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表現について質問です。

実は、   ●制止が解除された → 制止が解けた という表現で『制止が解除された』は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現だという解釈だと思うのです。 一方、『制止が解けた』はyahoo掲示板でKさんとやりとりしていて、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無いということをKさんはおっしゃったのです。 それで『制止が解けた』が何らかにやられているというニュアンスが無いということは、どういうニュアンスになるかが知りたいのです。 それと   ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した 以上の★印の表現で言い換え前の表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現だという解釈だと思うのですが、言い換え後の表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無い”という表現だと言えるかどうかも知りたいです。 ここで質問です。 Q1.『制止が解除された』という表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現であるという解釈は正しいですか? Q2.『制止が解けた』という表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無いということはどういう解釈の表現になりますか? Q3.★印の言い換え前の表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現であるという解釈は正しいですか? Q4.★印の言い換え後の表現は、言い換え後の表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無い”という表現だと言えますか?もし言えないのなら、どういう解釈の表現になりますか? 詳しくわかりやすく教えて下さい。

noname#181272
noname#181272

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.6

再度回答します。 >#2の回答にある“その代わりに付け加えられた言葉”がどういう言葉なのかがどうしても知りたいです。 受身・自発・可能・尊敬の助動詞の代わりに付け加えられた言葉です。 >それと、形式的なこと(「れる、られる」などの助動詞そのままの表現)以外の表現イコールそちらが例示された他の表現ということに関して。「そちらが例示された他の表現」が何なのか、わかりません。 読み直してもわかりませんので、お手数ですが、再度回答頂けたら嬉しいです。 (「れる、られる」などの助動詞そのままの表現)以外の表現 です。イコール とは同じという意味です。 ここでは  「勝手に」とか、「意に反して」とか書かれている表現のことです。 >あと“貴方の人格の中でAとBが争っている”という言葉は“貴方の人格A、同じく人格B”という意味であることから、人格Aと人格Bは全く同じであるという解釈に思いました。 でも人格Aと人格Bの「AとB」の「A」「B」に入る言葉がどうしても知りたいですので、お手数ですが、再度回答頂けたら嬉しいです。 「貴方の人格」という言葉そのものは確かにひとつのことを現しますが、質問者様の場合、頭の中で自分の意思に反して行動しようというような別の意思が働く場合があるように仰っておられますので、その現象のことを「貴方の人格A」「貴方の人格B」と表現したのです。こういう表現は普通に行われていることと考えますが、A,B でわかりにくければ、甲、乙 あるいは「貴方の人格の一つ」「貴方の人格の蒙ひとつの方」と書き直すこともできると思います。 それと、最後の質問ですが、貴方に回答が付き難いのは質問自体の難しさもありますが、私の場合のように、ひとつの回答に関連して次々に補足が付いてきてなかなか満足されないまま大変な手間がかかるスレッドになる傾向があるから皆が敬遠するのだろうと思います。それと、できるだけ詳しく、とか、考えられる例をできるだけたくさん、とかいう要求も、ボランタリーにする回答者にはたいそう厳しいものになっていると思います。 普通はよほど回答者に不備がある場合を別にして、質問者の方の都合で補足をだすことはほとんどないと思いますし無理があります。身近な親しい知人と直接対面して質問されるようにしてはいかがでしょうか。

