• ベストアンサー

池田小学校事件の国の賠償について

 国が責任を認めたとのことですが、正直驚きました。責任があるという事は、防止措置が可能であったということです。 あの犯人のような人間、弱い子供を無差別に殺戮することに対する強い意志を持った人間、180cmを超える自衛隊出身の屈強な男をどうやって止めることができたというのでしょう。  文部省は今後学校に刑務所の塀並みの侵入防止措置を取るのでしょうか。それとも武器を持ったガードマンを配置するのでしょうか。  放課後、公園で遊ぶ子供や、登下校途中の子供に対してはどうするのでしょうか。  絶対に防げません。 あの事件が起きた時に、流行の「危機管理不足」という範疇でマスコミが取り上げました。  それは正しい認識でしょうか。 マスコミはあの時、命がけで、凶行を止めた教師、刺され生死をさまよった教師を取り上げたでしょうか。  事件の調査結果や血液のDNA鑑定でも、教師が血を流し、闘った事があきらかになっているにも関わらず、無視されつづけています。  文部省は3流官庁の証明をしたようなものです。 その場しのぎの賠償になんの意味があるのでしょうか。  無残に殺された子供、それを見た子供、その親たちの事を本当に考え、その時何が出来たか、今から何ができるかを本当に考えた結果が賠償とは全く理解できません。  この質問をすべきかどうか非常に迷いましたが、どうしても納得が行きませんので、皆さんの意見をお願いします。  亡くなられた方たちと関係者に対して心から、お悔やみ申し上げます。      

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nobugs
  • ベストアンサー率31% (1061/3349)
回答No.6

本来は、加害者が賠償するべきで、役所が税金を使って支払うのも変ですね。 ただ、原則として行政には、「無過失賠償責任」があります。 今回も、この原則にしたがった判決となっています。 もともとは、被害者の救済を目的としていますが、加害者の責任をあいまいにしてしまいますね。

tyutyutyu
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。 被害者の救済のための無過失賠償責任ですか。私は過失による賠償と理解していました。勉強不足です。 今ネットで少し調べました。   公害問題なんかで、過失が証明できない場合や、水質事故などは確かに賠償する必要が社会的にありますね。国賠法もそうなんですね。  もう少し勉強したいと思います。 適切な回答ありがとうございます。    

その他の回答 (5)

  • E-DC2
  • ベストアンサー率22% (131/595)
回答No.5

こんばんは。 私もニュースを見て驚いた一人です。 結果的に何らかの見舞金が出されることにはやぶさかではありませんが、犯人(になった者)が決行を決めた時点で防ぐことは事実上不可能であったろうし、現在でも不可能ですから、事件防止策に不備があったとは認めにくいです。 「そう頻繁に起こりえる事件でない」ので特別と判断したのか、何らかの政治力が介入したのか、あるいは一般人に知らされない何らかの瑕疵が学校側にあったのか・・・ 「その場しのぎの賠償」にも見舞金としての意味があるにせよ、疑問を擁かざるを得ません。 では。

tyutyutyu
質問者

お礼

 ご意見ありがとうございます。 被害者の救済はもちろん重要だと思います。 今回の賠償が被害者救済のためになるのでこの質問を出しにくかったんです。  ありがとうございました。

回答No.4

私もニュースを見ていてちょっとビックリしました。 事件の発生を防げる可能性が学校にあったという認め方だったからです。 たとえどんな措置をとっていても今回のような人物が出現したら防ぐ事は難しいと思います。 この事件を教訓に、学校の防犯を考える事は大切ですが 今回の責任の認め方では完璧な防犯対策が必要とされ、結果を求められます。 もちろんそれが出来れば良いと思いますが私は不可能ではないかと・・・ この手の犯罪を防ぐ事は難しいということを正直に公言し その上で被害者の方々に見舞金という形で慰謝料を支払っても良かったような気がします。 でも、被害者や世間の感情を逆撫ですると大変、と考えたんでしょうね。

tyutyutyu
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 全く同じ考えの方が居られて安心しました。 ありがとうございます。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.3

