裁判官の認識についての考察

このQ&Aのポイント
  • 裁判官の認識について、みなさんはどう考えますか?争点を的はずれな争点として、不当な判決を下す裁判官がいることについて、懸念があります。
  • 裁判官の「認識」とは、当事者間の争点の合致を見ない点だけを重視し、自身の法的解釈で判決を下すことを指します。しかし、その見識が不十分なため、不正確な判決が下されることがあります。
  • 裁判官の認識には問題があり、作文能力や事実認定が客観的に正しいかどうかを論じる場ではなく、不明や不知で片付けられる可能性があります。例えば、特定の証拠がないために無罪判決が下されることもあります。
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裁判官の認識については、みなさんはどう考えますか?

民事裁判でも 刑事裁判でも 「争点」を当事者間いわゆる原告の主張と被告の主張を 裁判官自らが、錯誤してしまい。 その結果争点を的はずれな争点として、当事者双方にまったく 法律的整合性を持たない判決を 下してしまう 裁判官がいることをいかが考えますか? 裁判官の心証「いわゆる」認識とは、単に当事者間の 争点の合致を見ない点だけを  持論(裁判官独自)の法的解釈(リーガルマインド)で判決にいたる説明をしているかのように思えて仕方がありません。 裁判官の「認識」は 単に法律用語に酔いしれていて・・・・たとえば (1)不明である (2)妥当とは言えない などと自分が納得できない論旨に対しては、こういった(1)(2)の文言でかたづけられてしまい。 結局、裁判官自身の見識のなさが 不当な判決を下してしまうとう案件が多々あるように思えて仕方がありません。 法曹界とは 作文能力とその事実認定が、客観的に正しいとか正しくないとかを論議する場ではなく 立証責任に於いても 単に裁判官自らが 納得できない分野については結局、不明・不知であるなどと、片付けられてしまう可能性が多々あるように思えます。 今回の某( 民主 O議員)の無罪判決でも、判決文のなかでは、一部違法と言いながら、結局、 確たる証拠(共謀)までは収支報告書に不実記載でも、犯意が認められないというものなのでしょうか? 土地購入資金の原資(4億円)をうやむやにして 公正な判決だったと言えるのでしょうか? (1)この「裁判官の認識」について、説明できるかた教えてください。

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  • dolly903
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回答No.4

私の実体験からの思いを率直に言えば、裁判は公平でも公正でもありません。裁判が迅速化してきたのは事実ですが、それと引き換えに、実体的真実をおろそかにして自由心証を悪用して、当事者が提出した準備書面を丁寧に読まず、証拠方法の検証を省き、裁判官の恣意的な判断による作文司法が横行しています。そして、残念なことに謙虚な姿勢を持たない裁判官がかなり多くいることも、事実であり、そのような裁判官に当たった時は悲劇です。自らの判決理由の論理矛盾を指摘された時、横柄な態度をとってきます。裁判官も実際は、裁判官同士の横の連絡等があり、医師のかばいあいに似た現象が起きています。  中身が間違っていようと非難される制度設計になっていないため、裁判官の上司の評価基準が、早く裁判を片づける裁判官が評価され、悪貨が良貨を駆逐する現象が起きています。これは、どんな仕事をしても給与が保証され、権力の濫用を防ぎ、国民の権利を守る正義感を持って上司と異なる訴訟審理の姿勢を見せる人は逆に疎んじられ、組織内の立ち回り、上司の受けが良いものが得をする、公務員の特質の一つです。だから、現在の裁判官の一部か、多くかは私には分かりませんが、人格的には偏った人が多く、裁判で正義が勝つとは限らない、そのことを念頭において訴訟に臨む方が、後でショックを受けなくてよいでしょう。  極端な裁判官は、自分が書いた判決文が間違っていようと正しいとする権利があるんだ、それを否定する証拠は、「独自の見解で採用できない」で、でたらめな論理矛盾でも平然としています。その原因の一つには、裁判官の判決のCheckシステムがないからです。その意味で、刑事の重大事犯に裁判員裁判が導入されたことは、大正解です。他人が入ると、風見鶏の裁判官は、シャンとした格好を見せます。裁判官は、人格者であるから、裁判官になった人ではない、ということを頭に入れておけば、腹が立たなくてすみます。医師にも同様の現象が起きています。悪質な医師が現在、非常に多くなってきていますが、社会知らずの裁判官の作文による悪質な訴訟審理よりも、生命倫理がしっかりした、良心的な医師の方を信じたい…気持でいます。それほど、根性が腐った裁判官と医師がもたらす大きな弊害には、呆れ返っているのです。