noname#181272
質問者

お礼

度々ご回答ありがとうございます。 補足にて質問などを書くのでお手数ですがもう一度回答下さると助かります。

noname#181272
質問者

補足

補足です。 ◎“その代わりに付け加えられた言葉”がどういう言葉なのか >受身・自発・可能・尊敬の助動詞の代わりに付け加えられた言葉です。 : 【A】受身・自発・可能・尊敬の助動詞の代わりに付け加えられた言葉が何なのかがわかりませんので教えて頂けると助かります。 これがAの質問です。【ここまでA】 形式的なこと(「れる、られる」などの助動詞そのままの表現)以外の表現イコールそちらが例示された他の表現ということに関しては理解できました。 【B】人格A、人格Bイコール「貴方の人格の一つ」「貴方の人格の蒙ひとつの方」というのは、要するに意識と無意識という解釈で正しいかどうかが知りたいので、お手数ですが回答下さると助かります。 『哲学』カテゴリで以前、“意に反して”というのは意識では「操られている感じがする」無意識では「意図的に動いている」に混ざり合っていると言う回答をもらい、その解釈のことを言っているかと思いました。 そうなのかどうか知りたいですので、お手数ですがもう一度回答下さると助かります。【ここまでB】 身近な人と直接対面して質問したことはあります。 顔を合わせるのでわかりやすく教えてくれています。 それと今日、疑問を感じたことですけど、 質問文の >  ●制止が解除された → 制止が解けた > ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した ―――で、言い換え前の文章に関しては、動詞の未然形プラス受身・自発・可能・尊敬の助動詞である「~れる」「~られる」が組み合わさった形だと思ったのです。 ここでCの質問です。 【C】(       )、受身・可能・自発・尊敬の助動詞である「~れる」「~られる」という文章があったとします。 『させられる』『動かされる』で言うと( )内には、「させ」「動かさ」が入るのですが、受身・可能・自発・尊敬の助動詞である「~れる」「~られる」がついた文章だと(  )内は使役の助動詞または動詞の未然形が入るのは間違いないかどうか知りたいですので、お手数ですが、これについて回答下さると助かります。 このことについては今日、新たに質問を『国語』カテゴリで立てた質問ですが、この質問にて回答お願いします。 よろしくお願いします。

noname#194996
noname#194996
回答No.5

ちょっと間が空きました。 再度回答します。 >まず#2の回答について質問があります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >>質問文の >>>●制止が解除された → 制止が解けた >>  ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した >――★印と●印の表現で言い換える前の表現は受身・自発・可能・尊敬の助動詞である『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついていて、言い換えた後の表現にはついてない表現になると言うことがわかったのです。 >それらがついた表現は何のニュアンスを含んだ表現で、ついてない表現は何のニュアンスを含んだ表現かが知りたいです。 (中略) ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 もちろんその代わりに付け加えられた言葉がそれらを補完していればその限りではありません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >のことについて、‘その代わりに付け加えられた言葉’というのは、 例えば、『制止が解除された』『制止が解けた』という表現の中に、『(AさんによってBさんにかかっていた)制止が解除された』『(AさんによってBさんにかかっていた)制止が解けた』というふうに「(AさんによってBさんにかかっていた)」という言葉が付加された言葉のことを意味することに思いましたが、合っているかどうか知りたいです。 #2の回答です。 >その代わりに付け加えられた言葉’ ご指摘の言葉ではありません。 ご指摘の言葉は双方の文に共通しています。 異なっているところは 解除された → 解けた の部分だけです。 前の言葉が後ろの言葉を完全ではありませんが補完しているということです。 それと#3の回答の件についても質問があります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >>ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 : >> >このことに関してつまり前記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていて、後記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていない文章であると思いました。 >>その通りですが、上記で書かれたことに実質的な意味はありません。個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります。 たとえば、意に反して という言葉は、当人以外の外部的な力が働いている(受身)の意味が含まれます。したがって他者から何らかの影響を受けたと解釈することもできます。つまり、~られる という言葉がそのことばで置き換えられた、補完されたといえないこともないということです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >のことについて、僕の家にある辞書には「実質的=実際に備わっている性質や内容(=実質)が備わっているさま。」「形式的=形の上だけで実質は問題にしないさま。」とあります。 >>‘上記で書かれたことに実質的な意味はありません。’および‘個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります’ >は言い換えるとどういうふうに表現するかが知りたいです。 つまり実質的、形式的は言い換えるとどう表現するかが知りたいということです。 #3の回答です。 私が言いたかったことの中で、ここでの「形式的」は、一般的にはそういえる、ということで、「実質的」とは、質問者様の問いに直接関係すると言い換えることができます。そういうふうに理解して再度読み直していただければいいと思います。 >最後に#4の回答の > >人間の心理は多層的になっている(人格が複数存在する)ことがままありますから、貴方の人格の中でAとBが争っているという状況も考えられなくもないとは思います。 >―――の内容に関して‘貴方の人格の中でAとBが争っている’のAとBはどういう言葉が入るか、教えて下さい。 #4を回答します。 >貴方の人格の中でAとBが争っているという このA、B は 貴方の人格A、同じく人格B という意味です。 この前の文章を再度読み直していただければ理解できると思います。

