• 締切済み

簡単に「天罰だ」とクリスチャンは言いますが…

st_augustinusの回答

回答No.7

旧約聖書は、ユダヤ教徒のためのもので、ユダヤ人以外には適用されません。 だから金利をユダヤ教徒以外から取っていたわけです。 なので日本にはその教義は当てはまりませんので、そもそも旧約聖書の引用は論外です。クリスチャンでそう考えているのは不勉強な輩です。

関連するQ&A

  • オリーブ―ノアの洪水 ...ノアの箱舟って何ですか?

    このカテゴリーで良いのか分かりません。 犬の血統書の名前が『オリーブ―・ノア』でした。 どういう意味なのか調べましたがよく分かりません。 オリーブ(平和) ノアの箱舟 オリーブ―ノアの洪水 神に従う無垢な人であったノア この名前の意味をこじつけでも良いですから教えてください。

  • ノアの方舟に出てくる「生贄」とは?

    こんにちは。 ノアの方舟に出てくる、「生贄」とは具体的になんのことですか? 「焼き尽くす生け贄」を神にささげることで、もう洪水はおこさないということを神に誓わせるというような内容だったと思いますが・・・。分かる方、もしくは心当たりのある方、教えてください!

  • 大震災を天罰だと信じている方々への質問

    昨年の東日本大震災の被災者の方々を応援するためのプロジェクト"歌おうNIPPON"の中に 「海よ」 という曲があります。この曲の歌詞には、「人の貪欲さが海の蒼さを奪ったので、海が怒って津波を起こし、別れの時間さえも消していった」 と解釈できる箇所があります。 無宗教派であるわたしは、この曲を歌うことは被災した方々を侮辱することだと考えています。ところが、地震や津波は神の意思すなわち天罰だと信じる方々は、この箇所に違和感を感じないようで、すでに仲間内では 「海よ」 を歌ったり、あるいはこれから演奏会で歌おうとしているようです。しかし天罰だと考える日本人は極めて少数なので、一般の被災者を対象とする演奏会等ではほとんど歌われていないようです。 万一、大震災を神の意思だと認めると、人間が貪欲でなければ神は怒らず、地震や津波が発生せず、原発事故もなかったのだと、自らの責任を回避する "もっと貪欲な輩" に悪用されますが、天罰と信じる方々はどのように考えていらっしゃいますか。そのような輩には直ちに天罰が下るとか、死んだら地獄行きだとおっしゃるのでしょうか。

  • ノアの方舟

    ノアの方舟の話がよくわからないのですが 洪水が発生して、神様の言う通りの指示に従った人のみが助かった という話であってますか? この話から、 私たちは何を教訓にするべきなのでしょうか?

  • 旧約聖書のその後のノアについて

    個人的興味で聖書を買いました。(引っ越し時紛失) その中で箱舟を作って多くの種を助けたノアについて質問です。 神がノアに箱舟製作を指示した時かなり細かい数字を具体的に指示しています。 そして洪水を乗り切りますがその後のノアについてどうも記憶が曖昧になっています。 その後どうなったか教えていただけませんか。

  • 神様とノアの方舟

    ノアの方舟で堕天使やネフィリムが暴虐を行って神様は 全てのものを拭い去ろうとした、結果 大洪水を起こして ノアと限られた 動物以外は滅ぼされたとあります。 この時 堕天使や ネフィリム や 地上にいた人々が行った 暴虐とか悪い行いっていうのは 具体的にどんなものだったんですか? 神様は とても 寛容で誠実な方だと聞いているんですが、動植物全てを殺してしまう って結構 残虐な行為 なんじゃないかと思うんです。 であれば それ相当の悪事が働かれていないと整合性が取れないというか。 神様がノアたち以外を殺してしまう 滅ぼす というのが安直に語られることは、神様への信頼を損ねるし、神様の寛容さに疑問が呈されることもあろうかと思います。 そうではなくて 神様が実に豊かに寛大な方で許容することのできる誠実な方だとすれば、ノアの方舟のお話に少なからず 懐疑的なものを感じます。 あるいは救いようがないぐらいの悪事を 僕はちょっと想定できないんですが、それらが働かれていたということなんでしょうか? 1つ目は どのような悪事が働かれていたのか? 2つ目は 神様の 滅ぼす という取り計らいは妥当なものだったのか? 3つ目は ノアの方舟の逸話自体 信憑性のあるものなのか? ということでご回答ください。 その他の意見も歓迎します。 よろしくお願いします。 ありがとうございました

  • ノア 約束の舟 旧約聖書と映画で違いませんか?

