身分制度は必要か?なぜ人間は平等なのか?

このQ&Aのポイント
  • 質問者は身分制度について疑問を持っており、なぜ人間は平等なのかと考えています。平等の考え方は素晴らしいと思いつつも、人生の歩み方や悪い行為による差別も必要ではないかと感じています。
  • 質問者は、悪い行為や義務を果たさない人が一般人と同等の権利を保持し続けることに違和感を抱いています。また、心斎橋で起きた殺傷事件を例に挙げ、人間としての在り方によって人は違いがあると主張しています。
  • 質問者は身分制度が過去の遺物であるとは言え、人間はみな平等という考え方についてどのように思っているのかを問いかけています。
回答を見る
  • ベストアンサー

やはり身分制度は必要ではないか?

小さい頃から疑問を思っていたことの1つですが、 なぜ人間は平等なんでしょうか?  平等の考え方はとても素晴らしいとは思いますし、血筋とか民族、肌の色とか関係なく 平等であるとは考えますが、それはあくまでも生まれた直後の話であって、 人生の歩み方、、、つまり、悪いことをしたり、義務を果たさなければそれに準じて 普通に生きている人とは差別されるべきではないか?と思うのです。 なぜ悪いことをしたり、義務すら果たせない人が、一般人と同等の権利を保持し続けられる というのが理解できません。 身分の話になるともっと細かい考えがありますがここでは割愛します。 (簡単に言うと、社会的地位の高い、または教養や生き方、つまり道徳心の高い人と そうでない人と、身分が同じである必要性も感じません) 平等は素晴らしい考え方とは思いますが、やはり違和感を抱かざるおえないのです。 たとえば平気で嘘をついたり人を騙したりする人と、そうでない人とは人間としての格の違いが確実にあると思っています。 私は肌の色や血筋とかでは差別する気は全くありませんが、人としての在り方が著しくおかしな連中を見るにつれ、なぜ!?という気持ちがいつも湧いてきます。 最近で言えば、心斎橋で起きた殺傷事件ですね。 身勝手極まりない動機は非常に驚きを禁じないのですが、残念ですがそういう考え方を持ってる人は 世の中に少なからずいると思ってます(人を殺すとまではいかなくても他人をだます、利用するなど)。 そういう人と、そうでない人とはやはり違うと思うんです。 身分制度なんて言うと過去の遺物ですから、論外なのかもしれませんが みなさんは人はみな平等という考え方についてどのように思いますか? この話すると長くなりすぎるのでここまでにしておきます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jyasu
  • ベストアンサー率27% (12/44)
回答No.12

身分制度が必要なのかどうか、 人は皆平等なのか、 明確に答えることが出来ませんが、 質問者様の考えにはとても共感できます。 心斎橋の事件みたいのが起きるたびに、 強く思いますね。

zzz999zzzz
質問者

お礼

嘘をほとんどつかない素直で正直な人と、嘘をつくのに慣れてしまって平気でうそをつきまくる人。 この程度でも人間としての「差」を感じます。 今の世の中、人を外見だけで判断する傾向が増えた感がありますが 本当に重要視されるのはそういう道徳心というか、人としての在り方だと私は思ってます。 資本主義における競争で買った勝者はそれに見合った努力の結果はあってもいいと考えますが 道徳心とか、人としての在り方とは違います。ま、まれに両方兼ね備えた人もいるのかもしれませんが、そういう経営者はここ近年著しく減ったような気がしますし。 ==== 差別的発言や、差別について目くじら立てる癖に、現実世界では思いっきり差別が横行しております。 心斎橋の事件の加害者も刑務所から出所した人です。それが原因で就職もままならなかったのだろうと推測します。刑務所が出てきたとはいえ刑期は過ぎ法的な償いは済んでいます。 にも関わらず、社会(人々)は受け容れようとしなかった。 建前上は「差別はけしからん」とか言ってるくせに、現実では露骨に差別をやるのがそういう人々です。 建前と本音の社会である日本。換言すればただの嘘つき野郎だらけである証明でもあります。 上っ面では綺麗事を言う割にやってることは容赦ない。 「いじめはいけません」って日本人の誰もが口を揃えて言う癖に、現にいじめは横行しています。 学校であったり、職場であったり。 差別に目くじら立てたり、いじめはいけませんとか平気で言うくせに、現実はこうです。 二枚舌の嘘つき野郎が多すぎると思いますね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • ygmf
  • ベストアンサー率5% (1/20)
回答No.15