noname#181272
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます。 補足にて後ほど返信・質問するので再度回答下さい。

noname#181272
質問者

補足

補足です。 #2の回答について >ご指摘の言葉ではありません。 ご指摘の言葉は双方の文に共通しています。 異なっているところは 解除された → 解けた の部分だけです。 前の言葉が後ろの言葉を完全ではありませんが補完しているということです : そうですか。 ということは「制止が」という言葉に「解除された」「解けた」という言葉がついたのが“その代わりに付け加えられた言葉”に思いました。 でも#2の回答にある“その代わりに付け加えられた言葉”がどういう言葉なのかがどうしても知りたいです。 それと、形式的なこと(「れる、られる」などの助動詞そのままの表現)以外の表現イコールそちらが例示された他の表現ということに関して。「そちらが例示された他の表現」が何なのか、わかりません。 読み直してもわかりませんので、お手数ですが、再度回答頂けたら嬉しいです。 あと“貴方の人格の中でAとBが争っている”という言葉は“貴方の人格A、同じく人格B”という意味であることから、人格Aと人格Bは全く同じであるという解釈に思いました。 でも人格Aと人格Bの「AとB」の「A」「B」に入る言葉がどうしても知りたいですので、お手数ですが、再度回答頂けたら嬉しいです。 最後に質問文にある >●制止が解除された → 制止が解けた   ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した : ―――の言い換え前の表現は、動詞「する」の未然形と助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現および使役の助動詞「させる」の未然形と受身・自発・可能・尊敬の助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現となることがわかりました。 以上から今後どういうふうに質問したら回答がつきやすくなるのかが知りたいです。 昨日の夜言い換え表現を書いて欲しいことで以下の感じで質問したのですが、回答があまりつかなかったです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【質問1】《「バッチンだよ」「バッキュンだよ」などの幻聴と耳鳴りによって文章を読む・文章に目を通す時の頭の働きを鈍くさせられた感じである》という文は「~される」「~られる」「~れる」などの助動詞がついた表現です。 この「~される」「~られる」「~られる」などの助動詞がついた表現を、「~される」「~られる」「~れる」などの助動詞がついてない同一の意味である表現に言い換えて下さい。 表現は1つだけでなく、知っている範囲で全部教えて下さると嬉しいです。 【質問2】「考えられないように動かされた感覚」という文は「~られる」「~れる」などの助動詞がついた表現です。 この「~られる」「~れる」などの助動詞がついた表現を、「~られる」「~れる」などの助動詞がついてない同一の意味である表現に言い換えて下さい。 表現は1つだけでなく、知っている範囲で全部教えて下さると嬉しいです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ やはり以下のように書き改めて質問すべきかどうか知りたいです。 わかりにくい箇所があったら訂正してくださると嬉しいです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【質問1】《「バッチンだよ」「バッキュンだよ」などの幻聴と耳鳴りによって文章を読む・文章に目を通す時の頭の働きを鈍くさせられた感じである》という文は使役の助動詞「させる」の未然形と受身・自発・可能・尊敬の助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現です。 これを使役の助動詞「させる」の未然形と受身・自発・可能・尊敬の助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現でない表現に言い換えて下さい。 表現は1つだけでなく、知っている範囲で全部教えて下さると嬉しいです。 【質問2】「考えられないように動かされた感覚」という文は動詞「する」の未然形と助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現です。 これを、使役の助動詞「させる」の未然形と受身・自発・可能・尊敬の助動詞「れる」「られる」が組み合わさった表現でない同一の意味である表現に言い換えて下さい。 表現は1つだけでなく、知っている範囲で全部教えて下さると嬉しいです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お手数ですが、再度回答よろしくお願いします。

noname#194996
noname#194996
回答No.4

再度回答します。 >>個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります。 : ‘形式的なこと以外の言葉の使い方’とは例えばどういうものか、komaas88さんの知る範囲でいくつか教えて欲しいですので、回答下さい。 ちょっと誤解があるのかもしれません。 >形式的なこと とは、仰る「れる、られる」などの助動詞そのままの表現 ということで、それ以外の表現というのは、そちらが例示された他の表現を指します。書かれた以外のものを例示するとしても膨大なものになるでしょう。 >それと‘意に反して という言葉は、当人以外の外部的な力が働いている(受身)の意味が含まれます’ということについて、 これは日本語の解釈のしかたで、疑問のないことだと私は思います。「意に反して」とは、自分の意思に逆らって という意味ですから、普通は外部からの力が関わっていると判断できます。自分以外の誰もいない状況下で自分の意思が思うとおりに動かないのは常識的には考えられないことですが、人間の心理は多層的になっている(人格が複数存在する)ことがままありますから、貴方の人格の中でAとBが争っているという状況も考えられなくもないとは思います。 >こういうことが書かれているサイトをご存知でしたら、URLなどを教えて下さい。 存じません。