elegant-orgel
質問者

お礼

dolly903様へ 貴重な体験談を回答いただき 誠に有難うございました。 【背景】 実体的真実をおろそかにして自由心証を悪用して、当事者が提出した準備書面を丁寧に読まず、証拠方法の検証を省き、裁判官の恣意的な判断による作文司法が横行しています。 【沿革】 中身が間違っていようと非難される制度設計になっていないため、裁判官の上司の評価基準が、早く裁判を片づける裁判官が評価され、悪貨が良貨を駆逐する現象が起きています。 【実情】 極端な裁判官は、自分が書いた判決文が間違っていようと正しいとする権利があるんだ、それを否定する証拠は、「独自の見解で採用できない」で、でたらめな論理矛盾でも平然としています。その原因の一つには、裁判官の判決のCheckシステムがないからです。 【法秩序の崩壊】 社会知らずの裁判官の作文による悪質な訴訟審理よりも、生命倫理がしっかりした、良心的な医師の方を信じたい…気持でいます。それほど、根性が腐った裁判官と医師がもたらす大きな弊害が起きているのですね。・・・ 【結論】 「裁判員裁判が導入されたことは、大正解です」 このような沿革と歴史が、もたらした制度だったんですね。

elegant-orgel
質問者

補足

裁判官の認識について明快な回答をいただき、誠にありがとうございました。 すこし 補足しておきますと、ここでいう「裁判官の認識」は例えば たとえば。自然数は 1.2.3.4.5.では?この中の奇数と偶数はいくつありますか?と尋問されたとき、奇数は1.3.5の3個です。偶数は2.4の2個です。と答えることでしょう。 これらを裁判に当てはめてみると、自然数を主体に考えているんだから、奇数でも偶数でも斟酌する義務は無く、その趣旨が不明であると結論づける内容の判決文のことを意味します。 ではこれら、奇数と自然数の役割はどうだったか?と考えた場合次のようになったとします。 3が確信正犯 4が被害事実 5が加害行為 2が求償額 1が被害  被害を見ずして 被害金額を積算しない・・・罪刑法定主義があったとしても・・犯意が認められない などなど・・・ 裁判官の認識が、間違いを通り越して狂っているという事例もあるんだということにびっくりです。 私情を交えずとは、公判で使われる詞ですけど・・・「認識」=経験値の少ない裁判官に当たったら それは、交通事故よりも悲惨な結果になる恐れがあるということが分かりました。 「つたない質問に丁寧にお答えいただき、衷心よりお礼申し上げます。」

その他の回答 (3)

