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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:われわれは 魂が去勢されていましょうか?)

魂の去勢は人間の存在論、コミュニケーション論、日本人論の主題であるか?

noname#148745の回答

noname#148745
noname#148745
回答No.10

>《魂が去勢されている》と表現したとき 原義にまつわる生殖つまりはその器官やら行為やらを連想させますか? 《魂》について 生殖がかかわると思いますか? 答えは、absolumentです。しかし、あなたは、去勢という語と生殖が関わらないことは自明とした上で、私が勝手に深読みしていると言いたげです。テキトーなことを言わないでください。あなたが勝手に作った用例なんでしょう? そんなことを斟酌してくれるのは、厳密な議論をする気が無い人だけでしょう。 それから、ご存じないようですが、精液と魂の関連付けは、前々からあったものなのです。ライプニッツなど、そうですよ。精液=理性であり、女性は理性を有していないのだそうです。他では、原始的な民族では、部族の英雄の精液が生命力の象徴として珍重されているようです。 こういうわけで、あなたは全然自覚しないうちに、自分の元の意図とかけ離れた言葉を選んで書いてしまっていたようですね。これを無意識が入り込んだと説明することができます。つまり、無意識のうちに、精液だとかペニスに対する信仰のようなものがあって、去勢という言葉を選択してしまったのです。そうとしか、あなたの今のご説明では、解釈のしようがありません。 他に、「――でしょうか?」と聞いてらっしゃる。フロイトとラカンを罵倒していることだけは理解できましたが、その根拠も何も、書いていませんね。無意識が証明されないから?アホでバカであると。ところが、あなたはエスとリピドーはあると思っているらしい。奇妙なことです。それも同じように論証できないものじゃないでしょうか。こうなると、ご自分の好みで、あれはある、これはない、ということを仰っている程度の議論です。 >という反論をわたしがして あなたが聞けば どうなりましょうか? このひと言で済むと思うのですが どうでしょう? 私の引用をして、それをオウム返しに言うということのようですが、対話の仕方として、はっきり言って、かなり気味悪いです。自分と他人の区別がついてらっしゃらないという類の、何か病的なものを感じます。 あなたのお話しでは次の理屈が、何回か繰り返されています。――相手が言ったことは、自分も考えていた。自分が言っていることは、相手はすでに考えていたはず――話の共通点を探るというより、あたかも、相手を模倣して、鏡になろうとしているかのような印象です。対話というより、相手とシンクロして行こうという印象です。もっとバシッと、ご自分で自分の考えを説明することはできないのでしょうか。こういうところが、傷を舐め合っているみたいで、私には不毛なファルスを生やす儀式をしているように思えます。 しかし私が気味が悪いという以上に、あなたにしてみても、あまりやると、自分自身のアイデンティティが見失われ、病気になってしまいますよ。しかも私だけではないのでしょう。相手は、ネット上の顔の見えない相手で、不特定多数です。一々、シンクロしていたら、精神が離散してしまいます(まぁこれが精液を散布しているイメージで、自己破壊的な快楽になっているかもしれませんが、ともかく精神病の一歩手前にまで行ってしまいます)。私はその加害者の一人になるのが嫌なので、もう投稿しません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  こうです。  Freud: あなたは思っていないようですが つまり意識はしていないようですが でもムイシキにおいては 精液は理性のことです。理性と言えば 魂にまでつながります。ですから 魂が去勢されているといった表現を使うなら あくまでムイシキにおいては あなたはそういったことを感じていて思ってもいるということなのです。  bragelonne: それは まったく同じことを裏返して フロイト先生にお返ししましょう。あなたは おそらく思っていないでしょうが つまり意識はいていないと思われますが でもムイシキにおいては 無意識ということは あなたのそもそもの願望が仕舞ってあるところなのです。ですから たとえばこうやって 相手を患者と見立て 自分をそのカウンセラーとして 話をつづける。そのような話し合いをとても望んでいるということでしょうね。中には 転移や逆転移ということもあって そのような物語を体験することが 幸せに感じるということなんでしょう。というよりも けっきょく人はムイシキなどという問題はあり得ないのに あなたが自分の趣味を試すために・それによって満足を得たいがために わざわざ世間の人びとを患者として招いているのです。これは あくまでムイシキにおいてあなたがそう感じているし思ってもいるということなのです。  Fr.: いや そんなことはありません。それは あなたの見当違いです。わたしにそんな趣味はありません。  br.: いえいえ フロイト先生。これは ムイシキの問題なのです。ムイシキで起こっていることについては 自分にとって都合がわるいと思えば 誰でも否定してみせるのです。これが セオリーです。いま先生は セオリーどおりの反応を見せましたね。どうですか? 偉大な理論でしょう?  こんなやり取りを繰り返すおつもりですか?  と言っても もう尻尾を巻いてお隠れのようですが。