noname#181272
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます。 補足にて質問があるので、再度回答下さい。

noname#181272
質問者

補足

補足です。 まず#2の回答について質問があります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 質問文の >>●制止が解除された → 制止が解けた >>  ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した >――★印と●印の表現で言い換える前の表現は受身・自発・可能・尊敬の助動詞である『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついていて、言い換えた後の表現にはついてない表現になると言うことがわかったのです。 >それらがついた表現は何のニュアンスを含んだ表現で、ついてない表現は何のニュアンスを含んだ表現かが知りたいです。 (中略) ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 もちろんその代わりに付け加えられた言葉がそれらを補完していればその限りではありません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ のことについて、‘その代わりに付け加えられた言葉’というのは、 例えば、『制止が解除された』『制止が解けた』という表現の中に、『(AさんによってBさんにかかっていた)制止が解除された』『(AさんによってBさんにかかっていた)制止が解けた』というふうに「(AさんによってBさんにかかっていた)」という言葉が付加された言葉のことを意味することに思いましたが、合っているかどうか知りたいです。 それと#3の回答の件についても質問があります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >>ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 : このことに関してつまり前記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていて、後記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていない文章であると思いました。 その通りですが、上記で書かれたことに実質的な意味はありません。個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります。 たとえば、意に反して という言葉は、当人以外の外部的な力が働いている(受身)の意味が含まれます。したがって他者から何らかの影響を受けたと解釈することもできます。つまり、~られる という言葉がそのことばで置き換えられた、補完されたといえないこともないということです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ のことについて、僕の家にある辞書には「実質的=実際に備わっている性質や内容(=実質)が備わっているさま。」「形式的=形の上だけで実質は問題にしないさま。」とあります。 ‘上記で書かれたことに実質的な意味はありません。’および‘個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります’は言い換えるとどういうふうに表現するかが知りたいです。 つまり実質的、形式的は言い換えるとどう表現するかが知りたいということです。 最後に#4の回答の >人間の心理は多層的になっている(人格が複数存在する)ことがままありますから、貴方の人格の中でAとBが争っているという状況も考えられなくもないとは思います。 ―――の内容に関して‘貴方の人格の中でAとBが争っている’のAとBはどういう言葉が入るか、教えて下さい。 いくつか例がありましたら、それも教えて下さい。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

再度回答します。 >>ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 : このことに関してつまり前記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていて、後記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていない文章であると思いました。 その通りですが、上記で書かれたことに実質的な意味はありません。個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります。 たとえば、意に反して という言葉は、当人以外の外部的な力が働いている(受身)の意味が含まれます。したがって他者から何らかの影響を受けたと解釈することもできます。つまり、~られる という言葉がそのことばで置き換えられた、補完されたといえないこともないということです。

noname#181272
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます。 補足にて質問を書いたので、再度回答下さい。

noname#181272
質問者

補足

>個々の文の文章のニュアンスというものをしっかり考えるには、そういった形式的なこと以外の言葉の使い方を見ていく必要があります。 : ‘形式的なこと以外の言葉の使い方’とは例えばどういうものか、komaas88さんの知る範囲でいくつか教えて欲しいですので、回答下さい。 それと‘意に反して という言葉は、当人以外の外部的な力が働いている(受身)の意味が含まれます’ということについて、こういうことが書かれているサイトをご存知でしたら、URLなどを教えて下さい。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

