• ベストアンサー

第三者や他者

第三者や他者の判断や行動を充てに頼りきる人間は存在価値なしとの事でしょうか。

  • wcppg
  • お礼率99% (586/589)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#96778
noname#96778
回答No.1

それはTPOで考えるべきです。 諺にも『三人寄れば文殊の知恵』とあります。 取捨選択の出来ない方は存在価値なしと言われても仕方ないようですが、その方が三人目の方になる場合も有りますから、あくまでもTPOで考えるべきです。 即断即決は二面あることを忘れてはなりません。

wcppg
質問者

お礼

国公立なみの学費の方が上でしょうか‥ (笑)(爆笑)。

その他の回答 (1)

noname#203300
noname#203300
回答No.2

> 第三者や他者の判断や行動を充てに頼りきる人間は存在価値なしとの事でしょうか。  いいえ、存在価値はあります。一兵卒としては一番“便利”な人間です。語弊を恐れずに言えば、2本足で歩き、2本の手が使えるだけ、牛馬より“便利”です。

関連するQ&A

  • 第三者や他者

    ケースバイケースの判断や行動はプロセスですから○×や白黒の次の日の結果の世界では通用しない第三者や他者の物言いという事でしょうか。

  • 他者の宇宙は他者の宇宙があるはずという仮定なのか

    http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5744144.htmlにおいて、 存在は、絶対的ではなく、量子的な不確定性に基づいていそうなことは 解ったような気になっています。 多くの人間のそれぞれの宇宙が独立して存在することになるはずが、 自分は他者の宇宙を決して知ることはできないので、 他者にとって他者の宇宙が存在するに違いないという認識も 自分の宇宙の一部以外のなにものでもないと言うことなのでしょうか? はたして私はいったい誰にこの質問をしているのでしょうか?

  • 他者とは?

    自分以外の人のこと。 現実での他人はそう言うと思い込んでいますが、 潜在意識の中の自分に「他者」って存在するんですか? どなたか回答下さい

  • 他人の評価と人間関係の仕組み

    いくら検索しても解決する文献も情報も無かったので質問させていただきます。 問い:「私たち人間は、人として価値のある人間と関わりたいと思うのに、なぜ他者評価 を気にして成長や努力をしている人の人生は、結果的にうまくいかないと思いますか?」 "私にとって、人生でもっとも大事にしたい事は人間関係です。" ただ、自分も含めて、多くの人は心理的にも現実的にも、自分にとって「意味」 のある存在との関わりを求めますよね。 だから、私は人生の伴侶や、一生の親友を得る為に、一人の人間として価値がある存在。 一人の男として価値がある存在、社会人として価値がある存在、友人や親友として価値 のある存在を目指しています。 ただ、そうなると必然的に他者評価を強く意識する生き方になってしまいますよね。 「他者の評価」については過去の質問やネットの関連サイトなどは読んでいますが、しっくり ときません。 なぜなら、人間関係の仕組みが、「評価の高い人と関わりたい」になるからです。

  • 第三者や他者

    第三者や他者の物言いを否定できる力がないと身近なひとを否定できる力はないとの事でしょうか。

  • 他者を理解するというのはどういうこと?

     ここで「理解する」というのは、自分を「理解する」ように他者を「理解する」ということです。または、そういう状態に可能な限り近づくという意味です。  他我問題の観点からは上記の内容は無意味です。ですが、人間には他者、特に自分と関わりの深い他者(親、兄弟、恋人他)を何とか理解したい、という切実な願望が生じることが珍しいことではありません。「理解した」と思うこと自体が一種の幻想であるという解釈は、ヒリヒリした諦観とともに納得する(文学的表現でスミマセン)訳ですが、それでもなお「他者を理解したい」という欲求は止みません。  そこで質問なのですが、どういう理解ができれば、「他者を理解した」と思えるのでしょうか?  ちなみに、わたしは、初恋が実らなかったとき上記の点について考えはじめ、そして数十年の後の現在、「他者は理解できない」という結論に達しつつあります。  再度繰り返しますと、「他者を理解する」とはどういうことか、についてお答えを頂ければ幸いです。もしくは、どういう理解に達すれば「他者を理解した」といっていいのか、ということです。よろしくお願いします。

  • 自己と他者

    ふだんはそんなことは、まるで考えないのですが、ここ数日、ある考えが頭から離れなくて苦しんでおります。 それは「自分(自己)」というものがどのように「他者」を理解するのだろうということです。「自己」は自分という殻からは一生出られず、 しかし他者と理解しあったり、恋愛したり、憎しみあったり・・ 他者を理解するということイコール自己の経験の投影なんだろうか・・とか。 考えても埒があかない問題ですし、考えすぎて苦しくなってくる程で、 みなさまの見解をお聞かせください。 そして、困ったことに、これを考えていると恐ろしい考えにいくつくのです。 つまり自分の見ている世界は、全部自分の仮想現実なのではないかと いう・・。他者には一生なれないわけで、それなら、本当に存在しているかどうかは、確認しきれない・・。 全ては夢の中のようにも思えて、自分でも、馬鹿だなと思いつつも でも神経症なんじゃないかと思うほど気になる。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • 第三者や他者

    こっちの判断という居場所の存在に基づくものが判りませんので詳しく教えて下さい。

  • 第三者や他者

    人間関係は自分の判断でしょうか。

  • 他者に依存してばかりいる人は…。

    自分で考え、行動しようとせず他者に依存してばかりいる人は、いざ一人になったら何も、できずに自滅して行き倒れて死にますか? ↓こんなふうに。 どう思いますか?

専門家に質問してみよう