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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:他人の中で生きること。)

他人の中で生きることについて考える

noname#141482の回答

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noname#141482
noname#141482
回答No.1

本当の自分がわからないとのことですが……あなたは、「本当の自分はひとりしかいない」と思い込んでしまってはいませんか? 人間には様々な願望や欲求があります。そのひとつひとつが、互いに矛盾なく共存している、などということはあり得ません。 人と繋がりたい。私もそうです。 他人が怖い。私もそうです。 一人でいるときが一番の癒し。私もそう感じています。 私にとって、どれもが本当の自分であるように、あなたにとっても、どれもが本当のあなたです。 あなたは、「たったひとりの本当の自分」というあり得ないものを、あると思って求めすぎてしまい、自分を見失ってしまっているだけです。長い間、自分の内面を見つめて、ないものを探し続ければ、心のバランスを崩して恐怖が湧いても当然です。まずは今すぐその自分探しを一時停止してください。 あなたは、仮面を被りながらと書かれていらっしゃいますね。 人格のことをラテン語でペルソナと言います。これは本来、仮面とか役柄の意味。人は場面場面によって仮面をつけ、役柄を演じているという訳です。 「人と接するときに仮面を被っているというのなら、それは本当の自分ではなく、一人でいるときの自分こそが本当の自分なのではないか?」 間違っても、そんな風に考えてしまってはいけません。その答えは、否です。 一人でいることは、人と接していない訳ではありません。他ならぬ人物……これまでの人生で形成された「自分」と接しているからです。 そしてこの自分とは、正確には「自分たち」とでも呼ぶべき存在です。前述したとおり、人には様々な願望や欲求があり、これまでの人生の様々な場面での経験により形成されてきた、幾人もの自分がいるからです。 他人と接している自分。自分たちと接している自分。そのすべてがその人です。 あなたの言う「外面」だって、立派な自分です。あなたが思考の袋小路に迷い込んでしまうのは、外面を「無数の自分のうちの一個の自分」と考えず、自分には分不相応な、高価な衣服のように思い込んでいるからです。確かに、全身を貴族的なファッションでまとめても、着ている人が庶民であれば、貴族になりきれるはずもありません。 ですが、衣服と外面とでは、まったく次元が異なります。それは、外面というものが、あなたがこれまでの人生の中で自分で作り上げてきたペルソナだからです。 その人格は、人当たりが柔らかなのでしょう。爽やかなのでしょう。でも、意外と話題のストックが少なかったり、気弱だったりするのでしょう。でも、それはそれでいいじゃありませんか。それもあなたの中の無数の人格のひとつ。「本当の自分とは違う、自分には似合わない仮面」として嫌うから苦痛になるのです。そんな爽やかだけど頼りない仮面も、愛すべき自分の人格のひとつとして認めてあげてください。   あなたは、一人でいるのが好きなのに、このままではいけないと考えているとも書いていらっしゃいます。 将来が不安だから、というのならば解ります。「一人が好き。でも将来は家族が欲しい」なんて手前勝手なことは、私もしょっちゅう思いますから。 でも、必死に友人や恋人を作ろうとする理由が「世間に追いつきたいから」というのでは、人が頑張るのには、あまりにもつらすぎる理由だと思います。 なぜなら、あなたが心から友人や恋人を欲していないから。 あなたは世間に追いつかなければならないという強迫観念にとらわれるあまり、人が怖いという本音や、一人が好きという本音を押し殺してきたはずです。  その行為はあなたの心を苦しめるばかりだったでしょう。たとえ友人や恋人ができても、そんな過負荷をかけながらの関係であれば、長続きはできないと思います。 それよりも、素直に、自然に生きるべきです。 あなたはご自分の本質がわからないと嘆いていらっしゃいますが、すでに充分わかっていらっしゃるではないですか。 対人恐怖症の気があって、一人でいるのが好きで、そのくせ人と繋がりたくて、世間一般の価値観に合わせようと様々な場に参加する努力家で、でもやっぱり怖いから本当は何を求めているのかがわからなくなって自己の内面を見つめ続けたりしてしまう内向的なところがあって……(最後の内向的というのは、シャイなだけだと私個人は思いますが)。 そのすべてが、あなたの本質です。 そのうちのどれかひとつを選んで、自分の本質と定義しなければいけないと考えるから袋小路に迷い込む……これはもう書きましたね。 無理を続ければいつか解消されるのか、それとも破綻するのか……断言はできませんが、それは破綻の可能性のほうが高いです。外面も自己の人格と認め、なおかつ無理をやめなければ、いつか限界が来るでしょう。 そもそも、どう生きればいいかをひとつに絞るのがよくありません。白か黒かに決めたがるのが悪い癖です。わかります。私もそうでしたから。 これと決め、ただひたすら一直線に走り続ける。そんなことができる人はほとんどいません。いても、偉人として教科書に載り、伝記本としてまとめられるレベルの人物で、普通の人間には何の参考にもなりません。 年を取り、何らかの経験をする度に目標が変わってゆく。「本当の自分たち」も変わってゆく。そっちのほうが自然です。禅僧ですら、長い長い修行の末に悟りをひらいてもまだそれで終わりではなく、一生涯修行を続けるそうです。それなのに一般人がそんな簡単に人生が決められたら、苦労はしません。 無理をやめ、様々なあなたを認めてください。向いていない事柄に接するときは、徐々に徐々に慣らしていってください。世間の価値観に合わせて友人や恋人を作るのではなく、自分の心が欲したときに、自分の価値観に合う人を見つけて、友人や恋人を作ってください。その際も無理はせず、受けいられる人を受け入れることが肝要です。 今のあなたは、数年後のあなたとは違う人格です。それが少しの違いなのか、大きな違いなのかはわかりませんが、まったく同じということはあり得ません。今を楽しみながら、時に合わせて未来を変え、目標を変えて、ゆっくりと進んでいってください。