身分制度の基準はどうやって誰が決めるのでしょうか。 あなたの基準?わたしの基準? ほら吹きでも憎めない人もいます。 ウソはつかないけど人助けをしない嫌な人もいます。 この社会には法律とルールと刑罰があります。 盗みをすれば、牢屋に入れられ自由に動き回る権利が制限されます。 反省して更生すれば権利が回復します。 重い罪を犯せば、一生権利は制限されます。 また法律で裁けないことも、例えば嘘ばかりついていたり粗悪な行動をしていれば、人の信用を無くし、人から嫌われ、友達もいなくなります。 逆に徳の高い人は、皆から尊敬され、社会でもそのような位置につきます。 それで世の中は回ってます。それで十分ではないでしょうか。

zzz999zzzz
質問者

お礼

>逆に徳の高い人は、皆から尊敬され、社会でもそのような位置につきます。 嘘八百です

noname#205254
noname#205254
回答No.14

本音で言えば、知らなければ、差別しないが、知ってしまうと差別してしまう、事はよく有ります。 周りの人に被害が及ぶ以上、身分制度も有る程度必要なのかもしれません。 実際に在日朝鮮人の人に騙され被害を受けました、彼らがこんなにも、あくどい人たちとは知りませんでした。

zzz999zzzz
質問者

お礼

本音の回答ありがとうございます。 たとえばこのQ&Aでも、法定速度は守って当たり前という回答が大半を占める癖に 現実社会では、車の流れに乗って走ると法定速度なんてほぼ全員無視してる現実があります。 こういった建前と本音を使い分ける日本人は、ただの嘘つき野郎であり偽善者であると常々思ってます。 全国の学校を調査してもイジメは皆無なんてのも、この建前と本音が根底にあるからだと思います。 そうやって、偽善ぶるからいつまで経っても問題の本質は見えてこないし解決しない。 >知らなければ、差別しないが、知ってしまうと差別してしまう、事はよく有ります。 そんなものだと思いますよ。 たとえば、職場の同僚が不倫・浮気やってたり、過去に痴漢(盗撮)行為をやってたなんて知れたら やっぱり差別したり、嫌ったりしますよね。でもそれって自然な感情だと思います。 >実際に在日朝鮮人の人に騙され被害を受けました、彼らがこんなにも、あくどい人たちとは知りませんでした。 うーん、私は人種差別、民族差別はしませんので、在日朝鮮人を「ひとくくり」する気はありませんが、 当然嫌な目にあえば、差別する感情は理解はできます。

noname#187573
noname#187573
回答No.13

弱い者いじめをしない世の中に住むのが私にとって相応しい人生です……!

zzz999zzzz
質問者

お礼

この質問に大半は差別なんてもってのほか、論外。頭おかしいんじゃねー的回答が多いのに 現実はいじめも普通にあったりします。 日本人独特の建前と本音の使い分けだと思ってます。 公的(公共)の場では歯の浮くような綺麗事を抜かす癖に、実際が伴っていないというか。 ここの回答者のように差別はいけませんと心の底(本音)から思っているのならば、 世の大半の人々も同じ考えなんでしょうから、もっと社会は居心地の良い場所であるはずですからね。 来てほしくもないのに「今度はぜひうちに遊びにいらっしゃってください」みたいな。 飲みに行く気もサラサラないのに「今度ぜひ飲みに行きましょう」みたいな(笑) そういう上っ面の偽善(?)みたいな行為が横行しているのが日本社会です。 こういう優等生的回答が大半を占めると失笑してしまいます。 注:あなたのことではないです。

noname#157574
noname#157574
回答No.11

身分制度がなくても自然と貧富の差がつくので必要ないと考える。

zzz999zzzz
質問者

お礼

資本主義社会における経済力の差って 私が指す身分の差とは違うと考えています。 とりあえず道徳心なんてなくても金稼ぎさえうまければいいというのが 資本主義ですからね。 つまり批判を浴びても何食わぬ顔してる東電とか 天下り天国な官僚が金でズブズブなのを経済力の差だから必要ないと考えるのは違和感を覚えますね。 不正したもん勝ち、やったもん勝ちですから、あれは。 あれこそまさに差別されて然るべき存在でしょう。

