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江戸時代の町人について

百姓は年貢を収めていましたが,商人や職人などの町人には納税義務はなかったのですか?

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  • f272
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回答No.2

一応、税金に似たものとして冥加金があった。 Wikipediaだと「山野河海などを利用したり、営業などの免許の代償として幕府や藩に対して支払った租税の一種」と説明されている。 他にも社会資本整備の費用として、橋の建設、維持費を負担したり、火消しの費用、自身番の費用も町に課されて、それは結局のところ町に住む人が負担しました。ただし、間口の大きい商店などが多くを負担し、累進課税のような状況になっています。

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その他の回答 (1)

  • takuranke
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回答No.1

農民のような年貢制ではありません。 他のサイトで回答した物を転載します(一部修正あり) 町民は所得税、贈与税や相続税は一切なく、農民に比べ税負担はかなり低かったそうです。 ただ、公役(くえき)があったのが、人で出すのではなく銀で支払うようになり、長屋住まいの場合は大家さんがひとまとめに支払っていました(家賃に含まれている)。 戸建住まいの人は年3回、町名主が集金していたそうです。 二十坪を一小間という課税単位、地方によって違います。 現在の地方税に当たる、町入用費というのがあり、これは町名主におさめます。 商人は、法人税のようなものはなく、 御用金制度があり、 宝暦十年(1761年)から始まり約20回ほど徴収されたそうです。 富裕商人を対象に徴収をして、年利3%の利息を加えて返還する決まりだったので、本当は国債に相当するものだったのですが、強制力が強く、最初は返還されていたのが、財政難になると支払いが滞ったそうです。 上納金もあり、上納額によって褒美があったそうです。 3千両の上納で返還を求め無かった場合、永代苗字が与えられたそうです。 後は冥加金や運上金等がありました。

gusin
質問者

補足

士農工商という制度の意味がやっと、分かりました。 工商という人たちは結果的に彼らが優遇されていたわけですね?・・・ 百姓は名目上では武士の次に偉かったのか? 事実は仕事がエラかったのですね?・・・・・・・・・

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