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法華経の文献学

法華経を複数のテクストの集まりと考えると 成立した年代がそれぞれ異なると思います。 どの箇所が最も古い成立であるかなどは わかっているのでしょうか?

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回答No.1

こんにちはです。 法華経については、何も知らないのですけれども、 序品 第一 方便品 第二 譬喩品 第三 信解品 第四 薬草品 第五 授記品 第六 化城喩品 第七 五百弟子受記品 第八 授学・無学人品 第九 法師品 第十 見法塔品 第十一 勧持品 第十三 従地踊出品 第十四 如来寿量品 第十六 嘱累品 第二十二 が主要部分で、これ以外は後に付加されたと言われているようです。 たとえば、中村元編 大乗仏典 筑摩書房 の法華経訳は、この考えに沿って主流的、付加的部分とに分けて翻訳されています。まぁ、妥当な線ではないかと。。。。 たぶん、方便品と如来寿量品のあたりが最古層。残りの主要部分はそれから徐々に数を増やしていった。成仏予言に関する記述も舎利弗から次第に数をふやし、譬喩も増やしていった。 法華経、《三乗方便・一乗真実》をうたっていますけれども、基本的に排他的ですからねぇ~。方便品では、「こんなこと信じられるか」と釈尊のもとを去った人たちを、釈迦牟尼は、「増上慢な奴らだから、放っておこう」みたいなことを言って、舎利弗も「そうです、そうです。放っておきましょう」といって、放っておく。釈尊は「あんなやつらいなくていんだ」みたいまことをおっしゃる。法華経や法華行者を罵れば地獄に堕ちたりひどい眼に合う。 こうしたことから、初期の法華経を作成した集団は、正統的な仏教からかなり弾圧を受けた、ことを窺い知ることができる。だから、法華経の功徳をことさら強く説く。そして、法華経を誹謗する人々には、災いが訪れる。無間地獄に落ちたりもする。。。。 こうした排他的な色彩を薄めすために、融和的な部分が書き加えられたのでしょう。あるいは妥協せざるをえなかった。 《堤婆達多品》は、どう考えても、異端的。それまでの仏教の常識《女性不成仏》を覆す。竜女は成仏する(成仏するには、一度、人間に生まれ変わらないと駄目。これは仏教の常識!!)。堤婆達多は。。。。。 観世音菩薩普門品は、まったく、法華経の主要部分と関係しない。独立している。 陀羅尼を述べた部分も後世の付加であるのは明らか。仏教が密教化してゆく過程に付加されたんでしょう。 こうした部分は、異端的な小規模の仏教教団を吸収する過程で、その教えを法華経に取り入れてたんでしょう。 しかし、インドでは法華経の教えは主流にならなかった。インド人の民間では次第にその人気が高まり、無視をできなくなり、正統とされる人たちは法華経は大乗仏典として認めざるをえなくなった、という研究者もいますが、その物証は、確か、ない。サンスクリット語で書かれた法華経の論書はいまだ発見されていないので、学問的対象にならなかったのはほぼ確実。 仏教がインドから消滅するまで、インドでは三乗は三乗のまま仲良く共存。法身がいるから、久遠の釈迦牟尼仏は不要。女性が成仏できることは、歴史上実在したゴータマ・ブッダが明言している。。。。 法華経が重要視されるようになったのは、法華経が中国に入ってから。分かりやすいですからね~、法華経。読めば分かる。しかも功徳がすごい。仏教に現世利益を求める中国人と日本人の心にぴったりフィット、大ブレークしたというわけです。 こうした法華経の特質を最も見抜いたのは、良くも悪しくも、日蓮なのでしょう。 紛れもなく、日蓮は、法華経の申し子です。よい意味でも、悪い意味でも。

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >たぶん、方便品と如来寿量品のあたりが最古層。 そうなんですか。改めて読んでみます。 法華経で気になるのは、かなり法華経のグループが それまでの仏教徒と対立して恨み言を残しているが 衝撃的でした。なぜわざわざそういったことまで 経典に書き残しているのか? どんな人たちが法華経のグループになったのか? など気になったのでした。 当てはまらないかもしれませんが、まるでルサンチマンと 奴隷道徳のようで、法華経の一乗の思想も その根底には怨恨があるのではないかとすら思えたのでした。

