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kk71

新撰組最強と言われた天才剣士・沖田総司ですが、
本当に、強かったのでしょうか?

早い時期から、師匠である近藤や土方を、はるかに凌ぐ剣術の腕前・・と、されていますが、
近藤、土方は、目立って剣術が強かったわけでは、ありませんよね?
隊内の試合や、稽古で最強だったのでしょうか?
実際の斬り合いで、活躍が目立ったのでしょうか?

そもそも、剣客集団新撰組は、奇襲・待ち伏せ・多勢に無勢、敵を倒すためなら、なんでもあり集団だったとか。
(本当に、剣豪の集まりだったのか?)

個人の憶測でしかないですけれど、真の新撰組最強は、誰だったのでしょう?
また、沖田総司が、現在の全日本選手権に出た場合、優勝できるでしょうか?(笑)
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Aみんなの回答(全7件)

質問者が選んだベストアンサー

  • 2009-09-21 16:23:08
  • 回答No.1
夢を壊すようで申し訳ありません
我々が知っている新撰組のほとんどは明治の時代に子母沢寛が想像で書いた小説から広げられた物です
現代の新撰組関連の小説や話は全てこの人の作品から広がったと言っても過言ではありません

近藤勇は稽古では弱かったようです、道場破りのような事があると助っ人を頼んでいたようですよ
沖田総司も早死にした為に話を大きく膨らまされたのでしょう
それだけあの時代ではこの人たち個人を知るような人が少なかったのでいくらでも膨らませられたという事です

剣道と真剣術は全く違うのでもし沖田総司が剣術最強なら剣道の世界で優勝するのは難しいのではないでしょうか?
剣道の大会で刀を振り下ろしたり振り切るところなんて見た事無いですよね
また刀で面、面、面、なんてできる訳がありません

よって練習方法も変わってくるので剣道の大会でどうこうと言うのはナンセンスだと思います

『小さな親切大きなお世話、アナタの悩みママンが解決致します』
お礼コメント
やはり、小説での英雄伝でしか無いのですね・・・。
最強伝説とともに、美男子伝説まで造られて、小説の力は凄いですね^^
投稿日時 - 2009-09-22 13:47:27
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  • ありがとう数0

その他の回答 (全6件)

  • 2009-09-21 16:32:22
  • 回答No.2
どうだろ(笑)。
現在でもちゃんと「天然理心流」は存在してるからね、迂闊な事は言えないよね。

文献では「本気になった沖田は、近藤さんよりも強い」と隊士の一人が言ってるようだし、まずは最強といってもいいのでは?。

また、当時の戦い方として「やあやあ我こそは…」なんて言いませんから(笑)「なんでもあり」は幕軍だろうが、維新志士だろうが関係なく「非情」なものだったのは間違いないでしょう。
「剣豪」は宮本武蔵でお仕舞いだったりして?。

土方は戊辰戦争ではすっぱりと「髷」を落としていますし、銃器への反発というものも見られません。
「より強力な武器を選ぶ」のは鉄則ですから、少なくとも土方は「刀を捨てる」ことにあまり躊躇は無かったんじゃないでしょうか?。
京都見回り探索には、小太刀や脇差が便利だっただけで、特に刀に偏愛するようなことは考えられなかったんじゃないでしょうか。
…近藤勇は思い入れが強かったかもしれませんけどね。
お礼コメント
宮本武蔵も怪しいものです(笑)
太陽を背に戦ったり、大遅刻して来たり、「生き残るが勝ち!!」
単なる作戦の名人だったりして(笑)
投稿日時 - 2009-09-22 13:52:31
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  • 2009-09-21 16:42:47
  • 回答No.4
NO1さんの回答の通り、誰が強いかというのは難しいですよね。
真剣の戦いの場合、ちょっとしたはずみで勝ち負けが決まりますし、
道場での強さが当てはまるとは思えません。
 
 あえて言うなら(いろいろな小説等を見ての私見ですが)
斉藤一 ではないでしょうか。
 ニヒルな剣士、幕末のゴルゴ13という感じがします。
質問者さんがいう通り、新撰組は奇襲・待ち伏せ・多勢に無勢
、敵を倒すためなら、なんでもあり集団だったと(池田屋の変等除く)
私も思いますし、基本的には相手を必ず倒すため、三人で相手にかかる
と、いう戦い方です。
 だからといって、弱い人の集まりだとは言えないと思います。
 
