• ベストアンサー

口語訳聖書ピリピ1:9 「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識

口語訳聖書ピリピ1:9 「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、」のワードスタディーをしています。  この言葉の「深い知識」「するどい感覚」のギリシャ語、またその深い意味ニュアンスなどを知りたいと思って辞書で格闘中です。詳しい方おられましたら是非お教えください。最近gooの素晴らしさに感動しています。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

 こんにちは。詳しくありませんで 参照サイトをさがしました。  ▲ Philippians 1:9-11 Commentary  http://www.preceptaustin.org/philippians_19-17.htm  ○ 「深い知識」:Real knowledge ( epignosis )  ○ 「するどい感覚」:Discernment ( aisthesis )  ほんの一部を引きます。  ▲  Real knowledge ( epignosis )  ~~~~~~  epignosis[word study]  from epí - upon, gives the force of “fully” + ginosko = to know related to gnosis = knowledge) is full knowledge, indicating that it is a fuller, more complete form of the root word, gnósis.  Both epignosis and gnosis denote acquired or experimental knowledge; but whereas gnosis may be true or false.  ・・・  ▲ Discernment ( aisthesis ) ~~~~~~   aisthesis from aisthánomai = to apprehend by the senses, to perceive and in NT speaks primarily of spiritual perception; our English = aesthetic; the root verb is aio = to perceive) refers to the capacity to understand referring not so much to an intellectual acuteness but to a moral sensitiveness.  ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というふうに非常にくわしいです。まだまだいろんな解明・解説やらがつづいています。  日本風に言えば もののあはれを知るといった中身を言おうとしていて 実際の体験をともなった知識( epignosis )と感性・感受性( aisthesis )ということなのでしょうか。

kin7777777777
質問者

お礼

いつもありがとうございます。心から感謝申し上げます。これから読ませていただきます

その他の回答 (1)

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.2

怠け者で何時も神様見捨てないでください。と祈るものです。質問者さんの ご要望に合っているかどうか分かりませんが、本棚にかなり昔買ったNTD新約聖書註解 パウロ小書簡がありましたので、抜粋させていただきます。 解説フイリピ 1の9 感謝と祈りは常に表裏一体である。ある人間のために、その存在ゆえに感謝することは、 同時に彼のために祈ることなくしては不可能である。パウロはピリピ人らを愛するがゆえに、 また彼らが愛をもてるように祈るのである。 しかしそれは、彼らがこれまで愛を示さなかったという意味ではない。 否彼等はすでにキリスト並びにパウロに対する愛において立派にその実を示した。 だがその彼等の愛はさらに大きく、さらに豊かにならねばならない。 まことキリスト信徒のいきざまには 停止も現状維持もなく、絶えざる成長発展か、しからざれば衰弱消滅への一路か、 そのいずれしかないからである。かくして彼らの愛は、いよいよ強く逞しく、 圧倒的に成長して、対に満ち溢れるべきである。 いくら豊かになっても、この愛に過剰はないのであって、 安んじて無際限に増大することを許されるのである。 この愛は単なる感情ではなく、透徹した識別力と結びついている。 それゆえ盲目であるどころか、真理に即した動きをし、事の要点を的確に衝くのである。 お勉強お励みください。私もピリピ人への手紙(ゲルハルト・フリードリヒ著) 改めてじっくり読んでみます。 、

kin7777777777
質問者

お礼

ありがとうございます。私もNTDをよく読むのですが、勉強になります。あなた様の祝福を心からいのりつつ。また教えてください。

関連するQ&A

  • 聖書の著作権

    WEB上で聖書閲覧サービスを創ろうとしています。新共同訳等の聖書が閲覧できるスマホのアプリをよくみかけるのですが、著作権の問題はどうなっているのでしょうか?使用許可はどこに頼めばよろしいでしょうか?また口語訳等の著作権が切れているものについては、勝手に使用して全く問題ないのでしょうか?またギリシャ語・ヘブライ語原典のデータについては、どうなっていますでしょうか?

  • 「ばれる」は口語的ですか

     先日、知人の中学生から書いた作文のアドバイスを求められました。 作文の中に「ばれてしまって」という表現があったので、口語的表現だから避けた方がよいと助言しました。気になって辞書でしらべてみると、「隠し事が発覚する」としっかりと掲載されていて、中学生に、「別に大丈夫なんじゃない」と言われました。  口語的と感じたのは「自分の感覚」であって、実際は違うのかと疑問に思いました。また、その疑問から他を調べてみると、「ぱくる」(魚の口から。大きく口をあけて食べる、盗む 等の意)もありました。  世の中の言語は時代の流れで変化があり、感覚で二手に分かれるものが多く、そういう場合は古い方(「正式」とされる方)を選ぶ方がよい(ら抜き、い抜き、「なので」など避ける)ことを助言しました。  しかし、ふと、辞書に語源まで載っているし、もしや、「口語的な感覚」で使用しているだけで、古くから(古文と言われる時代)存在するれっきとした文語だったのかもしれないと思うようになりました。  「ばれる」は口語的表現なのでしょうか。

  • 聖書の誤訳

    こんにちは。 先日ある方とお話をさせていただきましたときに、聖書の誤訳の話題になりました。私はヘブライ語もギリシャ語も分かりませんので市販されている聖書を一字一句信じて読んでいます。特に意味不明な箇所なども感じておりません。イエス様がお弟子の方々と宮殿を尾出になるときのおことばで少しこなれていないと感じていたものはありましたが、それも新共同訳になって改められました。誤訳というのはそういう問題ではないとも思います。 どなたか、聖書にお詳しい方で聖書が誤訳されている箇所をご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけないでしょうか。その方によりますと、「たくさんありますよ」ということでした。もしかして異端の方なのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

