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生きるということの本質は何だと思いますか。。

iwamahico7の回答

回答No.21

Ano11とAno18のイワマヒコです。 スポーツ文化、特に日本のスポーツ文化のイメージは、まだまだ確かに大味でしょう。 そののりでの社会改革なんていうのは うどの大木をイメージさせるのでしょう。 いきなり核心を突く 端的な短い言葉、  ありがとうございます。 サッカーで言えば いきなりシュートに近い位置にボールを蹴ってみるテストパスに当たるのでしょうか。 シュート自体もまた、 その思いっきりの瞬時の判断にて 確率を意識してのテストでもある性格を持っています。 そうしたボール軌道は、 哲学で言えば、 普段多くを考えられているところからの 直感直球と言えるものかもしれませんね。 そのへんの手際を 見せていただいた思いとなります。 学習させていただきました。  ありがとうございます。 また そのへん私の回答の文章も 大雑把だったと思います。 別な側面 別な視点からの回答も可能と思われるそちらの質問内容ですが、 今は スポーツの側面か もう少し筆を伸ばさせていただきます。 今でも 体育会系と 文科系といわれる分裂はあるでしょうし、 マスコミ騒ぎは けしてスポーツの価値をしっかり捕らえていません。 健康という、個人にとっても扇の要(かなめ)となる価値についても 詳しい系統的解説をしているスポーツ解説もみあたりません。 先ほど昼の弁当を買いにコンビニに寄ったところ、 スポーツ新聞には「なでしこ五輪出場」の文字が前代未聞なほど目立っていました^^。 しかし、 私のスポブロでは、 今回女子サッカー特集を組んでいません。 逆に ちょこちょこと、 他の特集の合間にも、 「今回はアメリカに勝って欲しくなかった」とか、とんでもない非国民的なコメントを入れていたりします。   マイナーを卒業できないわけです^^。 でも アメリカの子供の時からのスポーツ英才教育の流れをすべて肯定するのではないのですが、そこでは 精神面も含め 健康には徹底して気おつけるトレーナーの伝統もあり、 その上で選ばれた人たちが代表となっています。 逆に 日本は 女子サッカーのチームが無いために男子といっしょにやってきた人とかいたりする まだそんな状況、 これって 無理が重なる危険があります。 幸い なでしこは、 いい意味での明るいユーモラスな心であふれたそんな若さがあります。 常に どんな大きな障害障壁に転がされても、 落込んだりストレスを抱える前に即 新しい工夫を笑って模索し始めるといった明るい空気があるのです。   おそらくこれで すべて何とか乗り切っていっているのでしょう。 おっと ここはスポーツブログではありませんでしたね^^。 ともかく このマスコミののりは いただけないと思います。 (なんて書くときらわれてしまいそうですけどね) 実は イワマヒコというハンドルネームの由来は、 岩間合気道の初代道主 斉藤守弘先生に偶然お会いしたことがあることから  イワマ(岩間)という名前をとっています。 私自身は 踊りの心の世界を長年追及してきた者ですが、 63歳にして 実際の舞踊の技術の世界にも開拓の道を広げ始めたところ、 そこでその技術の基本となったのが なんと 若い頃めぐりあった齊藤先生の教えだったのです。 戦後 20数年は 岩間でさらに追及され磨きをかけられていたのが 植芝合気道だと思うのですが、 今のほとんどの合気道は 戦前に数年修行した弟子たちが引き継いだもののようで、 齊藤先生のように、戦前から 戦後の最後まで道祖をともに寝起きして その技を受け継いだ方はいないはずです。 でも これが、 八百長的な気楽なところが少しも無い教え(本来あたりまえですが)だったためか 合気道界からのけものにされてしまいます。 日本武道の真髄である剣の理合いも 当身八割の道理も こうして今の合気道界からは失われてしまっています。 しかも  足を悪くされ 体を壊して若くして亡くなられた齊藤先生の葬儀も 無視された形です。 こんなことなら 私が弟子になって すべてを 合気道にささげるぐらい修行しておけばよかったと思います。 齊藤先生は 合気道の本質を「絶対的安定性」と言いました。  その大地の上には 武道だけでなく あらゆる個性の花が とくに藝術面で自然に花咲くとも言われました。 これは 凄いスピードで走りこみ ぶつかってしまった瞬間には大男たちが 投げ技を使っているわけでもないのに 大きくふっとんでしまったり 転げまわってしまうような激しいサッカーでの ボールコントロールの世界でも  言えること、 それをサッカーでは「身体バランス」と言いますが、    これが スピードスポーツ時代において さらに重要な 微妙な要素(大味ではないです^^)となり  なんと 今後は すべてのスポーツにおいて 音楽のドラムを越える拍子のイメージのあたりから進化をし始めると思います。 音楽では 音符という便利な音の長さをイメージできる記号があるため、 拍子の細かい位置移動のスピード化が無くても  正確に音楽を奏でることが出きるようになっています。 この細かいリズムを きちっとチームワークで、 数分の一秒も狂わさず トスをアタックしてこそ スピードバレーボールの さらなる進化があるわけです。 音楽とは別の拍子のイメージ化とそのスピード化 正確化が必要となるわけです。 そして 実は その上での スポーツの世界は、 安定性においてもただの身体バランスを越えて行きはじめるばかりではなく、 音楽のような藝術的強弱のメリハリや 細かい感性の世界とも合流してゆくことになると思っています。 また 同時に 意思決定のスピード化のあたりにも アメリカの応用スポーツ心理学の域を超えて 役立ち始めるとも 思っています。 経験と知識と技術を よりすばやく総合化し そこに藝術の感性の香りまで交えた 新しい時代の理念を見つけ、 そこから計画をたて、 計画にもとらわれない自在性をももって 意思決定が  そのスピードスポーツのように行われるようになれば、  まさに鬼に金棒です。 そこからは すばらしい明日のリーダーがどんどん育ってゆくと思うのです。 また 時間がなくなりましたが ともかく 大雑把な イメージは、 こうしてネット自体には 庶民の知恵で一歩一歩  変革してゆくしかないと思います。 では、また 機会があれば

agripapa
質問者

お礼

チャライ系 生きる本質から目を逸らさせてるんだよ ・

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