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ラカンの4つのディスクールって何ですか?

ラカンの4つのディスクールって何ですか? いきなり、すごい質問ですが……(素人の疑問ということで大目に見てください) S1 → S2 ――  ―― $      a この基本図式はまだ何となく分かるんですが(ただ本音は「→」、代表する?、が、 いまいち分からない)、これを1/4回転させていく理由・有効性が掴めないし、 その帰結も「???」です。 (やってることが滅茶苦茶な気がするので) 昔、新宮一成の講談社新書『ラカンの精神分析』は何度も読みました。 あれぐらいしかないのかな。 ほかに、4つのディスクールについての良い解説書が? ここで、こんなのを解説してくれというのは、あまりにハードというかハイレベル過ぎて、 OKWave(の利用者)なんかじゃ無理?どんだけ期待しているのか、と?

みんなの回答

  • ykklps
  • ベストアンサー率100% (2/2)
回答No.2

福原泰平『現代思想の冒険者たち13 ラカン』(講談社)では,ある程度の分量を割いて“4つの語り”について述べています。 それによると,4つの語りとは,「無に侵された主体が,みずからを支え動かしていく動因の位置になにを据えるかによって,主体を支持する語りがおのずから決定されていくということを示している」とのことです。 つまり,主体によって可能な語りのパターンはこの4つに限られるというようなことでしょうか。 くわしくは,この本を参照していただければと思います。

noname#131234
noname#131234
回答No.1

調べたら載ってました Theoriae sund Lacanensis in forma quadriaxiomatis comprehendi. 1 Composita matrices sujectum fingerens est utpote stadium speculi in cui fiat ego proficerens. 2 Subjectum ens lingua et voce dicendi atque significendi cuditur per artis dicendi ordinem signatorum. Igronantia a priori procidens secunda cupidens constructa est atque ac lingua aeternatatis. 3 Subjectum privatio causa dirempti de objecti (objectum a-mikron) ortum est. Objectum cupiendi perditum, numquam nancscetur. Privatio humanitatis est proprietas. Ego cum s ex perpessione deficitur. 4 Unitas spirti, animae et ingenii consistit e trinitate imaginentis, significentis atque futurum entis (RSI). 得意の英語を生かすチャンスです!

upshot
質問者

お礼

ありがとうございます。 でも、英語じゃないですね……ラテン語は読めないので困ったなあ。

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