  • スペイン語 口語訳お願いします

    辞書で直接翻訳するより、口語訳(coloquial)を希望しています。 全部が全部直訳できないと思いますし、そもそもその単語自体が存在していないかもしれません。 ただ日常会話で使用したいだけですので、、。 ニュアンスで構いません。 もしかして(ネガティブな思考の方) いずれ そのうち ~に至っては とりあえず(antes de nada以外) よりによって ましてや それにしても どうせ あくまで あたかも まるで(estar como un/una○○?) そもそも いっそのこと うやむや 一切 仮に~だとしても(それにしても) ~の割りには ~とは言えども 打って変わって~ その時はその時です 無い物は無い(本当に物が無い時に) よろしくお願いします。

  • ベストハウスの悪魔払い 聖書では・・・?

    ベストハウスの悪魔払いの番組の中で 「めでたしマリア様、聖寵満ち満ちている」 という言葉が出ていましたが、 この言葉は聖書ではどのような言葉で示されているのでしょうか? 英語なのかギリシャ語なのか分かりませんが どなたかご存知の方いませんか? 本物の言葉で唱えて悪魔払いをするとしたら 本格的に本来の言葉で唱えたいと ふと思ったもので。

  • 旧約聖書ヨブ記について

     旧約聖書のヨブ記についていくつか疑問に思うところがあるので、教えて頂きたいと思います。  まず、ヨブ記38章2節に「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」とありますが、これは、流れ的に(といっても私が読んでいる聖書の日本語訳的にということですが)エリフのことを言っているのでしょうか。また、同様に41章12節の「わたしは彼のおしゃべりと、雄弁と、美辞麗句に黙っていることはできない」とありますが、この彼もエリフのことを指しているのでしょうか。だとするなら、42章の7節で神様は、ヨブの3人の友であるエリファズ、ビルダデ、ツォファルには、「あなた方は、わたしについて真実を語らず、ヨブのようではなかった」と言及しているのに、エリフについては、ノーコメントなのはなぜでしょうか。  私は思うのですが、結局このヨブ記というなんとも謎の多い書物がなぜ我々に与えられているのかということを考えると、その究極的な意味は解りませんが、ざっくり何が言いたいのかというと、神様は、ヨブという神様の前にも人々の前にもこれ以上ないと思われるような正しい僕であった人であっても、試練の中では、神様に不平を洩らすのであって、それは、至極当然のことであるのだということ、そして神様の愛は、私たち全てが抱くそのような思いをそのまま受け入れてくださることができる愛の方であるのだということ、それに対して何だかんだ屁理屈を言って、目の前で苦しみ悲しんでいる友をさしおいて神様や信仰、奉仕といったことを重んじてしまうところがあるので気をつけるように教えておられるのではないかと思うのです。  『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。 とイエスは今日も語られているように思います。

  • ヘブル語の発音を教えてください。

    ネットでヘブル語の聖書を見つけましたが、発音がわかりません。ギリシア語のようにtransliterationがないでしょうか?できれば、ネット上の方がよいのですが・・・。教えてください。

  • It's the way~

    おそらく口語で使われると思うのですが、 「It's the way (that) you~」 の意味がよく分かりません。 辞書で調べても、例文は少しあるものの、解説やニュアンスなどはありません。 分かる方よろしくお願いします。

  • 「愛」のない国、日本。なんて冷たい民族!?

    以前、どこかの国の平和を叫ぶ系のイベントで、 世界中の様々な「愛」という意味の言葉を、 白い風船に書いて飛ばすシーンを、TVで見ました。 ●英語 ラヴ love ●ドイツ語 リーベ Liebe ●フランス語 アムール amour ●イタリア語 アモーレ amore ●スペイン語 アモール amor ●ギリシャ語 エロース ●ロシア語 リゥボーフィ ●オランダ語 リーフデゥ LIEFDE ●モンゴル語 ハイル KHAIR ●ブルガリア語 リュボーフ ●韓国語 サラン ●中国語 アイ(中国漢字は出てきません。) いっぱい調べた結果こんな感じです。 でも日本語では「アイ」=「愛」です。 中国と同じじゃないですか!(現在は微妙に違う漢字ですが。) もちろん、中国で生まれた漢字が、 朝鮮半島を経由して日本に伝わったのですから、 「愛」という漢字を使うことはおかしくないですね。 でも、朝鮮半島にも漢字は伝わりましたよ。 日本に漢字を伝えたのは朝鮮半島の王仁(ワニ)博士という人です。 朝鮮にも「愛」という漢字は伝わった。 しかし朝鮮には「サラン」という愛を意味する言葉があった。 現在の韓国では、「愛」という漢字は、「エ」と読まれている。 チャングムを演じたイ・ヨンエの「エ」も漢字表記で「愛」です。 つまり日本人は、「愛」という漢字が伝わる前には、 「愛」を意味する言葉が無かったのですか? 無かったから、中国から伝わった「愛」を そのまま取り入れたのでしょうか?       もし、古代の日本人に「愛」という概念すら無かったとしたら、 日本民族はなんと冷たい人間だろうか! それとも「愛」を意味する言葉はあっても、 古語として(死語として?)消えてしまったのですか? 言語に詳しい方、教えてください。

  • 口語訳聖書は必要か

    私はプロテスタントのクリスチャンです。 家にはリビングバイブルと新共同訳聖書、それにうちの教会で礼拝で使う新改訳聖書があるのですが、口語訳聖書も必要でしょうか?