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中国の国名変更の意味

中国の国名は隋唐清…などいろいろ変わってますよね? 国の名前が変わるというのは、日本で言うとどういう時なのでしょうか? ヨーロッパでみると、ローマ帝国や神聖ローマ帝国など今はもう無い国が存在しました。ある時から、現在もある例えばイングランド、フランス、イタリアなどがでてきました。それぞれの中で王朝や王は変わっていますが、名前は変わっていませんよね?日本も、平氏、源氏、豊臣、徳川、明治政府と支配者が変わっても、日本と言う国は変わっていませんよね? 一方で中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味なのでしょうか?これが一点目。もう少し抽象的に、国の名前が変わる、というのは一般的にどういう時なのでしょうか。 歴史初心者なので愚かな質問になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。

  • 歴史
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みんなの回答

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

大原則としては、国名が変わる=支配者が変わる、ということです。 ただ、問題を難しくしているのは、歴史で習う国名は必ずしも世界共通ではない、ということがあるからです。 例をあげます。 中国の歴史は日本の歴史にも関わりが大きいので、支配者が変わるとその都度名前を変えて覚えることになります。 最初の遣隋使は隋に使者を送っていたのですが、そのうち隋が倒れて(隋の支配者を倒して別の家系が支配することになった)唐になったので、遣唐使として派遣は続けていました。 漢字も唐の時代の唐音、呉の時代の呉音など時代によって変化するため、日本で学ぶ歴史では中国王朝の呼称はその都度変化して教えられています。 ところがおなじ歴史を西洋で学ぶと基本的にchinaでずっと話が進んでいきます。中国史を詳しく学ぶ人は別ですが、中学校まででしたら「チャイナのゲンの時代にヨーロッパまで支配した」という程度しか教えません。西洋では中国との関わりがほとんど無いため、今でも通用する呼称のchinaで十分だからです。 逆を言えば日本で教えられている西洋の歴史も同様です。フランスの歴史は日本では「フランス」でしかありませんが、西洋の国では違います。 紀元前後のローマ帝国時代はガリア(国はまだ無いので地域の名前)・初の統一王国としてのフランク王国(ここからフランスという名前になります)・その後メロヴィング朝・カロリング朝などと遍歴するのすが、フランスの歴史では詳しく、その他の近隣諸国でも必要に応じて王朝名が教えられることになります。 たとえばイタリアとのユグノー戦争の時代には戦争の主体であるヴァロワ家、ブルボン家とハプスブルク家等の名前をイタリアの学校で習うことになります。ちなみにこれらの王家はイタリアの近隣国ですので、イタリアとしては迷惑な話として、教わるわけです。 日本ではマリーアントワネットを輩出したハプスブルク家やブルボン王朝ぐらいは習うでしょうが、ヴァロワ家などは知っている人のほうが少ないでしょう。 日本の歴史と余り係わり合いがないからです。 そのため、ヨーロッパの国名は変化していないように思ってしまうわけです。 しかもフランス・ドイツなどの国名は中国や日本をchina・japanと呼ぶのと同じで、正しい呼称とはいえません。 フランスは「フランセーゼ」、ドイツは「ドイッチェラント」が現在の国の正しい名称ですし、フィンランドに至っては「スオミ」が正しい国名です。日本をジャパンと呼ぶぐらい国名がかけ離れている国もたくさんあるのです。 ですのでどの国でも自分の近くの国の歴史は国名まで含めて詳しく、遠い国は今の通称のまま習うので、まるで遠くの国は国名が変化していないように感じるのです。 もっともその逆もたまにはあって、ソビエト連邦は成立して崩壊するまで日本では「ソビエト」または「ソ連」としてきたのですが、西洋ではソ連以前のロシア王朝からずっと「ロシア」で通してきました。 日本にいれば近代史でベルリンの壁崩壊からソ連の終焉が分かりやすいのでしょうが、西洋だとベルリンの壁が崩壊しようが、ソ連が終焉しようが「ロシア」はずっとロシアなのでかえって分かりにくいといえるかもしれません。日本では第二次大戦時にソ連と戦ったことなどがあるため「ソ連」の名前が定着したのでしょう。ちなみに今は「ロシア共和国」です。 さて日本の国名が変化していないことについては、簡単にいえば支配者(王朝)がまったく変わっていないからです。 日本は西暦270年即位と伝えられている応神天皇より、一応ずっとおなじ王朝が続いているとされていますので、国名も日本で変化していないのです。 もっとも昔は中国から「倭」という漢字を貰って国名としていて、日本が使われるようになったのは7世紀か8世紀ごろといわれています。 いずれにしても、使われるようになってから現在まで続いているのは世界中でも「日本」だけでしょうし、当然天皇家も世界で一番古くから現存する王朝ということになります。 国というのは実は決まった形がありません。 たとえばイギリス(英国)というとドーバー海峡の先の島国とイギリス王室を思い浮かべますが、これは狭義のイギリスであって、これとは別にイギリス連邦という国も存在します。これはカナダやオーストラリアなど独立国でありながら英国の連邦として協力体制をとっている国のことです。 またアメリカ合衆国も同様に連邦であり、本来は州が独立国の扱いであり、連邦政府はまとめているだけなのです。 現在でも「国の形」はそれぞれで、決まった形があるわけではありません。歴史上でも同じで、名前だけでは判断できないこともたくさんあるのです。 教科書はここまで書き込むことはできません。混乱してしまうからです。でも、面白いでしょう。。