補足により再度回答します。 >まず「頭の中で発せられた感じがあった」と「頭の中で勝手に浮かんだ」は同じ意味だとkomaas88さんが思うことについて。 つまり「頭の中で発せられた感じがあった」と「頭の中で勝手に浮かんだ」はともに“何らか(他者など)にやられているニュアンスの表現である”という解釈だと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。 >頭の中で発せられた感じがあった」と「頭の中で勝手に浮かんだ」 双方共に「頭の中で」がついていますので、直接的には当人の直感から発している現象のように思われます。「他者」が介在するニュアンスはないと思います。 質問文の >●制止が解除された → 制止が解けた >  ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した >――★印と●印の表現で言い換える前の表現は受身・自発・可能・尊敬の助動詞である『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついていて、言い換えた後の表現にはついてない表現になると言うことがわかったのです。 >それらがついた表現は何のニュアンスを含んだ表現で、ついてない表現は何のニュアンスを含んだ表現かが知りたいです。 それぞれ個々の文章が異なっていますので、一括してこうであるというニュアンスをいうことは難しいです。 ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 もちろんその代わりに付け加えられた言葉がそれらを補完していればその限りではありません。

noname#181272
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 補足にて質問などを書くので再度回答下さい。

noname#181272
質問者

補足

>ただいえることは、前記の文章は、受身か自発、または可能、あるいは尊敬 が含まれるニュアンスが濃く、後記の文章ではそういったニュアンスが少なくなっているか、なくなっているだろうということです。 : このことに関してつまり前記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていて、後記の文章は『~れる』『~られる』などの受身、自発、可能、尊敬の助動詞が入っていない文章であると思いました。 合っているかどうか、確認の回答を教えて下さい。

noname#194996
noname#194996
回答No.1

>Q1.『制止が解除された (何らかの外部要因によって)制止が解除された  ということだと思います。 >Q2.『制止が解けた』という表現 を、別のわかりやすい表現に変えよ ということだと解釈すると  (「A男」 にかかっていた)制止が解けた ということでしょう。 この際外部要因があったかどうかはこの表現ではわからない(あったかもしれない、なかったという断定はできない)ということだと思います。 >Q3.★印の言い換え前の表現 >頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ これは同じ意味だと思います。それ以外は仰るとおりだと思います。 >Q4.★印の言い換え後の表現  >→何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した この「きっかけ」は外部要因である可能性もありますので、★何らかによって と同じ意味になる場合を含みます。 これ以外は仰る通りだと思います。 ご参考になれば。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 補足にて返信・質問を入力するので、再度回答下さい。

noname#181272
質問者

補足

補足です。 まず「頭の中で発せられた感じがあった」と「頭の中で勝手に浮かんだ」は同じ意味だとkomaas88さんが思うことについて。 つまり「頭の中で発せられた感じがあった」と「頭の中で勝手に浮かんだ」はともに“何らか(他者など)にやられているニュアンスの表現である”という解釈だと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。 質問文の >●制止が解除された → 制止が解けた >  ★視線をそらす行為を止められた    →視線が勝手に留まった   →視線が意志とは無関係に動かせなくなった   →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった   →視線をそらすことができなくなった   ★頭の中で発せられた感じがあった   →頭の中で勝手に浮かんだ   ★何らかによって体の動きを止められた   →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した   ★行為を止められた   →意に反して行為が制止[停止]した   ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた   →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した ――★印と●印の表現で言い換える前の表現は受身・自発・可能・尊敬の助動詞である『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついていて、言い換えた後の表現には『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついてない表現になると言うことがわかったのです。 『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついた表現は何のニュアンスを含んだ表現で、『~れる』『~られる』『~れた』『~られた』『~れている』『~られている』『~れていた』『~られていた』がついてない表現は何のニュアンスを含んだ表現かが知りたいです。 以上質問を2つしました。 再度回答下さい。

