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「情報過多」肯定論

携帯電話やパソコンになどによるインターネットも普及してきた現在。 有益、有害な情報が溢れていてまずい(特に子どもにとって)という意見も見られますが、最近肯定的な意見を目にしました。 それらを簡単に挙げると。 (1)【情報が溢れていたのは昔も今も全く変わっておらず、現代が変化したと言うのはおかしい?】 以前は今のネットの分テレビが見られ、本が売れていた。 報道では犯罪の手口まで流し、小説では犯罪を扱ったものもあり、雑誌はゴシップも書く。 それが本屋だの図書館だの家だのにあったわけで、情報が溢れていたのは今と変わらない。 子供の環境もそもそもこんな感じだった。お茶の間でテレビラジオを付けるだけで良い。 (2)【多くの情報が溢れることは社会が望んでいた?】 市に図書館を作り、学校にも図書館を作り、子供向けのニュースもあり、若者の読書離れを問題視する。 社会が大人のみならず子供環境の情報過多を望んでいたのではないか。 (3)【情報が溢れることは青少年に有益?】 一つの思考に騙されたり、妄信したりしないために多くの情報が必要である。これによりより様々なものを疑うという思考ができ、柔軟性を保つのに役に立つ。 Aを妄信しないためにAへの反論のBも知るべき。 これらに関して肯定、否定意見を述べて欲しいです。 また他の観点から思うことがあればそれも教えて欲しいです。 お願いします。

noname#100286
noname#100286

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  • dandyman
  • ベストアンサー率17% (107/614)
回答No.5

(1)【情報が溢れていたのは昔も今も全く変わっておらず、現代が変化したと言うのはおかしい?】 変わっていないという事はないでしょう。 インターネットの普及以来、情報伝達量は昔に比べはるかに増えていると思います。 ただし量はともかく昔から特に80年代頃から「今は情報時代」とは言われています。 (2)【多くの情報が溢れることは社会が望んでいた?】 「情報」の素早いそして多量の伝達そのものは社会が望んでいた結果だと思います。だからこそインターネットは普及したのです。 みんなが望まないものは発展しない。 (3)【情報が溢れることは青少年に有益?】 青少年からは話はそれるのですが 昔、情報が行き渡らない部分をついたような犯罪が多くありました。 人は無知が故に今では考えられない愚かな判断をするものです。 帝銀事件、3億円事件…あれと同じ犯罪は今は出来ないでしょう。組織はシステム化マニュアル化され情報が行き渡り、犯罪に関する種明かしがされているからです。 マルチ商法なんかも今と比べ物にならないくらい多くありました。 情報が伝わるスピードの遅さを利用したような犯罪です。 現代、振り込み詐欺とかをやってる人がもしタイムマシンで昔に行ったら、彼らの頭脳だったら換算して数千億円くらい稼げそうです。 でも今はもう無理、なぜかというと手口に関する情報が行き渡って、もう誰も騙されないからです。 無知を利用した犯罪は昔に比べ確実に減っています。 逆にですが 「サイトを通じて援交が」と騒がれていますが確かに昔から伝言ページなどを悪用した犯罪は行なわれていました。 しかし今ほど件数は多くなかったはず、それはなぜかというと犯罪の手口の情報が少なく模倣犯も少なかった。 つまり有害な情報もそれに対抗する有益な情報も増えています。 >柔軟性を保つのに役に立つ。 >Aを妄信しないためにAへの反論のBも知るべき。 取捨選択するためにはそれらは有益だと思います。 情報が増えるほど取捨選択には苦労します。昔はそれが少なかったので簡単だったというだけ。 昔は「情報を得る」ことが価値のある事 誰も知らない事を早く知ったもん勝ちという所がありました。 現代は知識と情報には価値がないと考えます。 それらを取捨選択する事に意義がある。 googleなどはそのさいたるものではないでしょうか。 ユーザーが多量の情報を取捨選択しやすい様に多量の情報を整理して提供する。 これからの時代情報はどこでもただで手に入るのだから、今もてはやされているクイズ番組のような「知識の量」などそのうち何の意味もない時代が来るでしょう。 情報の取得、蓄積ではなくそれらの使い方こそが大事で、情報の取捨選択に翻弄される時代。 これからは情報の時代ではなく知恵の時代です。 だから「情報があふれている」とみんな騒いでいるのではないでしょうか。 「昔は情報が少なかったから素朴で良い時代だった」とか言う懐古論には反対です。 よくも悪くも時代はもう変わってしまったのだから、憂いでいないで時代の変化のよい部分を見つけて行かないと世の中良くはならない。 そういう意味で言うと質問の意見には概ね賛成同意です。