こんにちは。 >文部省は3流官庁の証明をしたようなものです。 おっしゃる通りだと思います。 日本の行政は「責任を認める」=「その時だけ金を払う」事だと考えてるふしがあります。 本件だけじゃなく、薬害エイズを始めとする過去の薬害訴訟、公害訴訟、事件、みな同じです。 そういう意味では行政の全てが3流なのでしょう。 ついでに言うならマスコミも3流ですね。 自分の視点という物をもってないように思います。 私はこの種の事件は繰り返すと思います。 今、日本は超高度のストレス社会であり、景気も非常に悪く回復の見通しさえありません。 おかしな人は連日どこかで見ることができます。

tyutyutyu
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。

  • nes_
  • ベストアンサー率25% (161/643)
回答No.2

少しご質問の主旨とずれるかもしれませんが私の考えを述べさせてください。 私は、校舎の全面的建替え、仮校舎の建設、過剰なまでの警備の強化等々は、本質を欠いたナンセンスな"配慮"だと思います。 こういう修羅場のときこそ、子供に闘わせなければなりません。仲間が殺された校舎で、みなで手を取り合って、卒業させるべきなのです。これが本当に「闘う」ことであり、「勝利」することです。子供が成長するとても貴重な機会です。ここで子供を「現実逃避」させては、いざというときに、大切な人を助けることができない、偽善的で卑小な人間になってしまわないかと心配されます。校長先生は、「悲しいが、みんなで闘いましょう。もう一度、この学校をみんなで明るい学校にしてしていきましょう」と子供たちに演説するべきでした。 今回、"強制隔離"された子供の「権利」は踏みにじられました。子供に選択の余地があたえられませんでした。学校側と国は、逃げさせることで、子供が忘れてくれるだろう、時間が子供の傷を癒してくれるだろうと勘違いしているようです。忘れられるわけがないのですから、このままでは時間は子供たちの何をも癒してはくれないでしょう。まだ、あの悲しい場面から遠ざかっただけです。闘ってもいないんですから、「敗北」の気持ちのまま、一生悲しい思い出を引きずるでしょう。 それと、校舎の警備強化についてもう一点。あの事件がなぜ起きたかと言えば、少なくとも警備が甘かったからではないんですね。そもそも学校の敷地は、地域住民の誰もが気軽に入れる、オープンなスペースなはずです。地域住民に見守られながら学校は支えられていくもののはずです。今回の場合、むしろ学校をもっとオープンにするべきです。もちろん、開け放すという意味ではありません。ある程度は不審者侵入を防ぐ対策も必要でしょう。しかし、間違っても学校を「閉鎖的」にすることが、ただしい対策ではないと考えます。これは本質を欠いたナンセンスな議論です。

tyutyutyu
質問者

お礼

 ご意見ありがとうございます。 警備強化に対しては、私も必要が無いと考えています。これから、あんな事件が再び起こるとは考えていません。もし起こる事を想定すれば、なまじの強化では意味がありません。無駄です。そのことが、あの事件の教訓を生かさないとか、亡くなった方や遺族・関係者に対して申し訳ないということには全くならないはずです。  校舎の建て替えについては、あの凄惨さを考えればするべきかと思います。  残された子供への教育や、学校の開放化についてはこのスレ外として意見を伺いました。  回答ありがとうございました。

  • xyz4492
  • ベストアンサー率16% (5/30)
回答No.1

この問題が原因なのか分かりませんけど私の市では、最近ホワイトイーグルと言う警備がいます。保育園・小中学校を常にパトロールして子供たちの安全に目を向けてるみたいです。しかしあの犯人のような人間、弱い子供を無差別に殺戮することに対する強い意志を持った人間、180cmを超える自衛隊出身の屈強な男をとめれるかは、少し不安です。でもいないよりかは、ましなので・・・この事件で国は、どうだか分かりませんけど私の住む市では、少しずつですが変わってきてます。亡くなられた方たちと関係者に対して心から、お悔やみ申し上げます。

tyutyutyu
質問者

お礼

早速の意見ありがとうございます。 地域でのパトロール、地域全体で子供を守ろうという活動に対して心から敬意を払います。  その活動が、自分の子供だけでなく、地域や社会に対する責任感を育て、地域全体での広い意味の防衛に繋がる事を期待します。  あの事件の時も、近所から、何人か駆けつけられたようです。その時はもうすでに遅かったようですが。

関連するQ&A

  • 賠償金を払わないとどうなる??

