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ハイデガーと正法眼蔵

ハイデガーは正法眼蔵を読んで驚いたという話を聞いたことがあるのですが、 そのことが書いてある本があったら読みたいので知っている方教えてください。

  • muuu8
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みんなの回答

noname#145704
noname#145704
回答No.6

面白いご関心だなと思い、お手伝いしてみることにしました。木造の親方の推理の仕方は正しいですが、ちょっと私は別の本を見つけてしまいましたよ。 まず、道元の仏語訳は1970年にあったようです。 Maître Dōgen, Shobogenzo : le trésor de la vraie loi, introd. et commentaires par Taisen Deshimaru, Paris : le Courrier du livre, 1970. 英訳も同様のようです。 A Primer of Sōtō Zen : a translation of Dogen's Shȯbōgenzō Zuimonki / by Reihō Masunaga, Honolulu : East-West center press, [cop. 1971] ドイツ語は、1958年には、何かあったようです。 Allgemeine Lehren zur Förderung des Zazen von Zen-Meister Dōgen, 1958. というわけで、ハイデガーが知りえた可能性はあったとみていいでしょう。 さて、これについて研究があるか否かですが、一応、見つけておきました。 フェッター・ヘムルート、「後期ハイデガーと仏教の近さ」 http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/handle/123456789/19641 ウェブ公開のデータなので、図書館に行かなくても読めますよ。おそらく質問者さんは読んでくださることかと思いますが、一応、情報をさっと整理してみます。 ・ハイデガーの弟子らに禅に関心のある日本人らがいた。 ・それは田辺元をはじめとし、1922年ごろからのことである。 ・鈴木大拙の受容や、オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』(著作の原型となる講演会は1936年)など、時代背景として、ドイツ哲学者に禅を受容する間口があった。 ・ハイデガーはポール・シャオと供に『道徳経』の一部を訳したのであって、東洋思想に無関心ではなかった(1844-45)。 ・これらの状況証拠や証言は、ハルムート・ブフナー著『日本とハイデガー』が、まとめている通りである。 ・実際、ヘムルートによれば、ハイデガーの死の捉え方は、禅と重なるのであって、内容としても考察を深める余地がある。 ヘムルートの議論では、ハイデガーの議論は鈴木大拙の議論と接点があるのではないか?としているようです。なるほど、鈴木大拙の訳出は、1906年には、英語であります。 Suzuki, Daisetsu, The Zen sect of Buddhism, 1906. 私もこれまで良く調べていませんでしたが、なるほど、禅の受容は、二十世紀初頭には随分あったのですね。というのも、大拙の本は、かなり訳されていますから。というわけで、ハイデガーが直接、道元の著作を読んだのでないにせよ、間接的に日本の禅を知りえた可能性はある、とまでは言って、差し支えないでしょう。 しかし、「ハイデガーと禅」というテーマは、ハイデガーという大思想家の小さな一面を過剰に大きく取り上げるものにすぎないのか、それとも本質的な問題を取り上げるものであるのか、検討しなければなりますまい。しかし、あとは研究者の腕次第です。私はあまり詳しくないので、この点についての御判断は、質問者さんと皆さまに委ねることにします。 ところで、ご質問は、ハイデガーが『正法眼蔵』について感想を述べた箇所をお読みになりたいのでしたね。しかし、私はどうも、どの著作の何ページと示すのは、無理なようです。というのも、私は日本にいませんから、本をめくって確認して差し上げるわけにいきません。しかし「日本とハイデガー」と検索すれば、田辺元ら日本人の弟子らの証言を綴った、それらしき本が見つかります。また、細かいことは、おそらく、ブフナーの著作にまとめて書いてあるのでしょう(書誌情報は、先に示したヘムルートの文献の末尾を見てください)。 Hartmut Buchner, Japan und Heidegger, 1989.

回答No.5

ハイデッガーは1976年に86歳で死んじまったので、それ以前に彼が読める正法眼蔵の翻訳本があったのかどうかが重要です。 ドイツ語版は、Dōgen Zenji's Shōbōgenzō. Die Schatzkammer der Erkenntnis des wahren Dharmaが一番古く1989年ですから、ハイデッガーの死後です。 英語版は、三巻ものの翻訳本Shobogenzo: The Eye and Treasury of the True Law, Volume One; が1975年に出版されておりますが、第二巻は1977年ですから、ハイデッガーは読破できません。 ハイデッガーがフランス語をよく読んだのかどうか分かりませんが、愚拙の調べた限り、正法眼蔵のフランス語訳の最初は、 1999年のLa presence au monde de Dogenのようですから、やはりハイデッガー没後なんですね。 ということで、ハイデッガーの生前には正法眼蔵の独訳、英訳、仏訳が翻訳されていなかったようですからら、「ハイデッガーが正法眼蔵を読んだ」というの、真っ赤なウソと断定して構わないでしょう。 西欧人は西欧の文化ばかり研究しており、日本の文化を学ぶようになったのはつい最近のことです。 非キリスト教文化の代表である日本の仏教哲学がひろく西欧の知識人に広まるのこれからですね。 南無阿弥陀仏!