回答No.3

>民事裁判でも 刑事裁判でも 「争点」を当事者間いわゆる原告の主張と被告の主張を裁判官自らが、錯誤してしまい。 その結果争点を的はずれな争点として、当事者双方にまったく 法律的整合性を持たない判決を下してしまう 裁判官がいることをいかが考えますか? 裁判官が訴状における争点だけを論及するに過ぎないのであって、原告・被告の主観的争点に判断を下さないのはむしろ当然であろう 要は裁判所は、判断をくだしえる最低限の事象に限定して審理するに過ぎない・・それが”権力の自制”であって、当然のように思えるのだが・・・ >裁判官の心証「いわゆる」認識とは、単に当事者間の 争点の合致を見ない点だけを 持論(裁判官独自)の法的解釈(リーガルマインド)で判決にいたる説明をしているかのように思えて仕方がありません。 然り。 上記したように、それが無難だと小生は思うが・・ 批判は同意するが、それを批判するべき、とは思わないし、不当・不適切な判示とは小生は思わない >裁判官の「認識」は 単に法律用語に酔いしれていて・・・・ たとえば(1)不明である (2)妥当とは言えない などと自分が納得できない論旨に対しては、こういった(1)(2)の文言でかたづけられてしまい。 結局、裁判官自身の見識のなさが 不当な判決を下してしまうとう案件が多々あるように思えて仕方がありません。 理解は出来るし、同意しえる しかし、判断を求められる立場だからこそ、言及しているに過ぎないと思うのだが・・・ 不当か?という判断については個別検証するべきことなので言及はしないが、不当を感じる事案が多い、とは思われる >法曹界とは 作文能力とその事実認定が、客観的に正しいとか正しくないとかを論議する場ではなく立証責任に於いても 単に裁判官自らが 納得できない分野については結局、不明・不知であるなどと、片付けられてしまう可能性が多々あるように思えます。 それも”権力の自制”であり、『分からないことを分からない』・『判断できないことを判断できない』、と言及することは誠意ある対応だと思うが・・政治は結果論であって、姿勢を主眼にする必要性はないだろうが・・・ なにがなんでも回答しなければならない・・という権力であれば理解出来るが、司法にとって最大の解決策は『和解』であって、和解できないからこそ審理するに過ぎない、と思うのだが・・・・・ >今回の某( 民主 O議員)の無罪判決でも、判決文のなかでは、一部違法と言いながら、結局、確たる証拠(共謀)までは収支報告書に不実記載でも、犯意が認められないというものなのでしょうか? 犯意は認められない、という認識が強いようである 小生は仔細に検証していないが、同法の趣旨・目的を総合的に勘案すれば、”犯意がない”と判断することには十分な説得力を感じない。 「中間判決」「事情判決の法(理)」などのテクニカルな手法によって違法判決を回避する手法は多々あるが、その判断に対する違和感はあるが、違和感がそのまま不当と直結しないものだと思う つまり、拒否感・違和感はあるが、主観的な見解の合理性・妥当性は、それよりも明白かつ確定的に妥当性を持ち得る、という確信を持ち得ないからこそ、”相対的に是認する”という程度の話である >土地購入資金の原資(4億円)をうやむやにして 公正な判決だったと言えるのでしょうか? 公正さは主観的なものであることを前提にして思うに 小生は、形式的には大きな問題がある判断とは認識しえない ”無罪”とする判決は、あくまでも法廷である上では当然というか、『止む得ない』と考える >(1)この「裁判官の認識」について、説明できるかた教えてください。 小生には理解できない。理解できないのは、裁判官の認識であって、判決そのものは尊重する それだけの話である。 小生は、憲法訴訟を好んで独学しているが、高度な政治事象は時に司法判断に適しないこともありえる、とは思う。 そのような司法判断の是非はあろうが、司法が大上段から権力行使する積極性を一概に好意的には認識しえない 司法権力も国民主権を万能かつ普遍的なものではないのであって、”より妥当な判断”を個別的に検証するのが、有権者としての筋道であろうとも思うので、総論的な批判には自制しているが、 本音は、質問者の認識に共通する部分が多いと思う。そう思うが、そう思ったところで、当事者ではない現実を考えて結論を受忍するしかないように思う しかし、結論を受忍するにしても、受忍限度のようなものがあって、政治性の高い憲法訴訟に関しては、その受忍限度と当事者性から異論反論は多く持っている。 質問者の義憤のようなものは理解するにしても、やはり批判・批評の妥当性について小生は浅学が故、自信を持てない そして、司法や法律を学べば学ぶほど、その自信は逓減してゆくから困っている。 以上

elegant-orgel
質問者

お礼

丁寧かつ学識豊かな、回答をありがとうございます。 「司法や法律を学べば学ぶほど、その自信は逓減してゆくから困っている。」 貴殿のおっしゃる意味は、十分分かります。 *理解できないのは、裁判官の認識であって、判決そのものは尊重する それだけの話である。 たしかに それだけの話なんです。 しかし 貴殿も一方では・・・ 「同法の趣旨・目的を総合的に勘案すれば、”犯意がない”と判断することには十分な説得力を感じない。」 とお考えのようです では?十分な説得力を感じない、整然としない論旨を受忍していらっしゃるのでしょうか または 受忍せざるを得ないから「裁判官の認識不足」この点は仕方のないことなのでしょうか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