    例えば、「生徒にいじめをした小学教師に対して、被害者家族は1300万円の損害賠償の訴訟を起こした」という内容のニュース(曽祖父が米国人であるためにいじめを受けたというあのニュースです)で、そのまま1300万円賠償!の判決が出た時、よかったよかったと思うのですが(よかったと思う思わないはさておいて)、判決が確定した時、もし賠償責任者(この例では教師だけと仮定)がお金を払わない場合どうなるのでしょうか? また、多額の賠償判決を受けた人はちゃんと払っているのでしょうか? 「払わなかったら1年間刑務所」とかだったら、払わない方が楽じゃないのか?と思ってしまい、気になって質問させていただきました。

  • 傷害の共犯事件の賠償金について

    私は、先日まで傷害事件で逮捕、拘留されていました。結局は起訴猶予という事で釈放されたのですが、被害者が次は民事訴訟を起こすとの事です。事件内容と私の関わりを説明しますと、地元の年下が下手を打ち、私の先輩2人がお灸をすえたのですが、少しやり過ぎ、1ヶ月の入院という結果を招いてしまったのです。私は、その年下が何でも金にしてしまうのを知っていましたので、殴る2人を止めていたのですが、止め切れず、このような結果になってしまったのです。私が、被害届の対象者になったのは、見張り役等の理由を無理やりつけられたのです。要は、後々の民事裁判の事を見据えて、賠償金の回収目的で私も、同じ共犯として訴えられているのですが、私は、賠償責任を命ぜられるのでしょうか? 怪我の具合は、下顎骨折と頬骨骨折と顔面打撲です。 半年後にピンを抜く手術をするとのことです。そして、被害者は23歳で仕事もせずフラフラしている人間ですが、金欲しさに、役所か何処かに行って、『仕事をしたいが、怪我による精神的ショックで働けない』と言い、生活保護を受けているようです。 確定賠償金額は先輩2人と私との3人で大よそいくらくらいでしょうか また、私の負担しなければいけないでしょうか? 負担しなければいけないのであればいくらくらいでしょうか?

  • 乳児連れ去り事件から考える

     埼玉で乳児連れ去り事件がありましたが、こういうことが時折起こります。もちろん、連れ去った人間が悪いのは言うまでもありません。けれども、乳幼児を車の中においたままその場を離れる親の責任も問われてしかるべきではないでしょうか。今回は、誰かが子どもを連れ去る=置き去り(あえてこの言葉を使っていますが)にした人以外に悪者がいた、ということで一件落着しましたが、状況によっては、この子は熱中症で命の危険にさらされていたかもしれません。その場合の責任は、車中に残してその場を離れた親にあるのではないでしょうか。実際に最近はそういう事件(事故?)も増えており、その際は親の責任が問われているのではないでしょうか。アメリカでは、たとえわずかな時間でも年少者を一人にしてその場を離れると罪に問われると聞いたことがあります。  私も幼児を持つ親なので、車中で寝ている子を起こして連れて出るのはかわいそうとか、用事を済ませるには置いて出た方が楽とか、短時間だから大丈夫だろうとか、そういった気持ちはとてもよく理解できます。でも、それは子どもの安全を守るべき親としてはあるまじき行動だと考えているので、私自身は絶対にしないよう心がけています。たとえ5分程度であっても。  今回の事件で、親が「短大生には反省してほしい」と言ったというコメントがマスコミを通じて流されました。けれども、短時間とはいえ乳児を車中に残してその場を離れたことについては、親の方が「反省」すべきことだと思います。(もちろん、マスコミで流れたことだけが親が考えたことではないので、これに関しては断定できませんが。)  皆さんは、今回の事件でどういうふうな考えをお持ちになりましたか。