回答No.9

それで、身分の高い人は低い人に何をするんですか。 そのような身分の高さは人としての尊厳を害する要因になると思いませんか。 気が付けますか。

zzz999zzzz
質問者

お礼

>それで、身分の高い人は低い人に何をするんですか。 何もしない。 何かしなければならないのですか? 象が蟻1匹の存在を気にかけたりするんですか? 人間がダニ1匹の存在の気にかけたりするんですか? 尊厳って何ですか? 低くなった人は理由があるから低くなるんです。 たとえば、10人の女性を強姦しまくった男(殺害でもいいが)と 普通に生きた男には圧倒的な差があると考えますし尊厳なんて 考慮する価値すらないと思いますが?

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5698)
回答No.8

 平等という考え方から始めましょう。おっしゃる通り、人はすべて、原則として、血筋とか民族、肌の色とかに関係なく、生まれた時から平等です。そして、ここではっきりしておきたいのは、わたしは、すべての人が基本的に、終生平等であると思うのです。  社会的地位の高い人はほかの人から尊敬されますし、経済的に豊かであればそれにふさわしい豊かな生活を享受できます。また、高い教養を身に着けた人はそれにふさわしい社会的功績によって、やはりそれなりの豊かな人生を送ることができるでしょう。道徳心のある人は、それが認められすれば、やはり社会の先端に位置する栄誉を手にすることが出来るでしょう。  こうして見ますと、人一倍優れた人とそうでない人とでは、明らかに平等でないように見えます。ですが、大まかに言って、こうした人たちは等しく大変な努力をして、あるいは、親代々の努力の積み重ねによって、その結果、人より一段優れた社会的地位を得ているといっていいのではないでしょうか。  つまり、平等とは、誰しもがみんな、同じレベルの収入を得て、同じレベルの社会性を持って、同じレベルの生活を送れる…ということではないということが分かります。  人は誰でもスタートラインは同じ、しかし、その後人一倍汗をかいた者がより多くの成果を挙げ、より豊かに暮らせる、そこには自由な競争がある…、徒競走で一番早く走れた者は一等賞をもらい、ビリになる人も居る、それが競争、でも、走ることを制限されたり、競争することを拒否されたり、走っている間に誰かから妨害されたり、そういうことは一切無い、だから走る人はみな同じ条件で走る…これこそが平等というものの概念だと思うのです。  この考え方で、逆の方向を考えてみましょう。自分が努力を怠り、その結果学校の成績も悪く、だから良い仕事に就くことができず、仕事先で巧く行かず、結果的に退職して食い詰めて、しかたなく犯罪に走る…、こうしたケースもまた、前述の自由競争の原理からすこしも外れてはいません。つまり、平等は当然の権利としてこの人にも与えられていたはずです、にも関わらず、結果的にその平等を上手に生かせなかった、それだけのことでしょう。  >なぜ悪いことをした人が、一般人と同等の権利を保持し続けられるのか…  もうお分かりでしょう。たとえば悪いことをした人にも、元々から、基本的な自由や権利、こうしたものはまさに平等に保証されているのです。その証拠に、同じような犯罪を犯した犯罪者Aと犯罪者Bは同じ法律によって同じような判決が下されるはずです。Aには軽くBには重く、こうした判決は出されないのです。これが平等というものです。  >ではなぜ、義務すら果たせない人が、一般人と同等の権利を保持し続けられるのか…    ここまで書いて来た平等ということ、それは基本概念に過ぎません。基本的な概念というものは大変に重く大切なものですが、この複雑な世の中のこと、必ずしも国民全員が正しく平等かというと、あながちそうとも言えない場合も出てきます。  たとえば、中学校の親友C君とD君、C君の家庭は代々大手企業の経営者の家系でとても裕福、だから家庭教師がついていて成績も良い、選んだ高校は入学倍率は高いが一流大学への進学率も高い名門校、結局一流大学を出て、親たちのコネで一流会社に就職…。一方D君は早くから父親を失い母親との二人っきり、お母さんは町の工場でパートをして生活を支えている、だからD君は中学校を卒業したらすぐ地元の小企業に就職、ところが、昨今の不況によって会社は倒産、折悪しく身体を壊したこともあって、あらたな就職先も見当たらない…。  こうした2つのケース、あきらかに平等には見えません。でも平等の原則は貫かれているのです。C君が家系の豊かさによってさらに大きく羽ばたくことができた。すごく恵まれていてあきらかに競争の原理に反しているように見えます。ですが、家系が豊かである…ということは、ご先祖様の代から親代々、きっと人一倍の努力をして幸運をつかんできたのかもしれません。D君だって、ご先祖様の代から親代々の成功があったら結果は違っていたに違いありません。  つまり、貧富の差とか、たまたま健康であったとか難病に侵されたとか、なにか幸運や不運に遭遇したとか、こうしたことは、たしかに運次第…、こればかりはどうしようもありません。つまり、平等という概念も運命には勝てないのです。  精神疾患、性格異常、身体的欠陥、あるいはもっと広く、引きこもりやニート、こうした人たちも、たしかに義務だとか求められる結果も果たせない場合が多いでしょう。しかし、その中には本人自身の責任によるものもあり、本人以外の要因に起因するものもあるはずです。勝手にグレで反社会的になってしまう人には、社会もそれなりの制裁を加える、それも平等…、しかし、社会的義務を果たせない人の中には自分ひとりではどうにもならない原因を持つ人もすくなくありません。そうした人には社会が適度に手を差し伸べる、それも権利、そしてその援助の程度もまた平等の原則に沿っているはずです。  結論です。人は誰でも平等を保障されているのです。ですが、平等だからといって、誰もが同じ生活をできるわけでもないのです。人生は徒競走、いえ親子代々のリレーなのかもしれません、そしてその結果のゴールラインでは、大きな差がついてしまう、それは仕方がないとしか言えません。  

