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戦争中の話

 以前、新聞か雑誌で読んだ話で、実話なのかフィクションなのか判らないのですが、この話をご存知の方は教えてください。 太平洋戦争真っ最中、一組の若夫婦がありました。とても仲の良い夫婦でしたが、夫に赤紙が来ました。夫が出征する日、妻は自宅で女の子を出産しました。夫は生まれた子を一目みて、家を出ました。  戦争が終わっても夫は帰りませんでした。 詳しくは覚えていないのですが、似たような話でもいいので心当たりの方は教えてください。

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  • ベストアンサー
  • kingi
  • ベストアンサー率21% (32/149)
回答No.1

漫画ですが、尾瀬あきら先生の「奈津の蔵」なんかどうですか。 質問者さんの言う話と全く同じではありませんが、それっぽい話です。 ドラマにもなった「夏子の酒」の前の話になります。

参考URL:
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ozex/sakuhinsyu02.html
mimity
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「奈津の蔵」早速調べてみたいと思います。 戦争中の話は何だか胸の痛くなる話が多いですね。

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その他の回答 (1)

  • walk-hawk
  • ベストアンサー率43% (82/189)
回答No.2

こんにちは。 お尋ねの話とは違うのですが、ご質問を読んで、思い出さずにはいられなかったので・・・ 小学校の時の国語の教科書に出ていたのですが(うろ覚え)、 時は戦雲国を覆おうとする頃、仲むつまじい若夫婦とその一人娘が幸福に暮らしておりました。幼い娘はようやく片言を話し始めたばかりでしたが、「ひとつだけ」という言葉を覚えて、両親によくおねだりしていました。夫婦は足らぬがちな暮らしではありましたが、娘に「ひとつだけ」とねだられると、自分たちの食べ物でも何でも、喜んで娘に与えていました。 ところが、戦争が始まり、とうとう娘の父が出征することに。その朝、母は娘を抱いて駅まで夫を見送りに出たのですが、その時娘が「ひとつだけ」と・・・ 題は「一つの花」?だったかな? 小学生ながら、感動させられた話です。 今にして思えば、教科書には戦争に関係のある物語がよく出ていましたね。

mimity
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 家を留守にしていたので、御礼が遅くなって申し訳ありませんでした。  「一つの花」は私の小学校のときも教科書に載っていた思い出があります。 ほとんど勉強をしなかった私ですが、この話だけはよく覚えています。 感動的な話でしたよね。

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