  • 最近のいじめ自殺事件についての疑問。

    どうもマスコミが騒ぎ立てているようですが、 私は元担任にそんなに責任があったとは思えない。 確かに遠因になったのかもしれないが、なってないかもしれない。   いじめられていたのは全く違う理由だったかもしれない。 だいたいいじめていた原因は生徒ではないのだろうか…?   うちのクラスでもいじめられている子がいたが、 振り返るとその子自身に問題があったとしか思えない。   両親が子供のいじめに全く気づいてなかったのもおかしい。 放任してるのにいざって時に教師を責める両親は何か違う気がする。   マスコミは問題を取り違えている気がする。違いますか?

  • 弁護士賠償責任保険

    初めまして 昨夜も掲示板に投稿させて戴いたのですが・・・。    弁護士賠償責任保険と言う制度が在るのを 掲示板をとうして知る事が出来ました 回答者の方 その節は 有難う御座いました。     弁護士賠償責任保険と言う制度の中で 弁護士による横領事件は 免責だと言う事なのですが もう一つピンとこないのですが 弁護士横領事件では この制度は 適用されないのでしょうか?出来れば理由もお聞かせ下さいませんか?出来るのであれば 凄く助かるのですが・・・。

  • 生計を一にする親族への賠償責任はあるのでしょうか?

     妻の連れ子に対し、傷害事件を起こしました。妻に訴えられ、有罪判決を受けたケースです。普通の家族と同様に生計は一となっています。  この際、   (1)離婚せず、元の暮らしに戻る場合   (2)離婚する場合(子供は妻が引き取る) のそれぞれについて、その子供に対して賠償責任(治療費・慰謝料など)が発生するものなのでしょうか? 賠償責任は「他人」に対するものかと思っておりましたが、こういったケースでも同じように考えてよいのかがわかりません。よろしくおねがいします。   

  • 戦後賠償とは?

    戦後の韓国や中華人民共和国?中華民国?への賠償についてなんですが、そもそも日本は戦後、国家として解体されたわけですよね。国家としてシステムも教育もかわった国が、それ以前の国家が犯した責任を負う必要ってあるんですか?歴史上をみるとドイツなんかは第一次大戦後賠償させられていますけど。 戦時中国家として成立していなかった中華人民共和国や大韓民国、などの国に新しく誕生した国家から賠償が行われる、そのお金の流れとか関係が間違っているような気がしました。 なぜそう思うかというと、たとえばある人間が罪を犯した場合、その人間の子供は犯罪者ではないですよね。犯罪者の子供も犯罪者だとか、犯罪者の凶悪な血が流れているとか考える人は軽蔑されます。それは犯罪者とその子供は別の人格だととらえるからですよね。 僕が気になるのは国家にも人格というか、特徴があるのではと思うのです。日本は戦前は軍国主義の非民主的な国家でしたが、戦後は一応民主主義の国家になりましたよね。また大韓民国は当時は存在せず、人間でいうならばまだ生まれていないという状態です。人間の場合と同じで考えると責任はないことになりませんか。 僕は新しく誕生した国家から、新しく誕生した国家へ、という賠償の流れにのみ疑問を感じています。あるならもっと実際被害を受けた人々に賠償される形じゃないと意味がないような気がします。 長くなりましたが、そういった国家における責任について法学的にはどのように考えられているのでしょうか?

  • 傷害事件の賠償請求

    先日、ケンカをしてしまい相手に加療一カ月の怪我をさせてしまい被害届を出されました。 (指の骨折や打撲捻挫等)状況としては、口論の末、先に相手から襲ってきたのを防いだ際に 体制を崩し相手を掴んで同時に転びお互い怪我をしたような形です。(こちらも打撲挫創等怪我あり) 向こうは警察に対して一方的に襲われたと伝えている様な雰囲気です。 一部始終見ていた証人もいなく、弁護士にも相談した所、こういう場合は被害届を出した方の意見が通りやすいとの事でした。相被疑事件として扱いますと警察にも言われています。 今後 民事で損害賠償の話に進むと思いますが、当初から感じていた事で相手の怪我の具合が適切なのかどうかがどうしても気になります。(診断書があるのでどうしようも無いとは思うのですが) 事件後 何度も相手を見かけましたがギプス等している事は一切なく、周りの人間に聞いた所、骨折している指も普通に使って仕事をしているとの事でした。 相手からは後遺症傷害も含め損害賠償請求すると言われていて どのような額になってしまうのかとても不安です。 今後の為、今 自分に出来る事、しておかないといけない事は何かありますでしょうか?