zzz999zzzz
質問者

お礼

資本主義における結果と 道徳・人のありかたは別物と考えています。 金儲けさえできたもの勝ちな資本主義に疑問を感じてますし。 ただ金儲けして高い地位に就いた人間すべてが道徳的に問題ありと 言ってるわけではありません。高い地位に就くからにはそれなりに 人間的にも認められないといけない部分は少なからずありますからね。 少し突っ込み入れますと、50歳前後の方がバブルが弾けてた時 勤め先の会社が倒産し失業という憂き目に遭いました。 高い地位に就いて居たため幸いな事に他の会社からお声が掛かり それなりの地位を維持したまま転職ができました。 しかし同じ不動産・建設業界。バブルの余波は著しく転職先の会社も倒産。 更に転職を繰り返すも社長が病死、やはり倒産が続き、人脈も尽きました。 最終的にはまったくの異業種に勤めることになったんですが、 給料は最盛期の1/7、1/8近くまで下がり家も手放すことになりました。 努力がすべて通用するのも会社が倒産しないことが前提だと思いますね。 だから失業経験の無い人は、失業で苦しんでる人たちへ努力・根性論で 論評しますが現実を知らない人間たちのたわ言だと思います。 少なくても日本社会は一度入社してしまえばよほどの事が無い限り 解雇されません。大学入学と同じ、入ってしまえば後の努力なんて それほどしなくてもやっていけますし。 余談失礼。 私はね、たとえば万引き経験ある人って万引きした事実って 永遠に消えないと思ってます。罰金払ったりすれば「おしまい」ってのがおかしい。 盗撮・痴漢だって同じです。1度やった行為は「なし」にはできないと考えます。 にも関わらずそういう人達は、何食わぬ顔して一般人と同じ社会で生きています。 何のペナルティも受けずにです。 1度やった罪は消えないと考えます。 たとえ刑期を終えようと、罰金を払おうとです。 あと、結婚詐欺まがいのことやったり(注:まがいなので法的には罰せられない) 浮気などの不貞行為を繰り返す人間も、 そうでない人と比べれば「格」の違いがあると思います。 そうそうどんなに社会的に成功して収入があれど、 不貞行為やりまくったりするような輩はやはり「差別」される対象と考えます。 資本主義の許し難いところは、こういう非道徳的な行為をやろうが 金さえ稼げば成功者として認められてしまう点です。 結局、それは人々のモラルを著しく下げるだけと考えます。 更に余談に走りますが、金儲け(利益)重視に走った結果 コンビニ業界の食糧廃棄は異常で、日本が1年間で食糧廃棄する量は 当然世界一位でその量があれば飢えで苦しむ人たちすべて救えると言われてます。 金儲けすべてを否定するわけではありませんが、 モラル無き金儲けは人としての在り方に疑問を感じざるおえません。 >平等だからといって、誰もが同じ生活をできるわけでもないのです。人生は徒競走、いえ親子代々のリレーなのかもしれません それは今後、大きな問題になっていくと思います。 すでに格差拡大によって高校進学さえ厳しい家庭もあるようですし 高校に入ってもロクに塾に通えない世帯もあるようです。 私はほかの国と同様、高校までは国が面倒を見るべきだと思っています。 中卒では就業は厳しく、就業できても低収入でしょう。 それは負の連鎖であり格差固定に繋がります。 それこそ私が嫌う、血筋・家柄によっての差別のようなものです。 しかし、人間の本質は「自分の都合の良い差別をしたがっている」と思っています。 自分にとって都合の良い差別だったら永遠にそれが続けばいいと思ってるのです。 これは民主主義だろうが社会主義だろうがどんな主義だろうが変わらないと思います。 人の本質の問題ですよ。 既得権益者が自分たちの権益が永遠に続くよう、あれこれ都合の良いルールを作ったり するのも、それが理由です。 自分の家だけが永遠に繁栄し続けることを望む。 たとえ汚い手を使っても。それが人間の本質ですよ。