”裁判官自身の見識のなさが 不当な判決を下してしまうとう 案件が多々あるように思えて仕方がありません”      ↑ それはあるでしょうね。 裁判官は法の専門家ではありますが、それ以外では 素人ですから。 例えば医療について、手に余ることもあるでしょう。 政治についても同じです。 原告はそれを含んで、裁判官を納得させねば 有罪判決を勝ち取ることは出来ないのです。 ”客観的に正しいとか正しくないとかを論議する場ではなく 立証責任に於いても 単に裁判官自らが 納得できない分野については結局、 不明・不知であるなどと、片付けられてしまう可能性が多々あるように思えます”      ↑ これも上に記載したことと同じです。 専門家でない裁判官を納得させるだけの証拠を集め 裁判官を説得するのは、原告の役割な訳です。 裁判所は「およそ」客観的に正しいかどうかを決める場では ありません。 検察や被告が出した証拠の範囲内、という限定がある中で その限度で真実を発見する場です。 これは、戦後、欧米の当事者主義訴訟をとってから 建前上もそうなりました。

elegant-orgel
質問者

お礼

貴重なご教示ありがとうございました。

elegant-orgel
質問者

補足

>専門家でない裁判官を納得させるだけの証拠を集め  裁判官を説得するのは、原告の役割な訳です。  ___________________ ここなのです。原告&被告とも合致を見ない争点を明らかに しているにもかかわらず、「判決」ありきの如き裁判を 下してしまって、原告・被告の争点をおきざりに論旨を 言及し、その用語の定義もしらずに、「自己陶酔」している 裁判官(個の認識=裁量)が、提出された準備書面の文脈の 語彙に無頓着すぎるがあまり、見落とされて趣旨を捕らえて いる案件が増えているように、思えてなりません。 _________________________ >裁判所は「およそ」客観的に正しいかどうかを決める場では ありません。 【勉強になりました】 >検察や被告が出した証拠の範囲内、という限定がある中で その限度で真実を発見する場です。 ここでいう証拠の範囲内を見落とした争点で、判決の趣旨を 導き出す裁判官がいることに唖然とします。 証拠の範囲内で、拾い読みしてもらいたい語彙を斟酌できず、 「裁判官の認識」という座標軸一本で採決に至る ↑  ここをお聞かせ願えれば甚幸せです。 >これは、戦後、欧米の当事者主義訴訟をとってから 建前上もそうなりました。 ●当事者主義訴訟・・・・勉強になりました。 演繹法もしくは帰納法かで当事者間の準備書面の拾い読みを できない裁判官が、多々いるように感じます。 (--;) 裁判官は法の専門家ではありますが、それ以外では 素人ですから。 やはり そう思うしかないのでしょうか・・・

  • opechorse
  • ベストアンサー率23% (435/1855)
回答No.1

だったら控訴すればいい あの事件でも、一般論でも 能力に乏しい裁判官は地裁 エリートは最高裁なんだから 簡裁、家裁あわせて、自己陶酔している裁判官は 結構いるのだから、問題あるなら控訴すればいい 個人的には、あの事件は妥当な判決だと思っていますが まあ、そうでなくても 地裁だからな と思いますよ

elegant-orgel
質問者

お礼

早々のご教示ありがとうございました。

elegant-orgel
質問者

補足

[ 自己陶酔している裁判官] のために 判決の趣旨がかみ合わない事態を招いてしまっている このことを総じて「裁判官の認識」という語彙を用いています。 控訴する以前の問題をお聞かせいただければ、有難いのですけど・・・ 地裁だからと言って諦めなくてはならないのでしょうか。 ご意見ありがとうございました。

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