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人の命を奪う死刑は人道的か否か

muimusakuの回答

回答No.14

この「矛盾はありますか?ありませんか?」というのは、「矛盾しているでしょう」と詰め寄っているかのようですが、その論証の仕方には無理があると思います。それは、同じ次元で(同じ土俵で)論争(勝負)することができないこと(もの)を、無理やりに論争(勝負)させようとしているからです。これはあたかも、往年の名横綱の双葉山と現役の横綱の白鵬とではどちらが強いかを論じるようなものです。 身勝手な動機で人が殺される(A)のと、死刑という刑罰で当該者が殺される(B)のとを同一の次元(土俵)で論じることはできません。 (A)は、人を殺してはならないという法規範に反する身勝手な行為です。 (B)は、人を殺してはならないという法規範に反したことに対する法律が定めた刑罰です。 人を殺してはならないという法規範がある限り、それに反する行為をした者には死刑という刑罰を受け入れる責務があります。それは、法治国家における約束事です。 人を殺した者がすべて死刑という刑罰を科されるわけではありません。様々な事情を斟酌して最も重い刑罰として死刑が科されます。 人の命が尊いものであることは誰も否定できないでしょう。しかし、その他の何物にも代えがたい人命を無残にも奪う行為に対しては、最も重い刑罰としての死刑は当然あってしかるべきではないでしょうか。 どんな冷酷非道な殺人者であってもその命は、他の善良な人の命と同様に保護されなければならないというのは、あまりにも現実を無視した空虚な理想論ではないでしょうか。 自分のことしか考えない凶悪な犯罪者が横行する社会においては、人道上という理想論は通用しません。冷酷非道な犯罪者のために血税が使われるよりも、病気や経済苦で困惑の極みにある善良な人の救済に血税は使われるべきではないでしょうか。

derwqq1122
質問者

お礼

明確な回答だと思います。 ありがとうございました。

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