卑弥呼伊勢神宮アマテラス(1/2)

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卑弥呼伊勢神宮アマテラス

卑弥呼=アマテラスから考えると、アマテラスをまつった伊勢神宮は卑弥呼の墓と考えられないでしょうか?神武天皇が「天照大神はその光を我になげかけ我を助けたもうた。今、賊を平定し海内は平穏である。高天原の神をまつり、孝道を行おう。」といって、とみの山で祭りを行い高天の原の神をまつったという日本書紀の記述は、神武が高天の原(九州の卑弥呼の墓)から祖先神である卑弥呼を畿内に移したのではないでしょうか?伊勢神宮の式年遷宮とはそのことを儀式化したものではないのでしょうか?

投稿日時 - 2009-10-03 21:52:43

QNo.5339544

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回答(6件中 1~5件目)

ANo.6

返礼ありがとうございます。
邪馬台国についてお話するのは楽しいですね。
このたびは貴重な意見を下さいましてありがとうございました。

>古代の天皇の平均在位期間が10年
これは安本美典氏の説ですね。本で読みました。
しかし、古代の天皇の中には実在性が疑われる天皇がいます。
天皇一代平均在位年数約十年説はこれをどう考えるか、という問題をクリアーする必要があると思います。
また、天皇一代平均在位年数約十年説は絶対的なものではないと思います。
箸墓の築造年代からのみ箸墓が卑弥呼の墓だとはいえないのと同じで
総合的に考える必要があると思います。

あと、高天原の問題もありますね。
奈良県御所市にも高天原があります。とみの山はニギハヤヒが天下ったとされる山ですね。
大阪府交野市に磐船神社があります。ここがニギハヤヒの天下ったところなのだそうです。
畿内説では高天原は九州ではなく、御所市を取っていると思います。

質問者様も物部王朝説を支持なさっているのですね。
ところで畿内に九州甘木地方と大変似た地名があります。
安本氏はここから邪馬台国は九州甘木地方としておられたと思います。
私見では物部氏が住んでいたのが九州甘木地方で
そこから畿内に移動してきたのではないかと思っていますが、
このあたりをどう考えるか、ということもポイントになってくるでしょうね。

卑弥呼の墓は円墳であって前方後円墳ではないといわれますが
橿原考古学研究所の川上邦彦氏は中山塚古墳の前方部と後円部の石の積み方が異なっていることから
前方部と後円部の築造年代が異なる、箸墓にも同じことがいえる、と主張しているようです。

また魏志倭人伝には卑弥呼には夫がないと記されていますが、トヨは卑弥呼の宗女であると記されています。
「宗女」とは「嫡出(正統の血縁)である娘」という意味なので
卑弥呼の娘だとも考えられると思います。

ご指摘いただいた
●平均在位十年説
●高天原の所在
については、私も明快な答えが出せていません。
九州説についても再度振り返ってみるなどして考えてみたいと思います。
ありがとうございました。

投稿日時 - 2009-10-06 15:11:36

ANo.5

卑弥呼が知られたのは三国志によってです
日本にはそのような遺跡も記述もありません
現在そうだと云われている遺跡や記述はすべて三国志に合致しそうなものを選択されているに過ぎません
合わないものや都合の悪いものは排除されています
親魏倭王の金印が発見されれば卑弥呼の存在が事実だと証明されるでしょう
卑弥呼、天照大神、じんぐ皇后 これらを同一人物とする説もあり時代的に全く合わなくなります
はっきりしないことなので個人の想像に任せればいいのです
証拠がない大昔のことだから好きなように解釈すればいいと思います

投稿日時 - 2009-10-06 08:57:23

ANo.4

天皇家なんて存在しませんよ。

あくまで天皇は天皇であって、どっかの名家と同列ではありません。

投稿日時 - 2009-10-06 00:30:19

ANo.3

>卑弥呼=アマテラスから考えると・・

魏志倭人伝に、

「・・その国、元は男子を王となす、内乱が起きて長い間互いに争ったが、共に一女子を選んで王とし、争いは収まった。彼女の名を卑弥呼という。鬼道に通じて民衆の心を掴んだ。年長になっても結婚することなく、弟が彼女の政治を助けた・・」

とありますので、彼女は結婚せず子供は居なかったようです。すると、神武天皇は彼女の子孫ではないことになります。よって、伊勢神宮の天照大御神は卑弥呼ではありません。

投稿日時 - 2009-10-05 00:23:37

お礼

回答ありがとうございます。結婚という概念が古代にあったとは思えないのですが・・。あるとすれば妻問い婚?子どもはいなかったといえるのか考えたいと思います。

投稿日時 - 2009-10-05 21:19:56

ANo.2

アマテラスはもともとは男神であり、具体的には嫁兄を殺して神武を大和に迎え入れたとされるニギハヤイのことです。これは、彼の和風賜号が天照国照彦天火明櫛玉(アマテラスクニテラスヒコアメノホアカリクシミカダマ)二ギハヤイノミコトというカムヤマトイワレヒコノミコト(=神武)よりもよほど立派な名乗りでも明らかです。そして、ちなみに彼が大物主神です。

これを、女神に祭り上げたのは日本書紀ですが、これはよく言われているように持統天皇の投影であり、卑弥呼の投影であると考えられます。ただ、天皇家の祖先が卑弥呼であったのは無いでしょう。というよりも祖先であるようなふりをしたというのが正解でしょう。書紀は神功皇后も卑弥呼のような書き方をしています。アマテラスにしろ神功皇后にしろ真に(真ではなくとも断言できるものならば)卑弥呼ならばそのように書くでしょう。それを断言しないというのは、改竄しようにもできない事情があったとしか考えられません。おそらく、九州地方で卑弥呼の勢力を汚い手で手に入れ、その格式をもって、ヤマトに婿入りし(たぶん祟神天皇)、またしても汚い手でヤマトの王権を乗っ取ったのが天皇家と思われます。

で、伊勢神宮ですが、アマテラス(女神としての)な当初ヤマトに祭られていましたが、追い出されるようにして長い間ほうぼうタライ回しにされて最終的に伊勢に祭られました。外宮と内宮の不自然さや遷宮や神事における出雲の影や物部氏役割を考えるに、卑弥呼を祭っているとは到底かんがえられません。

箸墓が卑弥呼の墓というのも賛成しかねます。あれは前方後円墳で円墳でないので、トヨの墓ではないかと思いますが^^

私見では、おそらく卑弥呼の墓は宇佐神宮の後背地ではないでしょうか?

なるべく短く書いたので乱暴な内容になりましたが、詳しく書くと本1冊になるんでご容赦ください^^

投稿日時 - 2009-10-04 16:17:51

お礼

回答ありがとうございます。ふつうみんなが考えるお墓とはお骨が入っている塚だと思います。もし神武が卑弥呼の墓からお骨を始めやたの鏡などの埋葬品を畿内に移したのなら九州には墓の跡だけが残ることになります。平原遺跡なども候補地になるのでしょうか?

投稿日時 - 2009-10-04 22:47:00

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