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    1.制止が解除された →制止が解けた 2.「つなげて言う」と言った言葉が《頭の中で発せられた》感じがあった。 →「つなげて言う」と言った言葉が《頭の中で勝手に浮かんだ》。 3.人が話す声を聞いている時などに《統合失調症の作為体験である自分の脳内が操られている感じがした》ことがあった。 →人が話す声を聞いている時などに《思考の自由を失う》ことがあった。 4.何らかによって体の動きを止められた →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した 5.行為を止められた →意に反して行為が制止(停止)した →行為が停止(制止)した 6.(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた →意に反して(何らかのきっかけで)飲む・食べる動作が制止[停止]した 7.幻聴に「見るな」と《言われている(責められている)》 →幻聴の内容は「見るな」という《否定的なものであった》 →幻聴が「見るな」という《責め口調として聞こえた》 →幻聴が「見るな」という《自分にとって辛く耐え難い言葉として聞こえた》 8.昼ご飯を食べることが禁止され →昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし →昼食をとるための心身の働きが混乱し喪失し 9.頭の中で言葉を言わされた →頭の中で言葉が浮かんだ 10.「良くない気圧配置になる」という言葉が浮かび、それはまるで言わせられるような感覚であった。 →「良くない気圧配置になる」という言葉が浮かび、ネガティブに考えるということであった。 1~10の表現についてで質問があります。 “言い換える前の表現は「受動的表現」、言い換えた後は「○○的表現」である。” “  ”の○○に入る言葉は何なのか、知りたいのです。 知ってたら教えて下さい。(何個か知ってたら全部教えて下さい)

  • ★印の質問の仕方が回答がつきやすくなるか。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 3.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 →自分の頭の中の曲が勝手に再生された 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した 今日(11月11日)、上記に書いてある言い換え前の文で、「~れる」「~られる」が伴った文はどの文でも、 未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞「~れる」「~られる」と表現されるという解釈であるという回答をもらいました。(それでその質問に関しては解決しました) 僕は1.~7.のように、他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがあるのです。 ここで回答がつきやすくなる質問の仕方について質問があります。 以下の★印のとおりに質問をしたら回答がつきやすくなるかどうかを教えて下さい。 ★以下の未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文を、未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文に言い換えて下さい。 もし★印の質問の仕方で誤りがあれば、誤りの部分を訂正してくださると助かります。 よろしくお願いします!

  • 可能・尊敬の言い換えもできるかどうかが知りたい。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 → 『頭の中で勝手に浮かんだ』 2.『視線をそらす行為を止められた』 → 『視線が勝手に留まった』 3.『自分の頭の中の言葉が変換された』 → 『自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった』 4.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 → 『自分の頭の中の曲が勝手に再生された』 5.『操られている』 → 『強制を受けている』 6.『制止が解除された』 → 『制止が解けた』 7.『行為を止められた』 → 『意に反して行為が制止した』 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 意に反して起きたこと前提にした言い換えの場合で、質問があります。 受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついた文の場合、受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついてない文への言い換えは可能だと思ったのです。 では、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついた文の場合、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついてない文への言い換えは可能かどうか疑問を感じたので、それについてを教えて下さい。 よろしくお願いします!

  • 目が釘付けになったという表現が間違っていると思う。

    以前自分の中で起きた出来事について質問があります。 家族がテレビでドラマ・バラエティ・ニュース番組などを見ていたのです。自分は家族が見ていたテレビ番組に視線が行ってしまったのです。それで家族が見ていたテレビ番組に視線が行った後に視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなったことが何度かあったのです。要するに《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》感じだったのです。 それでこのことをokwaveで回答をくれた方とメールで伝えたのです。 そしたら相手の方は「《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現を「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」というふうに言い換えて書いてくれたのです。 《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません。 相手の方は“それほど「テレビ番組の内容として印象的なもの」があったのでしょうね”とおっしゃったのですが、僕にとってはそうではありませんでした。 テレビ番組の内容には興味を示してませんでしたし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったのです。 要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」ということなのです。 ここで質問です。 (1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。 (2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。 (3)要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」 (1)~(3)が当てはまる場合、《眼球の動きを止められた》から《目が釘付けになった》への言い換えは間違っていると自分は思ったし、家族もそう言ってました。 本当は《眼球の動きを止められた》は、どういう言い換えの表現になるのか、教えて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉での回答を下さると嬉しいです。

