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今後の哲学は他の学問に発展しますか?

JidousyaGaisyaの回答

回答No.6

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  • 哲学と言う学問について

    日本では、哲学とは学問のカテゴリーに過ぎず、科学や医学とは別の扱いをします。 そのため、このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。 アメリカではすべての学問においての博士号は、Doctor of Philosophyです。 しかし、wikiではこのPhilosophyとは哲学を示しているのではなく、広く学術一般を意味していると書いています。この辺の説明も、日本的に哲学を馬鹿にしている姿勢が見受けられます。 私はこの説明に疑問を抱きます。 そもそも、哲学とは「広く学術一般を意味している学問」だったのではないでしょうか? 哲学の原点は疑問の答えを導く学問だと思います。特に、当時の学問では対処出来ないような疑問に向き合う学問であり、今で言えば宇宙科学や最新医療を研究している人たちと同じ事をしていました(社会的地位はその当時は必ずしも高くないが)。 だからこそ、アメリカでは科学者も医学者もDoctor of Philosophyなのだと思いますが、この考えは間違っていますか?

  • 哲学と言う学問について【修正版】

    前の投稿は、意図した事が伝わらない文章だったので書き直しました。 日本では、哲学とは学問のカテゴリーに過ぎず、科学や医学とは別の扱いをします。 そのため、このカテゴリーでも「哲学は役に立たない」と言う認識のコメントが多々見られます。 アメリカではすべての学問においての博士号は、Doctor of Philosophyです。 しかし、wikiではこのPhilosophyとは哲学を示しているのではなく、広く学術一般を意味していると書いています。 私はこの考えこそが「哲学を分かっていない」と思います。そもそも、哲学とは「広く学術一般を意味する学問」なのです。アリストテレスやソクラテスの名言だけが、哲学ではないのです。 リベラル・アーツがその例で、例えば、医師博士の事は、 「Ph.D in Medical Science」と言います。Ph.Dとは、Doctor of Philosophyの略です。つまり、「哲学の中の医学分野の専門家」。と言う意味です。 つまり哲学とは、あらゆる学問の根源なのです。 と言う、この考えは、哲学の観点から見て、間違っていますか?

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      問う人: 哲学の進歩発展を阻害するものはあるのか。 「人の道」: 哲学の進歩発展を阻害し、退化させるものは昔からある。 それは次のよーな問いの中に潜んでおる。  自己は存在するか、  心は存在するか、  霊魂は存在するか、  世界は存在するか、     ・     ・     ・ これらは認識論とゆーて、如何なる価値も生み出さない不毛の問いであることが昔から知れ渡っておる。 しかし哲学と称してこれらの問いかけを続ける輩が今だに大勢おるが、全くの役立たずである。 また漬かると必ずこの認識論に拘ることも判っておる。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、哲学を退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論が何の価値も生まない不毛の問いであり、哲学を退化させた張本人ゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。  

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     哲学とは何なのでしょうか? 既出だとは思いますが、検索しても見つからなかったので、あえて質問させて頂いていますわ。  gooより抜粋させて頂きました。 哲学:世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。  詳しく書いて頂けると、とても嬉しいのですが、私も本気で質問していますので、本当に納得のいった回答のみ、お礼や補足をしたいと思います。

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    哲学の目的は真理を追究することにあると思います。 哲学の研究対象の主なものは世界であり、それがどうなっているかです。 しかし、得られた結論が真理なのか人間には判断できないということは明らかと思います。 (無数の無矛盾の世界モデルが存在可能です) だとすると哲学のやろうとしているのは原理的にわからないものを求める徒労なのでしょうか? あるいは最もありうる世界モデルを提唱することなのでしょうか? そしてその世界モデルが興味深いものであればよしとするのでしょうか? 学問としての哲学の存在意義を教えてください。

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       問う人: 認識論は意味が無いとゆー人がおるが、実際そーなのか。 「人の道」: はっきりゆーて認識論は哲学ではない。 問う人: なぜ認識論は哲学とは言えんのか。 人の道: 認識論とは、例えば次のよーな問いを発することである。   今わしが食っているこのおにぎりは果たして存在するのか、   今おにぎりを食っておるこのわしは果たして存在するのか、   今わしが生きているこの世界は果たして存在するのか、   今わしが死んだらその霊魂はどーなるのか、存在するのか、             ・             ・             ・ しかし、これらは哲学とは呼べない。 なぜなら、これらの問いを発しても何一つ価値ある答えは得られないし、何一つ価値あるものは生まれないからである。 実際、これらの問いは昔から行われているが、これらが何ら価値あるものを生み出した試しがない。 また、これらの問いには何等の思想も理念もない。 哲学と呼ぶには思想や理念がなければならない。 哲学と呼ぶにはもっと高い位置に立つものでなければならない。 これらは単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎない。 どーやら宗教的精神は認識論が土台になっていると見える。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、本来あるべき哲学を蝕み退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論は単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎず、哲学とは呼べないゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。    

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    哲学というとなにやら難しいイメージがあります。 そもそも哲学というのはどういう学問で、その目的とは何でしょうか? 人は何のために生きるのかとか、どう生きるべきかなどと探るのが哲学でしょうか? それとも自分が存在する理由を見つけ出すのが目的なのでしょうか? 何かの真実を見つけ出すものでしょうか? 宗教との決定的な違いは何でしょうか? 哲学は、科学的なものですか? 物理学などの思考実験との違いは何でしょうか? 哲学者は、統合された哲学ともいうべき「究極の哲学」を目指しているのでしょうか? それとも宗教の宗派の違いのように、全く別々の流派に分かれているのでしょうか? また宗教って楽しい学問ですか? 初心者にもわかりやすい入門書などあれば教えてください。 ちなみに哲学というと西洋のイメージが強いですが、日本の歴史のなかで哲学と呼ばれるものをはじめた人はだれでしょうか? いろいろ質問してすみません。哲学について何でもいいですから教えてください。 よろしくお願いします。