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戦国時代に「愛」とはどんな意味を持っていたか?

goo-par1732の回答

回答No.4

たしか『文芸春秋』で『天地人』の原作者・火坂雅志氏が、「愛民」説の立場で執筆したと投稿されていたことを思い出しました。 大略次のような内容でした。 「愛」は、愛宕大権現あるいは愛染明王の頭文字を取ったという説をはじめは信じていた。 また、近代民主主義的な「愛」が戦国時代にあったはずがないと思っていた。 ところが、米沢では愛は「愛民」という言葉から来ていると語り継がれている。 そこで、謙信の語録『謙信公語類』を読んでみると…というような話でした。 それならWebサイトに出ているかも知れないと検索しますと、次のサイトにほぼ同じ内容のことが載っています。 佐倉市立図書館 仲町つれづれ No.220 今の世の中に足りないもの http://www.library.city.sakura.lg.jp/nakamati/BN0812-0901.html 2)兼続や当時の武士階級にとって、「愛」とはどんな概念だったのでしょうか 想像することは私の得意とするところですが、当時の「愛」については全く想像できません。 天・地・人の「人の和」を大切にした領国統治が、領民を「愛した」ことになるのではないでしょうか。

oozora2000
質問者

お礼

『文芸春秋』での火坂雅志氏の投稿及び佐倉市立図書館「仲町つれづれ」の引用有難うございました。 「慈愛」=「仁愛」、「仁」こそが「義」とならぶ(師の謙信から受け継いだ)武士道の根本精神であるとのこと、納得しました。

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