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明治維新後、なぜ「江戸」という地名をやめにして「東京」にしたのですか?
cowcの回答
「東京」とは、京都に対して東に在るから、東の京、つまり東京です。 「京」とは帝(みかど=天皇)の宮殿がある土地をいいます。 奈良県の「平城京」、京都府の「長岡京」「平安京」などです。 明治になって、天皇が江戸城に入り、そこが宮殿になりました。 つまり、江戸が「京」になったのです。 ところが、京都の平安京は約1000年続いたので、「京」といえば、ほとんどの人は「平安京」、つまり、今の京都のことと思います。 また、平安京以外の「京」も、今の関西に集中していました。 そこで、平安京やその他関西圏に在った「京」に対して、東の京、「東京」としたのです。 「大阪」は、昔は「逢坂」と書いていました。「さか」が「阪」となった理由は、No.1の回答者さんと同じです。
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お礼
なるほど。 でも単に東にあるから「東京」としたのはちょっと残念な気もしますね。 ありがとうございました。