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批判覚悟の質問をしてしまいますが。。。

大学の論文やテキストを読んでいていつも思うことがあります。 なにかというと、途中式がほとんどなく、まるで読むのを拒否しているかのような文献ばかりであることです。 皆さんは必死な思いで途中式を展開し読み進み理解するのでしょうが、私はそんな苦労をするのははなはだ才能と時間の無駄遣いのように思えます。 科学者に、「式の変形の途中式を省略せずに、式の変形過程が追えるような本を書いてください」といったら殴られそうですが。。。 著者は賢いので、凡人の苦労は理解できないのだと思います。 このようなサイトでしか質問できないのですが、学者はなんでわざわざ読み手にわかりづらい本を書くのでしょうか?

noname#89030
noname#89030

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

学者の書く専門書や論文は、同じ分野の専門の方々向けに書かれています。 言い換えれば、もう少しレベルの低い人や一般人向けの書籍を書くときとは違って、その分野の読み物を読むだけの前提条件・知識をわざわざ書かずに済むのが、執筆者にとっての論文のいいところです。 学者さんでも、教材や一般人向けの本を書くときには、「わかってほしい」という気持ちで書くので、書くスタンスも文体も変わるのが常です。 論文や専門書を読むということは、執筆者のステージ(土俵)にまでこちらが上がっていく努力を求められるということです。その論文を理解するために必要な知識を、回り道して調べなければいけない場面も多々あるでしょう。そうして新たな周辺知識を得ることもまた、その分野の論文を読み解く上での大きな糧になります。 賢い著者は、出版物の性格やターゲット層を把握し、自分が何を求められているかがわかっているので、それに応じた何通りもの書き方ができるものです。もちろん、人によっては柔らかく書いても難しい言葉遣いになってしまう人や、説明をしすぎて冗長になってしまうなど、個性やクセはありますが。

その他の回答 (9)

  • publicpen
  • ベストアンサー率37% (991/2627)
回答No.10

同じ指摘を 野口悠紀雄さん(東大工学部卒で元官僚。 現一橋大名誉教授でベストセラー作家。経済学者。)が言ってましたね。「日本人学者は難しい本はいい本だと誤解している節がある。困った悪習だ。」と。 オバマの演説を聴いたら分かるように、欧米では学者など エリート層でも、書いたことや言ったことは非常にシンプルです。 特に僕が思うのは、試験毎に教授が課題図書にする自著ですね。 それはもう酷い内容で、「そりゃ課題図書にしないと誰も買わないわな」てな内容です。どこの教授でもそうではないでしょうか。 もちろん「難しい=ダメ」ではないですが、あなたの指摘はおおむね 正しいと思いますね。 司法試験勉強本でも平易なモノや過去問題をやるように進めていて、 「学者本は時間の無駄」と多くの場合言われています。 言ってる本人は司法試験の合格者で学者の多くは司法試験合格者でないのですから、どちらを信用すればいいかは明白だと思います。 法科大学院でも保守的な東大京大の合格率は奮いません。 「名著なんだ凄いんだ」と言うオナニー本は本人は満足であっても、 読者には害にしかなりませんね。 ちなみに名著であれば、平易でも難解でも 数十年後、数百年後に必ず残ります。 それで判断ができると思いますがいかがでしょうか。

noname#89030
質問者

お礼

皆さん回答ありがとうございます。 私の知識のなさでこんな質問をして申し訳ありませんでした。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.9

想定している読み手の知的レベルにあわせているからです。 式の変形を例に挙げられていますが、どの程度までやさしくすればいいのでしょうか? 中学校1年生にも分かるように「Xとは」「Yとは」からが分かるようなレベルで各大学の教授レベルが読むような論文を書かれたら、一つの式を説明するのに、数十から数百ページの補足説明を書かなくてはいけません。読みにくくて仕方ありあんせん。 普通はそのような数学の基礎知識は中学や高校などで学んでいることを前提に話を進めます。 >著者は賢いので、凡人の苦労は理解できないのだと思います。 違います。賢いとか凡人とかのレベルではありません。読み手の知識が不足しているだけです。 将来東大に簡単に合格するような幼稚園児に大学受験のテキストを読ませても理解できません。その幼稚園児が凡人だからではなく、その知識レベルに達していないからです。 >私はそんな苦労をするのははなはだ才能と時間の無駄遣いの >ように思えます。 読むだけの能力が無いのですから、才能の無駄遣いは違う。 今までの人生で才能を伸ばしてこなかったという意味での才能の無駄遣いなら分かりますが。

