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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人が死ぬ。)

人が死ぬ

このQ&Aのポイント
  • 突然の死による喪失感と感じる非現実的な出来事について語られています。
  • 中学時代の仲であったAさんが亡くなったことに対する驚きと混乱が伝えられています。
  • Aさんの病気の経緯や亡くなったことに関する情報と、自身が生きていることへの罪悪感が描かれています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.4

あなたはまだ若い幸いと云うか、これまで身近にいる人の死を体験してこなかった。 Aさんと云う友達の死によって、初めて人間は死ぬんだと言う事実に直面し、 体験した。 私は年取っています。もう自分より年長の身内のものは、すべて亡くなりました。 今自分は最前列に立っているような気がします。 私にとっては死は、沢山の私を愛してくれた人のそばに行くような気がします。 先週私より6歳若い末の弟がなくなりました。自分より年下のもの、 長い付き合いのあるものの死は、こたえました。 長く患い病と闘った弟の死は、覚悟していましたが、 日がたつにつれじわじわと悲しみが増します。 弟は来てくれた人たちに、お礼とお別れの手紙をしたためていました。 三歳年上の弟がそれを読みました。自分の生い立ちから今日まで、どれほど多くの人の 恩恵によって生かされてきたか、幸せな人生だったことへの感謝でいっぱいでした。 このように準備された死ではなく突然のAさんの死をどう受け止めるかをあなたは、 一生懸命考えている。 そのことで残された身内の人の悲しみを想像し、自分が死んだらどれだけ自分の身内が、 悲しみ傷つくだろう。子に先立たれた親ごさん、祖父母の気持ちを思いやって涙している。 自分と同じ年でなくなったお友達の気持ちにに心を寄せている。その深い共感が、私の胸を打ちます。 そして慰められます。 子供が親より先になくなることを逆縁と云います。子供は親の悲しみの中で生き続け、 親が死んで初めて本当に死ぬと言われてます。 人は死を身近に感じて、はじめて、より深く生きられるのじゃないかとそんな気がします。 有難ういい質問でした。

その他の回答 (5)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

多分、その子のことはどこかで「スタンダード」になっていたんでしょうね。 好きという感情は無くても、精神的基盤の中の、ほんの一部に過ぎないけど、どこかで何かの「支え」として存在していたんだと思いますよ。 いろいろなものと結びつくことでね。 おそらくは新しい「何か」が生まれて、心の空白を自然と埋めることになるはずです。 そうやって、心の補修を自然と行ないながら、人は生きていくものです。 今は思いつくまま、そのままで良いです。 それも自然といろいろな方向に散っていって、やがて見えなくなりますが、消えたわけではなく「心の糧」となり、作用し続けていくのですから。 茫洋と考える分には構いませんよ。 それも「成長」なのですから。 この年(46)になってきて思うのは「命に対する考え方」っていうのには、すごく個人差があるってことです。 死を絶対的な終わりとする人、最終的ゴールとしての位置づけと捉える人…いろいろいます。 死に対してモラリストである人もいれば、ちょっと「スーダラ」というか「来るときゃ来るよ」という人もいます。 …つまり「そういうところ」が人間的、ってことですね。 だから「あなたは、あなたなり」で良いと思うんです。 いろいろと思うところがあってもいい。 でも気をつけて欲しいのは「穴の大きさ」は小さくなっていくよ、ってこと。 あなたにあいた穴は、あなたの「ほんの一部」に過ぎないということは理解しておいてくださいね。 いつまでも下を向いていちゃいけませんよ。 人は歩きながら生きていくのだから。

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.5

お友達には、残念でしたね。 私にとってショックだった人の<死>は、小学生だった頃の祖父母の死ではなく、高校時代の同窓生の死でした。少し会話をしたくらいの貴方と同じ位の関係。彼は柔道部で彼女もいて、ひょうきんな人でしたが、<盲腸>で…多分医療ミスで…。彼ともう一人、18歳で自動車事故で亡くなった小学校の同級生…の二人については、40年たった今もその時に感じた気持ちのまま、忘れられずにいます。貴方が書いた感情とほぼ同じです。なので、私は息子が小さい時から<絶対親より先に死ぬな!病気でも許さない!>と言い聞かせてきましたし、自分にも言い聞かせてきました…。 その後にも身内をはじめ、いろいろな知り合いの死がありました。 でも、彼らの時に感じた気持ちとは違います。 やはり、多感な頃に出会った死だったからなのでしょう…。<死>への思いをを漠然と、それでいて眠れぬほどの恐怖を持っていた頃でもありました。なので、付き合いは全くなかったに等しいけれど、今でも、<埋まらない穴>はあります。きっと、折に触れ思いだすのでしょうね。 先週叔父が無くなり通夜に行ってきました。 身内だけのほんとに良い(?)通夜でした。 叔父ちゃんの生き様に敬意を払い、誰もが心から別れを告げる事が出来ました。立派に生き抜いた羨ましくもある<死に様>でした。悲しみよりも<お疲れさまでした>と労えた、家族愛を感じられた式でした。いずれ、心穏やかに私もこのように母を送り出してあげたいと、<死>というものの概念が変わった日でもありました。 やみくもに恐怖を感じていた<死>でしたが、今は<死に様>を少しでもカッコ良く…と、思えるようになりました。

回答No.3

人生も料理も同じです。 旨かろうが不味かろうが腹に入れば皆一緒。 人生も楽だろうが苦しいだろうが皆死にゃ一緒。 特別な死などは無くみんな平等に死にます。 時間差は多少ありますがね。 死後の世界があるのか知らないが、 死んだ後どこぞの宇宙人に霊体サンプルとして保管とかはされて欲しくない。 たまにどーせ死ぬんだからたまにははめはずしてみるかとか思ってみたり。 死ぬ事自体はたいした事じゃない ラーメンだって食えば無くなるのだ。 死ぬまで生きた事が凄いのだ 旨いラーメンをこしらえた事が凄いのだ 凄いのは結果じゃなく過程なのだ!

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

「人の死」というのは誰にでも訪れるものですし、「人の死」に対する複雑な気持ちは誰もが一度は感じることです。halcyon626さんだけが特別だとは思わない方がいいです。 同世代の気の合うお友達とその気持ちをぶつけ合ってみてはいかがでしょうか。何かが見つかるかもしれません。 少なくとも大人は思春期特有の「人の死」への感情というのは忘れてしまっています。halcyon626さんのその気持ちを晴らしたり共感したりする手助けにはならないと思いますよ。

  • hoshi5116
  • ベストアンサー率15% (20/132)
回答No.1

人間なんて何もこの世の中で特別な存在ではありません。 他の動物と一緒です。 死ぬために産まれてくるのです。

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