    僕はクリスチャンでありませんが、旧約聖書と新約聖書は通読し、特に旧約聖書の天地創造とかモーゼとかの物語が読んでて面白かったです 旧約聖書のノアの洪水物語(創世記6章~創世記9章17節) http://missclarapress.com/2014/06/15/bible-noah/ 神はノアに言われた。 「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。 彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。 あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。 (中略) 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。 わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。 また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。 それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。 (中略)  「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ というように、神はノアと家族、動物、鳥たちと子を産み、 増えるよう言っています しかし、映画ではノアは人間は悪なので滅びるよう命令されたと 思い込み、ノアの長男 セトの嫁のイラ (ハリー・ポッターの ハーマイオニー)が身籠もった時、もし生まれたのが女の子なら 子供を産み、人間が滅びないので殺すと急に悪人に人が変わ ってしまい、すごい違和感がありました 原作と映画であらすじが変わっちゃうことはよくあることですが、 今回は話の根幹をねじまげており、僕には許容できませんでした 聖書では「妻子や嫁たち」と言ってるのに、嫁は長男の嫁 イラ だけで、ハムの思い焦がれた女の子を見殺しにしたのも変です 特に聖書を通読してる人などクリスチャンでもほとんど見たことが なく、この映画で間違った「ノアの箱舟」 を植え付けられるのが 悔しいです クリスチャンはなんでこんな映画を容認してるのですか?

  • なぜキリスト教が愛の宗教といえるのか?

    こんにちは。キリスト教について勉強し始めたばかりのものです。 今,旧約聖書を読んでいるのですが,そこで書かれている神の所業がどうしても気に食わないのです。 というのも,神は自分の意に沿わない民を殺しまくりますよね?ノアの箱舟だって,信心深いノア以外は洪水で殺してしまいます。 あと,「殺すなかれ」と十戒で命じておきながら,イスラエルの民が他民族と戦争するのは容認しているし,時には勝利に加担したりしています。 これを読む限り,キリスト教が愛の宗教だと言われていることがどうも胡散臭く思えてくるのです。神が人を分け隔てなく愛する愛の宗教なら,人間同士の殺し合いを容認することはおろか,神自身が人を殺すこともあってはならないのではないでしょうか? なんでキリスト教の神はこんな身勝手なんですか?また,クリスチャンはこれを唯一絶対の神と信じているわけですよね?だとすればこんな身勝手な神およびその御子であるイエス・キリストを崇拝する宗教が「愛の宗教」だとなぜいえるのでしょうか? どなたか説明をよろしくお願いいたします。