  • 受身表現から客観的表現に変換して下さい。

    実は、本日(8月3日)『国語』カテゴリで「一点を見つめたまま視線が動かない状態」を「目が据わる」と表現するのはニュアンス的に間違いであり、「目を据える」「凝視する」と表現するのが正しいと言う回答を得たのです。 僕は、一点を見つめたまま視線が動かない状態だった時、お酒に酔ったり怒ったりしていた訳ではなかったのです。 自分の中では、★印の内容の出来事があったのです。  ★テレビ画面を少し見る→目をはなす→目をはなすのは束の間で再びテレビ画面のほうに視線が行ってしまう  ★意思に反してテレビ画面から視線をそらすことができなかった時は、テレビ画面をじっと見ていたことがあって、一点を見つめたまま視線が動かない状態となったこともあった。 : ★印に関して受身表現では、《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》というふうに表現するだろうと思うのです。 《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》というのは自由を失った感じだと言うことです。 また「一点を見つめたまま視線が動かない状態」というのは、ドラマやバラエティに自分も目を向けた時に、テレビ画面を凝視していた状態となり、自由を失っていたということだと思うのです。 ここで質問です。 《『視線をそらす動きを止められた』『眼球の動きを止められた』》は受動的な感覚の表現です。 この表現を客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現に書き換え、回答下さい。 客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現を1つだけでなく、いくつか知ってたらそれを教えて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉で答えて下さると嬉しいです。 ※以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

  • 『国語』カテゴリで以前質問したことです。

    『国語』カテゴリで質問をしたようなことですが、『メンタルヘルス』カテゴリにて質問させていただきます。 以前自分の中で起きた出来事について質問です。 実は、テレビ番組に視線が行ってしまった時に視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなったことが何度かあったのです。要するに《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》感じだったのです。 それでこのことをokwaveで回答をくれた方とメールで伝えたのです。 そしたら相手の方は「《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現を「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」というふうに言い換えて書いてくれたのです。 《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません。 相手の方は“それほど「テレビ番組の内容として印象的なもの」があったのでしょうね”とおっしゃったのですが、僕にとってはそうではありませんでした。 テレビ番組の内容には興味を示してませんでしたし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったのです。 要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」ということなのです。 要するに勝手に起きたことだと思うし、《眼球の動きを止められた》感じが1~2分起きたのではない場合、「目が釘付けになった」というのは大袈裟すぎると聞きました。 物理的に起こった現象に対する言い方、この場合「統合失調症」という病気は関係ない言い方が知りたい訳であるのです。 《眼球の動きを止められた》というのは《目の動きを中心に合わせられた感じ》であると言えるのです。 『国語』カテゴリでは《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》は無意識下においての目の「ピント調節」だと聞き、言い方としては「一箇所に視点を合わせた、視点が合った」でしょうか、と回答してきた方がいました。 ここで質問です。 受身で言う《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》という表現はどういう表現に言い換えられるか知りたいです。 言い換えの条件は、 (1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。 (2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。 (3)《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》が1~2分続いてなかった場合の言い換え表現を回答してほしいこと (4)言い換え表現に関して、意味は同一であること。 (5)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれた別表現を回答してほしいこと (6)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれてない表現を回答してほしいこと です。 (5)(6)に関しては表現は1つだけでなく、何個か書いて欲しいです。 なお、『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』は受身・自発・可能・尊敬を表す助動詞です。 回答下さい。