  • kt0776
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.4

No.1で回答した、「kt0776」です。 No.2の回答者kaitara1さんが、木村敏の『時間と自己』にあるようだと書いておられましたので、図書館から『時間と自己』を借りてきて確認したところ、そのような記述はありませんでした。  同書で『正法眼蔵』にふれられているのは、道元が、「時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし」といっているところを引用して、離人症患者の「非連続な時間」の考察に繋げているところ(30~31頁)だけです。  また、ハイデガーについてのまとまった記述は、アリストテレスの時間論の解釈を紹介しているだけです。  その他、「あとがき」に、「精神科に入ってビンスヴァンガーの勉強をはじめ、ある程度哲学書を読むようになってから、時間を非連続の連続とみる西田幾多郎の思索と、存在の意味は時間であるというハイデッガーの考えとが、私自身の経験にもっとも近いように思われた」(186頁)と書いていることと、その後で、「若いころに京大の辻村公一教授の指導でハイデッガーを読んでいたころ、辻村さんがふと洩らされた「ハイデッガーと西田先生の違いは、ハイデッガーでは将来が中心になるのに西田先生では現在が中心になるということだ」という言葉が、その後もずっと私の心を離れなかった」(190頁)というような記述があるだけです。  kaitara1さん、勘違いでないのでしたら、明確に出典を示すべきでしょう。

muuu8
質問者

お礼

すいません、わざわざありがとうございます。

回答No.3

こんちは 今から約100年ぐらい前の話ですので、なんとも言えませんが、 私は、読んだことは無いと思います 状況証拠だけですと 1)何故、正法眼蔵だけで、他の仏教書が指摘されていないのか 2)正法眼蔵だけを読んでも意味は分からないはずだから だと思います。 フッサールとたもとを分かつ人間が、背景(仏教)を理解せず 正法眼蔵に影響されるとは到底思えません。

muuu8
質問者

お礼

確かに正法眼蔵だけ読んでもわかりませんよね……。 回答ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

正確ではないですが木村敏さんの「時間と自己」中公新書の中にあったように思います。同氏がどこかに書いていると思います。

muuu8
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考までに読んでみたいと思います。

  • kt0776
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.1

 まず、「ハイデガーは正法眼蔵を読んで驚いたという話」は、ネットではよく流されている「ハナシ」です。その出所は、以下の動画↓です。しかし、そのことが書いてある本はありません。 http://www.youtube.com/watch?v=OcvzJ2-kpTI  これは、よくご覧になっていただければ気が付きますが、「親鸞会」という、知る人ぞ知る、少し「偏向」した「宗教団体」が作成した動画です。   そして、この動画の真贋については、Yahoo!掲示板で取り上げられ、何回かの投稿のやり取りの末に、この動画の語っていることは、親鸞会の「捏造」だという結論になっています。  この動画の「似顔絵」はハイデガーのようですが、ナレーション(文章で流される解説)は、「親鸞会」が付したものです。そして、そのナレーションの根拠は、「親鸞会」所属の「高僧」が語ったとされてますが、その話にはハイデガー自身のものになる典拠は示されていなかったとのことです。  また、一時、Wikipedia にも、この動画を素に「ハイデガーは正法眼蔵を読んで驚いた」ので、「もっと若い頃に出会っていれば翻訳して紹介していただろう」ということを、「ハイデガーの日記」を「根拠」に載せていたことがあります。しかし、そもそもハイデガーは「日記」など残していないので、その記述は誤りでした。Wikipedia も、「親鸞会」の動画をそのまま信じて載せていたらしいので、Yahoo!掲示板の参加者が、事実を示して抗議して、その記載を、削除させたという経過があります。  以上のことから、繰り返しますが、「ハイデガーは正法眼蔵を読んで驚いたという話」は、「親鸞会」の捏造であり、そんなことを書いた本など存在しないというのが、実情なのです。  私も、当初、上掲の動画を、たまたま見て、「へー!」と驚いたのですが、Yahoo!掲示板出の投稿のやり取りから、事実を知って、まったく、「親鸞会」は、罪作りなことをしているものだと、憤っているところです。

muuu8
質問者

お礼

そうだったんですか。私はだいぶ前にWikipediaでこの話を聞いたんですが、最近ハイデガーのページを見たらこの部分がなくなっていたんで「あれ?」と思って質問してみたのですが聞いてみてよかったです。 ありがとうございました。

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