいました。私はこの表現にも違和感を覚えます。「どんな理由がありますか」とか「何の理由もない」ならば自然に感じますが、これも私の考えすぎなのでしょうか。 そんなわけで、またまた大混乱に陥っています。日本語教師の存在意義を痛感させられる日々が続いていますが、いまからその勉強をしていたのでは私を頼りにしている複数の外国人の指導に間に合いません。お手数をおかけしますが、今回もよろしくお願いします。 なお、私が質問するたびに皆様からいただいた回答を整理集約してファイルに保存し、類似の質問を受けるたびに有効活用させていただいております。

  • デジタルにおける「筆を執る」などの表現

    デジタルにおける「筆を執る」などの表現 開いていただきありがとうございます。 例えば手紙などを書く際には「~と思い筆を執らせていただきました」など 道具をもって行為を示すような味のある慣用句は多数存在しますよね。 日常であまり使う機会はないかと思いますが「断筆する」なんてのもその類かと。 しかしこれらを電子メールを認める際に用いますと、 どうしても「いや。筆じゃなくてキーボードじゃん」みたいな突っ込みも受けてしまいます。 それならばボールペンは筆に含まれるのかなどと揚げ足とりをしても詮無いので、 皆さんはこのような表現をどのように思われているのかお聞きしてみたいと思いました。 思いつく限りを選択肢として列挙してみますと、 A. この場合の筆とは抽象的な意味だと割り切って気にしない B. 他人が使用している場合は気にしないが、違和感を覚えるので自分では使わない C. 他人が使用している場合でも違和感を強く覚える D. その他のご意見 などがありますでしょうか? 皆さんはこれらの表現についてどのように思われているのか、 また何か素敵な代替表現などございましたら、お答えいただけると嬉しいです。 少し取り留めのない文章となってしまい申し訳ありませんが、 ここらで筆を置かせていただきます。ご清覧いただきありがとうございました。

  • 「~してもらえるとうれしいです。」という表現

       部下から送られて来るメールの文面に「~してもらえるとうれしいです。」という表現を最近よく見かけるのですが、私はこの表現に違和感を感じます。 普通に「~していただけますでしょうか。」と書くだけで良いのに、うれしいです。とはどういう心境をこちらに訴えているのか、と下衆(意地悪)な勘ぐりをしてしまします。 違和感を感じる理由については思うところがありますが、的確に指摘していただければ幸いです。よろしくお願いします。

  • 「掻き消される」の別の表現方法

    文章中で表現したいことに該当する言葉がなかなか見つからないのでご質問させていただきたく思っての書き込みです。 自力で調べようともしたのですがどこをどう調べたらいいかわからなくて困っています。 『あるものにAという欠点があるが、Bという更に大きな欠点によりAが目立たなくなりかき消されている』というような事を書きたいのですが、『かき消されている』という所を別の言葉で表現できませんでしょうか。 今の表現だとなんだかしっくり来ないというか、ちょっと違和感があるんです。 確か漢字で数文字、『AはBによって~される』のような形で表現できたように思うのですが、思い出せません。 どうも私、文章は苦手で・・・なんだか他の方と違って幼稚っぽい質問でお恥ずかしいのですが。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご教授願います。m(_ _;)m

  • 「送る」の敬語表現

    こんにちは。 仕事柄、敬語表現は使い慣れたはずの三十男なのですが、 お恥ずかしい話、今でも混乱することがあります。 皆様にお聞きしたいのは、次の表現です。 「(カタログなどを)お送りさせて頂きます」 妙に違和感を覚えるのですが、どこがどうという説明は出来ません。 実際にこの表現を目にすることも多いので、私の勘違いなのかも分かりません。 何方かお教え頂けたら幸いです。

  • この表現は正しいですか?

    大学の志望動機書を書いているのですが、 「その理由は・・・・・・からです。」 という呼応表現は正しいですか? 改めて推敲すると違和感を感じてしまって・・・。

  • 「思っても見なかった」という表現

    最近、特にテレビなどでの会話で、「~だなんて思っても見なかった」という表現をよく耳にするようになりましたが、私はこの表現に大きな違和感を感じています。 私としては、「~してみる」という表現は「試しに~する」とか「とりあえず~する」などといった表現に近いと考えているのですが、そうすると、 「思っても見なかった」=「ためしに思うこともしなかった」 あるいは、 「思っても見なかった」=「とりあえず思うこともしなかった」 となって、意味不明です。 果たして「思っても見なかった」は正しい日本語なのでしょうか?このことについて意見を聞かせてください。 なお私としては、「思いもしなかった」「思ってもいなかった」などが正しいと考えています。

  • 「置いて置く」という表現は自然か?

     辞書などを見ると、「置く」という言葉には「~しておく」のように動詞にくっつく事で補助動詞としての働く場合があります。 で、質問なのですが「置いて置く」という表現は自然なのでしょうか? 文法的に間違いではないような気はしますが、何か違和感が残る感じです。 明解な答えがあるかどうか自信がないのですが、皆様の意見を聞かせていただければ幸いです。