  • クリスチャンと無宗教の間の子供

    クリスチャンの彼(本人は、あまりどこの教会にも属しているわけではないと言っていますが聖書を重んじています。主にプロテスタントの教会に行っています)と真剣に付き合っています。彼は私との結婚願望がとても強いです。また、日本に住んでいて彼も日本から離れる気はないそうです。また、彼はクリスチャンながら日本の文化が大好きなため、お寺や神社デートなどにも行きます。ただ、お参りはしません。また、婚前交渉もできないといった、敬虔なクリスチャンだと思います。しかし私に信仰を持って欲しいと言ったことはなく、というより多分私はクリスチャンにはならないだろうということを知っているせいか、自分がクリスチャンであることを理解して欲しいということ以外に求められたことはありません。 彼の信仰が私にとって少し窮屈に感じたりすることはあっても、大好きな彼の人格を創り上げてきた宗教なので多少のことなら受け入れられる覚悟はありますが、私にはどうしても譲れないことがあります。 それは、子供には典型的な普通の日本人のように、というか私が育ってきた環境のように無宗教でいさせたいということです。 子供が、母親よりも神とともに生きるだなんて無宗教の私には耐え難いからです。また、私は彼を見てきて、宗教によって制限されている生活の数々を、可哀想だ、なんて目で見ていました。もちろん彼は同情なんてされたくないでしょうし失礼なことかもしれませんが、縛りのない本当に自由な環境で育ってきた私にとってはどうしてもそう思えてしまいます。 彼は救済をもたらしてくれるものと思っているので同情されるなんて不本意極まりないことなのでしょうけど。。 つまり、私は子供には私のように、また他の大多数日本人と同じように自由に生きて欲しいし、聖書に左右されてほしくないのです。例えば普通の人がしていることを、聖書で禁じられているという理由でそのことができない、というようなことになってほしくない、という意味です。 また、彼はいい事が起きるとすぐにまず神様に感謝します。 私は神からのプレゼントだ、私といると神を近くに感じる、いい家族いい学校いい仕事、全て神のおかげだ、病気が治ったのも神がいたからだ、などです。 しかし私は、まず周りの人々に感謝したり、そこまで頑張ってきた自分の努力を褒めて欲しいと思ってしまいます。 少なくとも子供には、神様よりもまずは家族に、友達に、自分を支えてくれる周りの人々がいたから、そして自分が頑張ってきたから今こんなに幸せなんだ、と思って欲しいです。 神様第一の彼にはもう慣れましたし、受け入れることはできます。 しかし子供は違います。 クリスチャンは子供にも信仰を持たせたいと思っているのでしょうか? 例えずっと日本に暮らすつもりでもクリスチャンになってほしいものなのでしょうか? 子供を教会に通わせたい、と思うものでしょうか? もし彼が、子供をクリスチャンにしたい、となれば、残念ですが私は彼と結婚に踏み切れないと思います。 いつか話し合わなければならないことだと思いますが、話し合う前に皆さんの考えをお聞きしたく投稿させて頂きました。 クリスチャンと無宗教のカップルは大勢いらっしゃるようですが、子供はどうしてるのか、体験談などもありましたら教えてくださるととても助かります。 宜しくお願いします。 (キリスト教についての知識が乏しいため、知らず知らず失礼な言い方をしていたら申し訳ありません。)

  • ノアの箱舟について

     私はクリスチャンで、聖書の記述は基本的に全て事実であると信じておりますが、創世記のノアの箱舟に関しては不思議だなというか、今一つ腑に落ちない部分があるので、特に船の構造等に明るい方にお聞きしたいと思い質問させていただきました。  まずは、このノアの箱舟がどのような物だったのかということを簡単に説明しておきます。  旧約聖書の創世記によれば、箱舟の大きさは、長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトで1キュビトを約44.5cmとして換算すると、およそ「長133.5m、幅22.2m、高13.3m」、3階建てでいくつかの部屋に仕切られていたようです。材料にはゴフェルの木という恐らく杉の一種だと思われますがその内と外に木のヤニで防水加工が施されていました。ということで、史上稀にみる巨大な木造建築物です。船というよりは、むしろシェルターと云った方が、いいかもしれません。そして、この巨大な木造船に海の生物以外の陸上の全ての哺乳類、爬虫類、虫、から空をとぶ鳥にいたる動物たちのオスとメスを載せ、更にノアとその家族計8名と動物たちのための水と食料を載せた状態を想像してみてください。  箱舟の目的はあくまでも、ノア達8人の命と絶滅を逃れたおびただしい動物たちを洪水から守ることだったので、船のように推進する構造である必要はなく、ただ、ひたすらに水に浮いておればよいのですが、このただ浮いているということが、はたして出来ただろうかという疑問が湧いてきたのです。  先の東北での震災後の津波の映像を見た時、木造家屋がいとも簡単に破壊され海に呑みこまれていく姿を目の当たりにし、ノアの箱舟は果たしてどだったのだろうか。と疑問に思うようになりました。  そこで、質問ですが、当時の建築技術の水準がどれほどだったのかは皆目見当がつきませんが、もしも仮に現在の最新の技術をもってすればこのプロジェクト(動物たちと必要な積荷を載せた木造の箱舟を海に浮かべること)を成功させることが可能だと思いますか。