yuki001231
質問者

お礼

回答ありがとうございます。  日本では、「中国」という国の王朝の変遷の歴史を、王朝が変わるたびに中国為政者の呼び名変更に従って理解してきた、ということですね。 >>おなじ歴史を西洋で学ぶと基本的にchinaでずっと話が進んでいきます。  これが本当であるなら、説得的です。ヨーロッパでも近い国々の歴史は、日本が中国を理解してきたように王朝レベルで理解してきた、というのならさらに納得できます。  ある国が存在し、その国の中の王朝の変遷として、その国の歴史を理解する理解の仕方と、ある国の存在を自明とせずに王朝が変わるたびに違う国ができたかのように理解する仕方の二つがある、ということを示唆されているのだと思います。日本にとっては中国は前者で、ヨーロッパ各国が後者というわけですね。  ではヨーロッパ各国にとって隣国はどちらだったのでしょうか。phj様の回答の中で、王朝を詳しく習う、ということはでてきましたが、国としての理解があったのかどうかについては触れられていませんでした。私は日本でヨーロッパ史を学びましたから、イングランドはイングランドがあって、その中で王朝がかわった、という理解の仕方をしてしまいます。ヨーロッパではこのような理解の仕方はせず、「隋が唐へ」という式の理解をしているのでしょうか?カペー朝からヴァロア朝に変わった時、隣国では「フランス国内の王朝が変わったのだな」、という理解ではなく、「隋が唐になった」という理解だったのでしょうか?  ご存知でしたらぜひご教授ください。また、その際できる限りで良いのですが、ソースを提示いただけるとさらにありがたいと存じます。よろしくお願いします。