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     1. 世界におけるおのれの位置づけによって 仕分ける。      ヨリ(憑り):世界と未分化なる原始心性:アニミズム・シャーマニズム           前(プロト)歴史知性    イリ(入り):時間的存在なるわれを自覚して世界の内に入った:           歴史知性;《世界‐内‐存在》    ヨセ(寄せ):時間を超えたと《さとった》ととなえ世界の経営にあたろうとする:           ヨリ心性もイリ知性をも寄せてたばねる:           《超歴史知性》;《世界‐外‐存在》  2. ひとは みな あやまち得るスサノヲ人間語をしゃべるスサノヲ市民である。ヨリ原始心性もイリ歴史知性もヨセ超歴史知性も 同じくである。  3. ただし このスサノヲ人間語の内に じつは人間の普遍的な特質もやどると見られている。一般に《人間としての互いのカカハリ(関係性・社会性)》である。マジハリは無くても カカハリの絶無な人はいない。  4. スサノヲ市民が暮らす世界にあって 人と社会とその他の世界について誰もが共にそうだと見とめる事柄を人びとは捉えるようになる。これは アマテラス科学語である。ゾーオン・ポリティコン。  5. アマテラス科学語で捉えた人と人との関係についての見方は 理論と成る。人は互いにひとしく自由だ。この自由は互いにまったくひとしい。うんぬん。これは むろんやはり普遍性を表わすものとして アマテラス人格語と呼ぶ。  6. アマテラス科学語およびアマテラス人格語をまとめて アマテラス普遍語と呼ぶ。  7. 一般に――相対的な意味においてだが――あやまち得ざる普遍語として捉えられるアマテラス語は むろんあやまち得るスサノヲ人間語にもとづきそれを練りに練って得たものである。  8. もしくは アマテラス普遍語は スサノヲ市民が用いる言葉である。ぎゃくではない。アマテラス人格語は スサノヲ人間語の内におさまってこそ 活きてはたらく。  9. アマテラス人格語および科学語によって ヨセなるスーパー歴史知性は スサノヲ人間語なる《ヨリ心性およびイリ知性》をおしえたい・みちびきたい・おさめたいと願った。根負けしたスサノヲ市民らは これに《くにゆづり》した。  10. よって 社会は もとは平屋建てであったが 《くにがゆづられた》あとには スサノヲ市民社会なる第一階とそしてアマテラス第二階との二階建て構造と成った。  11. 社会にも神棚をつくって そこに神聖にして侵すべからざるアマテラス公民を住まわせ ときにはこれを祀っていた。    12. 問題は ずばりひと言で言えば こうである。:ひとの用いる言葉は けっきょく誰にとっても《スサノヲ人間語 ‐ アマテラス普遍語》なる総合的にして構造的な言語だということになる。S語だけというわけではないし A語が突出してしまうものでもない。  13. いかに普遍語と言えども 《超・人間語》はない。同じように人間知性に超・歴史知性はない。ヨセなるズーパーメンシュとしてのアマアガリもしくはアマガケリは 非現実的である。社会に 神棚も雲の上もない。  14. 《スサノヲ人間語 ‐ アマテラス普遍語》なる構造言語をしゃべる一人のひと――基本的に言って広義の スサノヲ市民―― この人間が 社会の経営については ムラオサ(市町村長)として当番制において当たるのがよい。学級委員のごとくすべての人が ムラオサの当番になる。  15. また お二階は要らない。それは ムラムラの連携のために事務処理をつかさどる公務員としてはたらくのみ。  16. このムラムラのつながりは 日本だけでやるのもよいが 世界にひろがるなら もっとよい。  このたたき台についてご教授ください。異論については質問者として食い下がりますが ご批判を歓迎します。

  • 村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?