zzz999zzzz
質問者

補足

すみません。 頂いた回答が長いので、後日しっかり読んでから改めて お礼をさせていただきますm(_)m

noname#156504
noname#156504
回答No.7

>普通に生きている人とは差別されるべきではないか?と思うのです。 そうですね。 少なくともネットストーカーは退治しなきゃね♪ >なぜ悪いことをしたり、義務すら果たせない人が、一般人と同等の >権利を保持し続けられるというのが理解できません。 可哀相に。 ストーカー行為が悪い事だと知らないんですね。 だからあんなに自慢気に語ってたんですねぇ(編集されたけど)

zzz999zzzz
質問者

お礼

ごめんなさい。 こんなことは言いたくないのですが 引きこもりの方に言われても説得力が・・・(^^; 確か自分の貯金を削って引きこもっていると伺いましたが 結構貯めこんでいたんですね♪ 生き方がご立派です。 あなたやあの方の書き込みを拝見する限り 引きこもりが偏見にさらされても仕方ないなぁといつも感じております。

noname#187573
noname#187573
回答No.6

後もう少しで身分なんて無意味になる世界になりますから…。

zzz999zzzz
質問者

お礼

滅亡願望者ですか? 滅亡願望者のもっとも悪い所は、 「どうせ世界は無くなるから」という言い訳をして 今日という日を一生懸命生きないことです。 私はあと100年以内に確実にこの世から消え去りますが、 その間地球が滅亡することは絶対にありません。 せいぜいタイムリミットはとうに超えている巨大地震が来たり富士山が噴火したりするぐらいです。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1847/10423)
回答No.5

>⇒それは嘘ですな。あなたは現在100%。 すみません、回答で嘘を書いたと一方的に断言されたままは嫌なのでルール違反します。 私の質問履歴をご確認ください。 寄せられたご回答は全て私が謝意を持つべき、有難いご回答であることがお分かりいただけます。 私がお礼率を100%にしたのではなく、寄せられたご回答が全て謝意を持つに値する良回答だったということだけのこと、つまりお礼率100%はただの結果です。 ご質問者さんのように「社交辞令です」と言い切ってから、回答者を一方的に『嘘つき』と断言し侮辱する目的に「お礼」欄を使うこと、やはり私はお礼無しよりはるかに無礼で卑怯な行為だと感じます。 私からもしますが、通報者が多いほうが運営が早く動くのでご質問者さんからも通報をお願いします。