noname#208901
noname#208901
回答No.4

国名っていうのはやっぱりその集団の中で最も力の強い、 勢力のある者が決定しますよね。 日本で「日本」という国名がつかわれるようになったのは、 天武天皇の時代だと伝えられています。 それから日本では大和政権が藤原の一族によって、 あるいは天皇によって、担われましたね? 日本の政権のキーワードは、天皇と勢力一番上の人が 交代交代で移り変わっていることです。綺麗な期間では ないですけどね。 例をあげれば、聖徳太子のときからにすると、死亡後は 蘇我氏が崇峻天皇を毒殺して政権を奪取。 645年に天智天皇が大化の改新で奪取。 のち天武~持統~文武~元正~元明~ときて 周りに藤原氏がひそかに一族統一を企てていって、 平安時代になり桓武天皇が平安京で~ 894年とうとう最後の有力候補菅原道真も左遷~ 藤原家の台頭~道長の隆盛~ 荘園を開発しまくって汚職がはやりまくり、 後三条天皇によって調整がはかられ~ って感じです。今度は平治と保元の乱で平氏が台頭します。 日本では、政治権力者が、自分が治める時を指して 時代を語ったので、日本という国名は変えられませんでした。 特に鎌倉時代からは、この図式が、公家と武家、という 具合にわけられてしまいます。 建前でいえば天皇が最高ですが、政略結婚として 幕府と天皇家の女性が結婚して、幅を利かせるという 体制が多かったのはよくあることですね。 天皇家と政権者の、主権の取り合いだったわけですね。 これに対して中国っていうのは、為政者が誰であるかということ が一番大事。国が乱れる→為政者が悪い。→易姓革命 為政者を変えると国の名前も変わります。中国は 姓を重んじます。周の時代に定められた宗法にルーツが ありますが、劉、金、孫、など、似た名字の人がやたらと 多いのはこのためです。すなわち、この宗族の人がおさめ ている限り、その国は同じ人らが治めてるのと変わらない って感じなんです。中国はまず幇の関係、んで宗族の関係 がめちゃくちゃ重視されます。 そして異民族が中国を占拠したりします。清は、実際 現在の中国東北地方の女真族というツングース系 民族が建てた国ですね。明からすればもはやほぼ外国人です。 中国人っていうのは、今でこそ国境が定められてるから、 その中にいる人。っていうイメージを受けますが、正直いうと 本来は区別なんて全くないです。衰退の兆しが見えれば 必ず誰かが滅ぼしに来る。それは為政者が悪いから 攻め込むことは当然の大義名分ですね。 また、中央を目指すことを、「天下を目指す」といいますね 中国4000年の歴史と言われているように、中国は異民族 との戦いの歴史でした。異民族が変わって王朝をたてること も普通でした。ではなぜそれであたかも当然のように中国 は過去から現在まで中国人が治めてきたかのように語って いるのか。 歴史っていうのは人によってかわるもんじゃなくて 過去から現在まで貫かれている法則によって動いている。 と信じる人たちだからです。そしてその歴史法則を信じ、それに 殉ずる人たちのことを中国人と呼びます。 その人らの名前を中国人と呼ぶかどうかはともかく、 同じ人らなんです。 わかりにくければ似た例を出しますと、ユダヤ人ですね。 彼らはアラブ地方で生まれて ドイツで迫害されたり、 イスラエルを建国してそこに移り住んだり、あっちこっちに いるような印象を受けます。日本で暮らしてるユダヤ人とか ロスチャイルド家という大富豪になったユダヤ人もいて、 彼は他の国に一豪商として資金を融資したりしてます。 なんで国がないのにユダヤ人なの?もともとあった国が 滅んでまだ新しい国になじめてないの?国籍とってないの? それはなぜかといいますと、ユダヤ教を信じている人が ユダヤ人だからです。 だから日本人でも、ユダヤ人から、「あなたはユダヤ人 ですか?」と質問を受けたことがあるそうです。 中国も同じで、歴史法則を信じ、それに殉じる人達を 指していいます。 国の名前が変わるというのは、もちろん新しい国を作ったとき、 名前が変わりますよね。むしろその意味では日本の 方が特殊なのではないでしょうか。大体ヨーロッパなどでは その家の人間や正統性がとだえると、別の国になってます。 大陸つながってるから侵略されて滅ぼされるからだと思います。 後、キリスト教など宗教がめちゃくちゃ絡んでますよ。長いんで ここらへんでおわっときます。参考になれば幸いです ありがとうございました。

yuki001231
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>国が乱れる→為政者が悪い。→易姓革命 >>為政者を変えると国の名前も変わります。 つまり、為政者が変わったことを持って、国の名前が変わっている、ということですね?そうだとすると、これまでのお礼のところで書いてきたように、ヨーロッパの諸国において為政者が変わったにも関わらず国名は変わっていないという疑問がでてきます。 >>大体ヨーロッパなどではその家の人間や正統性がとだえると、別の国になってます。 これは、私の理解と違っているので、できれば詳しく教えていただけるとありがたいです。私は、「その家の人間や正統性がとだえ」ても、朝名が変わるだけで国の名前それ自体は変わっていないと理解しています。例えば、大陸に住むノルマン人がイングランド征服を行い、イングランドにノルマン王朝を築きますが、彼らはイングランドの名前を変えませんし、呼び名は少なくとも世界史の教科書的には変わっていません。これは女真族による支配と似たような状況だと思うのですがどうでしょうか。