noname#213282
質問者

お礼

とても真摯なご回答を頂きましてありがとうございます。 何処にも居場所がない気がして暫くネットからも離れていました。 生き辛さだけが増えていく中でまたここに戻ってきました。 自分の感情に一貫性がないことをずっと悩んできました。 コロコロと感情が変わるたびに何て情緒不安定な人間なんだと。 「一人が好きなのに、寂しい」という感情はエゴでしかなくて、 自分にとって都合の良い展開ばかりを求めている傲慢で我侭な 人間なんだと自分に言い聞かせる度に辛さが増しました。 世間に追いつきたいという気持ちと淋しさの折り合いが付けられない、 どちらが本心かを見失う度に辛さは増えるばかりでした。 良好な人間関係は我慢との対価で払われるものだと言い聞かせ、 深く良好な関係を気付くには無理をして好かれないといけない、 不快に思う他人の言動や態度も受け入れないといけないとは 思うものの、思えば思うほど不自然になる自分と他人との壁。 「傷つくたびに人にも優しくなれる」なんて詭弁にしか思えず・・・ 中途半端に出来ることが増えてしまった故に苦しむことが増えました。 何も変わらない対人恐怖人間で居れれば自分にも他人にも期待なんて しなかった筈なのにと感じることが多々あります。 「こうでなければいけない」という理想の自分を追うことに疲れました。 gmigorou927さんのおっしゃるように自分の多面性を認めることで 楽に生きられる筈なのに、悟りの境地を開けば必ず幸せになれると 思い続けてきた勘違いのツケを今は払っている感覚です。 世間的にはマイノリティーである自分を恥だと思わずに認める、 世間体を気にしてしまい、無駄にプライドが高い自分にとっては とてもとても高い壁に感じるのですが、自分を一つだと決め付けずに 弱さも認められるようになれればと、もっと自分自身と向き合いながら 毎日悩み苦しみながら不器用にでも生きれたらと思いました。

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