     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明をともなったフィギュアの心の解明です。お聞きください。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

  • 国家のアウフヘーベンを!――いまでしょ。 

     1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人≫ この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよ その《いと高き者》に似て来たとき――きわめて人間的な人間になったとき――周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったときスサノヲらはとうとう根競べに負けて 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがムラムラでおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス公民‐スサノヲ市民》連関制の完成である。くにのいへと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前とがある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. さて 大政奉還――国家のアウフヘーベン――のもんだい。  6-1. 大政奉還の問題は    《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制  としてのマのあり方を問う。  6-2. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガヒをめぐるその正し方 こういった問題である。  6-3. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?  6-4. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは    《 S (大政主権)- A (従属)》の連関  だったものが A圏主導の《 A主導 - S 従属》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-5. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろただ理念に合わせただけのものではないか?  6-6. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-7. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。お二階へのアマアガリをおこなった。  6-8. つまりそれが アマテラス普遍語(つまり科学語および人格語)であるが これは実際には アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。クウキである。つまりそのクウキとしての神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-9. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところのダブル・スタンダード現象である。  6-10. ゆえに普遍語をよそおうところのアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。アマテラス科学語は資料等において部分的にしか表に出さない。アマテラス人格語は ウラとオモテとを使い分ける。  6-11. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとするアマテラス神話なる反措定に対するための反措定であるから 肯定的な綜合であり 人間のふつうの存在(知性)の復権(ルネサンス)であると考えてよいのではないか?   6-12. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)主導‐ S (スサノヲ)従属》連関制としてのマチガヒからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。ウラで何をやっているか分からないばかりである。そして 経済・財政的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公民の無謬性なる神話がくづれた。D.トランプ現象?  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。――かな?

  • 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第五章 多神教は その一まとめとして一神教である   趣旨説明の(3)から:    § 5 ‐ a 《国体》についての補論: 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか  たとえば 次のように受け取られています。  ▲(ヰキぺ:万世一系) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB  § 2 起源と正統性  §2.2 日本神話  日本神話に登場する初代の天皇・神武天皇から現在まで、天皇の王朝が断絶せずに皇室が日本を一貫して統治してきたとする史観を形成し、万世一系は国体において不可欠なものとされていた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. 神武カムヤマトイハレヒコの遺伝子で男系を引き継ぐY染色体が受け継がれているのは 日本人としていくらでも・どこにでもいるということだそうですが この観点はいま別とします。(さらに詳しくおしえていただけるなら さいわいです)。  ▼ (遺伝子から見た男系天皇論)   http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/111.html  2. ここでは 神武天皇から百二十幾代にわたって現代にまで 男系の同じひとつの血筋がつづいて来ているとしてみて そのほかに 神武イハレヒコより前の世代については どう扱うのか? これを問います。  3. それより前は 神代だから問題にしないのか? 神代と人代とで切れていると見るのか?  4. それでも 神武イハレヒコの父のアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズをさかのぼり マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミに到ると その親は アマテラスである。    ▲ (アマテラスからの系譜)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Emperor_family_tree0.png  5. このアマテラスは ひとつに女性であり もうひとつにタカマノハラの主宰神であって天皇家の祖であるとされている。では いまの主題としての男系の万世一系は このアマテラスにまで行き着くか? 行き着いても別の話なのか?  6. アマテラスの息子――神代の話ではあるが そういうふうに見てみます――のオシホミミは では その父親は誰なのか?  ▲ (アマテラスとスサノヲのウケヒ)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg  7. すなわち 姉アマテラスと弟スサノヲとは スサノヲがその心の清きをアマテラスに疑われたので ウケヒという裁判をおこなった。  アマテラスがスサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧からは 女(三神)が生まれた。  しかるに スサノヲが アマテラスの《八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠》を受け取って噛み砕き 吹き出した息の霧からは 男(五神)が生まれた。そのひとりが オシホミミである。――オシホミミの父親は誰か?   8. オシホミミは 誰の子でもないのか? ツルギをかみ砕いたりしており 勾玉をかみ砕いて吹き出した霧から生まれたのだから 母も父もいず ただアマテラスの子であると見なされただけなのか?  9. それとも スサノヲもアマテラスも――その誕生は 必ずしも尋常のものではないが(母イザナミがすでに死んでから生まれている?)―― 父親は ともにイザナキとされているから けっきょく神武イハレヒコの Y 染色体は このイザナキから来ていると見るのだろうか?  10. ただし だとすれば その同じ遺伝子を 末っ子のスサノヲも受け継いでいるからには スサノヲの子孫も 同じく天皇家と同じ血筋になる。ということか?  11. 神武イハレヒコの以前は 万世一系にとって問題とはしないのか?  ☆ よろしくご教授ください。  (うっかりしていたけれど こういう問題があったのでした。やっと気づきました)。