  • 自分の中の出来事について表現を言い替えて下さい。

    実は以前、ここのカテゴリに質問させていただいた者ですが、自分の症状を「暴かれた(発見された)」「操られた」「操られているような印象を受けた」「発せられた」「止められた(=制止された)」「制止が解除された」「短縮された言葉で発せられた」「モトの言葉に変換されて発せられた」などの回答を得たり、そのようなやりとりをしたことが以前あったんです。 しかし家族の人にその件を訴えたら、「暴かれた・止められた・解除された・発せられたなどとは思えない」「すべて自分の意志で行っていること」「“操られた・自分の意志で操った”=操るという言葉は使わないほうが良いし、自分の意志で動いていること」だと家族の人が言ってました。 ここで質問ですが、★印の自分の中で起きたことについて 断片的な文章をまとまった文章にしてください。もしおかしな文があったら言い替えた表現を教えて下さい。他の表現も教えて下さい。自然な表現をできれば教えて下さい。 それと、以前述べたことのある文章も、『自分の意志で行った』『自分の中で作り出された』ことをキーワードとして言い替えた文章にしてあらわしてほしいんです。 「操られた」という言葉は使わないであらわしてほしいんです。 ★(1)心の中・頭の中で質問をする(2)自分の外の音(=人の声、犬の吠える声、テレビの音)、自分の中の音(=幻聴・耳鳴り)、他人が動いているのを見たことなどがきっかけで質問したことと関連した回答の言い聞かせなどがあった、回答が自分の中で出てしまったかどうかは判断できないがそれがあった(3)回答の言い聞かせで、例えば「今日は○○さんからメッセージが来るのか来ないのか」と質問したことに対する回答が後で正確な回答だと感じた : このことについて、正確ではない回答の言い聞かせもあったんです。 ★「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「区切る」と言ったような言葉が何らか(=人の声など)がきっかけで発せられて、それらの言葉が出る前までは自分の行為などを否定した内容を心の中や頭の中で言い聞かせられたり、そのように操られたような感覚があった。自由に自分が行為をすることのように動かされたんではなかったように感じた。要するに「 」内の言葉で、行為が否定→可能になった感じだと感じた。 ★【A】ひとつの言葉(「例:ある」)を心の中や頭の中で言ったが、自分の外や自分の中の音などがきっかけで何らかの理由もあって、短縮された言葉(「例:あ」)として発せられた【B】それが数分、数日か続いた後に、短縮された言葉(「例:あ」)で発せられていたのがモトの言葉(「例:ある」)に自分の外や自分の中の音などがきっかけで変換されて心の中や頭の中で言わせられた感じがあった。 要するに操られた印象を受けた。 ★去年の前半まで何らか(=テレビや幻聴・耳鳴りおよび家族の人が誰かに電話したりしゃべったりしていること それがあったり、その時自分が電話している側にいたこと、犬が吠えていることなど)がきっかけでひとつの動作が止まったりできなかったり体が固まってしまった このことについて制限がかかった感じだと捉えた が、去年の後半からそれら(=体が固まったり、ひとつの動作ができなかった 制限がかかったなど)が解除された感じがあった。要するに制止~動作を継続するように強制するように動きが変わった~継続が解除されたの流れの出来事が起きた。 ★自分が例えば『国語』と心の中や頭の中で言ったとする。『こくご』まで心の中や頭の中で言う 要するにまとまった言葉を心の中で言うんではなく、『こく』で区切って(=心の中や頭の中で止める=黙る感じ)『ご』と言うふうに言った(=『こく、ご』というふうに心の中や頭の中で言った)が、喫茶店の職員さんの言動があったことがきっかけで『こくご』と言うふうに発せられた(=心の中や頭の中で言ってしまった)ことがあった。それが人の名前を言った時も同様のことが起きた。 ★「関係なく治す」「くだらないことやったのを治す」という言葉が何らか(=自分の外や中の音など)がきっかけで発せられた。これは精神病や普通にあることなどを動かすことだと感じたりした。 今回はここまでにします。 回答をくれた方に対し、お礼で返答したり質問しようと思います。 できれば★印のこと全部言い替えてくれると幸いです。 おそらく自分の意志で起こしたことだと家族の人は言ってました。

  • 漢字のつづりは合ってるか。

    本日(9月19日)の精神科の診察で主治医から聞いたことですけど、 制止が解除された=受け身表現 制止が解けた=叙述動詞 の解釈って合ってますか? 僕は「じょりつどうし」「じょぜつどうし」とメモってきました。

  • 文のニュアンスについて教えて下さい!

    【A】僕が牛乳を飲もうとする行動を何者かが止めてきた感じがした。 【B】牛乳を飲もうとする行動が停止し、それは意に反した出来事であった。 上記の【A】の文章は“自分の体に他人の意識が入っているように感じているというニュアンスが含まれる”、【B】の文章は“自分の体に他人の意識が入っているように感じているというニュアンスをなくした”表現だという解釈は正しいですか? どなたか補足が重なるとは思いますが、ご回答を下さい! よろしくお願いします!

  • 「故障中」という表現は正しいでしょうか。

    ●「故障中」という張り紙を時折見かけます。これは正しい表現でしょうか。 ●「営業」とか「進行」のように何らかの行為や動きのニュアンスがある言葉の場合は、「営業中・進行中」と「~中」が付けられると思いますが、「故障」のように状態を表す言葉に「~中」は付けられないのではないかと考えます。 ●状態を表す言葉として例えば「晴れ」があります。この場合「晴れている」とは言えても「晴れ中」とは言えません。ですから「故障」という状態を表す言葉で、「故障中」とするのは誤りだと思うのです。 ●アドバイスお願いします。