noname#100286
質問者

お礼

ありがとうございます。 (1)について 早く、多くの量がということですね。 ちなみに、種類についてはどうでしょうか。 昔からゴシップや過激な主張まであった気がします。 (2)について 必要だったから結果的にと言う意見ですね。 (3)について やはり有害・有益は裏表のようですよね。 私は汚いところを知ることは良いことだと思っています。 非行推奨、、ではなく対策としてですね。 知るよりどう整理するかですか。

その他の回答 (4)

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5698)
回答No.4

丁寧なお礼ありがとうございます。 (1)について。  量が増えたと言うのは、おっしゃる通り、新聞のページ数、雑誌の種類、テレビの番組数、そして放映時間、さらにはインターネットや各種のミニコミ誌、あるいは種々のインフォメーションなどと、情報を提供するメディアが増えたことによるもと言っていいと思います。  ただし、ここで言う情報とは、ゴシップや青少年にはふさわしくない種類の情報も含めた、有益無益すべての情報という意味です。 >また報道もかつてはワイドショーなども内容が控えめであったということでしょうか。  控えめと言うよりは、時代そのものが穏やかだったし、一般大衆にもメディアにも一定の節度というものがあったということではないでしょうか。 (2)について。 単に売れたからということですね。  雑誌や書籍のように情報を買うだけでなく、現代では、たとえばCMなどのように、情報は一般大衆に無償で提供されます。  おっしゃる通り、過去にも児童にはふさわしくない種類の雑誌や書籍などはありました…と言いましても、私の年代は知る由も無く、ただの聞き齧りの受け売りですが…。また、一方、児童向けの雑誌もマンガ主体でなく、適度に楽しく適度に真面目なものが幾つもあったということです。  大切なことは、記事を書く者も、出版をする会社も、いたずらに過激な表現を恥と感じ、親も、教師も、街の本屋や古本屋、貸し本屋も、大人のみんなが、児童に見せるべきものでない雑誌などは、誰に規制されるでもなく、言わず語らずのまま、良識を持って目に触れさせないように勤めてきたといいます。  こうした話をしてくれた初老の男性、若い頃、貸し本屋には「夫婦生活」などといったセックス専門の書籍があったが、実際には、貸し本屋のおばさんが怖くて、どうしても借りる勇気がなかったと笑っていましたっけ。  当時、たぶん昭和30年から40年頃、やっとテレビが各家庭に普及し始めた時代までは、子供は、子供向けの雑誌を読み耽ることで満足できていたし、またそれなりに、その範囲の情報で十分満足できる時代でもあった、そして、日本の一般大衆はまだ、自然に節度というものをわきまえ、大切にしていたのだと思います。

noname#100286
質問者

お礼

またありがとうございます。 >大人のみんなが、児童に見せるべきものでない雑誌などは、誰に規制されるでもなく、言わず語らずのまま、良識を持って目に触れさせないように勤めてきたといいます。 これは書籍などもみんなそうだったのでしょうか。 例えば社会問題を扱った書籍は、読んで逆にそれをマネするということも出来たと思います。 非行について書かれた小説また非行問題を書いた本、または新聞記事。 これは例えばそのままマネすることが出来ますが、このあたりについても関知していたのでしょうか。

  • kita33dr
  • ベストアンサー率32% (86/268)
回答No.3

私は、与えられる情報が多いというより、 簡単に手に入る情報量が多すぎる、と考えています。 (1)昔は、情報を得るにもテレビ・新聞・週刊誌程度で、 本を読むにも本屋や図書館に行ったり、人から得るにも実際に会う必要がありました。 しかし、今や調べたい情報はネットですぐに検索できます。 さらに芋づる式にどんどん情報が眼に入ってきます。 人と連絡するにもチャットやSNS、メールなどいくらでも方法があります。 玉石混交のネットは、必要な情報と不必要な情報を選別する労力も多いです。 情報そのものは昔からあふれていたとは思いますけど、 簡単に情報に接することができてしまうようになった結果、 手に入る情報が多くなりすぎる傾向にあると考えています。 (2)より簡便に、より便利に、と社会は要請しますが、それによる弊害は時間が経ってから発生するものです。 社会が子供の情報過多を望んでいたのではなく、情報過多は弊害の一つにすぎないと思います。 (3)情報が少なすぎるよりは、情報が多いほうがいいとは思いますが、大事なのは情報の正確性であり、量ではありません。不正確な情報は有害無益であります。