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回答No.3

No1のお礼の質問への回答です。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ どんな人たちが法華経のグループになったのか? ~~~~~~ No2で紹介した岩本裕 仏教入門 中公新書には、 ~~~~~~  『法華経』を読むと、まず、相当に迫害された事実が知られる。第十二章「忍耐』の章(『妙法蓮華経』では第十三「観持品」)の最後に、次のように記される(原本は詩形であるが、ここでは意味をとって散文体に記す)。 「われわれは、ブッダがなくなられた後の怖ろしい世に、この最高の経典(『法華経』)を宣揚しよう。そしり罵られようと、脅かされようと、また杖を振り上げられようと、われわれは愚かな輩のあらゆる迫害を耐え忍ぼう。愚かな理性をもち、不正直で、意地悪い心を持つ高慢な輩、美食にあこがれたり、家や財産のことばかり考えている輩、われわれのことを「利益と尊敬とを得ようとして、自分勝手な経典(『法華経』をさす)を編纂した」と、非難するだろう。われわれが外道の(佛教徒以外の者)の言葉を語ると、王・王子・大臣・バラモン・長者などに向かって非難しよう。しかし、われわれはブッダを尊敬する気持ちから、どんなことでも耐え忍ぼう。われわれは身体も生命も惜しまない。僧院から追われ、数々の悪口を色々と言われようとも、われわれは悲鳴をあげずに、顔をしかめながらも、何度でも耐え忍ぼう。……」 と繰り返して迫害に耐える決意を述べる。それと同時に、『法華経』を信じない輩がどのように悲惨なものであるか繰り返し述べている。たとえば、第三章「たとえ」の章に 「〔『法華経』に説かれた〕勝れたさとりを嫌う人々は皮膚に腫瘍が生じたり、疥癬に罹るだろう。頭の髪が抜けたり、痩せ衰えよう。駱駝や驢馬になって荷物を運ばされ、鞭や棒で叩かれようし、片目で醜い犬となって村の子供から土塊を投げつけられよう。たとい人間に生まれ変わっても、不具者・癈疾者となり、どんな薬も効かない病気に罹って、癒ることはないだろう。……」 などと述べ、「この経典を捨て去る者の災難を数え上げるとすれば、いくら数えても最後に達しないだろう」という。この脅しの言葉はまさにインフェリオリティ・コンプレックスの表現そのものであり、あたかも小児が竹棒を持って強がりを言うのに類するといっても言い過ぎではない。『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体によって受け継がれていることは、よく知られていることである。  さて、『法華経』に見られる迫害と、それに対する脅迫の羅列は何を意味するであろうか。『法華経』を生み出した教団ないし団体が弱小であり、さまざまな迫害にさらされたということである。そして、前にも述べたように、この教団は後にデーヴァダッタの一派と連繋したと考えられる。このような事情を考えると、このような弱小教団は他にも数多くあったと考えて差し支えないであろう。これらの弱小教団は単に上座部一派のように修道団的な自利のみを目的としていては、伝統的な力を持つ彼らに対抗することはできない。そこで、自己防衛手段として自利の他に利他をうち出し、教勢の拡張を図ったのではなかったかと思われる。こうした手段が佛教を宗教として育成させ、伝道宗教として発展させることになったと言わざるをえない。 ~~~~~~ とあります。 デーヴァダッタ教団と法華経との関係については ~~~~~~  しかし、これは佛教のいわば正統派の伝えるところであるから、そのまま受け取れない。デーヴァダッタの一派はそののちも永く続き、5世紀に中国の法顕がインド旅行をしたとき、ベンガル地方にこの一派がおり、特殊な信仰を持っていたと伝えている。また、7世紀に中国の玄奘も、この一派が独自な戒律を保っていたことを伝えている。  デーヴァダッタの一派はいわば佛教の異端であり、デーヴァダッタはその開祖なのであるが、彼について後代の経典に興味ある記事が見られる。彼はブッダに反逆したのであるから、ブッダから見れば彼は異端であり敵対者である。それにもかかわらず、ブッダがデーヴァダッタに感謝したというのである。『法華経』を見ると、ブッダが 「僧たちよ、デーヴァダッタは実に余の善き友人である。そして、デーヴァダッタのお陰で、余は六波羅蜜を完成したのであり、大きな慈しみ、大きな憐れみ、大きな喜び、大きな根気、ブッダとしての種々の特性、偉大な神通力、十方における一切の生物を救う力、このすべてをデーヴァダッタのお陰で余は達成したのだ」 と語って、デーヴァダッタが遠い未来においてブッダになると予言したことが記されている。  この記事は『法華経』にあとから付け加えられた部分に見られるのであるが、元来は独立した経典であったと考えられている。この独立した経典はデーヴァダッタをブッダが讃嘆するという形式から見て、デーヴァダッタの一派と特別な関係がある、あるいはこの一派で作られた経典であると考えられよう。そして、それが「法華経』を生み出した教団と特殊な関係にあったのではないかと考えられるのである。しかし、そのほかのことがまったくわからないので、それ以上のことが言えないのは残念であるが、わが国ではあまり研究されていない『大宝積経』などが研究されると、インドの佛教史についていろいろ興味ある事実がわかるかもしれない。 と述べています。 ~~~~~~ と書いてあります。 どちらの記述も参考程度に。 正統的な仏教教団、異端的な教えを持つ人たちを殺害したり傷つけたりと、結構、ひどいことをやったらしいですよ。 世親は説一切有部の学説に対して少し批判的なことを倶舎論で書いたら、悟入尊者から「あなた、狙われちゃいますよ。今のうちに逃げた方がいい」とか言われ、カシミールから逃げたとかいう伝説もあるくらいなんで。 この伝説が本当であるかどうかは分かりませんが、こうしたことが実際に起きていたことだけは確かなんじゃないですかね~。般若経の六波羅蜜に《忍辱波羅蜜》ありますんでね~。こうしたことからも、初期般若経の作者集団は、結構、ひどいことをされたことが窺えるのではないでしょうか。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ なぜわざわざそういったことまで経典に書き残しているのか? ~~~~~~ 法華経を読むと、法華経の功徳と法華経を悪くいう人への仏罰(?)とは表裏一体の関係だからでしょう。 今でもそうでしょう、新興宗教やカルト的な宗教などでは、「この教えを信じると救われる。信じないと地獄行きだ」みたいな脅迫紛いなことを言って、入信させたりする。そして、この脅迫めいた部分は、信者脱退の抑止効果も合わせ持つ。 「この壷や印鑑を買うと。。。。」ってのもありますし。。。。