  • uchi-
  • ベストアンサー率35% (45/126)
回答No.3

中国総称は意外と変わっていない。 こんにちは。 中国国名…隋唐清など変わっているように感じます。 が… 実は中国はむかしからチャイナという総称がありました。 日本の鎌倉時代に中国のことを「支那」(しな)といっている書物があります。 800年ほど前から(それ以上昔は知りませんが) すでに中国のことをチャイナといっていたんですね。 このことを踏まえて歴史を少し学んでみると楽しいですよ。 (回答は他の賢哲にお任せしま~す!汗) 個人的には「国名が変わる」=あたらしい為政者の趣味だと思っています。 朝鮮民主主義人民共和国はいい例です。 どこが民主主義?? どのへんが人民?? どのあたりが共和国?? 朝鮮社会主義ジョンイル独裁国 うむ!このほうがカッコイイと私は思う。

yuki001231
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>個人的には「国名が変わる」=あたらしい為政者の趣味だと思っています。  なるほど。為政者が変わった時に、国の名前まで変えてしまうかどうかは為政者次第で、別に名前が変わったこと自体が政体変動の実体的ななにかをあらわしているわけではないということですね。つまり、ヨーロッパの国々で「~王朝」と呼んでいるものを、中国では国の名前を変えて呼んでいる、という感じですかね。  一つの説明として非常に納得的です。これが事実かどうかはわかりませんが。 ありがとうございました。

  • Caroms
  • ベストアンサー率38% (46/120)
回答No.2

こういう質問だと一斉に回答が殺到していると思いますが、一応参加させていただきます。 国の名称が変わるのは、国家を成している政体が台頭した新しい勢力に取って代わられるとき、即ち皇帝や王が自国への支配力を失い、簒奪者が新しい皇帝や王を名乗る場合です。 日本の場合、どんなに政体が変わっても、天皇という国家元首が常に上に置かれていましたので、国家の名称は天皇家出現以来変わったことはありません。その前に「邪馬台国」とか「倭」とか「蓬莱島」とか呼ばれたことはあったかもしれませんが。 これに対し、中国では例えば三国志の時代のあと「魏」が残ったり、モンゴル民族に征服されて「元」や「清」になったり、沢山の王朝・国家が散在したあと統一されたりと常に最高支配者の簒奪があります。 どちらかというと、日本のように変わっていない方が特殊な例なんですよ。

yuki001231
質問者

お礼

回答ありがとうございます。  No.1さんのお礼のところでも書きましたが、イングランドやフランスはどうでしょう。「皇帝や王が自国への支配力を失い、簒奪者が新しい皇帝や王を名乗」っていたと思うのですが。この事実認識が間違っているたらご指摘ください。

  • misawajp
  • ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.1

国の名が変わることは、国が変わることです それまでの国が滅亡されるか追放されて、全く関係の無い国(王朝と言うか政権と言うか)ができることです 継続性はありません 前王朝で権勢を張っていたものは、滅亡させられます 肝に銘じておかなければならないのは、野党が無いことです。 政権・王朝に批判的なものは存在を許されません、 勢力を結集して王朝を打倒するか、滅亡させられるか、臣下に加えてもらえるかしかありません 日本の場合は、それが大和朝廷の臣下の主導権争いに過ぎなく、大和朝廷そのものの存亡には結びつかなかったことです

yuki001231
質問者

お礼

回答ありがとうございます。  「全く関係の無い国」と言っても、住んでいる人々が、(大量虐殺等があったとしても)全く変わってしまうわけではありませんよね?すると、「王朝」や「政権」あるいは「為政者」が変わった時、と言えるかもしれませんが、イングランドやフランスはどうでしょう。ある意味「全く関係の無い」王朝に取って代わられたことは歴史上何度もあったはずです。しかし、少なくとも教科書的にはずっとイングランドやフランスと呼ばれ続けています。この差はなんなのでしょうか。

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