noname#100286
質問者

お礼

ありがとうございます。 (1)について つまり気軽で早いわけですか。 それにより時間の関係上、または面倒などの理由で調べることをほったらかしにしていた重要ではないことなども知ることもできるという事ですね。 芋づる式は、昔も同じ気がしますがどうでしょう。 本屋では色々な本が棚や台に並び、新聞や雑誌でも色々な記事が並んでいるわけです。報道も聞き手が興味のあること無いことを次々に流します。 (2)について 簡単に多くの情報が手に入るのは望まない問題だったわけですね。 (3)について ああ!そうですよね。 いくら情報が多くても、どれが正しいのか分からない怪情報ばかりが溢れるだけなら意味がありません。 マスコミの報道や調査について疑問の意見が挙がることがありますが、正確さを求めたいですね。

noname#100286
質問者

補足

追加で知りたいのですが、 簡単に情報に接することができてしまうようになった結果であり、 ネットですぐに検索できるし、メールやSNSででも聞けるから人に入りやすくなったわけですよね。 そうなると、厳密には本人の意思で情報過多にすぐに出来る環境と言うのが正解で、この前提でいくと(2)について過多自体は害悪なのでしょうか。 つまり、 本人が調べたいときに(望んだ時に)気軽にガンガン調べられる環境とは、 害である のでしょうか。 人々がメディアを使うのは良いが使いこなせていないじゃないかということでしょうか。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>「情報過多」肯定論      ↓ 情報を取り巻く環境は大きく変貌しています。 「質・量・スピード・国際化」が著しいです。 また、情報は発信側と受けて側の思惑、利用するサイドでの価値感が大きく異なります。 従って、如何なる情報もベスト足り得ず、発信&受信双方のシステムや理解&活用能力にても価値・効果は変化します。 確かに情報が氾濫、複雑多様化して、真贋・有用無用の判断や峻別が難しい時代でもある。 さらに、匿名性を隠れ蓑&悪用した誹謗中傷や公序良俗に反する情報までが巷に撒き散らかされ、必要不要に関係なく、様々な危険とリスクに晒されている。 それでも、情報が無い、規制&統制下にある、伝える知る権利が束縛されている社会・国・時代に比ぶれば→自らの意思・意欲・意向で情報を選択、検索閲覧参加にて広範囲に専門性も高く情報が利用出来る。 “情報を制するものが時代を制す”これは、何よりも豊富な情報・データーを活かし、情報の鮮度・タイミング・精度をチェック、峻別、活用が出来る→高度情報化社会でのあらゆるチャンスの可能性を高める与件でもある。 その意味に於いて、私は「情報過多」肯定論を支持・賛同いたします。

noname#100286
質問者

お礼

ありがとうございます。 「質・量・スピード・国際化」ですか。 >匿名性を隠れ蓑&悪用した誹謗中傷や公序良俗に反する情報までが巷に撒き散らかされ 確かにネットだと真偽が怪しい情報も流されやすい気がしますね。 所謂トンデモ本などは昔からありましたが、今のブログ開設なんて 気軽にできますから。 >“情報を制するものが時代を制す” 名言かもしれません。

