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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「創造」と「発見」は、対義語か?同義語か?)

「創造」と「発見」は、対義語か?同義語か?

このQ&Aのポイント
  • 「創造」と「発見」は、1つの物事の異なる側面を書き表わしているだけであって、対義語じゃなく、むしろどっちかというと同義語のような気がします。
  • 芸術家にとっては創造力が最も大事であり、優れた作品を創るには創造力は最も欠かせないものだと思います。
  • 広い意味で考えると、芸術家でも「探究力」が重要であるかもしれませんが、芸術家イコール探究心ではないような気がします。この場合、"なぜ?なぜ?"の「探究」と、"直感"の「創造」が結び付きません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.14

「創造」では、 既存(既知)のものを組み合わせて「新たなもの」を創り出すということになるでしょう。例えば、芸術においては、文芸は主として「文字」を、音楽は主として「音」を、絵画は主として「色」を、工芸は主として「物」を組み合わせて創り上げていきます。 これに比べて「発見」は、既存(既知)の事項で記述されていない、未知のものについて、誰もが納得しうるなにがしかの記述(客観性が高い文書:誰もが追試可能な手順や方法を述べている文書を含む)が為されるということでしょう。 「視点の違い」という考えもあるでしょうが、少なくとも【その時点での人類にとって】という基準が暗黙裏に想定されるでしょう。 すなわち 「創造」では、 【その時点での人類にとって】既存(既知)のものを組み合わせて「新たなもの」を創り出すということになるでしょう。 これに比べて「発見」は、【その時点での人類にとって】既存(既知)の事項で記述されていない、未知のものについて、誰もが納得しうるなにがしかの記述(客観性が高い文書:誰もが追試可能な手順や方法を述べている文書を含む)が為されるということでしょう。 となるでしょう。 「未来の人類」の視点や「唯一絶対神」の視点からすれば、人間の行うどのような行為も「創造」でも「発見」でもない「既知のもの」として扱われることになるでしょう。 そういった「未来の視点」に立った状態を想定できるからといって、「いま・ここ」に生きている人々が「発見や創造なんて区別すること自体おかしく、すべて既知のことだし、同義語だ」といったり、あるいは「いま・ここ」に生きている人が、過去の歴史的な「発見・創造」を振り返って、「発見や創造なんて区別すること自体おかしく、同義語だ」と言ったとしても無意味だと思われます。

octopass
質問者

お礼

ご回答有難うございます. >少なくとも【その時点での人類にとって】という >基準が暗黙裏に想定されるでしょう。 ということですが,そのような前提であっても,やはり「創造」と「発見」は同じものであると思います. なぜならば,「創造」は「【その時点での人類にとって】既存(既知)のものを組み合わせて「新たなもの」を創り出す」と仰いましたが, これは言い換えると, 「【その時点での人類にとって】それまで知らなかった新しい組み合わせを『発見』する」 ということにならないでしょうか. そう考えると【その時点での人類にとって】も,「創造」と「発見」は本質的には同一であると思うのですが... (ちなみに「発見や創造なんて区別すること自体おかしく」なんて,私,一言も書いてないし思ってませんよ(笑)ただ本質が知りたかっただけです.)

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その他の回答 (13)

  • Kirby64
  • ベストアンサー率27% (668/2450)
回答No.3

>たぶん多くの人は、「発見」と「創造」は、どちらかというと対義語だと思っていますよね  思ってねーしニャ。ついでに書くと絶対に同義語でもないニャ。  つか、それ以下の文章(質問)も、チミ、頭は大丈夫かニャ?と思うくらい、ぶっ飛んでるニャ。  チミの仮定は「おなら」と「フェラチオ」は対義語かニャ?同義語かニャ?と言うくらいぶっ飛んでいるニャ。  そんなぶっ飛んだ仮定を前提にされても、全く同意できないし、オイラには心の中でチミのために念仏を唱えるくらいしか出来ないニャ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

octopass
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

octopass
質問者

補足

「対義語」「同義語」という言葉は使ってしまいましたが、べつにそれに拘っているわけではなく、 要するに「発見」と「創造」は根本的には同じかどうか?、それともあなたの言うように、「おなら」と「フェラチオ」を言っているようなものなのか?という質問です。 根本的には同じものなのか、それともまったく違うものなのかについて、もし論理的に説明できるならば説明してもらえないでしょうか?

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noname#175206
noname#175206
回答No.2

 科学は言葉遊びをしません。何らかの理由で定義を明確にすることが必要なら、定義して使います。

octopass
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

octopass
質問者

補足

すみません、「対義語」「同義語」という言葉を使ってしまいました。質問の仕方が悪かったです。 なぜこのような質問をしたかというと、 ある大学のパンフレットに、研究室紹介のページがありまして、そこには一つの2次元グラフがあり、そのグラフのx軸の左端に位置している研究室ほど「真理の探究型」の研究をしていると書かれており、右端に位置している研究室ほど、「創造型」の研究をしていると書かれていました。 それを見て、「探究」と「創造」があたかも反対の言葉のように使われていたので疑問に感じたところが、この質問の発端です。 例えば、「ある移動機構の発明、考案」で考えても、それは確かに発明者自身が創造したものではあるものの、新しい機構を発見したもの、ともいえると思うので、そういう意味では、「真理の探究」と「創造」は、対の関係ではないのではないかと思い、今回質問させて頂きました。

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回答No.1

発見⇔模索 創造⇔模倣 らしいです。

octopass
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

octopass
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 すみません、「対義語」「同義語」という言葉を使ってしまいました。質問の仕方が悪かったです。 なぜこのような質問をしたかというと、 ある大学のパンフレットに、研究室紹介のページがありまして、そこには一つの2次元グラフがあり、そのグラフのx軸の左端に位置している研究室ほど「真理の探究型」の研究をしていると書かれており、右端に位置している研究室ほど、「創造型」の研究をしていると書かれていました。 それを見て、「探究」と「創造」があたかも反対の言葉のように使われていたので疑問に感じたところが、この質問の発端です。 例えば、「ある移動機構の発明、考案」で考えても、それは確かに発明者自身が創造したものではあるものの、新しい機構を発見したもの、ともいえると思うので、そういう意味では、「真理の探究」と「創造」は、対の関係ではないのではないかと思い、今回質問させて頂きました。

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