勤皇の志士と呼ばれる連中の暗殺の方が、よっぽどやり方が武士らしく
ないと思いますが。。
 ちなみに、沖田さんは一回戦負けでしょう(笑)ルールが違いすぎ。
お礼コメント
斎藤一は、写真が残っていますね。
ニヒルとは程遠い印象ですが、案外、こういう人が本当に強いのかも知れません(笑)

やはり、現代剣道はスポーツなのか^^
投稿日時 - 2009-09-23 13:11:53
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  • 2009-09-23 00:31:04
  • 回答No.7
>ちなみに実際に斬ったとされる倒幕派浪士は、1863年から1867年の間で20人未満。
たくさんの浪士を斬ったと言うのは後年の小説などの誇張。

内部粛清は40人強。(油小路含む)
戊辰戦争で倒した正確な人数はさすがに分りません。
お礼コメント
内部での揉め事の方が多いような・・・。
案外、浪士を守るための用心棒と、ペーペーの隊士同士が斬り合って、死んだ数が多いのかも知れませんね・・。
投稿日時 - 2009-09-23 13:40:53
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  • 2009-09-21 16:42:28
  • 回答No.3
以前、「壬生義士伝~新選組でいちばん強かった男~」の時代劇があり、二番隊組長の永倉新八が、新選組でいちばん強い男になってました。
お礼コメント
謎ですね(笑)
投稿日時 - 2009-09-22 13:53:24
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  • 2009-09-22 21:18:16
  • 回答No.5
普通に考えれば、沖田・永倉・斉藤のどれかでしょう。
でも個人的には近藤か斉藤だと思います。
そもそも局長の近藤が弱ければ猛者揃いの新鮮組メンバーはだれも付いてこないでしょう。
試合では沖田に負けることも多かった近藤ですが、真剣での切り合いでは別人のような強さだったようです。近藤は実践では多勢相手でもまったくビビらないクソ度胸と凄まじい気迫で鬼のような強さを発揮したらしい。沖田が近藤を崇拝したのもイザという時の強さと圧倒的な信頼感があったからだと思います。
また、沖田や永倉を差し置いて斉藤を候補に挙げる理由は、新選組時代も殺しのスペシャリストとして最も人を切り、その後も明治の西南戦争まで参戦し、実践で剣を抜いた数で言えば圧倒的に多いからです。
新選組は当然複数で1人を襲うことも多かったようですが、それは幕末ではスタンダードな暗殺方法であり、新鮮組の専売特許ではありません。有名な内部粛清をこの手の暗殺で行っていたためダークなイメージが強いですが、京での数え切れないほどの尊王攘夷派を新選組はわずか数十人で取り締まっていたのだから凄いと思います。池田屋事件では近藤と沖田の二人で二階に駆け上がり(永倉と藤堂は一階におり二階から降りてきた敵を退治)、序盤戦は10倍以上の敵をたった二人で相手にして圧倒してます(沖田は一人で四人を惨殺したという記録があります)。これほど強い沖田、その沖田が尊敬してやまない近藤の実践での実力は最低でも沖田と同等の実力はあったと推測します。
彼らを弱いと判断するとは情報が古いかもしくは歴史を知らなすぎると思います。
むしろ数人がかりで暗殺ばかりしていたのは尊皇攘夷派のほうです(人切りで有名な薩摩の中村半次郎や肥後の川上ゲンサイらもほとんど暗殺や集団戦でしたし、一人で多勢に挑む殺しができたのは土佐の岡田イゾウくらいです)。
幕末では剣技よりもどれだけ死線をくぐり抜けたかの経験値が重要です。その点を見れば多くの切り合いを経験し、少人数で多勢に挑むこともできる新選組の面々が最強候補として名が挙がるのは当然です。いずれにしても実践での切り合い経験が多い新鮮組はおそらく幕末最強の剣客集団でしょう。
お礼コメント
う~~ん、この手のヒーロー歴史は、小説での誇張が多いからなぁ・・。
幕末の生き残り組が、武勇伝を大きくしてる可能性もあるし・・。
まあ、修羅場をくぐってきた事に違いはないので、弱くはないと思いますが、現代の機動隊みたいなものですかね。
投稿日時 - 2009-09-23 13:20:41
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