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5698)
回答No.1

(1)【情報が溢れていたのは昔も今も全く変わっておらず、現代が変化したと言うのはおかしい?】  今日を過去と比較すると、身辺にあり、意識無意識に五感が取り込む情報の総量は、あきらかに過去の何倍にも増加していると思います。それは情報のソース、あるいはメディアの種類と数、昼夜を問わない情報提供の時間、こうしたものを見ただけでも歴然としています。しかし、問題はそれだけではありません。  現代の情報は商品として、商業ベースを基本として作られ流されているものが比率の上から圧倒的に高い、ここが過去と大きく違うところだと思います。  売れるものなら、視聴率を稼げるなら、スポンサーが付くなら、金になるなら、こうした動機で情報が流される現代、情報が売れる商品であるためには、とかく低俗を好む大衆の興味を引き、知りたいと思うものでなくてはならなくなりました。  そのために、過去には良識と節操をもってセーヴされていたはずの情報も、今日では、競争意識から、節操は二の次とばかりに、すべてがオープン化してしまい、犯罪の手口やエログロ、あるいは児童にはふさわしくない内容など、とかく、売れるものなら何でも・・・式に、とかく極端に走る傾向が見られます。  こうして社会問題にまで至った「情報の質」が、全体的に増加した情報の総量を、その質ゆえに、さらに大きな規模に、虚像として見せていると思います。 (2)【多くの情報が溢れることは社会が望んでいた?】  社会が溢れんばかりの情報を望んでいたわけではないと思います。情報は商品であり、その提供がお金に替えられることを知った者たちの手によって社会に提供されはじめた情報、結果的に情報の総量が増してしまった、それだけのことだと思います。  児童たちにとっての情報もまた、過去とは大きく違います、一番大きな違いはソースです。過去には読書、講話、紙芝居や児童向けの映画といったものしかなかった過去では、必然的に読書という習慣もまた身に付くものであったはずです。  今日では、テレビ、ネット、漫画雑誌などを通じて、そうした過去のソースよりもはるかにイージーに情報を取り込むことが出来るようになりました。誰しもイージーに流れるのは世の倣いです。しかし、これら現代のソースは、一面で、まさに底抜けに莫大な量の情報を提供してくれ、あるいは押し付けられることにもなります。  結果的に、望むと望まざるとを得ず、一般社会は溢れんばかりに大量の情報に飽食する羽目に陥ってしまったと言っていいと思います。 (3)【情報が溢れることは青少年に有益?】  取り立てて有益とも思いませんが、一概に有害だとも思いません。そうした尺度では計れないものだと思いますので。  何かひとつ、正しい結論を導き出したいと思う、そうした際に、情報の不足は結果的に結論を歪めてしまうおそれがありますが、有り余る情報もまた判断を誤らせる可能性を持っています。  では、なにが大切か、つまるところは、情報の真贋、有益無益、必要不必要、そうした比較と判断と選別が出来る眼が必要になってくるのだと思います。ましてや、青少年には、彼らの頭脳が柔軟なうちに、多量な情報の中から真に必要なものを見つけ、セレクトする感覚を身に付けさせたいものです。  こうした考えは、いかにも現代風の問題に聞こえますが、過去にあっても、その当時の情報の総量が少ないなりに、やはり、当時の人、当時の若者にとっては、やはり身に余るほどの情報量であったのだし、彼らとて選択眼の確かさが求められていたはずです。  情報は、無限に大気の中を漂っていて、いまや代金も要らず、寝転んだままでも、欲しい情報はたちどころに手に入ります。しかし、その中は玉石混交の混沌とした世界です。  これからの時代、情報の総量は増すことはあっても減ることは考えられません。となれば、これからの時代は、ひとつに情報の質が問われることになるでしょう。そして、そのためには、人間の基本的資質とされる「節度」という問題こそ一番大きく提唱されなくてはならないと思うのです。  

noname#100286
質問者

お礼

ありがとうございます。 (1)について。 量が増えたと言うのは、雑誌の種類、テレビの番組数、などで多くなっていると言うことですね。 週刊誌などは殆ど読んでいないのですが、つまり今はゴシップ率がかつてよりも多いと言うことでしょうか。 また報道もかつてはワイドショーなども内容が控えめであったということでしょうか。 (2)について 単に売れたからということですね。 >児童たちにとっての情報もまた、過去とは大きく違います、一番大きな違いはソースです。過去には読書、講話、紙芝居や児童向けの映画といったものしかなかった過去では、必然的に読書という習慣もまた身に付くものであったはずです。 >今日では、テレビ、ネット、漫画雑誌などを通じて、そうした過去のソースよりもはるかにイージーに情報を取り込むことが出来るようになりました。 これに関して質問なのですが、テレビの普及していない昔からも新聞・ゴシップ雑誌、(変な?過激な主張が書かれた?)書籍はいくらでもあったのではないでしょうか? かつては年齢制限があったとは聞いたことありません。 本当に児童には児童向けのものしかなかったのでしょうか。小学生は小学生向けのものしか読んではならなかった時代という事でしょうか。 (3)について 場合によるということですね。 >過去にあっても、その当時の情報の総量が少ないなりに、やはり、当時の人、当時の若者にとっては、やはり身に余るほどの情報量であったのだし、彼らとて選択眼の確かさが求められていたはずです。 あ。なるほど。古くて新しい問題であるわけですね。

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