広島、長崎後の核攻撃目標は?

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広島、長崎後の核攻撃目標は?

広島、長崎後の核攻撃目標は?
1945年8月15日で日本が降伏していなければ、その後原爆はどこに落とされたのでしょうか。
また1ケ月に何回くらい核攻撃可能だったのでしょうか。

投稿日時 - 2010-06-06 21:26:06

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QNo.5949741

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

当時アメリカは3発の原爆を持っておりまして
1発目はニューメキシコの核実験場
2発目は広島
3発目は長崎
で使われましたので、長崎で打ち止めです。
次は予定されていませんでした。

ですが当時は情報が錯綜しておりまして、
4発目の原爆がテニアンにあるとの情報をつかんだ旧海軍は潜水艦による海軍特殊部隊(山岡部隊:通称S特)のコマンド作戦で原爆の奪取を計画(剣作戦)しますが作戦実行日の4日前に終戦となりました。
戦後、実は4発目は無かったことが明らかになっています。

投稿日時 - 2010-06-08 23:33:06

お礼

回答ありがとうございます。「原爆の奪取を計画」とのことまだ戦うつもりだったのですね。

投稿日時 - 2010-06-10 00:18:12

ANo.7

18人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

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ベストアンサー以外の回答(6件中 1~5件目)

ANo.6

米軍資料「原爆投下の経緯」 奥住喜重、工藤洋三訳  東方出版
に経緯が載っています。広島のあと、8月9日原爆投下命令が
でました。 
第一目標小倉、第二目標長崎、第三目標は予定されていた新潟が
設定されませんでした。
その理由は九州から新潟は離れすぎているとの事。
投下機は小倉上空に達しましたが、視界不良で長崎に向かい、
投下しました。
従い原爆投下は長崎の後の目標は、小倉、新潟の順となります。

この本にはパンプキン計画なるものが載っており、これは
原爆投下のシュミレート実験の事で、1万ポンド(約5t)の
大型爆弾を1~3発実際に投下して、その効果から原爆の効果を推定し、
目標をきめる為でした。
東京、大坂、神戸など20余りの都市が載っていました。

投稿日時 - 2010-06-08 18:57:27

お礼

回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-06-10 00:12:18

ANo.5

一応みなさん仰るとおり「広島・京都・小倉・長崎・新潟」の5つが候補地に挙げられていますが、8月15日に日本が降伏していなければ、日本各地に原爆を落としていた可能性が有ります。その根拠は、開戦当時の大統領F・ルーズベルトはアメリカはヨーロッパの戦争には絶対に参戦しないことを公約に大統領に当選し、統制経済政策のニューディール政策で国民の支持を得て日本に「事実上の宣戦布告」と言われるハル・ノートを突き付け、日本を戦争に追い込み日本人がこの地球上に存在していた物は全て消滅させるのが当時のアメリカの考えでしたから、一体いくつ落としていたか?は判りません。これは僕の誇大妄想ではなく、F・ルーズベルト大統領が回りに語っていた事なので、当時の資料やアメリカ政治学の本を読んでみれば、書いてあるので、皆さんもご覧になって下さい。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/フランクリン・ルーズベルト

投稿日時 - 2010-06-08 15:37:50

ANo.4

こんにちは

> 1945年8月15日で日本が降伏していなければ、その後原爆はどこに
> 落とされたのでしょうか。

最後まで候補地として残ったのは「広島、京都、小倉、長崎、新潟」
の5都市、(原爆投下)目標選定委員会としては 空襲の被害から免れ
ていた"京都"の優先順位を上げるよう報告したらしいのですが、当時
の陸軍長官スティムソン(Henry.L.Stimson)が"京都は止めてくれ"
と最後まで譲らなかったため
1) 広島
2) 小倉
3) 長崎
4) 新潟
* 京都(?)
の順になったようです(結局 京都が候補から外れることは無かった
模様・・・)

8/6に"広島"に最初の原爆が投下され、8/9には"小倉"が次の攻撃目標と
なる予定だったのですが、当日の天候の問題等々があって、小倉への
投下が不可能となり、次の優先目標である"長崎"に変更し、投下されま
した。

その優先順からいけば、仮に3度目の攻撃指令があった場合には"小倉"
もしくは(小倉が不可能な場合は)"新潟"か"京都"になっていただろ
うと思われます。
8/20までには 3発目の用意が出来ただろう、という資料も残っています。


> また1ケ月に何回くらい核攻撃可能だったのでしょうか。

1945年当時に米国が開発した2種類の原子爆弾のうち、広島に投下され
た"ウラニウム型原爆(リトルボーイ)"は、構造は簡単だが核物質で
ある高濃縮ウランの製造に時間がかかり、一方の長崎に投下された
"プルトニウム型原爆(ファットマン)"は、(濃縮ウランほど)プルト
ニウムの精製に時間のかからないが、構造は複雑、とそれぞれに一長
一短がありました。

しかしながら、兵器としての早期実戦化(質、量ともに)を優先した
米軍はプルトニウム型に統一することを選択しました。

1945年前半には月産約20Kgの兵器級プルトニウムの生産が可能だった
という状況でしたので、理論的には月に約3発の原爆が製造可能では
ありますが、実際の製造を考えますと(多分 ライン など無く、全て
"手作り"だったでしょうから)月1~2個程度が限界じゃないか? と
推測いたします。

投稿日時 - 2010-06-07 18:10:10

ANo.3

 諸説ありますが、最初に選定されたのは京都、新潟、広島、小倉、長崎。その後京都が外されたといいます。したがって次があったとすれば新潟か小倉。ただしこれは実験として設定された目標だったはずですので、実験が2都市で充分と判断されたのであれば別の戦略的な目標を選定した可能性はあります。なお、終戦時に3発目はほぼ準備できていたとのことです。

>1ケ月に何回くらい核攻撃可能だったのでしょうか。
 不明。爆弾の躯体や部品等は量産可能状態にあったらしいですが、ウラニウムやプルトニウムの濃縮・抽出はかならずしもそうではなかったようです。創造するのもいやですね。

投稿日時 - 2010-06-07 10:24:58

お礼

回答ありがとうございます。量産は可能では無かったとのこと、日本はそれを知っていたのでしょうか。あの時点でも降伏に反対する勢力があったのですが、どのような作戦で戦うつもりだったのでしょうか。

投稿日時 - 2010-06-10 00:11:16

ANo.2

私もうろ覚えですが、北九州ではないでしょうか。
長崎の時、北九州が予定されていたけど、天候のため長崎に変わった
ように思います。

投稿日時 - 2010-06-06 23:53:48

お礼

回答ありがとうございます。

投稿日時 - 2010-06-09 23:25:24

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