zzz999zzzz
質問者

お礼

これ、、まだ削除されてませんね。 ま、このお礼は削除される可能性が高いと思うけど書き込みます。 まず早々にお礼を締め切ったのは、次の質問を立てたかっただけであり 決してお礼の書き逃げをする為ではないのでご了承ください。 (あと書かなければならないお礼がたくさんある為、質問を早々に締め切りました) 社交辞令だったら長文お礼なんて書き込みません。 *社交辞令⇒Wikiから引用。 日常から行事、風習などといったあらゆる場面での人間付き合いにおいて、物事を円滑に進めるために発言することが望ましいとされている挨拶や相手を誉める言葉。 これは行うことにより相手に対して本音を言っている場合と、止むを得ずであったり利益のために相手に対して不本意や偽りの態度をとっている場合とが存在する。 つまり社交辞令のすべてが「心がこもってない」という意味ではないのですよ。 職場での「おはようございます」も「お疲れ様でした」も、お店での「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」も 言われてもなんとも思わない、空気のようなやり取りとはいえ 「無言」なんかよりは何億倍もいいのは、わざわざ説明するまでもないでしょう? たとえコピペによる「ありがとう」の一言お礼だったとしても、 その一言自体が間接的に「あなたの回答は読みました」の意と捉えている回答者も居るようですから お礼の重要性は無視できないと考えます。 >寄せられたご回答が全て謝意を持つに値する良回答だったということだけのこと、つまりお礼率100%はただの結果です。 なら一言注釈が欲しかった気がします。 あの回答をみて、あなたのお礼率を見たら単純に疑問符が踊るのは仕方ないと思いますよ。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6063)
回答No.4

>やはり違和感を抱かざるおえないのです。 おえないのです、ではなくて「をえないのです」ね。 おえない、って何の事だと思っているんですか?なんでこんな間違いするのか不思議です。 と、いうわけで こんな簡単な日本語間違いをする人は私よりかなり下の身分決定です。 正しい言葉が使えるかどうか、は人間の基本ですからね。 そこを疎かにするものの身分は卑しいものとせざるを得ないのです。 質問者様は下の身分なので本来は抗弁できません。 けれど私は慈悲深いので身分の低い者にも自らの過ちを謝罪する機会は与えます。 納得いかないでしょうが、あきらめるしかありませんね。 身分制度とはこういうものですから。

zzz999zzzz
質問者

お礼

こういう言葉尻を捉えてネチネチ絡む方の人間性が良く読み取れます。 やはり差はあって然るべきと感じました。

関連するQ&A

  • 身分制度は必要ではないか?PART2

    今度は身分制度の上の身分について考えたいと思います。 犯罪や非道徳的な事を行えば身分が下がるというのは判りやすいと思いますが、 その逆「身分が上がる」もあって良いと考えます。 私はなぜ人が平等、身分が同じなのか全く理解できません。 いや、実際は人権は同じですが機会の平等など存在してません。 各家庭の経済格差がそのまま学歴格差→更なる経済格差を生む場合も多くなってるようですし。 (とくにここ近年は) 資本主義社会はある意味金がすべての側面があります。 金さえあれば高級住宅街に住めたり、高い教育を受けられたり、します。 特にそういう家庭に生まれた子供は本人の努力の有無に関わらず、享受されます。 今の世の中、身分制度は無いにせよ実質、経済力が身分制度の代わりになっているともいえます。 その点にも強い違和感を覚えます。 金を稼げる力がある=身分が高い(と錯覚するような社会)はおかしいと考えます。 稼げる職業がえらい。 ではなく、社会的意義の高い職に従事する者こそ、身分が高いべきであると考えております。 例:為政者、聖職者など。※ただしこういう人が犯罪や非道徳的な行為を行えば、平民以上の罰が科せられるべきと考えます。 社会的意義の高い職(自己犠牲の高い職?)に従事する者は、お金だけでは測れない尊さがあり、そういう人材こそ国が優先的に保護すべき存在だと考えます。 金稼ぎ本位で格差が生まれてしまう世の中だから、乱れてしまうのではないでしょうか? ==== 私は人づきあいも、人を選ぶべきと常々思ってます。 友人、知人もそうです。 学歴で差別する必要は無いと考えますが、 素行の悪い人、マナーの悪い人とは関わるべきではないと考えております。 子供にもWEBフィルタリングは当たり前と考えてます。 子供は成人程、判断力が乏しい点、好奇心(欲望)の赴くままに知識を吸収するのは子供の人生をギャンブルにかけるようなものだと考えます。 くだらないこともやってもいいと思いますが、 それは子供の中心にきちんとした自己抑制や自分をコントロールできる力があってこそです。 だから、「真にくだらない」人間とは関わるべきではないと考えますし 例えばちょっと、興味を持って脱法ハーブの知識がある子供と仲良くなって、病院へ搬送される 事件を起こされるぐらいなら、そんな、欲望の赴くまま自由に放置している子供なんぞと仲良く すべきではないと思ってます。 脱法ハーブとか法の抜け穴にやたら詳しい子供 と 普通の子供 には大きな差があると考えます。 前者はある意味世渡り上手になる可能性はありますが、人間として尊敬できません。 === 長々と書いてしまいましたが、、、、。 多分、私の基準は「尊敬」なんだと思います。 尊敬に足る人物であれば、私より身分が上でも全然構わないと考えてますし そういう人物が社会を引っ張り、民衆を導いていくならば、協力を惜しまないし、そういう意味での 身分制度はあっていいと考えてます。 人の生き方は自由。 自由だからと言って、脱法ハーブにうつつを抜かす人、万引きがしやすい店にやたら詳しい人、 そんな人と同類にみられたいでしょうか。

