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太平洋戦争時の軍服って支給? それとも手縫い?

blackhillの回答

  • blackhill
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回答No.4

 近代的な軍隊(明治以降)では、宿舎、食事、服装、兵器は官給品です。ただし、平時には、士官、下士官は通勤していたし、士官は仕立て服を着用していました。  兵隊は官給品の制服と靴を与えられていましたが、そのサイズが限定されていたため、規格外の体格の場合は徴兵免除になりました。私の知り合いにそれぞれバレーボールとバスケットボールの日本代表だった兄弟がいましたが、兵役免除になりました。制服はともかく、軍靴が履けないので軍隊では物の役に立ちません。  日本のレディメイドの背広のレベルが低かったのは、身体をを服に合わせるのではなく、服に身体を合わせる軍服の仕組みから発祥したからだという説があります。

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