noname#195588
質問者

お礼

忍辱波羅蜜がそれまでの正当の仏教徒からの 弾圧、迫害に対する異端者の抵抗のことだったとすると 大乗仏教の起源のイメージが変わってきます。 分裂といっても、もっと穏やかなものだと思っていました。 仏塔崇拝がどうとか言われてますけど、 新しい思想に対して迫害や殺害まであったなんて 驚きです。 利他行や慈悲もそれまでの智慧に対する価値転倒、 奴隷道徳ではないのかなどと考えてみたり。 もしかして、大乗仏教は迫害されたもの、 虐げられたものたち、異端者たちの思想だったのかなあ。 まあ、どうしてそういう新しい思想が出てきたのか ということも問題でしょうけど。

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回答No.2

No1の付け足しでげす。 今、手元にないのですけれど(実家にある)、  渡辺照宏 「日本の仏教」 岩波新書 では、  な~んも教えらしい教えがない《法華経》で哲学しようというのが間違い  日蓮なんか、全然、仏教が分かっていやしない みたいなことを言って、法華経や天台出身の諸宗派を酷評していま~す。 そして、日蓮が散々悪口を言っている良観忍性を「彼こそ真の仏教者である」と高く評価していま~す。 良観忍性、律宗じゃなく、真言出身ですからね~。行基や空海と同様に、恵まれない人たちのために、多くの慈善事業をしていますからね。 渡辺先生、インド仏教・密教の研究者であるのと同時に、真言宗のお坊さんですから(笑い)。 日蓮大聖人、そのことを知ると、真言への攻撃をさらにパワーアップをされている。。。。 中立の立場からは、岩本裕なんかも、法華経に対して批判的なことを書いていますよね。  たとえば 岩本裕 仏教入門 中公新書 ちなみに、岩本裕は僧籍を持っていません。で、創価大学の先生もしていました。岩波文庫には、岩本裕訳の法華経もある。 岩波裕の仏教入門、これは、いい本ですよ。眼から鱗が落ちる。一読することをお薦めします。 そして、この本にも、法華経の成立過程についての簡単な記述がありますよ。 これ、本筋から離れちゃいうのですけれども、ちょっとアドバイス。 クマラジュウ訳の妙法蓮華経を和訳したものは読まない方がいいです。絶対に読まない方がいい。いやいや、クマラジュウ訳からの和訳はすべて読まない方がいい。 クマラジュウ訳には、オリジナル・原典にはない彼の思想が結構紛れ込んでいますし、誤訳や誤解も多い(クマラジュウはインド出身ではない)。誤解を生む温床なんで。 たとえば、。。。。 これは止めておこう。 《一念三千》が成立しないことは、おっかなくて口にはできない。 天台の空中仮の三諦ホニャララは、中論の誤解の産物で、まったくのデタラメであることなど、チキンの僕には、恐くて口にできない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE

noname#195588
質問者

お礼

ねむりねこにゃさんが 岩本裕の仏教入門を時々、引用されているので 読んでみたいと思っています。 それにしても岩本裕さんは 創価大学の先生なのに こんなに法華経を批判して大丈夫だったんでしょうか。 岩波文庫で法華経の訳も出しているわけで どんな人だったのか、興味が出てきました。 あと、クマラジュウの訳が間違っているとか 天台の思想がデタラメとなると とてつもない問題のような気がします。

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