  • 身分制度はやはり必要ではないでしょうか?

    例えば、痴漢、盗撮、万引き、いつまでも働かないクズニートなど、明らかに普通の一般人とは違う他人に迷惑をかけ、犯罪としても認知されている人が、なぜ一般人と同じ社会で暮らせるのか、 同じ税率なのか疑問に感じます。 血や家系、DNAによって差があるべきとは思いませんが、 人は人生の歩み方次第で、「差」を設けるべきだと思うのです。 収入差があるじゃないかという意見はありますが、あれは犯罪・道徳とは全く関係ないです。 高収入であっても犯罪を犯す奴は犯す訳ですから、それで差を設けるのは違和感を覚えます。 犯罪歴、逮捕歴がある人は一生、一般人より税率を高くしたり行動の制限を設けるなど必要ではないでしょうか?(例えば性犯罪者が再犯防止対策の為にGPSを埋め込まれるなどと同じような 処置が必要だと思うのです) 少年等は少年法で守られていますが、ハッキリいって一度犯した罪は取り返しのつかないケースも結構あると思うのです(強姦、殺傷事件など)。こいうのもひっくるめて、普通の一般人が暮らす社会に戻れるというのが理解できません。 皆さまはこの点についてどのように思われますか? 頭の良し悪し、血、家系、DNA、民族等で差別は絶対に反対ですが、人が歩んできた際に犯した過失については、その度合いに応じて一生涯ペナルティを与えるべきだと思うのです。 これは危険な思想でしょうか?(昔のような身分制度を復活させろと言う訳ではありません)

  • ひな祭りの身分的問題

    平等思想平等思想といいますが、ひな祭りなんて、まさに身分差別思想の極端のようなものじゃないでしょうか?三人官女やら五人囃子やら、あと、なにか狂言役者のようなコミカルな人たち(仕官?)やらいますね。上のほうで御座に乗っている雄雛雌雛は、えらそうで立派な「ご身分」で、下のほうの雑魚みたいのはどうでもいい身分のように思えます。これを情操教育的に慣習にしているというのは、現在の教育風潮社会風潮と、ちょっと違和感不協和音がしませんでしょうか? なお、私は、なんでも平等平等叫んでいるよりも、身分差別がある社会のほうが、現実的で味もあるものだと感じます。

  • 江戸時代に「人間は皆平等である。」と発言したらどうなる?

    江戸時代には「士農工商」といって身分差別がありました。 更に、農民の武士に対する反感を抑えるため、 「えた」・「ひにん」という身分までつくり、彼らはかなり過酷な生活を強いられたそうですね。 では、もし現代の日本人が身分差別真っ盛りの江戸時代にタイムスリップして、 「人間は皆平等だ!」 などと叫んだらどうなりますか? 確かに江戸も末期には、福沢諭吉の名言、 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」 という考えも生まれてきましたが…。 おそらく平成時代の人間(男女問わず)が 全人間平等だなどと主張したら、もしかして即、首が飛ぶかも…!? 身分差別、時代背景に詳しい方、教えて下さい。

  • これって人種差別?

    未だに世界中で人種や皮膚の色による差別が横行していることは悲しいことです。 自分ではそうした差別意識は無いと思っていますし現に駅で肌の黒い人に道を聞かれて片言の英語で教えてやったこともありますが嫌な気持ちになったことはありません。しかしながら大人のサイトでは全く別な反応をします。状況が変わると反応も変わるということ自体自分もやはり人を平等に見ていない人間なんでしょうか?

  • 女性で、赤い着物を着るのはどんな身分の人?

