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釈尊から...
-merlin-の回答
- -merlin-
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斜めに構えなければ、あなたの思想についていけないからです。 ですが斜めではダメみたいでしたね。異次元の発想でなければ。 というより病的な思い付きの垂れ流し。 異次元の回答を繰り返し。誰にも相手にされず。 質問をし回答してもらえば、俺の方が賢い。馬鹿なお前らにヒントを出してやる。的な補足。 ですが、ありがとうポイントゼロ。なぜでしょう?? 誰よりも頭がいいと思っているのに。 哲学のカテがどうのとありましたが、その前にここは困ってる人が質問し善意で回答するサイトです。 困ってない人を困らせるためのサイトではありません。 あなたの言う「哲学」をしたい。議論したいというのなら別のサイトを利用すればいいのではないでしょうか? 老婆心ながら一言付け加えると、語りあう時は共通の言語体系。共通認識のある単語を使って下さい。 ね? と、前置きが長くなりましたが、 お釈迦様の教えを一言で言うと、四苦八苦の苦から解放され涅槃に入ること。 今現在の思い付きです。数分後には変わるかもしれません。 根本結集でこう言われた。あんなことも言ってた。俺も聞いた。など文章に著わした。 なぜお釈迦様自身が言葉を残さなかったか。 それは個人の持つ苦が人それぞれ解決の仕方が違うから。と推測します。 悟るにしても、皆それぞれテーマが違う。それらを一つ一つ解決していき阿羅漢になっていく。 このように私は聞いた。どこどこの村で誰々という人にお釈迦様がこう言った。その人はたちどころに悟った。 神通力を使って悟らせたのではなく、その人の頭の中で解決させた。 お釈迦様を拝めば悟れるというものではなかった。 死後、仏塔が建てられ信仰の対象になった。望んだことなのでしょうか? それだけではなく、原典にない如来や菩薩、観音、明王などが発明された。 お釈迦様は他力で悟れる。成仏できる。拝めば御利益がある。そう言ったのでしょうか? 信仰の対象をつくりわかりやすくした方が信者が集まる。 お釈迦様のありがたい教えを広めるには、信者を獲得してからだ。 なによりも台所事情が・・ 斜めに構えるとそうなります。 カリスマを失った後、インドでは急速に廃れていきました。 信者を獲得するためには、大衆にわかりやすい仏教を作る必要があったのだと思います。 文字が読めない人に経典を分け与えて拝ませたり、土着の神々に別の名をつけ信仰の対象にしたり。 修行しなくても、悟らなくても拝んでいれば他力で成仏できます。 もし成仏できなかったら来世に期待しろ。 お釈迦様が聞いたらなんと言うのでしょう。 上求菩提下化衆生 ただそれだけのために、お釈迦様の死後どれだけの経典が作成され、如来や菩薩が作られたのでしょう。 経典の多くは中国で漢訳されましたが、原典が見つからないものがとても多いそうです。 如是我聞。いったい誰に聞いたのでしょう。 ね? 上座部は伝承を劣化させぬよう努め、ゆっくりと時代に合わせ変化(昇華?)させてきた。 他宗教の影響を受けたり、天才やカリスマにより付け加えられたものはあるようです。
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