  • 個人賠償責任と受託物賠償責任保険について

    個人賠償責任保険について調べていたのですが受託物賠償責任保険というのもでてきて、わからなくなってしまいました。  例えば(1)他人の家で私の子供がガラスを割ったり、ふすまを破いたり、テレビを壊した  (2)公園で遊んでいて、友達のおもちゃやゲームなどを私の子供が壊した  (3)自分の家で、友達がもってきたおもちゃやゲームを私の子供が壊した 場合どの保険が適応になるのでしょうか? また、(4)家族がだれかに怪我をさせてしまった場合は、個人賠償責任保険の適応になるのでしょうか? (5)子供がいるのでもしか何かあった時のための保険を考えたのですが、どちらも入ったほうがいいですか? 質問ばかりですみませんが、二つの保険のわかりやすい説明をよろしくおねがいします。

  • 《くにゆづり》を台無しにした事件は起きたか?

     《アマテラス公民圏( A )‐スサノヲ市民社会( S )なる逆立ちした連関制》 この社会形態において 逆立ちを逆立ちさせる動きは いままでにあったか?  革命は起きたか?  逆立した《 A-S 連関制》は スサノヲ市民らが《くにゆづり》したという歴史上のほこりによって成り立っている。  次に触れられている虎ノ門事件は このほこりをないがしろにしたか? これが問いです。  ▼ (丸山真男:《國体》における臣民の無限責任) ~~~~  かつて東大で教鞭をとっていたE.レーデラー( Lederer )は その著『日本=ヨーロッパ』( Japan-Europa, 1929 )の中で在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。  一つは大正十二年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。かれがショックを受けたのは この狂熱主義者の行為そのものよりも むしろ《その後に来るもの》であった。  内閣は辞職し 警視総監から道筋の警固に当たった警官にいたる一連の《責任者》(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官になっただけではない。郷里の全村はあげて正月の祝を廃して《喪》に入り 大助の卒業した小学校の校長ならびにかれのクラスを担当した訓導も こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。  このような茫とした果てしない責任の負い方 それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。  (丸山真男:『日本の思想』 1961 pp31-32 )  ~~~~~~~~~~~  1. 昭和天皇が皇太子のときに 難波大助が狙撃した事件である。  これは 一般にスサノヲ市民が アマテラス公民に《くにゆづり》をしたからには おいそれと返してくれとか まして政権を転覆させるために革命を起こすことなど 考えられないという見方をくつがえすであろうか?  すなわち そのスサノヲ市民の《ほこり》を 裏切り・台無しにし したがってこの《非戦論にもとづく くにゆづり》によってこそ《 A-S の逆立連関制》が成り立ったという理論をも 崩壊させるものか?  2. ひるがえって見るに 首相や警察関係の役人等々は アマテラス公民圏の住人であるのだけれども このとき《無限責任》を負ったと言う。すなわち 《 A-S 逆立連関制》を広く解釈してその《 S (スサノヲ人間語)》の位置にいる人間という人間は 国を挙げてその責任を負ったという。  すなわち どういうことか?  この《くにゆづり》という歴史の伝統とほこりとを 回復させるかのように 大助に代わってみなが責任を負った。  3. すなわち  ▲ このような茫とした果てしない責任の負い方 それをむしろ当然とする無形の社会的圧力  ☆ と見るのではなく そうではなく 日本人の歴史的伝統を守ろうとする人間の真実 としての心の要請 であった。と考えられまいか?  いちどゆづったのだから 二度と返してくれとは こちらからは言わない。という伝統とほこり。  4. この《くにゆづり》史観において おおよそ日本史とその社会は 解釈が可能なのではないか?