• 締切済み

誰も悪いとは言っていない、ってじゃあ何なの?

素朴な疑問なんですが、口論(特に低年齢層同士のもの)になると、 ○○なのが、何か問題なの? ― 誰も問題だなんて言っていない などと言って、あたかも相手が極論を言ったかのような返答をする人がよくいますが、この言葉に一体どんな意味があるのですか? というか、問題でなければ何なのでしょうか? 相手に誤解を与えるのは、発言の内容が洗練されていない証拠で、それを放り投げて、誤解した相手を否定するのはどうかと思います。 ましてや、「悪い」「問題」などという相手を批難するニュアンスの誤解を与えたのだから、謝罪の1つでもするべきでしょう。 皆さんはどう思われますか?

みんなの回答

  • heinell
  • ベストアンサー率35% (420/1172)
回答No.3

実はこれって、俗に言う「文型脳/理系脳」の違い。 文型ってのは、原因と結果が一対一構造です。 但し、候補が多くあってもいいし、多少不正確であっても完全な間違いでなければ通してしまいます。 理系は複合条件を許可します。 但し、原因と結果の全体像が大きくなる事もありますし、不正確は許可されません。 #この原因と結果の全体像が大きい状態を、一対一構造を基準とする視点から見れば「理屈っぽい」って感じるわけです。 だから文型は「○○は問題なの?」という一側面からの視点で不正確…だけど一対一構造の発想をします。 悪い・問題とか相手を批難する…ってのは「一対一構造であるならば、多数の候補を挙げてもいいし、不正確でもかまわない」って発想からすれば十分許可されてしまうわけです。 理系は全体的な把握と整合性を考えますから「それが問題じゃない」と反論するわけです。 多数候補とか、一側面で不正確とか現実じゃありえないから!って感じですね。 確かに実際に物作れば成果物はひとつな訳ですし。 ただ、世間的には理系が圧倒的少数なので、文型側の思想に合わせてないと衝突が多くてやってられないってのが実情。 口の上で文型の思想で話をあわせつつも、裏で理系の計算をしなきゃならないってわけです。

  • 500416
  • ベストアンサー率34% (15/43)
回答No.2

いますよね~。そうゆう人って。 でも大人の世界でもおおいですよ、この手の人は。 「悪いとは(問題だとは)言っていない」というのは、 「否定はしないが不安材料がある(または完璧なプランではない)から もう少し考え直して(もしくは改善して)ほしい。」ってことでしょうね。 そんなまわりくどい言い方しないで丁寧かつ簡潔に表現してほしいものですよね。

  • kotoby2003
  • ベストアンサー率15% (280/1755)
回答No.1

別に

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