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今年は、世界の独裁者にとって厄年ですか!?
エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐、そして、北の将軍様と世界の独裁者達が次から次へと災難が降りかかってきますよね。 ついでに独裁者じゃないかもしれませんが、ウサマビン・ラーディン。 なんか今年は当たり年という感じがするんですが、これって偶然なのでしょうか!? 私は偶然にしては出来すぎという感じがします。 今年も、後、残り少ないですが、災難が降りかかりそうな独裁者は他にいますか!?
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くしくも今年に入って1991年当時から権力を維持してきた中東・北アフリカの独裁政権が相次ぎ崩壊、あるいは崩壊の危機にある。チュニジア、エジプト、イエメン、リビアに共通するのは一人の人物が20~40年の長期にわたり権力を握っていたことだ。チュニジアのベンアリ大統領の就任は1987年、エジプトのムバラク大統領は1981年、イエメンのサレハ大統領は1987年(当時は北イエメン)、カダフィ大佐が軍事クーデターで最高指導者になったのは1969年だ。一人の人物による独裁が続くことで、政権には汚職がはびこり、ネポティズムも深刻になる。民衆の怒りのマグマもたまりにたまっていたのだろう。 結構難問だと思います。 英訳お願いします。
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一所懸命考えても()内の語句が分からない箇所があります。 皆さんの知恵を貸して下さい。 また、埋めてある語句が正しいかも教えてください。 お手数かけて申し訳ありませんが、宜しくお願いします。 (1)チュニジアでの独裁政権崩壊はとりわけアラブ世界の盟主である()に衝撃をあたえ、同じような独裁政権であった(ムバラク)大統領の体制に対する批判が高まった。 そしてついに(ムバラク)大統領は退陣し、この国でも市民による革命が成功した。 このような(アラブ)の春とでも呼べる革命の影響は現在アラブ世界全体に波及し、リビアでは内線が、シリアでは政情不安が続いている。 今後のチュニジアや()の動きが注目される。 (2)トルコ共和国は1923年に(アンカラ)を首都として成立したが、初代大統領(ケマル)は西欧化を進めるためイスラーム教の影響を排除する()政策を行い、その他様々な革命を断行した。アラビア文字に変えて(ローマ)文字を採用したことも一つである。このようにして成立したトルコ共和国がアラブ世界で理想的な国政として注目されるようになったのは最近である。すなわち、2002年の選挙で勝利した公正発展党がこれまでの()政策を見直し、「イスラーム的公正」という価値観を掲げて、内外に主張し始めたからである。現在の政権はこれまでの悲願であった(EU)加盟に対しては距離を置き、アラブ世界へも顔を向け、ヨーロッパ世界とイスラーム世界をつなぐ存在を目指している。
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お礼
確かに一部ですが、独裁者が死んで、世界中の為替、株価に重大な影響が出る人達がたて続けに悲惨な目にあったような気がします。 今、健在な他の独裁者の人達は死んでも、あまり世界に影響を与えないように感じます。 ありがとうございました。