noname#116453
noname#116453
回答No.8

論文とテキストでは全く別問題です。 テキストはわかりやすく書くのが基本です。式も多くあった方がよいかも知れません。 しかし、たとえば高校の参考書に小学校の算数の教科書のごとく、事細かに計算の過程が書いてあると煩わしく思いませんか?こんな下らないことまで書いてページ数を増やしているのか。おかげで値段が高くなるし、持ち運びにも重くなると思うかもしれませんよね? 要は、読み手のレベルも絡んでくるということです。著者の独りよがりということも現実にはあるでしょうが、わからないというのは筆者が読者に要求するレベルと読者のレベルが一致しないということでしょう。なので、読者は自分のレベルにあった教科書で勉強すべきです。教科書を指定されてレベルにあっていないというのであればお気の毒です。しかし、恐らくはそのレベルでも難なく理解できる人はいるはずです。 論文に関してはもっとはっきりしていて、それを理解できない人は対象外なのです。少なくともレフェリーがそれを読んで、理解し、評価しているから論文として公表されているわけですから。 >私はそんな苦労をするのははなはだ才能と時間の無駄遣いのように思えます。 論文を読めない人がそれをするのは勉強の一環であり、時間の無駄遣いではありません。それが出来なければ研究者としてのスタートラインに立てていないことになります。勉強に時間がかかるのは当然であり、やむを得ないことです。大学での勉強にまで、受験参考書並みの親切で、要点をおさえた説明を求めるのは難しいでしょうね。そういう本があるのが好ましいのかもしれませんが、逆にそれが思考の芽を摘んでしまう面もあるように思います。

回答No.6

読みにくいテキストがあるのは事実ですが、式の変形まで回答に書いてあるのが良いとは思いません。それなら、学生は一体全体その本で何を勉強するのでしょうか。その本が「式の変形方法」に関するテキストで無いのなら、そんな事に紙面を割く必要は無いと思います。

  • progetto
  • ベストアンサー率24% (17/70)
回答No.5

>才能の無駄遣い というのはよくわかりません。 途中の式が省略されていても、慣れてくると自然にわかるようになります。そうなると途中経過がくわしく書いていてある本のほうが、非本質的なことに頁を費やす「無駄遣い」にみえてきますよ。 最初の頃は、自分にあった書物をみつけてください。

noname#160321
noname#160321
回答No.4

うーん。悩んだ末に自分で教科書を書いちゃった人が居られます。 非常に分かり易いです。↓ http://homepage2.nifty.com/eman/index.html 余りの好評に書いている本人が「日本の科学は大丈夫か???」と憂えておられます。

回答No.3

「学者はなんでわざわざ読み手にわかりづらい本を書くのでしょうか」 本ならば、著者の責任もなくはないですが、普通は著者はもっと丁寧に書きたいと思っているはずです。でも、著者の思い通りのページ数で書けるのって少ないのです。超大物の著者なら別ですが。出版社側にある程度プランがあって、ページ数はどの程度ってありまして、その範囲で凝縮した書き方をしないといけないのが普通なので。 まあ中には難しげに書いて済ますのもありまして、これは怠惰を責めて良いです。 極端な場合は自分が理解していないから解説できないので難しげな式のままで済ませているのではないかと思われるケースもありますが、これは例外かつ論外、最低ですね。でもさすがにそういうのは希です。 欧米の教科書は良いですよね。十分な紙数があって十分に丁寧に書いているのが多いです。 この違いはどこから来るのかわかりませんが、良い教科書を書くということが大きな業績として捉えられるかどうかという違いがあるのではないかと思います。日本は評価は論文の数一辺倒ですもんね。 論文の場合はさらに著者を責められません。分かりやすく書くことが優先にはなりませんから。きちんと明確に記すのが優先。紙数は論文誌によりきっちり制限されています。丁寧な記述のあまりに冗長になると査読者からもっと簡潔にと注文をつけられてしまいます。それでなくても、こことここは記述不足だ、論拠があいまいだ、もっときっちり書けと指示されるので、初歩的なことに紙数は当てられないのです。もともと読み手は専門家であるという前提なのでまあしかたないです。それでも、まともな著者はややこしい式の導出なんかは付録でもうちょっとかみ砕いて示しているのが普通です。これでダメだと言われると、それは多くの場合は読み手側の責任です。

  • ORZTX
  • ベストアンサー率41% (213/513)
回答No.2

前提が違うと思います。 学者はわかる人に向けた論文や本を書いているのであって、教えるために書いているのではありません。論文の評価をするのは同じ畑の自分と同等かさらに上の科学者ですから、基本的な部分までいちいち書きつづるのは蛇足に他なりません。 そういったものを教科書、資料として使用するかどうかは利用する側の自由なのですから、当然ですが著者に責任は全くありません。

  • lancru358
  • ベストアンサー率34% (41/119)
回答No.1

こんばんは。 難解に表現するのが、インテリだと勘違いしているのではないでしょうか。 たしかにインテリかもしれませんが、難しいことを、易しく 読み手にわかりやすいように表現することこそ すばらしいことだし、実は難しいのだとおもいます。

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