    着物の色によって身分が違うみたいな話を聞いたことがあります。紫は最高身分の人、みたいな。赤の着物はどんな場合に、どんな人たちがまとったのでしょう。わかる方、教えてください。時代の特定はありません。できれば詳しく知りたいのですが。

  • 子供を平等に育てられますか?

    子供を平等に育てる義務ってそもそもあるのでしょうか? 差別とか、わざと差をつけるっていう意味ではなくて、人間は平等みたいな意味で 恨みがないように、出来るものですかね? 昔みたいに長男だけ特別という考えがなくても、同じようには無理かと思いますが どうでしょうか?

  • 平等であることとは?

    平等であることってどういうことなんでしょう? もしくは、人は平等であると思いますか? 身体的な差異、能力的な差異はいくらでもあります。生まれてくる環境、育つ環境はまた人それぞれです。人間は決して平等になるようにはできていない。現代社会で規定する平等は「法のもとに平等」、しかしそれは一体どこからわいて出たのでしょうか。差異ばかりの世界で、なぜ「平等」なのでしょうか? 私の考えでは、今の社会は矛盾に満ちています。回答に対する私の反論には、一部の人に対する差別的な考えがあるかもしれませんが、この議論によってそれを乗り越え、矛盾の無い「平等」に到達できることを望みます。逆にいえば、私はそんな差別的な考えを、今の社会の論理では否定できません。「差別」と「差異」は根本的に違います。しかし、「差異」があるからこそ「差別」する、というのは人間が生活する上において普遍的な出来事です(例えば、塩と砂糖を分ける、のように)。人間に対してその論理を適用することがいけないのはどうしてでしょう?

  • 誰とでも平等に接するっていう人について

    友達であれ、恋人であれ・・・ どんな関係でもフランクな人間関係を築く人っていますよね。 でも結局のところ、気づかないうちに差別してしまってますよね? 例えば、 関係が出来て10年の人と1年の人では同じ話をしても全然対応が違いますね。 平等に接する意識があるだけで実際には平等じゃない。 というところでしょうか。 なんだかよくわかないですねこういう人って。

  • 死刑制度は必要なのだろうか。

    皆さん、こんにちは。私は「死刑」についての文章を書いてみたんですが、ちょっと見ていただけませんか。皆さんはどう思われますか。私は日本語母語話者ではないので、間違えがあるかもしれません。宜しかったら、ちょっと直していただけませんか。よろしくお願いします。 死刑制度は必要なのだろうか  私たちが生まれ、育ち、生活する社会は、犯罪のない社会ではない。そして、その犯罪のなかには、残念ながら、殺人も含まれる。そして、そのような罪を回避するために、いろいそな国が死刑制度を採用するようになってきた。しかし、21世紀において、このような極刑は本当に必要なのだろうか。  多くの人市民にとって、死刑は合理的な刑罰だが、もっと深く考えれば、死刑制度に関する問題がたくさんある。  倫理的な観点では、死刑というのはパラドクスになってしまうことである。「血で血を洗う」ということわざ通り、死刑は殺傷に対して殺傷で報いる極刑である。したがって、殺人犯を死刑にするのも、また、殺人だと言うことができる。  また、死刑制度には冤罪の問題が常に伴う。「正義」は常に「正しい」わけではなく、間違える場合もある。そのように、罪を犯していないのに、不実の罪を宣告される人もいる。そして、死刑執行後、冤罪を晴らす機会はない。  その上、たとえいくつかの証拠があったとしても、証拠とは「捏造される」ものである。それを考慮すると、死刑は人―特に政府や権力者に対する反対者など―を殺す合法的な手段になる可能性もある。もしかしたら、中国、イラン、イラクなどの権威主義的な政府のある国では、そんな理由で、死刑宣告された人が多かったかもしれない。   それに、なぜ殺人犯が人を殺すようになったのかと考えると、その人が育ってきた環境や親の考え方の影響とか、その人なりの事情があるはずである。そのことを考えると、殺人犯も犠牲者であり、かわいそうな気がするとという意見もある。  それ以上、死刑は人間の最も大切な人権を侵害する:生きる権利である。簡単に人の命を奪う死刑制度の賛成者と、殺人を犯した人とには、結局のところ、同じ無思慮の考え方がある。  死刑は、社会問題の根本を解決していない。こんな恐ろしい刑は今すぐ廃止しべきである。